■Cheetah Beat / Sandy Nelson (Imperial)
特に1960年代の洋楽ヒット盤にはエレキに代表されるインスト物が少なくありませんが、同時に売れていたのが、ドラムスを前面に出した同系レコードでした。
それは基本的にはエレキインストのキモと同じく、制作された同時代のヒット曲をギターやキーボード、あるいはオーケストラを用いてキャッチーにアレンジし、その中で強いピートを活かした伴奏やドラムソロを聞かせていくという、なかなか直截的な企画ではありますが、それゆえに大衆音楽の好ましい要点を掴んでいると思います。
平たく言えば、聴いていて思わず腰が浮く♪♪~♪
あるいはリズムとピートの刺激に浮かされる♪♪~♪
そんな気分の高揚がたまらないんですねぇ~♪
このあたりは古来から人間にとっては普遍の歓喜であって、原始最初の楽器がパーカッションであったとされる定理はもちろん、映画演劇でも例えば邦画の傑作「嵐を呼ぶ男」のクライマックスがドラム合戦の場面であったり、とにかく分かり易い快楽主義が、ドラムス盤の魅力でしょうか。
そして当然ながら、そうした歴史の中では今日まで、大勢のスタアドラマーが登場しており、本日ご紹介のサンディ・ネルソンはロケンロール~ロックのジャンルにおける決定的な人気者!
そのブレイクのきっかけは、1959年秋に大ヒットとなった「Teen Beat」という、そのものスバリの8ビートドラミングを聞かせるエレキインスト物なんですが、初っ端からシンプルなスタイルを押し通すサンディ・ネルソンをジワジワと盛り立て、後半からはグイグイと野性的な狂熱を呼び覚ます流れに導いていくバックの演奏とアレンジは、単純にして意外に奥が深いのでしょう、ハッと気がついた時には完全にノセられているんですよねぇ~♪
ちなみに曲を書いたのは、そこでギターも弾いているリッチー・アレンという、後にはスリー・ドック・ナイトやブルース・イメージのプロデューサーとしても有名になる才人なんですが、実際のアレンジとプロデュースはサンディ・ネルソン本人というのが定説で、そこに以降継続していく人気の秘密があるというのは、サイケおやじの独断と偏見かもしれませんが、この点については後述します。
また、無視出来ないのが、そのヒットを出す以前の経歴で、カリフォルニアに生まれ、高校生の時にはプロ級の腕前だったという若き白人ドラマーが、様々なバンドに参加するローカルスタアになっていた事、そして同時にフィル・スペクターやジーン・ヴィンセント等々のスタジオレコーディングに参加していた実績は侮れません。
しかもルックスが如何にもティーンエイジスタアの要件を満たしていた事もあり、言わばドラムの若大将!
レコードもシングルヒットよりは、インスト系アルバムをメインに量産体制へ入っていた事は、同じ系列のレーベルに所属していたベンチャーズと歩む道が似ています。
ところが好事魔多し!
なんとっ! 1963年にバイクで事故っての片足切断の大怪我は、ドラマーにとっては致命傷と同じでしょう。
しかし流石は天才ドラマーの覚悟は違っていたというか、懸命のリハビリで翌年にはカムバック盤を出し、世界中のファンを感涙させています。
さて、そこで本日のご紹介は1967年に出た、サンディ・ネルソンの数多の人気アルバムの中でも、特にサイケおやじが好きなLPで、もちろん当時のR&Bを含む洋楽ヒットの数々が「お約束」のアレンジで演奏されています。
A-1 Happenings Ten Years Time Ago
A-2 Money
A-3 You Got Me Hummin'
A-4 I Don't Need No Doctor
A-5 Mustang Sally
A-6 Words Of Love
B-1 Winchester Cathedral
B-2 Good Things
B-3 Please Don't Ever Leave Me
B-4 Frea Beat
B-5 Pandora's Golden Heebie Jeebies
B-6 I Need Somebody
と、書きながら、上記演目をご覧になれば、皆様にしても何が「お約束」なのか、ちょいと戸惑われるかと思います。なにしろサイケデリックもモータウンもサザンソウルもソフトロックも、さらにはノスタルジックポップスも万屋的な選曲は、日和見というよりは無節操?
しかし、ここでサンディ・ネルソンが貫いているのは、全く最初のレコードヒットになった「Teen Beat」と同じリズムとビートの高揚感をシンプルに煽る手口であって、そこに非常にテクニカルな隠し味を織り交ぜる手法は本人が自家薬籠中の十八番ということです。
ただし、であればこそ、サイケおやじは根深い疑問を抱き続けている事を告白しなければなりません。
それは既に述べたとおり、サンディ・ネルソンが事故で片足を失っているという点であり、お叱りを覚悟で書いてしまえば、そういうドラマーに、ここまで素晴らしい演奏が出来るのか!?
という部分なんですねぇ……。
以下は全くのサイケおやじの根拠の無い推察であり、妄想とお断りしておきますが、おそらくサンディ・ネルソンは件の事故以降のリーダー盤において、スタジオセッションでは敲いていないんじゃ~ないでしょうか?
つまり有能なスタジオプレイヤーが代行していたのでは?
という疑念は確証が無くとも、少なくともサイケおやじの中では納得して聴けるところまで固まっていますし、もしかしたらデビュー当時から、レコーディングの現場では同じ事が行われていたような気がしています。
しかし、それでもサンディ・ネルソン名義の演奏が魅力なのは、そのスジの通ったドラム魂で、ロックやソウル、あるいはジャズやラテンであろうとも、出来上がって来るものは常に明るく楽しく、そして激しいという、全日本プロレス最盛期のような、わかっちゃいるけど、やめられないものばかりなんですねぇ~♪
言いかえればサンディ・ネルソンはプロデューサー的な役割であって、また自身のイケメンを活用したイメージキャラクターでもありながら、立派に看板を務めるだけの才能と力量があったからこそ、幾枚もヒット盤が出せたのでしょう。
ということで、個人的にも写真で見るサンディ・ネルソンにはスタアドラマーの佇まいを強く感じている次第です。
それは実際に敲こうが、敲いていなかろうが、スタアはスタアにしか醸し出せない雰囲気の証明だと思うばかりです。
う~ん、まさにドラムの若大将!
ただ当時から、インストアルバムでドラマーが主役というのも、不思議なアルバムだなぁって思っており、そもそもS.ネルソンに関しての知識がまったく無かったものですから、今回のブログはとても参考になりました。
S.ネルソンはロック系のドラマーらしいですが(僕はジャズとばかり思っていました)、その彼がラテンアルバムというのも意外ですが、ブーガルー自体が、かつてのゴーゴー喫茶でかかりそうな音楽ですし、所謂それまでのラテンミュージックにR&Bが加味されたものがブーガルーらしいですから、自然な流れではあったのでしょうね。
コメント感謝です。
ドラマーのインスト物は我が国でも作られていて、例えばジミー竹内とか石川晶は有名だと思いますが、ほとんどがジャズ系のプレイヤーからスタジオミュージシャンに転身したメンバーで作られていたようです。
サンディ・ネルソンは一応はR&R出身ですが、大量生産されたアルバムにはクレジット無しでハリウッドの裏方メンバーが参加しているのは確実で、個人的には初期にアール・パーマー、後期にはジム・ゴードンあたりが代行で敲いていたと推察しているのですが、まあ、出来あがったものが売れれば、それはそれで成功かと(笑)。
つまりサンディ・ネルソンは商標として絶大な価値があると思っています。
それと「ブーガルー」についてはサイケおやじも不明に思っているところで、ラテンロック味のソウルジャズ? なぁ~んて解釈する他はないんでしょうか?
後の「サルサ」は違うみたいなんですが、真相は???