■Black Night / Deep Purple (Warner Bros. / 東芝)
さて、なにはともあれ、深紫の闇夜!
本日はご存じ、ハードロックの王者として今も君臨するディープ・パープルの大ヒット曲ですが、1970年代の我国アマチュアロックバンドでは必須の定番演目だった事も忘れてはなりません。
ヘヴィでストレートなロックのリズムと調子が良くて覚え易いキメのリフ♪♪~♪
これぞハードロックの醍醐味が凝縮され歌と演奏は、デビューヒットの「Hush」以来、ちょいと尻つぼみ状態だったディープ・パープルを再ブレイクさせる起爆剤となりましたが、当時のバンドはリッチー・ブラックモア(g)、ジョン・ロード(org)、イアン・ペイ(ds) のオリジナルメンバーに新参加のイアン・ギラン(vo)、ロジャー・グローヴァー(b) という、所謂第二期黄金時代の幕開けが、この1970年に発売された「Black Night」でもありました。
ここまでの流れでは、前述したデビューヒットの「Hush」から以降、基本的にアメリカのレコード会社と契約していた事もあり、同国では特に人気の高かったヴァニラ・ファッジのような有名曲のサイケデリックロック化、あるいはジョン・ロードの趣味なんでしょうか、妙にキース・エマーソンの影響が大きいクラシックの様式美を追及しそこなった演奏、さらにはハリウッドポップスとハードロックの奇妙な結婚のような歌まで演じていたのですから、ひとつひとつの仕上がりは素晴らしくとも、発表されたアルバムは総じて散漫という印象が強くなっています。
ただし、サイケおやじは後追いで聴いたものも含めて、そうした第一期が相当に好きなんですが、やはり「Black Night」を聴いてしまえば、後はうやむやにしたくなるのが、若気の至りとばかり言い切れないでしょう。
で、この「Black Night」を自分らのバンドで演奏しようと決意させる要因は、やはり覚え易いと言うよりも、どっかで聴いたことがあるようなリフの楽しさでしょう。
実は後に知ったことですが、このリフはアメリカのハードロックバンドでは、地味ながら根強い人気のあるブルース・マーグスが1967年にヒットさせた「Nothin' Yet」の完全なるパクリ!?!
ただし、その「Nothin' Yet」にしても、「Black Night」に引き継がれた基本のメロディが、アメリカの某アイドル歌手が演じたジャズスタンダード曲のアレンジを借用したという説もあるほどですから、自然に耳に馴染むのは当然なのかもしれません。
またディープ・パープル本隊にしてみれば、当時はメンバーチェンジを経て新作レコーディングセッションをやっていた中で、レコード会社側からシングル向けのキャッチーな曲を要求され、速攻で作ったのが「Black Night」だったという逸話が証明するように、かなり厚顔無恥な事をお気楽にやってしまった感が否めません。
ちなみに件の新作セッションが傑作アルバム「イン・ロック」に結実したのは言わずもがな、実はその中の名曲「Child In Time」が、これまたアメリカの西海岸派バンドではマニアックな人気が高いイッツ・ア・ビューティフル・デイの「Bombay Calling」をモロパクリした真相は、後に訴訟沙汰にまで発展したのですから、いやはやなんとも……。
まあ、この問題については和解が成立したと言われていますが、それにしても当時のディープ・パープルは焦っていたんでしょうか?
今となってはメンバーチェンジの端境期に制作された、例のクラシックオーケストラとの共演ライプアルバム「ディープ・パープルとロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ」が、ハードロック路線への方針転換に懸念を抱いていたジョン・ロードをなだめる為だったとか!? 様々な憶測もありますが、結果的に「Black Night」のような親しみ易いシングル曲を作れることが、このバンドの強みでもありました。
さて、肝心の自分らのバンド演奏なんですが、まずはギターとペースのユニゾンでキメなければならないリフが難物! ところが当時から既に「Black Night」は素人用のバンドスコアが出回っていて、簡単でありながら、如何にも「らしく」演奏出来るポイントが、やっぱりあったんですねぇ~♪
ただし、その頃のアマチュアバンドは機材が貧弱……。
大出力のアンプはもちろん、各種エフェクター類にしても、お金が無い事以前に入手そのものが困難でしたから、サイケおやじもギターにファズを矢鱈使いまくって、それなりにニューロックな気分に浸っていましたですねぇ。
当然ながら、周囲からはブーイング&顰蹙の嵐でしたが、昭和40年代中頃の高校生バンドは、こんな状況が普通だったんですよ。
また、ついでに書いておけば、当時の必須定番はCCRの「Proud Mary」、サンタナの「Black Magic Mowan」、ショッキング・ブルーの「Venus」、GFRの「Heartbreaker」等々、このあたりが簡単にしてウケが良い曲の代表でした。
ということで、ディープ・パープルは「Black Nigh」のヒットから、以前よりも大きな成功の足掛かりを築きました。
おまけに当時はアルバム未収録曲でしたから、このシングル盤も売れまくっていたはずですが、ほどなくして我国での配給契約が東芝からワーナーに移動すると、必然的にジャケットデザインも同時期のアルバム「イン・ロック」からの流用に変更され、今では私有の掲載盤は珍しくなっているのかもしれません。
しかし楽曲そのものの魅力は永遠のハードロックアンセムとして、輝き続けるでしょう。
そして今日も幾多のアマチュアバンドが、この「Black Nigh」にトライしているものと確信しているサイケおやじは、やっぱりオールドウェイヴなんでしょうねぇ。
この曲はテレビCMでも頻繁に使われ、もはやロック・スタンダードでしょうね。個人的には「ハイウェイ・スター」、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」などよりも好きです。『LIVE IN JAPAN』ではアンコール前に演奏してもらいたかった。であれば、めでたくアルバム収録されたのに、なんて思ってしまいます。『IN ROCK』にも収録されず、そういう運命を背負った曲なのか…(笑)。
既聴感を覚える曲調はそういうことだったのですか。
なるほど!
コメント、ありがとうございます。
一応、第二期のライブではアンコール定番だったようですが、バンドとしては必ずしも積極的では無かったように思います。
しかし人気曲には違いなく、今では懐メロバンド化したディープパープルには、必要なんじゃないでしょうか?
それゆえにアマチュアバンドにも、必須なのは今も変わらない状況でしょうねぇ。
コメント、ありがとうございます。
やっぱり「ライブ・イン・ジャパン」の破壊力は絶大ですよっ!
それによって人生までも狂わせた人もいると確信するほどです。
「24カラット」も、また同様の影響力があったと思いますよ。
とにかく真紫は偉大です。