■First Step / Small Faces (Warner Bros.)
生粋のロンドンR&B系ビートバンドだったスモール・フェイセスがフェイセズに転身したのは、リーダー格のスティーヴ・マリオットが同バンドを抜けた1969年春以降とされるのが定説です。
そのメンバーはロニー・レイン(vo,b,g)、イアン・マクレガン(key)、ケニー・ジョーンズ(ds) というオリジナルの3人に加え、ジェフ・ベック・グループから流れて来たロン・ウッド(g,b,vo) とロッド・スチュアー(vo) という5人組になりましたが、現実はスモール・フェイセスというアイドルバンドの名前が未だ重く、また後には看板スタアとなるロッド・スチュアートがブレイク前という事あり、そのスタートは決して派手なものではなかったと思います。
加えて、これは我国での状況なんですが、新たにフェイセズとして契約したワーナーの発売権が、ちょうど東芝からワーナーパイオニアに移った時期であったことで、まずは日本独自で出された心機一転のシングル盤もプロモーションが行き届かなかったのでしょう。全くの不発になっています。
そこで本日ご紹介のアルバムは、そうした仕切り直しの最初の1枚で、実は新生フェイセズの作品でありながら、ジャケットにあるバンド名はスモール・フェイセス!?!
ここが非常に微妙で不思議なポイントなんですが、まずスモール・フェイセスはイギリスや欧州各地では人気が高かった反面、アメリカではブロモーションツアーさえやった事がなく、それでいてアメリカのレコード会社と契約しての最初のアルバムがスモール・フェイセス名義なんですねぇ……。しかも本国イギリスでは、同じ内容のLPがフェイセズ名義での発売となったのですから、完全に???です。
それが1970年3月の事で、掲載した私有盤はアメリカプレスゆえに、スモール・フェィセス名義ですが、実はリアルタイムの日本でも事情は同じでした。
このあたりの経緯を時系列的に追ってみると――
1969年3月:スモール・フェイセスからスティーヴ・マリオット脱退
1969年5月:ロン・ウッドが新生フェィセズのリハーサルに参加
1969年6月:ロッド・スチュアートがマーキュリーとソロ契約
1969年7月:ジェフ・ペック・グループ解散
1969年9月:ロッド&ロン、フェィセズに正式加入
1969年秋:ロッド・スチュアートのファーストソロアルバム発売
1969年末:新生フェィセズが本格的に活動開始
1970年3月;アルバム「ファースト・ステップ」発売
――という大まかな流れがあるわけですが、スモール・フェイセスのオリジナルメンバー達にしろ、ロッド・スチュートやロン・ウッドにしろ、アメリカに狙いをつけた戦略は既にあったようで、米国ワーナーやマーキュリーとの契約も、そのひとつの表れでしょう。
ですから、バンドとしての最初のアルバムでは、当然ながらアメリカの最新流行が演じられて然るべきだったのです。
A-1 Wicked Messenger
A-2 Devotion
A-3 Shake, Shudder
A-4 Stone
A-5 Around The Plynth
B-1 Flying
B-2 Pineapple And The Monkey
B-3 Nobody Knows
B-4 Looking Out The Window
B-5 Three Button Hand Me Down
まずはA面ド頭の「Wicked Messenger」が所謂ダウン・トウ・アースなオルガンに導かれたスワンプロックの決定版! 原曲はボブ・ディランのオリジナルなんですが、ロッド・スチュアートが十八番のソウルフルなボーカルが冴えわたり、ギュンギュン唸るギターと蠢くベース、そしてヘヴィなドラムスがビシバシ炸裂する、如何にもダイナミックな歌と演奏は素晴らしいかぎり♪♪~♪
そして一転、次なる「Devotion」はロニー・レインが書いた畢生のスローパラードで、ここでも厳かなゴスペルオルガンとR&Bフィーリングが滲むギターが素晴らしい彩りを演じ、もちろんロッド・スチュアートがじっくりと歌ってくれますが、中盤では作者自らのジェントルなボーカルも味わい深く、これまたビシッと重いドラムスが最高のアクセントになっています。
あぁ、もう、この二連発で、このアルバムは間違いない!
そう思った次の瞬間、グッとエグ味の強いハードロックとして演じられるのが「Shake, Shudder」で、ここでもロッド&ロニーのツインボーカルとスライドギターの対決が熱いですねぇ~♪ こういうスタイルこそが、真にフェィセズならではの魅力じゃないでしょうか。
それはロン・ウッドとロニー・レインが共作した哀愁のパラード「Nobody Knows」でも良い味出しまくりとして楽しめますが、やはりアルバム全篇を通して聴けば、ロッド・スチュアートの存在感は圧倒的で、スライドギターや強靭なドラムスと激しく対峙する「Around The Plynth」でのド迫力や「Flying」でのプログレ風味のアレンジと演奏をブリティッシュロック王道路線へと軌道修正させていくボーカルの力量は、まさにスタア歌手として証明だと思います。
一方、オリジナルメンバーとして、スモール・フェイセスからの意地を貫き通すが如きロニー・レインの主張も個性的で、所謂アンプラグドで演じられる自らのオリジナル「Stone」は英国トラッドの温故知新な解釈とでも申しましょうか、そのなかなかの味わいは深いですよ♪♪~♪ ちなみにバンジョーはロッド・スチュアート、ハーモニカはロン・ウッドが演じているのも興味津々でしょうねぇ~♪ このあたりはストーンズの超名盤「ベガーズ・バンケット」収録曲にも通じるフィーリングですが、そう思えば曲タイトルも面白いところですし、前述した「Around The Plynth」だって、ロン・ウッド加入後のストーンズが演じたとしても、違和感の無い仕上がりになるんじゃないでしょうか。
そこでバンド全体の方針を探る手がかりとなるのが、インスト曲の「Pineapple And The Monkey」と「Looking Out The Window」で、特に前者は微妙なメロウグルーヴ感が滲んだ名演だと思いますが、後者に関しては些かカラオケ的な印象が勿体無いところ……。
しかし、お待たせしましたっ!
オーラスの「Three Button Hand Me Down」は、これぞっ、フェィセズが薬籠中の乱痴気騒ぎが存分に楽しめる痛快ロケンロール! グッとタメの効いたイントロから思わず腰が浮くリズムとビート! それが例のロッド節を盛り上げ、また歌が演奏をグイグイとノセていくという如何にも「らしい」展開は、このバンドだけが持っていた真の魅力でしょうねぇ~~♪ まさにフェィセズの代表的名演にして、個人的にもベストカセットを作る時には必ず入れていた傑作トラックです。
ということで、これほどの充実作にしても、実はリアルタイムでは決して売れたとは言い難く、皆様がご存じのとおり、ロッド・スチュアートが傑作ソロアルバム「ガソリン・アレイ」と大ヒットシングル「Maggie May」でブレイクした後に再注目されたのが本当のところでした。
それは実際、我国でも東芝レコードから「スモール・フェイセス」名義で1970年に発売されながら、ワーナーパイオニアへと権利が移動した再発時には、当然ながらロッド・スチュアートが大スタアになっていたとあって、「ロッド・スチュアート・ウイズ・フェイセズ」の作品にされていました。
もちろんサイケおやじも、このアルバムを中古でゲットしたのはリアルタイムではなく、ロッド&フェイセズの双方が人気を確立した1973年の事です。
結論から言えば、それゆえに当時はグイノリR&Rが持ち味とされていたフェイセズが、なんとスワンプにトラッド、さらにはR&Bとニューソウルにさえ意図的に接近していたという再デビュー期の実相に触れ、ちょいとした違和感を覚えた記憶も鮮明です。
しかし、それがまた別角度で心地良いのも確かであって、今では愛聴盤のひとつとして手放せません。
本来、スモール・フェイセスが気になる存在だったサイケおやじは、ここでますます過去に彷徨う迷い道の中でフェィセズ人脈に夢中になるのでした。
いつもながらサイケおやじ様の博識のおかげで、また好きなバンドについての新しい情報を頂きました。有難うございます!
英国と米国ではアーティスト名義がちがってたんですね。
もし両方を初回プレス分持ってたら結構価値が出てますかね?(笑い
個人的にはSmall Facesがモッズぽくってすきですね。あのファッションセンスが最高です。
でもFacesも70年代ぽっくてよいですし、当時中学生になった頃の私でも
NHKの洋楽番組を通じてテレビで見ることが出来ました。
当時ビデオ等なかったのでそれこそかじりついてギタープレイを見て
簡単なリフが出来るようになって、馬鹿の一つ覚えのように弾いてはお袋から
「うるさかよ~!」と怒られたもんですが、今となっては、いい思い出です。^^
これからも、がんばってくだい!!
コメント&応援、ありがとうございます。
>NHKの洋楽番組
「ヤングミュージックショウ」ですか♪
これにはリアルタイムで熱くさせられましたよねぇ~♪
お堅い国営放送が、どこもやらない最新ロックのライブや特番を流すというだけで、事件でした。家庭用ビデオの無かった時代、本当に画面を凝視していた頃が思い出されます。
ところでスモールフェイセスはリアルタイムよりも1980年代の我が国で、突如として若いファンが増えたように思います。
モッズなんていう感覚は、1960&1970年代の日本では、理解したくとも、出来なかったんですよね。それだけ感性がズレていたんですが、音楽そのものは局地的ですが、ウケていました。
そうなんですよ。まったくおっしゃる通りで、私は76年頃から70年代終わりからにかけてのThe JamやSecret Affair等のModsバンドにもろ直撃した世代で
ブリティッシュビートが当時盛んだった博多で育ったと言うこともあり、The Jam等から60年代のモッズバンドにたどり着き、やっぱキンクスやスモールフェイセズの方がかっこいいとの思いで、のめり込んでいったくちです(笑い。
ちなみに森山達也率いるThe Modsは1976年ごろはスペリングはThe Mozzで名乗ってましたが、周りからは「えっ、モッズ??もずってあの鳥の一種の?」と言うくらいのトホホな認識でした(笑い。
そして陣内孝則君をはじめ数々の若者はこの頃のThe Mozz,
Son houseに大いに触発されてThe Rockers、The Roosters、Modern Dollz等色々なバンドを結成してビートロックをやりだしたようでした。
サイケおやじ様のお言葉をお借りすればこれも局地的に流行ったがゆえに、後に東京から「めんたいビート、ロック」と言われる所以になったのでしょうか。
しかし、私にとっては、当時リアルタイムでそのムーブメントの中に身を置くことが出来たのは幸せに思っております。
では、また6,70年代のお聞かせ下さいませ!
熱いコメント、ありがとうございます。
「めんたいロック」という言葉は所詮、東京の音楽マスコミが作り出したものですよね。
それよりも、何故に博多でモッズ系ビートバンドがウケたのか、そこに興味が集まって然るべきでしょう。
1970年代後半から、我が国でもツイストが大ブレイクしたので、ロックも売れる時代になったんですが、ほとんど歌謡曲の味わいがないビートバンドには、またまだ厳しい時代だったと思います。