OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ビートルズ来日公演にアイム・ダウン!

2009-10-09 12:28:41 | Beatles

I'm Down / The Beatles (Parlophone / 東芝)

本日のご紹介はビートルズの大ヒットシングル「Help」のB面に収録された、ポール・マッカートニー渾身のオリジナルR&R! 良く知られているように、来日公演のラストナンバーとしても、有名だと思います。

で、今日は少年時代のサイケおやじが経験したビートルズの来日について、ちょっと書いておきます。

まず今では歴史の狂騒ですが、当時の我国では、確かにビートルズ熱は沸騰していましたが、その時点ではベンチャーズやアストロノウツといったエレキインストのバンド、あるいはキングストントリオやビーター・ポール&マリー等々のフォークソングのグループ、そして歌う映画スタアとなっていたエルビス・プレスリーの人気も同等に高かったと記憶しています。

そして昭和41(1966)年4月、ビートルズの来日公演が決定のニュースが流れた時も、最初は「騒動」とは些か縁遠い感じだったと思います。それは主催が読売新聞だったことから、他のマスコミが冷ややかだった所為かもしれません。

ところが実際にチケットが販売される段になって、急激に騒ぎが大きくなるのです。

それは公演が6月30日と7月1日、東京だけで3回しか行われず、しかもチケットがハガキによる申し込み! それも個人名義で1人1枚限りに限定されていたのですから、会場が日本武道館で収容人員が1万人以上であったとしても、難関には違いありません。

というよりも、この頃から女性週刊誌や芸能誌が必要以上にビートルズ熱を煽るような報道を展開し、もちろんそれは女性ファンを狙い撃ちにした商魂優先の企画ではありましたが、他の一般マスコミがそれに追従したのは言うまでもありません。

当然ながら読売系列はビートルズに好意的でしたが、あとは音楽マスコミを除いて、概ね批判的であり、中には日本武道館を使用する事だけで売国的行為と決めつける報道さえあったほどです。

そこでサイケおやじ周辺のチケット騒動なんですが、まず従姉がどうしても行きたいということで、私も含めて父母や妹の名前も使って申し込んだのですが、全てハズレ……。もう従妹は半狂乱という醜態でした。

しかし捨てる神あれば、なんとやら♪

もう2回の追加公演が決定し、しかも某歯磨きメーカーの素晴らしきご配慮により、当社製品の空き箱を送ると抽選でチケットプレゼントの企画が発表されるのです。他にも某お菓子メーカーで同様の企画があったと思いますが、この頃になると私もゲーム感覚で従姉に加担し、歯磨きの空き箱を集めて合計3口送ったところ、なんと7月2日のチケットが2枚も当たったのです♪♪~♪

ところが今回も従姉は大ハズレ……。

当然ながら我が家に当たったチケットの1枚は従姉に回すことになり、もう1枚は隣の町医者で働いていた看護婦のナナちゃんにあげることになったのです。なにしろ「エレキは不良」でしたから、小学生の私は……。

あぁ、今となっては痛恨の極みなんですが、何故か当時の私は、それほど残念とは思いませんでした。テレビ放送があることも発表されていましたし、次の来日公演に行ければOK、なんて楽観していたのです。う~ん……。

で、いよいよビートルズがやって来ると、それはとんでもない騒ぎになっていました。マスコミのトップニュースは完全にビートルズの一挙手一投足であり、宿泊していたホテルから武道館や皇居周辺には警察官が大量動員され、各所で交通規制や検問まで行われていたのです。もう、いくら世界一のビートルズだと言っても、極言すれば単なるロックバンドに、これですからねぇ~。今、大物政治家が東京に集まったとしても、これほどの厳戒態勢は無いと確信するほどです。

そして肝心のライプ公演とテレビ放送なんですが、まず6月30日の最初のステージが終わった翌日の新聞やテレビ、そしてラジオでは、とにかく熱狂が大きく伝えられ、案の定、演奏や歌は歓声にかき消されていたとのレポートがありました。つまり集まったファンの狂騒が中心の報道だったのです。

しかし同日、つまり7月1日の夜9時からテレビ放送されたビートルズのライプステージでは、歌と演奏が明瞭に楽しめました。これは、その日の昼の部の公演だったんですが、とにかくカッコ良さは最高!

ちなみに番組そのものはカラー放送だったらしいのですが、我が家のテレビは当然ながら白黒でした。

また番組の構成なんですが、まず羽田空港への到着から記者会見、日本人バンドによる前座があって、ビートルズのライプは約30分でしたが、ジョンが自然体で歌う「Rock And Roll Music」から最新曲の「Day Tripper」や「Paperback Writer」までも含んだ演目は、非常に生々しい魅力がありました。

ただ、同時にビートルズが映画「ヤァ!ヤァ!ヤァ! / A Hard Day's Night」で披露していたイケイケの姿勢が、些か薄れていたようにも感じました。それは中盤での「Baby's In Black」や「Yesterday」といった穏やかな楽曲の所為でもあり、また後で他のライプ映像を様々に鑑賞した結論として、どうも1966年頃のビートルズはライプの現場でのテンションが下がっていたように思うのです。

しかしそれはリアルタイムのビートルズが発表していた「ラバーソウル」や「リボルバー」といった傑作アルバムに繋がる曲、例えばジョージが12弦のエレキギターを弾きながら歌ってくれた「恋をするなら / If I Needed Someone」、あるいはキメのコーラスも印象的な「ひとりぼっちのあいつ / Nowhere Man」での強い印象として何時までも余韻が残るのです。

そしてオーラスはポールが熱唱した本日ご紹介の「I'm Down」ですからねぇ~♪

まさに様々なモヤモヤをブッ飛ばす勢いが強烈至極! 所謂「のっぽのサリー」タイプの焼き直しではありますが、これはポール・マッカトニーでしか歌ってはいけない世界でしょうねぇ~♪

ちなみにレコードや以前のライプパフォーマンスでは「お約束」だったジョンのオルガンは、ちゃんとステージに用意していあったにもかかわらず、やってくれませんでした。

まあ、そんなことは後で知ったことで、私の本音としては前座の日本人バンド、もしかしたらドリフターズの荒井注が片付け忘れたのかと思っていたのですが……。

ということで、正直に告白すると、ビートルズの来日ステージでは「I'm Down」が一番に最高だと感じていました。

ところが「I'm Down」はその頃、日本で発売されていたLPには収録されておらず、したがって「Help」のシングル盤か4曲入りのコンパクト盤をゲットする他はなかったのですが、既に「Help」のアルバムを持っていた私としては、経済的な問題から非常に辛い決断を迫られました。

しかし、ここにも救い神が♪♪~♪

前述した看護婦のナナちゃんが所有していた、このシングル盤をプレゼントしてくれたんですねぇ~~♪ この時は本当に彼女が女神様に見えたほどです。

ということで、これが私のビートルズ来日騒動の簡単な顛末です。

そして音楽的な云々よりも、決定的に印象に残ったのは、繰り返しますが、ビートルズの「自分達で演奏して歌う」姿でした。失礼ながら前座に登場したブルーコメッツや尾藤イサオ、望月浩、内田裕也……等々がダ~サく思えましたよ。気になるドリフターズはステージの上を走りまわっていた姿しか記憶していません。

このあたりは当時の我国でバンド活動をやっていたプロアマの諸氏にも感じられたに違いなく、ビートルズの来日を契機として日本のロックがインストから所謂グループサウンズ=GSへ進化していったと思われます。

最後になりましたが、このテレビ放送用のソースは実質的に2回録画され、リアルタイムでの放送には7月1日の昼の部が使われました。また、もうひとつの6月30日のライプは、昭和54(1979)年に「たった一度の再放送」と称された時に使われ、同時にビデオソフト化もされています。

そして当然ながら、今日では両日の映像がオマケも含めて海賊版DVDとなっていますが、これも貴重な昭和の歴史として、公式な映像ソフト化が強く望まれるのでした。

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2 コメント

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こんにちは (bob)
2009-10-09 16:04:14
オルガンが荒井注の忘れ物というのは笑えました♪

65年がベンチャーズの年で66年がビートルズの年だった、というのが僕の懐古的位置づけです。ただ、おっしゃるように春先まではさほどの熱狂ぶりではなく、来日直前になってから社会現象として展開してしまった感がありますね。

チケットに関しては、高校生だった兄はハガキの抽選でみごと当選。当時中学生だった僕はたとえチケットが手許にあったとしても、おそらく武道館には行かなかった(行けなかった)だろうと思います。その証として、「某歯磨きメーカー」と関わりのある仕事をしていた父親は手に入れたチケットを同僚に譲ってしまいました。ウチの子供たちは興味ないだろう…ってな感じですね。

「ファンの喚声で音楽が聞こえなかった」などと言われましたが、TV放送ではそんなことなく音楽は充分に楽しめましたね。おっしゃるように、今となってはテンション上がらず緩いと感じますけどね。
それだけにこの「I'M DOWN」が際立っていましたねぇ。
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ライブとテレビ放送のギャップ (サイケおやじ)
2009-10-10 12:12:43
☆bob様
コメント、ありがとうございます。

ライブのテンションに関しては、前年のシェアスタジアムの映像や音源から、その頃が絶頂だったかもしれませんね。

前座出演ではプルージーンズも出ていたようなですが、寺内タケシや加瀬邦彦の姿は記憶していません。ちょうど辞めたか、休養期間中だったのか、不明ですが……。

チケットの悲喜こもごもは後世までの語り草かもしれません。

テレビ放送は演奏がしっかり聴けて、とてもライブの現場とは違っていたと思いますが、マネージャーのブライアン・エプスタインは不満だったとか!?!
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