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サイケおやじの生活と音楽

The Beatles Get Back To Let It Be:其の拾壱

2020-09-04 16:28:09 | Beatles

後に「レット・イット・ビー」と呼ばれる映画とアルバムについて、ある程度のメドがついたのは1969年の秋の終わり頃だったと思われます。

まず、映像は映画として劇場公開し、すでに新鮮味が無くなっていた「ゲット・バック」のタイトルは放棄、新たなタイトルが模索されますが、それが次の新曲候補になっていた「レット・イット・ビー」になるのは、皆様ご存知のとおりです。

新アルバムのタイトルが「其の九」で既に述べた様に「Let It Be and 10 other songs」となり、ジャケットの試し刷りが様々に行われたのも、この時期かもしれません。

そして映像フィルムの編集は急ピッチで進められ、付属する写真集も完成し、アルバムの仕上げは再びグリン・ジョンズに依頼されますが、ここで問題になったのが、映像では演じられている曲が、その音源テープには完成形で存在していなかった事でした。

それがジョージ作曲の「I Me Mine」で、映画の中では彼が前の晩に作ったこの曲を、リンゴにギターだけで聞かせたりする良い場面があったので棄て難く、そこで結局、新たにスタジオでレコーディングする事になりました。

で、このセッションは1970年1月3日に行われ、プロデュースはジョージ・マーティンでしたが、ジョンは参加しておりませんし、当然の如く各種の追加ダビングが行われ、ここに「生演奏&一発録り」というセッション開始当初の決め事は破られてしまうのですが、実は……、そのセッションを事実上仕切っていたグリン・ジョンズも、前年4月に行ったマスター・テープの仕上げの段階で僅かながら音の差し替えやダビングを行っていた事が、後に明らかにされる記録で残っております。

また、翌日には新しいシングル曲として発売が決まった「Let It Be」のマスター・テープ製作が、これもジョージ・マーティンのプロデュースで行われ、ここでもギターやブラス、コーラス等がダビングがされました。

もちろん、こ~ゆ~動きは明らかに映画公開を優先したものであり、結果として、どんな約束も、一度反故にされてしまえば歯止めが効かなくなるという、現実の表れでした。

しかし、グリン・ジョンズはそれでも頑なに、これまでの方針を貫き通そうとしていました。

これまでも度々触れていますが、とにかく長大でダラダラしたセッションが記録されている音源ソースから、なんとか使えるパートを抽出し、例えば「其の七」に掲載した様な楽曲トラックに仕上げた彼の功績は無視されるべきではありません。

そして「其の八」で書いた様に、その中から新作アルバムの候補曲をLP1枚分に組み上げたアセテート盤までメンバーに提出していたのです。もちろん随時、楽曲単位でシングル形態のアセテート盤も作られていた事も、今日までの研究で解明されてしまえば、ここに至って、再びグリン・ジョンズを頼りたくなる制作サイドの目論見も一概に否定は出来ないと思うんですが……。

それはそれとして、あらためてグリン・ジョンズ版「ゲット・バック」、あるいは「レット・イット・ビー」を残されているブートから検証すれば、大きく分けて以下の3種類になる様で、まず有名なのが所謂「version-1」と称される、下記のソングリストによるアルバム構成です。

  A-1 One After 909
  A-2 Rocker
  A-3 Save The Last Dance For Me
  A-4 Don't Let Me Down
  A-5 Dig A Pony
  A-6 I've Got A Felling
  A-7 Get Back
  B-1 For You Blue
  B-2 Teddy Boy
  B-3 Two Of Us
  B-4 Maggie Mae
  B-5 Dig It
  B-6 Let It Be
  B-7 The Long And Winding Road
  B-8 Get Back(reprise)

これは何度もメンバーからダメ出しされながら、それでも1969年5月に一応は承諾されたらしい完成形で、「其の九」で触れた新作アルバムの予告紹介にあった収録曲目とも符合するところが多い事から信憑性が高く、後年はブートで「ゲット・バック」と云えば、これっ!

という決定版になっていた時期もあったほどです。

しかし、この「version-1」には実質的に2種類のミックスが存在しており、何れもステレオミックスを基本としながらも、トラック毎にボーカルや楽器の定位が左右で逆になっていたり、曲間に挟まれているメンバーの会話やチューニングの様子が異なっていたり、細かく検証するほどに、何故?

そこまで変えねばならなかったのか、サイケおやじには、グリン・ジョンズの意図が良く分からないところが多々有ります……。

例えばド頭「One After 909」では、真ん中にドラムスとベースが聴こえる定位は不変ながら、ジョンとポールのボーカルが左右逆転しているのですが、両方のミックスを聴き比べても、それほど印象が違うわけじゃ~ないと思うんですが……。

しかし、これはこれで、アルバムとしての曲の流れや構成に関しては、なかなか楽しめると思いますねぇ~~♪

まあ、そのあたりは、1970年代になってから出回った多くのブート、例えば本日ジャケ写を掲載したアナログ盤LP「レット・イット・ビー 315:Let It Be 315 (WIARDO RECORDS)」等々に親しんだ「慣れた耳」の所為だとしたら自嘲する他はありませんが、未聴の皆様にも、堂々とオススメ出来る秀作が、これなんですよっ!

気になる収録演目では、何と言っても後にポールのソロアルバム「マッカートニー」に改変して収録される「Teddy Boy(B-2)」でしょうか。また、「Rocker(A-2)」は「I'm Ready」の別タイトルでも知られる、お遊び的な短いロケンロールのインスト曲で、ノリが素晴らしいギターやエレピが楽しく、そのまんま続く「Save The Last Dance For Me(A-3)」は、アメリカの黒人グループとして人気も高いドリフターズが1960年に放った大ヒットで、日本では「ラストダンスは私に」として知られている曲のカバーなんですが、これは短くて、いきなり同じテンポで「Don't Let Me Down」に繋がり、結局は中断してしまうという、如何にも一発録りのセッションを体現したトラックです。

もちろん、肝心の「Don't Let Me Down」は、これまたメンバーのお喋りで繋がりながら、きっちり次の「A-4」で熱唱&名演が繰り広げられ、おそらくはシングルバージョンの根幹になったテイクが、これだと思われます。

また「Get Back(A-7)」も件のシングルバージョンに近い仕上がりになっていますし、「Let It Be(A-8)」はジョージ・マーティンが手を入れる前の所謂「ネイキッド」なバージョンであり、また「The Long And Winding Road」にしても、ボールが後に大問題にするフィル・スペクターが導入した大仰なオーケストラがダビングされていない、極めてシンプルな弾き語り~バンド演奏だけのテイクですが、もちろん後年の正式に完成された「ネイキッド」のミックスとは印象が違うという、そのラフな質感がサイケおやじには大きな魅力♪♪~♪

何よりもイイのは、ここでの「Let It Be」や「The Long And Winding Road」に限らず、全篇がグリン・ジョンズの作り出した骨太なロックの音で貫かれている事に気がつくんですが、それは……、まだまだ後の話になります。

さて、そこでグリン・ジョンズが冒頭から記した経緯により、1970年1月5日に完成させたマスター・テープが所謂「version-2」で、アルバムとしての演目構成は下記のとおりです。

  A-1 One After 909
  A-2 Rocker
  A-3 Save The Last Dance For Me
  A-4 Don't Let Me Down
  A-5 Dig A Pony
  A-6 I've Got A Felling
  A-7 Get Back
  A-8 Let It Be
  B-1 For You Blue
  B-2 Two Of Us
  B-3 Maggie Mae
  B-4 The Long And Winding Road
  B-5 Dig It
  B-6 I Me Mine
  B-7 Across The Universe
  B-8 Get Back(reprise)

  
ここでは「Teddy Boy」が外され、前述した「I Me Mine」は、含まれてはいるものの、それはグリン・ジョンズが自分なりに再編集・改変したバージョンという印象てす。

そして問題(?)になるのは、これまた新規に追加収録された「Across The Universe(B-7)」です。

もちろん、このジョンの名曲が採用されたのは映画「レット・イット・ビー」の本篇中、トゥイッケンナム・フイルム・スタジオでの演奏場面が披露されているからです。

良く知られているとおり、「Across The Universe」は、1968年2月に公式レコーディングが行われ、当時はシングル盤としての発売も検討されていたほどの傑作ですが、幾つか仕上げられた試作バージョンに作者のジョンが納得出来ずにお蔵入りしていたものでした。

しかし。それが1969年12月に発売された世界野生動物保護基金のためのチャリティ・アルバム「No One's Gonna Change Our World」に収録された事から評判を呼び、それは限定発売でしたから、機会があれば、あらためて新作として世に出す計画は残されていたはずです。

ただし件のLP「No One's Gonna Change Our World」のバージョンは、アルバムの趣旨に合わせたのでしょう、イントロ前とフェードアウトの部分に鳥の鳴き声や羽ばたき等々の効果音がダビングされていたものですから、グリン・ジョンズは今回の新アルバムの企画を尊重した初志貫徹を目指し、ここに収録されたのは前述した1968年2月のレコーディングバージョンから鳥の鳴き声等々の効果音やバックコーラスのパートを排除し、モノラルミックスによる、極めてシンブルなジョンの弾き語りスタイルに仕上げているんですが、前述したバックコーラス等々を完全に消し去る事が出来ず、微かな残響音として残っているのは、まあ……。

その意味で、もうひとつ、グリン・ジョンズが「やってしまった」のは、ドキュメント感を大切にする目論見から、楽曲トラックの合間にメンバーやスタッフの会話、そしてチューニングの状況音声を挟み込んだ、つまりはLP片面がライブ感覚の強い連続的な流れに組み上げた事から、この「version-2」では、ついに「One After 909」の最終パートにおいて、本当ならば例の屋上セッションの最後の最後で発せられたジョンの「グループを代表してありがとうと言います。オーディションには合格したいものです」という名台詞が入れられているという事は、アルバム全篇が決して無編集・無修正の作りでは無かった証左のひとつ!?

そ~ゆ~部分は細かく検証していけば、夥しいと思われるんですが、それもこれもグリン・ジョンズの熱意と苦心惨憺、創意工夫の結果だとすれば、一概に非難する事は出来ないんじゃ~ないでしょうか。

ということで、、こ~して仕上げられた「version-2」のマスター・テープは、メンバーやスタッフにも好評だった様ですが、今回も……。

またまた直前になって発売が頓挫します。

それはグリン・ジョンズがアルバムジャケットにプロデューサーとしてのクレジット掲載を要求したからだと云われておりますが、当然ながら、フリーの立場からすれば、ビートルズと仕事をした事は計り知れないメリットになるわけですし、ここまでの努力と功労を鑑みても、サイケおやじには、それが妥当だと思うんですけどねぇ~~。

しかし、それでも「ビートルズを使った売名行為」は、ジョンには許しがたい事の様に思われたのだと、今日の研究では決め付けられておりますが、果たして真相はどうなのでしょう?

ジョンは金銭で解決を図ろうとしたと言われておりますが……。

結果として、またしても新アルバム発売は延期とされ、とりあえずの代替策として、グリン・ジョンズが絡んでいない、つまりジョージ・マーティンが仕上げた方の「Let It Be」をシングル盤として出す事が決定されます。

う~ん、ここまでのゴタゴタ続きでは、営業サイドの苦渋は計り知れませんが、そんな現実から逃避するかの様に、ビートルズのメンバー達は各々本格的にソロ活動へ力を入れ始めます。

ビートルズが、1969年9月の段階で実質的に解散状態だった事は既に述べたところですが、それが表立って誰の目にも明らかになったのが、この時期でありました。

【参考文献】
 「ビートルズ・レコーディング・セッション / マーク・ルウィソーン」
 「サウンド・マン / グリン・ジョンズ」

注:本稿は、2003年9月30日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章を改稿したものです。

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