■酔いどれ船 / 緑魔子 (東芝)
昭和44(1969)年春、「プレイガール」が新番組としてスタートするという話題は、東京ローカルの「12チャンネル」であったにもかかわらず、なかなか期待されていたように思います。
ただし、その報道のメインはスポーツ新聞の芸能欄が中心で、だからこそのエロいテレビドラマという扱いが最初から強く滲んでいたように思うのは、既にその頃からプロレス大好き少年であったサイケおやじが毎日愛読していた「東京スポーツ=東スポ」の芸能紙面からの情報に感化されていたからで、それは説明不要、「東スポ」ならではの切り口が思春期にはジャストミートの刺激であった事と無関係ではありません。
そこにはレギュラー出演メンバーの顔ぶれ紹介が当然あり、全員がキュートでセクシー、そして「色気」と「怖さ」という、最も女性を象徴しているであろう個性を強く演じられる女優さんが揃っていた中にあって、サイケおやじは殊更緑魔子に大いなる好奇心、平たく言えばスケベ心を刺激されていました。
なにしろ当時の緑魔子と云えば、悪女・非行少女・場末の風俗嬢・ミステリアスな情婦等々を演じる個性派としてのイメージが確立していたようにサイケおやじには思えていましたし、実際週刊誌のグラビア等々で接する彼女の小悪魔的な佇まいやヌードフォトには、前述した「怖さ」と「色気」が並立していた記憶が今も鮮明です。
もちろんサイケおやじは中学生でしたから、そ~した演技を実際に銀幕で観ていたわけじゃ~無いんですが、既に「緑魔子」という名前と文字列には、刷り込まれたそれらが濃厚だったんですが……。
さて、実際に放送された「プレイガール」では、「男嫌いのマコ」という設定になっていて、レギュラーメンバーの中では所謂三枚目っぽいイメージで活躍していましたですねぇ~~!?!
それでも劇中ではシャワーシーン~バスタオル姿でのアクションとか、スリム&キュートな肢体を拝ませてくれましたし、衣装にしても、当時の最新流行だった「サイケ」を上手く着こなすというセンスはピカイチ♪♪~♪
ヘアスタイルやメイクについても、見事なお手本を示していましたですよ♪♪~♪
ところが当時は東映を離れてフリーとなっていたらしく、つまりは相当に忙しかった事から、レギュラー扱いだった20話中、僅か8本しか登場しておりませんし、役割も軽いものだったのは残念……。
このあたりの事情について、劇中では「海外出張」とか「お見合いで秋田へ帰った」等々の説明(?)的台詞もあるほどでしたから、やっぱり期待と存在感は各方面で強かったと思われます。
そして皆様ご存じのとおり、緑魔子はこの時期からアングラ芝居に傾倒し、ますます「飛んでる女」の印象を強くしていったわけですが、さりとて「プレイガール」の初代レギュラーメンバーであったキャリアは些かも薄れるものではないと確信する次第です。
さて、そこで本日掲載したのは昭和45(1970)年に発売された、彼女にとって、おそらくは最後であろう大衆的歌謡曲のシングル盤で、特に作詞:寺山修司&作編曲:田辺信一が提供したA面曲「酔いどれ船」は、今も人気のレア・グルーヴ歌謡!?
最初はアコースティックギターのアルペジオや陰影の滲むストリングスをバックにした正統派歌謡フォークの湿っぽさがニクイばかりで、それがサビでは、いきなり暴れるオルガンに導かれ、さらに強過ぎるパーカッションに煽られ、テンポアップしたリズムとビートにノセられてグリグリの節回しを聞かせるという展開は、再びシンミリシミジミの風情に収斂していくという素晴らしさですから、緑魔子の幾分不安定な歌唱が逆説的にイキイキしているんですねぇ~~~♪
これぞっ! 緑魔子♪♪~♪
まさに目からウロコの傑作と断じますが、残念ながら大ヒットには至らず、それゆえに今も人気盤になっているんじゃ~ないでしょうか。
緑魔子のレコードはシングル盤だけでも4~5枚残され、中古市場でもそれなりに出回っていますが、この「酔いどれ船」こそは機会があれば、ぜひお楽しみいただきとうこざいます。
ということで現在、緑魔子は強過ぎる個性ゆえに一般的な認識が薄まっているように思いますが、「プレイガール」だけではなく、CS「東映チャンネル」は最近でも「牝」とか「男なんてなにさ」という、なかなか面白い出演作品が放送されていますので、このあたりもご覧くださいませ。
「しぶとさ」と「可愛さ」の演技を分け隔てなく見せて=魅せてくれるのが、緑魔子の女優としての本質であるならば、「プレイガール」での「男嫌いのマコ」も、決して忘れられるものではなく、むしろひとつの代表作だと思っているのでした。
フランス帰りの資産家令嬢っつー設定だったとは
驚きでした♪