OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

リリーズのB面名曲♪

2009-09-20 10:50:58 | 歌謡曲

頬つたう涙 / ザ・リリーズ (Philips)

GSプーム末期には様々な試行錯誤からキワモノバンドも数多く登場しましたが、同時に全くの正統派から新しい時代を開かんとしたグループも確かにありました。

本日ご紹介のリリーズも、今日ではソフトロックブームからの再評価が、皆様ご存じのとおりですが、リアルタイムでは昭和44(1969)年のレコードデビューから解散時まで、全く売れなかったのは周知の事実でした。

メンバーは佐々木孝(vo)、倉野健(g,vo)、南たかし(g,vo)、岸邦夫(key,vo)、秋山功(b,vo)、葵秀美(ds,vo) の6人でスタートしたようですが、最終的にはメンバーが流動的な5人組になったようです。尤も実際のウリは佐々木孝、倉野健、南たかしのフロント3人を中心にしたコーラスワークでしたから、結果オーライでしょうか。

実際、私が唯一度だけテレビで見たときはカラオケか、もしかしたら口パクだったかもしれませんでしたが、グループとしての演奏はやっていなかったと記憶しています。そしてベースの人だけが飛びぬけてオッチャンだったのも???

どうやら、その秋山功はGS期以前から様々なバンドに出入りしていたキャリアがあって、リリーズは再デビューのグループだったようです。というか、企画の段階から秋山功をリーダーにしたコーラスグループが想定されていたのかもしれません。

まあ、それはそれとして、私がリリーズって良いなぁ~♪ と思ったのは、このシングル盤がきっかけでした。

A面の「雨のささやき」はホセ・フェリシアーノが世界中で大ヒットさせた哀愁の名曲、その日本語カパーなんですが、それを何故か高校時代の同好会バンドでやることになり、そこで提示された模範が、このシングル盤だったのです。

正直、訳詞もイマイチだし、生硬なボーカルの節回しに場違いなストリングやコーラスが完全に時代遅れで、ダサいなぁ……、と思いましたですね。

この真相については後に知った事ではありますが、同好会の先輩として、ちょくちょく顔を出しては余計なお世話をやいていたお姉さまが、リリーズのファンだったという経緯だったようです。なにしろ彼女の実家はちょっとした食堂兼駄菓子屋だったでの、我々が溜り場にしていた事情もあれば、そのあたりをお察し願う他はありません。

当然ながら結果は悲惨なものでしたが、しかしB面に入っていた「頬つたう涙」は作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦の名コンビによるお洒落なソフトロック歌謡の大傑作♪♪~♪ その哀愁のメロディと失恋の悲しみを綴った泣きの歌詞が、軽快なドラムスやジャズっぽいピアノで彩られた名演名唱として、今も新鮮さを失っていません。

またリードボーカルの朴訥な味わいと白人系コーラスグループの影響下にあるスマートなフィーリングが、抜群のコントラストで融合しているのです。イントロのオルガンからピアノとストリングスがリードしていくアレンジの妙も、最高の極み♪♪~♪

個人的には、むしろこっちをやりたかったほどです。

全くこれなんか、A面とB面が逆になっていたら、ヒットは確実だったと思うんですけどねぇ……。ちなみに発売は昭和45(1970)年2月頃らしいのですが、既に述べたようにヒットとは無縁のうちにグループは解散しています。しかし僅か3枚しか残せなかったシングル盤の計6曲が後にソフトロックのファンによって再発見されたも、リアルタイムではあまりにもスマートすぎたというか、洋楽っぽい意識が強すぎたプロデュースが裏目に出たのかもしれません。

中でもデビュー曲となった「ドアをあけて」はオリジナルのシングル盤が高値で取引され、また様々なオムニバスCDに復刻収録されるほどの人気になっています。しかしサイケおやじは本日ご紹介の「頬つたう涙」こそが、リリーズの最高傑作だと思うのです。

機会があれば、これこそ皆様に聴いていただきたい昭和歌謡曲の名品と断言致します。

CD化については不明なのが申し訳ないところですが、ぜひとも、お楽しみくださいませ。

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荒木一郎のほろ苦い魅力

2009-09-19 12:12:35 | Singer Song Writer

君に捧げるほろ苦いブルース / 荒木一郎 (Trio)


昭和の大衆芸能界にあって、荒木一郎の存在は今も強い印象を残しています。

一番有名な活動は昭和40年代後半にヒットを連発していた元祖シンガーソングライターの時代かもしれませんが、同時に俳優としても名演を多数残しています。

と言うか、荒木一郎の芸歴は名女優の荒木道子の長男として、その素晴らしい資質を受け継いだ俳優業がスタートでした。そして東映ヌーベルバーグともいうべき「893愚連隊(昭和41年・東映・中島貞夫監督)」でのクールで軽妙なチンピラ役が絶賛され、以降は東映や日活を中心に活躍していくのです。

しかし同時に、その音楽的な才能も各方面から注目され、ラジオでのレギュラー番組「星に唄おう(ニッポン放送)」で披露されるオリジナル曲は次々にレコード化され、例えば昭和41(1966)年のレコード大賞新人賞を獲得した「空に星があるように」、エレキ歌謡の大名曲「今夜は踊ろう」や「いとしのマックス」等々は、まさに皆様が一度は耳にしたことがあろうと思います。

そうした経歴や活動は同時期の加山雄三との比較が連想されますが、加山雄三が明るく屈託の無い雰囲気であるのに対し、荒木一郎はどちらかといえば陰の魅力が大きいというところでしょうか。しかしそれは、決してマイナーということではなく、資質の違いというだけで、その才能は勝るとも劣らないのです。

いや、むしろスクリーンで演じる独特の屈折感やオトボケが絶妙のカッコ良さに結びつく個性は、歌の世界でも唯一無二の魅力になっています。

さて、本日のご紹介は昭和50(1975)年に発売された、如何にもそんな荒木一郎らしい自作曲のシングル盤で、B面の「ジャニスを聴きながら」が、あおい輝彦の大ヒットとしてお馴染みの自演バージョンというのも、嬉しいカップリングです。

で、A面の「君に捧げるほろ苦いブルース」は極言すれば当時流行のせつない系歌謡フォークなんですが、そこは荒木一郎ですから、自嘲と屈折、さらに昨日と明日がそこにあるから今日、この時があるというような、実に心に染み入る和風ハードボイルドな名曲だと思います。

そのアレンジもまた、シミジミとした歌い出しからチンドン屋系の陽気なオールドジャズ風味が、尚更にせつないムードを演出していますから、荒木一郎が特有の鼻歌のような歌いっぷりがジャズトミート♪♪~♪

個人的にも昭和50年当時の、幾分やるせない気分が、聞く度に蘇ってくるのです。

またB面の「ジャニスを聴きながら」は、あおい輝彦のそよ風のようなバージョンとは異なり、粋と倦怠が両立したようなムードの、これも荒木一郎でなければ醸し出せない味わいが最高のシティ派ポップス♪♪~♪

ちなみに両曲とも、同じ頃に発売された久々のオリジナルアルバム「君に捧げるほろ苦いブルース」からのカットですが、そこにはもうひとつの名曲名唱となった「りんどばーぐスペシャル」が入っていますから、このあたりは、ぜひとも聴いていただきとうございます。

ちなみに荒木一郎は様々なスキャンダルや多芸多才、楽曲提供やプロデュースの仕事も多数やっていますが、中でも東映ポルノ女優として大ブレイクした池玲子や杉本美樹のマネージメントやプロモーションでの功績は忘れられないところです。もちろん自らも出演しているわけですが、それらの映画作品でのサントラ音源制作も無視出来ないと思います。そして、このあたりが現在、各種のDVDやCDで楽しむことが出来るのは幸いです。

ということで、近年は全くの沈黙期に入っているのが惜しまれますが、やっぱり荒木一郎は昭和の芸能界を大いに面白くした才人として忘れられないのでした。

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ジェファーソン・エアプレインとの出会い

2009-09-18 10:51:55 | Rock

My Best Friend / Jefferson Airplane (RCA / 日本ビクター)

ジェファーソン・エアプレインは1960年代中頃からのロック全盛期を見事に作り上げた素晴らしいグループでしたが、一般的に言われる「サイケデリックの旗手」というイメージよりは、フォークロックのイカシたバンドのひとつ、というのが私の認識でした。

まあ、今となっては全くの不遜な思い込みとして、額に汗が滲むばかりですが、しかし最初に好きになって買ったのが本日ご紹介のシングル盤ですから、ご理解願える皆様もいらっしゃるに違いない、なんて、またまた独善的な言い訳に終始するわけですが……。

それにしても、この「My Best Friend」は軽快なビートと力強い生ギター、ちょっと気だるいコーラスで歌われるホンワカした曲メロ♪♪~♪ 蠢くエレキベースにソフトでジャズっぽいエレキギターも抜群の彩りという、極言すれば「夢のカリフォルニア」でお馴染みのママス&パパスと似たようなフィーリングの、実に素敵な名曲名演です。

ご存じのようにジェファーソン・エアプレインはサンフランシスコを本拠地に、1965年頃から本格的なレコード契約を得て以降、メジャーな活動を繰り広げたわけですが、もちろんメンバーの出入りは今に至るも相当に激しく、それは幅広い音楽性を表現出来る実力者達の集まりを証明するものでした。

で、この「My Best Friend」はジェファーソン・エアプレインの公式では2枚目のアルバム「シュールリアリスティック・ピロー」からのカットですが、おそらくは我国独自でしょうか?

まあ、それはそれとして、ジェファーソン・エアプレインと言えば大ブレイクのきっかけとなった「あなただけを / Somebody To Love」があまりにも有名で、昭和42(1967)年当時の日本でもラジオから流れまくりましたし、GSでも多くのバンドが演目にしていたほどの人気曲でしたが、そこで聞かれたイケイケの力強さとは些か趣の異なる「My Best Friend」での夢見るような心地良さも、ジェファーソン・エアプレインの大きな魅力だと思います。

特にサイケおやじは、もう、リアルタイムのラジオで聞いた瞬間、シングル盤を買わずにいられないほど、気持が高揚しましたですねぇ~~♪ 本当に幸せな気分になれるんですよ。多少なりとも英語が分かるようになって知る歌詞の世界も、「時が流れても、ずっとあなたと一緒にいる」と歌われる内容が、当時の「ラブ&ピース」や「フラワージェネレーション」そのものでした。

ただしジャケットのサイケデリックなムードと「爆発する~」なんていうキャッチコピーに期待すると、このA面曲は肩すかしでしょうね。

ちなみに、この曲を発表した頃のジェファーソン・エアプレインは、マーティ・バリン(vo)、グレース・スリック(vo)、ポール・カントナー(vo,g)、ヨーマ・カウコネン(g)、ジャック・キャサディ(b)、スペンサー・トライデント(ds) という、一番有名なメンバーが揃っていた時期でした。しかし、このグループが凄いのは広い人脈というか、仲間意識の強さを持って、あえて垣根を作らない姿勢かもしれません。

実はバンドの紅一点として大看板の女性歌手だったグレース・スリックは本来、ジェファーソン・エアプレインの前座バンドだったグレイト・ソサエティから移籍の経緯がありますし、この「My Best Friend」にしても、前任ドラマーだったスキップ・スペンスの置き土産だったのです。

当時の最先端だったヒッピー文化は自由主義と連帯のバランスが微妙に混濁していたのですが、その一翼を担ったジェファーソン・エアプレインにだって、グループ内部の人間関係やマネージメントについてのゴタゴタが当然ありました。しかし、その真相は知る由がなくとも、何かしら理想的なイメージや現実の厳しさを良い方向のベクトルで表現出来たバンドだったと思います。

と言うか、若き日のサイケおやじには、ジェファーソン・エアプレイン的な生き方が、それなりに魅力的に思えたのです。

そしてジェファーソン・エアプレインの他の楽曲を聴き進むにつれ、ますますグッと惹きつけられたのは言うまでもありません。

例えば、このシングル盤のB面に収められた「White Rabbit」は、エレキギターのエキゾチックなイントロからして最高♪♪~♪ まさにジャケットにある「爆発する~」は、こっちですよ。ちょっと中近東~インドあたりのムードが強い曲メロ、だんだんと力強く盛り上がっていく歌と演奏! 実にアブナイ雰囲気も満点ですが、これは当時から悪いクスリと関係する云々が伝えられていましたですねぇ。

う~ん、そう言われれば、なんとなく……、ではありますが、特筆すべきはジェファーソン・エアプレインの演奏能力の高さだと思います。荒っぽさと繊細なフィーリングが見事に両立した場面の連続は、ライプでも尚更に強い印象を残しているのが、様々な音源や映像で楽しめ.るとおりです。

私は残念ながら、ジェファーソン・エアプレインのライプには接したことがありませんが、それでも同じ時間の中で、このグループに出会えたのは幸せだったと思っています。

最後になりましたが、グループに去来したメンバー各人が残した自己リーダー盤も魅力的なアルバムが多く、そこにはロックでありながらフォークやブルース、そしてポップスの美味しいエッセンスがテンコ盛り♪♪~♪ もちろんそれらがジェファーソン・エアプレイン名義になると、ますます強烈な輝きに満ちていくのは、ゴッタ煮の味わいに加えて、理想的な共同体意識の成せるところかもしれません。

やっぱり最高のバンドです♪♪~♪

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真っ向勝負のジョン・パットン

2009-09-17 11:54:05 | Jazz

Understanding / John Patton (Blue Note)

所謂コテコテ派とされるジョン・パットンですが、私は基本的に、この人はモダンジャズにどっぷりのオルガン奏者だと思っています。

そのあたりを存分に堪能出来るのが本日ご紹介の1枚♪♪~♪

録音は1968年10月25日、メンバーはジョン・パットン(org)以下、ハロルド・アレキサンダー(ts,fl)、ヒュー・ウォーカー(ds) という実力派を従えたトリオで、あえてオルガンジャズには付き物のギター、あるいはソウルジャズには必須のエレキベースを排除した編成に、その本気度の高さがあるように思います。

A-1 Ding Dong
 ハロルド・アレキサンダーのオリジナルで、ポリリズムのラテンビートを使った愉快な曲ですが、小型エルビン・ジョーンズとも言うべきヒュー・ウォーカーのドラミング、さらにヘヴィなベースラインと分厚いコードを提供するジョン・パットンに煽られた作者のテナーサックスが、それこそアグレッシプに爆発する展開が痛快至極!
 実際、ヒステリックなフリー寸前にまで昇りつめるハロルド・アレキサンダーは、決して有名ではありませんが、その実力は流石に侮れません。
 そして同じくヒュー・ウォーカーの軽くて重い、二律背反のドラミングが、これまた心地良いんですねぇ~~♪
 ですからジョン・パットンのオルガンが何の迷いも無く、モード節を基本にしつつも、実に素直にノリまくったアドリブを披露するのは当然が必然だと思います。

A-2 Congo Chant
 タイトルどおり、当時の流行だったアフリカ色が強いジョン・パットンのオリジナル曲で、初っ端から不穏な雰囲気を滲ませるハロルド・アレキサンダーのテナーサックスが印象的! そしてもちろん、ジョン・パットンのオルガンは硬派に唸っていますよ。
 それをバックアップするヒュー・ウォーカーのドラミングが、これまたモロにエルビン・ジョーンズしているのも、既にして「お約束」でしょう。
 肝心のアドリブパートでも、そのあたりの気概は満点! と同時に、些かの煮え切らなさが尚更にモダンジャズの最前線という感じも、かえって好ましいと思います。
 つまり極言すれば楽しくない演奏なんですが、こういう真っ向勝負を捨てきれないところがジョン・パットンの資質なんでしょうかねぇ~。繰り返しますが、私は好きです。
 加えてハロルド・アレキサンダーが、またまたの暴走フリーモード! しかし決して迷い道ではないところが、流石にブルーノートの底力だと思います。

A-3 Alfie's Theme
 そして一転、アップテンポで爽快にブッ飛ばす演奏は、ご存じ、ソニー・ロリンズが畢生のヒットメロディ♪♪~♪ ウキウキするようなテーマ部分は、もう少し緩いテンポが良いと思いますが、そうすれば必然的にロリンズバージョンとの比較が避けられませんから、これで結果オーライでしょうか。
 しかし演奏そのものの熱気は素晴らしく、激烈モード節を基本に疾走するハロルド・アレキサンダーが自然とロリンズ節を出してしまうのも、憎めません。正直、ちょいと姑息な感じもするんですが、まあ、いいか♪♪~♪
 気になるジョン・パットンのオルガンは、可も無し不可も無し……、なんですが、その安定感はやはり名手の証に他なりません。

B-1 Soul Man
 これまた嬉しい選曲で、アメリカ南部を代表するスタックスR&Bのブルーノート的解釈が最高です♪♪~♪ 軽いブーガルービートを活かしたイナタイ雰囲気が、まず心地良いですねぇ~♪ ジョン・パットンのオルガンもダークなムードを演出していますが、やはり基本はモード系ハードバップという趣がニクイところです。
 ハロルド・アレキサンダーも、そのあたりを十分に飲み込んだソウルフルなプローを聞かせてくれますが、時折のエキセントリックな節回しに見事に呼応するヒュー・ウォーカーのドラムス! これがジャズ!
 演奏全体の些か弛緩したムードと厳しさの対比という、見事な緊張と緩和が実に楽しいです。

B-2 Understanding
 アルバムタイトル曲は、またまたユルユルのモードファンクというか、ダサ~い雰囲気が逆に好ましいと感じるのは、レアグルーヴなんて言い訳が出来るからでじょうか……。個人的には辛いものがあります。
 ただし妙な心地良さも確かにあって、怠惰な休日、空しいセックスの余韻、あるいは会話の途切れた恋人達の道行き……、そんな感じでしょうか。あまくでも私的な感想ではありますが、そんなこんなも日常生活には必要という演奏だと思います。

B-3 Chittlins Con Carne
 オーラスは本当に聴く前から楽しみになってしまう選曲!
 ご存じ、同じブルーノートでケニー・バレルがソウルフルに演じきった自作の素敵なメロディですからねぇ~~♪
 それをジョン・パットンは軽いボサロックに変換し、ハロルド・アレキサンダーが決して上手くはないフルートでやってしまったという、その味わい深さが、たまりません♪♪~♪
 しかし演奏が進むにつれて白熱化していくバンドのグルーヴ、ジョン・パットンのオルガンのツッコミ塩梅が絶妙です。オリジナルバージョンよりもテンポアップしているところも正解だと思います。
 そしてハロルド・アレキサンダーのフルートが、ハービー・マンやローランド・カークの得意技を拝借する茶目っ気で、思わずニンマリですよ♪♪~♪ 正直言えば、これまた姑息な手段なんですが、それも楽しいのがモダンジャズの醍醐味じゃないでしょうか。私は好きです。
 ちなみに曲タイトルは黒人風モツ煮込み料理と同義でしょう。これがアメリカにしては、なかなか美味いんですよね。ちょっと甘ったるい味なんですが、ここでの演奏は辛口か効いています。

ということで、嬉しい選曲と安定充実した演奏のバランスが良い快楽盤です。

ただし全盛期ジャズ喫茶では完全に無視されていた事実も確かにありましたし、それほど売れたという話も聞きません。実際、1970年代の中古盤屋では捨値の代表格でもありましたから、私はその頃に入手したのが真相です。確か千円、していなかったような……。

しかし内容はイノセントなジャズファンにも十分楽しめるものだと思いますし、それゆえにコテコテ派には些か肩すかしかもしれません。

まあ、そのあたりにジョン・パットンの真髄があると言えば、贔屓の引き倒しではありますが、機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。

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テリーズの思い出

2009-09-16 11:55:10 | 日本のロック

想い出の星空 / テリーズ (テイチクユニオン)

GS期に活躍した実力派グループのひとつとして、これまた忘れられないのがテリーズでした。もちろんバンド名からご推察のとおり、寺内タケシのニックネームを拝領しているわけですから、御大が率いるバニーズの弟分というわけです。

しかし結論から言えば、大きなヒットは出せませんでした。

メンバーは長瀬敏之(g)、川瀬卓也(g)、土屋かつみ(key)、穂積卓夫(b)、岸本徹(ds)、中村オサム(vo) という6人組で、発売したオリジナルの作編曲はいずれも寺内タケシやバニーズの面々が担当していたという、実に恵まれた環境だったのですが……。

本来は学生バンドの中でも傑出した凄腕だったギタリストの長瀬敏之をスカウトした寺内タケシが、あえてバニーズには加入させず、単独のバンドを編成させてのデビューに導いたのは、やはりインストよりはボーカル入りのロックバンドが主流になりつつあった昭和42(1967)年という、まさにGS全盛期の流れからだと思います。

そして同年秋に発売された本日ご紹介のシングル曲は、実にベタベタの歌謡フォークだったんですねぇ……。ちょうど、カレッジフォークのザ・リガニーズが歌って大ヒットした「海は恋してる」を強く想起させられてしまう、あの世界です。

尤も、その「海は恋してる」は翌年夏の発売ですから、明らかにテリーズの方が早いわけですが、やはりバニーズの弟バンドとしての期待から、ギンギンのエレキサウンドが聴けると思った私のような者は拍子抜け……。

実はテリーズは正式なレコード発売前から、ライブギグは活発だったようで、少年時代のサイケおやじはデパートの屋上という、当時の天国に一番近い場所で、彼等の演奏を聴いています。もちろんそこは、エレキインストの大パーティ♪♪~♪ その時は名前も知らなかったリードギタリストの長瀬敏之が抜群に上手いテクニシャンだったことは、今も鮮やかに記憶しているほどです。またバンドの勢いも良かったですねぇ~♪

それなのに発売されたデビュー曲が、これでは……。もう、最初にテレビ出演して歌っていたテリーズには、別のグループを感じたほどです。

しかしそんな諸々を抜きにすれば、この楽曲は素晴らしく良く出来ていると思います。

大袈裟なティンパニーを使ったイントロから分厚いオルガンの響き、そして甘いギターの音色が奏でるイントロのツカミは最高ですし、素直に胸キュンの曲メロ、青春の思い出を綴った歌詞をロマンチックに歌いあげるボーカル&コーラスの潔さ!

些かダサダサのストリングは如何にも歌謡曲なんですが、それもまた昭和の味わいとして結果オーライでしょう。

あぁ、これで間奏にせつないギターソロでもあれば、高得点なんですけどねぇ~。

ただし演奏に彩りを添えるフレーズを中心に聴けば、長瀬敏之の名手の片鱗は十分に楽しめると思います。そのスタイルはシャドウズのハンク・マーヴィンや我国のシャープ・ファイブに在籍する三根信宏からの影響も大きいと思いますが、歌心を大切にしたプレイは本当に個性的です。

もちろん長瀬敏之はアップテンポの演奏も得意なのは言わずもがな、B面に収録された「ストップダンス」では、R&Bの古典「ダンス天国」を焼き直したようなメロディ展開の中で、寺内タケシ免許皆伝の「Terry-sh」なギターソロを聞かせてくれますよ♪♪~♪

ということで、このシングル盤を買ったのはリアルタイムではなかったんですが、テリーズは何か気になる存在として、私の心を占めています。ですからおそらくアルバムは出さなかった彼等の楽曲はシングル盤オンリーで集める他は無いわけですが、これが至難! 個人的には大好きな「ヨコハマ野郎」を探索中です。

ちなみにテリーズのライプに私が接したのは、前述した1回限りですが、正式デビューしてからは寺内タケシ&バニーズと同じ「テリーのテーマ」を使うことが許されていたそうですし、テレビで見た長瀬敏之は真っ赤なエレキギターを弾いていたカッコ良さが、今も忘れられません。

願わくばエレキインストのアルバムを残して欲しかったですねぇ~。

今日では、ほとんど忘れられた名手の長瀬敏之かもしれませんが、ぜひ、再評価を望みます。

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チヨの奴隷

2009-09-15 11:52:53 | 歌謡曲

恋の奴隷 / 奥村チヨ (東芝)

今も昔もフェロモン歌謡の最高峰と言えば、奥村チヨに決まっています!

皆様もご存じのとおり、彼女の代表作といえば「ごめんネジロー」「北国の青い空」、そして本日ご紹介の「恋の奴隷」の3大ヒットに加えて、「終着駅」というのが当然の帰結ですが、他に隠れ名曲や名唱がどっさりあって、それはカパー曲だったり、LPに収録のオリジナルだったり、本当に熱に浮かされたように蒐集する楽しみが尽きません。

しかし、やはり基本は「恋の奴隷」でしょうねぇ~♪

発売は昭和44(1969)年5月、その甘くてネチネチとした「チヨ節」によって、忽ちの大ヒットになりましたが、それ以前の彼女の芸歴を振り返れば、やはりターニングポイントの1曲だったと思います。

というのは、奥村チヨはデビュー当時、「和製シルビー・バルタン」のウリで、セクシー系清純派という、些か曖昧模糊とした存在だったようです。それが昭和40(1965)年にデビューした頃のイメージでしょう。実際、サイケおやじがテレビで接した彼女は、カパーポップスを歌っていたと、当時の日記に書いてあるほどです。

しかしそれから間もなく発売した「ごめんネジロー」が、もうネチネチとした女のいやらしさを寸止めの魅力で巧みに歌いこなした奥村チヨの初ヒット♪♪~♪

ところが再び清純派とお色気路線を往復しながら、次の大ヒットとなった「北国の青い空」まで、2年ほどの回り道をするのです……。

これはあくまでも私の勝手な推察ですが、前述の「ごめんネジロー」は当時のテレビやラジオで披露されるには、あまりにもお茶の間が気まずい雰囲気でしたから、もう少し正統派に拘るのも無理からんところかもしれません。

しかし彼女のボーカルスタイルは決して変わったわけではなく、何を歌っても粘っこいセクシーさが滲み出る芸風は唯一無二♪♪~♪ 所謂ベンチャーズ歌謡の名曲「北国の青い空」にしても、哀愁とせつない女心を歌っていながら、決して清純派とは言い難い刹那の魅力があってこその、大ヒットでしょう。他の女性歌手では、ここまでストレートに表現出来ない味わいが、大いに好ましいのです。

そして真打ともいえる「恋の奴隷」は、悪い時は、どうぞ、ぶってね、あなた好みの女になりたい、だなんて、ここまで言われて、その気にならない男はどうかしている! それほどモロな歌詞を真っ向から歌ってしまう奥村チヨは偉大です。たとえそこに女の執拗な計算が働いていたとしても、自分から足をからませてくるが如き歌いっぷりは、拒否も否定も出来ない魅力があるのです。

まあ、リアルタイムでは彼女の衣装やアクションから、少年でも感じるほどに大袈裟なフェロモンが溢れていましたから、それでお茶の間が気まずかったのは確かなんですが、それは別の話でしょう。SM歌謡なんていう評価も、同列じゃないでしょうか。確かに彼女のような奴隷がいれば、最高なんですけどねぇ~♪

な~んて、断言してしまいましたが、小悪魔とかコケティッシュとか形容される彼女の魅力は、どんな歌を演じても、既に述べた「チヨ節」が打ち消せるものではありません。

以降、堂々と「チヨ節」を全開させた彼女はヒットを連発し、そのひとつの頂点が「終着駅」のアンニュイな世界だったというのは、とても奥深いと思います。

ちなみに曲メロは正統派歌謡曲なんですが、アレンジはブラス&ホーンが当時流行のバカラック調ですし、隙間の多いリズムギターと軽快なドラムスに重いビートのエレキベースという、この頃の東芝サウンドがジャストミート♪♪~♪

近年は国家的な問題とさえ言われるセックスレス現象も、男の責任回避と「その気」にさせない女の態度が半々とはいえ、この歌に表現される願望の魅惑的な瞬間があってこそ、人の世の幸せを実感出来るのかもしれません。

思わず目を逸らしながら、実は凝視したくなるジャケットも最高ですし、これはやっぱり昭和歌謡曲のひとつの姿を象徴した名唱名演だと思います。

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バッファロー・スプリングフィールドの必殺名盤

2009-09-14 10:41:34 | Rock

Buffalo Springfiled Again (Atco)

物欲に追いつかない経済力の惨めさには、何時の時代も苦しめられてきたサイケおやじですが、高校生の頃は本当に辛かったです……。

当時の私は自動二輪の免許を取得したこともあって、まずガソリン代! 読みたい本や観たい映画も沢山ありましたし、外タレのコンサートやジャズ喫茶へも行きたい……。さらに同好会のバンド活動や、それなりの人付き合い、そしてもちろん、聴きたいレコードが山の様にありました。

中でもCSN&Yのスティーヴン・スティルスとニール・ヤングが在籍していたというバッファロー・スプリングフィールドの諸作は、昭和46(1971)年になって、ようやく我国でオリジナルアルバムが3枚、それも纏めて出たという本来は嬉しい事件が、私にとってはお金が無いから結局は聴けないという、切実な苦しみに他なりませんでした……。

特に、本日ご紹介の2ndアルバム「アゲイン」は、当時のミュージックライフ誌のレコード評で、なんとビートルズの「サージェント・ペパーズ」に並び立つ名盤! と絶賛されたのですから、穏やかではありません。

本当にその頃の物欲煩悩、そして精神衛生の不安定さをご理解願えれば幸いですが、救いの神様は、やっぱりいるのです。

それは某デパートで毎月開催され始めた輸入盤セール♪♪~♪ 最上階の催事場で週末限りの販売だったんですが、日本盤が2千円前後のLPを1480~1880円ほどで売っていたんですねぇ~♪ もちろん解説書や帯、歌詞カードなんてものは付いていませんが、そんなのは純粋に聴くという行為を優先させれば、結果オーライ! 透明セロハンでシールドされた販売仕様にも、本場の魅力が封印されているように感じました。

そして手にした「アゲイン」は、やっぱり凄い内容だったのです。

 A-1 Mr. Soul
 A-2 A Child's Claim To Fame
 A-3 Everydays
 A-4 Expeting To Fly
 A-5 Bluebird
 B-1 Hung Upside Down
 B-2 Sad Memory
 B-3 Good Time Boy
 B-4 Rock & Roll Woman
 B-5 Broken Arrow

バッファロー・スプリングフィールドは1966年に結成され、年末にはレコードデビューを果たしたのですが、メンバーは当初から相当に流動的だったようです。まあ、それだけ個性の強い面々が集まっていたということなんでしょうが、このアルバム制作時の1967年にはスティーヴン・スティルス(vo,g,key)、リッチー・フューレイ(vo,g)、ニール・ヤング(vo,g,key)、ブルース・パーマー(b,vo)、デューイ・マーチン(ds,per,vo) をレギュラーとしながらも、様々なトラブルからレコーディング期間が長引き、それゆえに多くの助っ人が参加しています。また曲とセッション毎のプロデューサーやアレンジャーが、それぞれ違っているのも、裏ジャケットのクレジットで明らかになっています。

しかし、それゆえにバラエティ豊かな優れた楽曲が、びっしりと詰め込まれた豪華な幕の内弁当的な美味しさは満点♪♪~♪

まずA面ド頭の「Mr. Soul」からして、ストーンズの「Satisfaction」と「Jumping Jack Flash」の中間をやってしまったようなファズギターのリフが最高! 主役はニール・ヤングのアクの強いボーカルとはいえ、それに熱いコーラスで乱入するスティーヴン・スティルス、さらに突っかかるようなギターソロの応酬、おまけに南部系スタックスソウルみたいなペースとドラムスの重いビート! わずか3分に満たない演奏時間に、これだけ密度の高いロック天国を現出させたのは驚異という他はありません。

同系の曲としては、B面トップに置かれた「Hung Upside Down」が、力んだスティーヴン・スティルスの自作自演とあって、ハードロックとサイケデリックが卓越したハーモニーーワークで化学変化させられるという、完全に後のCSN&Yに繋がる仕上がりになっています。リッチー・フューレイのボーカルも存在感がありますし、間奏のギターソロは火傷しそうですよ。

そして、その極みつきが「Rock & Roll Woman」でしょう。

まずは何と言ってイントロからのキメのリフが、実にたまりませんねぇ~♪ 一説によると、これはデイヴィッド・クロスビーが作ったと言われているほど、これまたCSN&Yしています! 爽やかなコーラスと力んだリードボーカルの対比はスティーヴン・スティルスが十八番の展開ですし、生ギターとエレキのバランスの良さ、間奏でのギター対オルガンの熱血バトル、そして重いピートのイケイケロックな雰囲気の良さ! なんて凄い曲と演奏でしょう。これまた3分に満たない演奏だなんて、ちょっと信じがたい密度の濃さです。

しかし、このバンドとアルバムの素晴らしさは、決してニール&スティルスの魅力だけではありません。

もうひとりの重要人物であるリッチー・フューレイが、なんとも自然体の曲者というか、カントリーロックの風味満点の「A Child's Claim To Fame」やエリック・サティの影響も感じさせる名曲「Sad Memory」は、何度聴いても飽きません。特に「Sad Memory」は、せつないですねぇ~~♪ これを元ネタにした歌謡フォークが、幾つも出来あがっている事実も否定出来ないところでしょう。

そうした音楽性の幅広さは、洒落た4ビートでサイケデリックなホップスを演じてしまったスティーヴン・スティルス作の「Everydays」や、モロにスタックスR&Bなデューイ・マーチンが熱唱する「Good Time Boy」でも、それこそ痛快なほどに強烈な印象を残していますが、問題なのはニール・ヤングが以降の姿勢からは、ちょっとイメージ外の前衛をやっていることでしょうか。

その「Expeting To Fly」は、フィル・スペクターや1960年代中期のストーンズとも繋がりの深い名参謀というジャック・ニッチェと組んだ、それこそサイケデリックなポップスの集大成! もちろん演じているのはスタジオミュージシャン達ですが、大袈裟なストリングや分厚いサウンドプロダクトをバックに、これぞっ、ニール・ヤングという気分はロンリーなメロディが歌われては、本当にたまりません。幾分、穿った聴き方をすれば、後年のキング・クリムゾンが名演とした「Epitaph」にも通じる魅力があるんですねぇ~♪

そして、これを更に煮詰めたのが、オーラスの「Broken Arrow」です。

いやはや、これは何と申しましょうか、ビートルズの「Revolution 9」を彷彿とさせるようなサウンドコラージュを使いながら、ニール・ヤングならではの刹那のフォークロックが演じられるんですよ……。正直、ここまで凝らなくとも……、と思うほどですが、これも時代の要請なんでしょうねぇ……。確かに1967年に作られたということからすれば、「サージェント・ペパーズ」云々と言ってしまうのも、納得されるのですが、個人的には、なんだかなぁ……。

しかし、そんなモヤモヤがあったとしても、このアルバムでは決定的な人気名演となったスティーヴン・スティルス作の「Bluebird」を聴けば、スカッとするのは請け合いです。得意のメロディ展開と曲構成の中で繰り広げられるギターバトルは、変則チューニングに拘り抜いた生ギターがインド風味も滲ませながら、同時に南米の味わいも強いという不思議な印象を残しますし、おそらくはニール・ヤングであろうエグ味の強いエレキギター、そして後半部でのバンジョーを使ったカントリーロックの先駆けも鮮やかだと思います。

ちなみに、ここで聴かれるのは本来は10分以上あった演奏の編集バージョンで、そのオリジナルテイクは1973年に世に出た2枚組のベスト盤「Buffalo Springfiled / 栄光のバッファロー・スプリングフィールド」に収録されていますが、個人的には無用の長物というか、耳に馴染んだこちらが好きです。

ということで、このアルバムはアナログ盤片面での曲の流れも秀逸ですし、通して聴いた後の中毒性は要注意でしょう。実際、青春時代から今日まで、サイケおやじは、このアルバムを聴き続けて、全く飽きることを知りません。おそらく死ぬまで聴き続けるでしょう。

そしてニール・ヤングもスティーヴン・スティルスも、この作品を残さなかったら、後の活躍も曖昧模糊としていたに違いないのです。

やっぱりこれは、名盤!

本日も独善的な締め括りで、失礼致しました。

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I Feel Fine の奥の細道

2009-09-13 12:53:19 | Beatles

I Feel Fine / The Beatles (Parlophone / 東芝)

最新リマスターCDが発売され、ここだけは全く不況知らずのビートルズですが、流石に奥が深い!

昨夜から新旧アナログ盤&CDを聴き比べしているんですが、ますます奥の細道なのが、本日ご紹介のシングル曲「I Feel Fine」です。

この曲は1964年、バリバリの新作として、まずアメリカで11月23日に初めて世に出た後、イギリスでは同月27日にシングル盤が発売されています。もちろん、それらは共にモノラルバージョンですが、明らかに異なるミックスになっているのは、後世に明らかにされた資料に基づくまでもなく、演奏収録時間がイギリス盤の方が僅かに長くなっています。

またアメリカ編集のLP「ビートルズ'65 (Capitol)」のステレオ盤には、明らかに疑似ステレオのバージョンが収められていますが、そのエコーの強さが曲者! なんと同アルバムのモノラル盤にまでエコーが強調されたバージョンが収録され、前述のシングル盤とは全く印象が異なる結果となっています。

次にイギリス盤ですが、この曲のステレオミックスは1966年12月に発売された英国編集のベスト盤「オールディーズ」に収められたのが、まず代表的なものでしょう。なんとそこでは曲の終りの部分に微妙な手拍子が聴かれます! しかも収録時間がイギリス盤モノラルバージョンよりも、5秒ほど短く、ということはモノラルバージョンの方がギターリフが1回だけ余計に楽しめるのですねぇ~♪

というように、既にして様々な違いが散見できるわけですが、このあたりは後の通称「赤盤」や各国で出されたEP、さらに各種箱物でも、微細な違いが存在しており、とても私の耳では分析解明出来ないところも多いはずが、実際に聴けば、その違和感は決して払拭出来ないのもが、確かにあります。

そして今回のリマスター盤については、まずモノラルとステレオの両バージョンにおいて、そうした違和感がますます強くなっているのが結論です。何というか音のメリハリが尚更にはっきりした分だけ、変な話声やノイズが気になるのです。もちろん逆に、これまであったノイズのようなものが、消えている部分も!?!

ちなみに、掲載した日本盤シングルは昭和40(1965)年1月に発売された初回盤だと思いますが、後にジャケットを変更して再プレスされたものと比べると、明らかにカッティングマスターが変更されたとしか思えない印象が残ります。

もちろん、さらに後年の発売となるステレオ仕様のシングル盤バージョンとも、異なると思うのですが、いかがなもんでしょう。

結局、この曲に関しては、あまりにも謎が多すぎます。何故なのか、知る由もないのですが、今回のリマスターによって、ますます罪作りな存在になったのは確かです。

最後になりましたが、言うまでもなく、曲と演奏そのものの素晴らしさは不変!

イントロのウンニョ~~、というフェードバックからツインリードのギターリフ、そしてドンズバにキメまくりのラテンビート! サビに入った瞬間の8ビート変化の鮮やかさ! 全くニューロックへの扉を開けた名曲名演として、大ヒットも当然の帰結でしたねぇ~~♪

そうしたリアルタイムでの感性と歴史の前では、パージョン違いなんて問題にならないはずなんですが、そこは流石にビートルズ!

奥の細道は、まだまだ続きそうですし、とりあえず、このシングル盤を所有されている皆様は、決して手放してはならないと思います。

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CSN&Yからの1970年代ロック

2009-09-12 10:04:53 | Rock

Woodstock / Crosby, Stills, Nash & Young (Atlantic / 日本グラモフォン)


「第二のビートルズ」という名誉ある称号を賜ったグループは、本家ビートルズが活動停止状態になった1970年前後から事ある毎に業界の商魂丸出しという「冠」に変化していった歴史の中で、それを易々と飛び越えて人気を集めたのが、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング=CSN&Yでした。

ご存じのように、このグループは最初、バーズのデイヴィッド・クロスピー、ホリーズのグラハム・ナッシュ、そしてバッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルスが息投合して結成したCS&Nからスタートしていますが、それはまず1969年に発表された同名1stアルバムを聴けば、クロスビー&ナッシュが十八番のハーモニーワーク、そしてマルチプレイヤーとして演奏面の要所をキメたスティルスという役割分担が、各々の書いた不滅の名曲群を見事に彩る素晴らしさ♪♪~♪

もちろん各方面から高く評価され、サイケおやじにしても当時、シングルカットされていた「Marrakesh Express / マラケッシュ行急行」をラジオで聴き、そのホンワカムードに素敵なメロディと気持良すぎるコーラスにグッと惹きつけられました。

ちなみにデイヴィッド・クロスピーとグラハム・ナッシュが在籍していたパースもホリーズも、それまでに私が大好きだったバンドですから、それも自分で納得するところでしたが、スティーヴン・スティルスのバッファロー・スプリングフィールドについては、完全に???

で、そうこうしているうちに翌年となって発売されたのが、名盤の誉れも高い「デジャ・ヴ」というわけですが、なんとそこにはCS&Nに加えてニール・ヤングという新顔が入ったバンド名、つまりクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング=CSN&Yが、デンと構えていたのです。

そしてこの頃になると、我国の業界や音楽マスコミは一斉にCSN&Yを絶賛! ラジオから彼等の曲が流れることも多く、メンバーのキャリアや関連ソロ楽曲も聴けるようになるのですが、実は日本で本格的にCSN&Yがブレイクするのは、さらに翌昭和46(1971)年、前述のアルバム「デジャ・ヴ」に収録されていた「Teach You Children」が大ヒット映画「小さな恋のメロディ」の挿入歌として使われて以降でしょう。

さて、本日のご紹介は、それ以前の昭和45(1970)年に発売された、おそらく我国では最初に出たCSN&Yのシングル盤だと思われますが、やはり名盤「デジャ・ヴ」からカットされたものです。

まずA面はジョニ・ミッチェルが書いたエグイ味わいの名曲を、重いロックビートで強烈にエレクトリック化したハードな演奏ながら、絶品のコーラスハーモニーが最高という名演になっています。特にテンションの高いイントロのギターリフは、青春時代のサイケおやじを、その一発で完全KOするに十分すぎるほどでした。

またB面の「Helpless」は、今やニール・ヤングの代名詞となった名曲名演ですが、実は当時の私は、この人のことは知る由もなく、しかしどうやらスティーヴン・スティルスと一緒にバッファロー・スブリングフィルードに在籍していたという情報ばかりが先行していたのが、その頃の事情でした。

もちろん私はCSN&Yの「デジャ・ヴ」をリアルタイムで買えるはずもなく、このシングル盤で我慢していたのは言わずもがな、果たしてバッファロー・スブリングフィルードのレコードが、その頃の日本で発売されていたか否かについても、確かめる術がありません。

しかしラッキーだったのは、CSN&Yがブレイクしたのを契機に、バーズの過去のアルバムが再発されたり、ニール・ヤングの2ndアルバム「Everybody Knows This Is Nowher」が、「いちご白書」なんていう当時のヒット映画に収録楽曲が使われた由縁のフェイクタイトルで発売されるという、まさに嬉しい異常事態♪♪~♪

そして昭和46(1971)年初夏になって、ついにバッファロー・スプリングフィールドのオリジナルアルバム3枚が一挙に我国で発売されたわけですから、このシングル盤も所期の目的を達成したというところでしょうか。

肝心のCS&N、そしてCSN&Yの音楽性については、そのハーモニーワークばかりが先に注目されましたが、当時は全く謎に包まれていたギターの変則チュー二ーングによる演奏や、それを使った曲作り、またコードの斬新な使い方等々、後に真相が解明されていくにつれ、その目からウロコの驚愕的素晴らしさは、現在でも古びていないと思います。

また当然、私がバッファロー・スプリングフィールドの虜になったのは、言わずもがな!

それも含めてスティルス対ヤングのギターバトルや、クロスビー&ナッシュのハーモニーワークの快楽、さらにメンバー各人のソロアルバムの興味深いあれこれ♪♪~♪ 全くCSN&Yを聴く喜びは尽きず、それが1970年代ロックのひとつの柱だったと、今は実感しているのでした。、

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ジワジワと効いてくるハプニングス・フォー

2009-09-11 11:08:39 | 日本のロック

あなたが欲しい / ザ・パニングス・フォー (東芝)

実力派から有象無象まで、GS期の夥しいバンドの中にあって異彩を放っていたのがハプニングス・フォーでした。

メンバーはクニ河内(key,vo,arr)、ペペ吉弘(b,vo)、チト河内(ds,per,vo)、トメ北川(vo,per) という4人組ながら、ギターレスというのが当時としては珍しさの極み! ですからギンギンギラギラのロック一本道ではありませんし、ベタベタの歌謡曲でもないグループの音楽性は地味……。

良く言えば格調高く、エレガンスに満ちている、なんていうのは、局地的な評価だったと思います。つまり一般的な人気度数は???だったんですねぇ。

しかしそれでもハプニングス・フォーが活動出来たのは、聴くほどにジワジワと感じさせられる深い音楽性というか、味わいの豊かさじゃないでしょうか。

さて、本日ご紹介のシングル曲は昭和42(1967)年11月に発売されたデビュー作で、極言すばプロコルハルムの「青い影」症候群のひとつですが、優しい曲メロと率直な歌詞がキーボード主体の作編曲で演じられた、まさに日本のロックのスタンダードに相応しい仕上がりになっています。

ちなみにハプニングス・フォーはモダンジャズのグループとしてスタートしながら、現実的にはホテルやキャバレーでラウンジ系の演奏を仕事にしていたという下積みがあったらしく、それがGSプームの背景にある海外でのサイケデリックや初期プログレの音楽性と共通するセンスとして、デビューに至ったようです。

それはリーダーのクニ河内の才能が、当時の我国大衆音楽界では突出していた証でもありますが、バンドメンバー各々の実力も流石だと思います。なにしろ本来は別名だったバンドを正式デビュー時に「ハプニングス・フォー」と命名したのは、クラシックの大御所だった黛敏郎という伝説が、全てを物語っているのかもしれません。

尤も、こうした事を私が知ったのは後のことですし、ご紹介のシングル盤を買ったのも、ブームが去った昭和51年頃の中古屋でした。もちろんこれはオリジナルではなく、B面には2作目だった「君の瞳をみつめて」をカップリングした再発物です。

当時の私は気儘な学生時代とあって、古い映画を探求鑑賞したりする日々もふんだんにあったわけですが、そんなある日、某場末の小屋で映画が始まる前の休憩時間、この曲が流れていたんですねぇ~♪ 当然ながら老朽化した館内にはお客も少なく、幕間の妙に白々しい照明の中、この曲の持つ厳かでジェントルなムードがジワジワと広がっていった気持の良さは、今も筆舌に尽くし難いものがあります。

ちなみに観ていたのが、成人映画だったことは言わずもがなでしょう。

ということで、早速入手したこのシングル盤を足掛かりに聴き始めたハプニングス・フォーの諸作、特にアルバムの完成度の高さには驚愕させられました。カパー演奏も多いのですが、ひとつひとつの楽曲が練り上げられたアレンジとプロデュースによって、聴き易くて奥深い♪♪~♪

それはR&Bや中期ビートルズだったり、ポピュラークラシックでもあり、プログレやジャズの味わいも当然ながら含んだものですが、そういうセンスが明らかに他のバンドとは一線を画しているように思います。

個人的には密かにコンプリートを目指しているグループになっていますが、メンバー各人のソロ活動やバンドとしての企画物、サントラ音源、セッション参加作品等々、多岐にわたる奥の細道は、なかなか険しいんですねぇ……。

最近は再びバンドとしての活動もあるようです。

それだけに、私をその道に誘い込んだ「あたなが欲しい」は圧倒的な存在!

機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。

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