OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

バーバラ・ホールの和みの深層

2013-05-21 15:06:56 | 歌謡曲

絵はがき / バーバラ・ホール (RCA)

好評♪

と、勝手に思い込んでいるのはサイケおやじだけかもしれませんが、とりあえず本日も輸入アイドルシリーズとして、掲載のシングル盤を出してきました。

しかし、いきなり言い訳になりますが、結論から言うと、歌っているバーバラ・ホールはアメリカ出身という事になっていますが、レコードを聴くかぎり、なかなか日本語が上手いんですよねぇ~~。

もしかしたら日本育ちなんでしょうか?

はっきりした事は知る由もありませんが、まあ、それはそれとして、特にA面に収録された「絵はがき」は作詞:安井かずみ、作編曲:筒美京平というお馴染みのヒットメーカーコンビによる、これが発売された昭和48(1973)年の流行最前線!

つまり典型的に和んでしまう歌謡フォークなんですねぇ~~♪

とにかく軽快なイントロから一人二役(?)のボーカルハーモニーが実にキャッチーですし、グッとフックの効いたメロディ展開は憎たらしいほどですよ♪♪~♪

これまで何度も書いてきましたが、当時は歌謡フォーク嫌いを公言していたサイケおやじがイチコロに平伏すしかない境地に追い込まれたことは、自己嫌悪とは似て非なる盾と矛でした。

しかしひとつの救い(?)として存在するのが、カラオケパートの意想外とも思えるグルーヴ感で、特に生半可なカントリーロックなんか笑われてしまうにちがいないリズム隊のソウルフルなビート感は、当時の我国スタジオセッションプレイヤーの凄さの表れと思います。

う~ん、これって、もしかしたらベッツイ&クリス路線を狙ったんでしょうか?

そこに所謂「気持」だけ、ニューソウルっぽさを入れたあたりに、筒美京平の深淵(?)な企みがあったとすれば、これが大きなヒットにならなかったのは不条理かもしれませんし、実際、サイケおやじはテレビ等々も含めて、動くパーパーラ・ホールを見たことがないんです。

ちなみにこの「絵はがき」は日本人歌手の競作(?)レコードが残れされていて、それもなかなかの清楚なフィーリングが良かった記憶なんですが、誰が歌っていたか、今でも失念しているのが残念……。

情報&真相をご存じであれば、よろしくお願い申し上げます。

ということで、このレコードのジャケ写のポーズも、なかなか日本男児の弱みを突いていますよねぇ~♪ こういう姿勢をパツキンのおねえちゃんに刷り込まれてしまうと、思わず超ミニスカ姿の彼女の背後に回りたくなるのは、サイケおやじだけでしょうか。

否、それこそが男の本懐なのは、世界共通の想いにちがいありません。

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台湾歌謡シンガーのブームでやって来たサイ・ミーミー

2013-05-20 15:26:06 | 歌謡曲

年頃なのね / サイ・ミーミー (東芝)

サイ・ミーミーも昭和48(1973)年に台湾からやって来た現役アイドルシンガーで、当時は欧陽菲菲の成功によって、そういう市場の需要が高まっていた証です。

そして本日掲載のシングル盤は、おそらく日本での最初の1枚だと思われますが、とにかくそういう事情がありますから、聞かせてくれたのはアイドル歌謡ポップスではなく、なかなかにグルーヴ感の強いソウル歌謡なんですねぇ~♪

特にA面「年頃なのね」は作詞:橋本淳、作編曲:川口真の得意技がしっかり出た名曲であり、しかもサイ・ミーミーのカタコト日本語が逆に妙な洋楽フィーリングを響かせるのですから、これは上手すぎる確信犯なんでしょうか。

ニューソウルを逆手に活かしたような中華メロディが潜むピアノのキメ、鬱陶しさ寸前のコーラスや蠢き系のリズム隊は言わずもがな、ブラスとストリングスの如何にも昭和的な下世話さも憎めませんが、とにかく、こういうノリは非常に好ましく、完全にサイケおやじのツボを直撃してくれましたですよ♪♪~♪

ちなみに文中では彼女の芸名をカタカナ表記にしていますが、ジャケットにある漢字がPC環境によってエラーになる事を避けるためとはいえ、リアルタイムでも、この漢字をふりがな無しでサイ・ミーミーと読めた日本人がどれだけいたか?

という疑問を抱くのも、実はこれほどの名曲が実質的には大きなヒットにはならず、必然的にテレビに登場した彼女にサイケおやじは接した事もなく、わずかにラジオで数回、これを聴いた記憶しかありません。

しかし、それでも「年頃かしら」には、一発でシビれさせられたのですから、それは感度良好の極みでありました。

ただし、些か言い訳になりますが、その頃のサイケおやじは乏しい小遣いゆえに欲しいレコードを満足に買えないというストレスが高まり、消去法によって涙を飲んでいた中の1枚が、この「年頃なのね」だったのです。

ところが先日出張した台湾において、サイケおやじはある偶然から、掲載したシングル盤に出会い、瞬時に連れての帰国と相成りました。

また、同時に本国で発売されていたレコードも数枚、一緒に行動を共にした事は言うまでもなく、未だ全てを聴いてはいないんですが、やっぱり皆様がご推察のとおり、中身はハワイアンやロカビリーっぽい洋楽を基準にしたチャイニーズメロディや台湾語によるヒットポップスのカバーが多く、ソウルフル&ピート歌謡を期待すると肩すかし……。

でも、それでもサイケおやじは、このシングル盤だけでも入手出来た幸運に感謝しております。

そして初めて聴くことが出来たB面の「ポーイ・フレンド」が、これまた同じ制作陣による、ますますディープ(?)なソウル歌謡だったんですから、これは今こそ、広く聴かれなければならないと確信する次第です。

う~ん、CD化されているのかなぁ~~?

ということで、最後になりましたが、このシングル盤ジャケットに写るサイ・ミーミーのポートレイトは、失礼ながら良くないですねぇ……。そりゃ~、正直、ルックスには微妙さがある事は確かなんですが、何も植物でボカシを使わずとも、折り込み裏ジャケには彼女の前身や別カットが掲載してあるんですから!?!

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ハニー・ジューンもよろしく

2013-05-19 15:48:32 | 歌謡曲

名づけて愛 c/w 孤独は重く / ハニー・ジューン (キングレコード)

ハニー・ジューンは韓国からの出稼ぎ歌手で、掲載のシングル盤は昭和48(1973)年に発売された、おそらくは日本におけるデビュー作と思われます。

もちろんそれは日本語で歌われ、特にA面収録の「名づけて愛」は当時、ラジオでもオンエア率の高かった歌謡フォーク調の名曲だったんですが、実はサイケおやじは彼女をその芸名から、てっきり西洋系ハーフ? と思い込んでいたんですねぇ~。

しかも楽曲を聴くかぎり、なかなか日本語のニュアンスが上手かった所為もあります。

ところが初めて接した彼女の動くお姿は、なんとっ! 朝鮮の民族衣装であるチマチョゴリを現代風にアンレンジしたような衣装を着て、おまけに「韓国代表」という肩書まで!?!

多分、それは「世界歌謡祭」における出場場面だった? と、今は推察しているのですが、とにかく親しみのある美貌というか、普通の洋服姿でもキュートな容姿と基本的な歌の実力は人気を集めていたんじゃ~ないでしょうか。

そのあたりのプロフィールは、このシングル盤ジャケット裏解説に詳しくて、日本でレコードを出す以前に韓国ではLPを20枚も出していたとか、音楽一家に生まれ育ち、15歳だった1967年に出したデビュー曲がメガヒットしたとか、前述の「世界歌謡祭」には2回出場し、何れも入賞!

という略歴があるとおり、やっぱり実力は本物でありました。

さて、そこで気になる楽曲なんですが、まずA面の「名づけて愛」は作詞:大島美恵子、作曲:落合和徳、そして編曲:ボブ佐久間が手懸けたもので、既に述べたとおり、歌謡フォークでありながら、かなりセクシーな節回しがたまりませんし、意外にソウルフルなグルーヴ感が潜むリズムアレンジが、これまた良いんですよねぇ~~♪

おまけにエレキギターの特性がモロ出しの間奏やアコースティックギターとコーラス&オーケストラのコラボも用意周到かと思います。

いゃ~、何度聴いても、昭和歌謡曲の黄金時代にどっぷり浸ってしまいますねぇ~~♪

このメロディ展開の泣きそうになるほどの黄金律♪♪~♪

一方、B面の「孤独は重く」は前年に出場した「第3回世界歌謡祭」の入賞曲ということで、作編曲は韓国人(?)のリー・ボン・ジョーとクレジットされていますが、訳詞は上原哲による日本語バージョンで、サイケおやじは件の歌謡祭で彼女がどちらの言語で歌ったのかは知る由もありませんが、とにかく如何にもという大袈裟気味のオーケストラアレンジと情熱的な彼女のボーカルスタイルが最高に融合した名曲名唱になっていますよ♪♪~♪

特にキメになっている裏声&ハイトーンボイスの絶妙の使い方は大きな魅力で、ハニー・ジューンの真骨頂じゃ~ないでしょうか。

ということで、彼女もまた我国で大ブレイクする前に韓国へ帰ってしまったんですが、日本で作られたレコードは本当に秀逸なものばかりで、他にも「再会の街 c/w あなただけを」という両面ソウルフルなソフトロック歌謡の傑作シングル盤は要注意!

彼女は本当に歌が上手いですよっ!

しかしサイケおやじは、そっちをガタボロのジャケ無しプロモ盤でしか持っておらず、長年探索の対象にしているブツなのが現状ですから、とにかくハニー・ジューンの日本制作音源を集成したCD復刻を強く願い続けているのでした。

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名前のない空の下で

2013-05-18 16:21:36 | 歌謡曲

■空には名前がない / マイク真木 (フィリップス)

入れてもらっているおやじバンドのメンバーは二人が専業農家ということで、本日は田植えを手伝ってきました。

本当は五月の連休~直後あたりに例年はやるそうですが、今年は低温続きなんで今頃の実施とはいえ、実に気持良い快晴の空の下とあれば、広大な水田と対峙する慣れない肉体労働も苦になりません。

もちろん田植えそのものは機械化された専用のトラクターを使うわけですが、それにセッティングする稲苗を運んだり、コンテナを手際よく移動させたり等々、それをむしろ楽しかったと言えば、本業の皆様からはお叱りかもしれませんが、そこは何事も享楽的なサイケおやじの本性に免じて……、というわけです。

そして時折見上げる青空に、思わず口ずさんでしまったのが、本日掲載のシングル盤A面曲「空には名前がない」でした。

 空には名前がない
 空にはまた限りがない
 そこには西東の分かれもない ない

 愛には理由がない
 愛にはまた限りがない
 そこには人と人の心があるだけ

あぁ~、ちょっとBS&Tがやってくれそうな、膨らみ豊かなブラスロックの壮大なイントロから、実に大らかなメロディで歌われる素直な理想の素晴らしさ♪♪~♪

ゆったりした曲展開とマイク真木のハートウォームな節回しが、実に良いですねぇ~~♪

ちなみに作詞:安井かずみ、作曲:かまやつひろし、そして編曲:大野克夫という制作陣の顔ぶれからすれば、これは発売された昭和47(1972)年の流行最前線だったソフトロック系ハリウッドポップスの歌謡曲版が狙いだったと思われますが、告白すればリアルタイムのサイケおやじには、イマイチどころか、ちっとも好きになれませんでした。

もちろんそこにはマイク真木が歌謡フォークにどっぷりのスタアであり、当時は抜群のナイスバディと美貌のアイドルだった前田美波里を結婚でファンから奪い取ったという、不条理な嫉妬心があった事は否めません。

と同時に、未だ血が滾る高校生だったサイケおやじにすれば、学校内の同好会で片隅に追いやられながら、どうにかロック体裁のバンドをやっていたという立場から、こうした歌を良いなぁ~んてことは、絶対に公言出来ない意地があったのです。

まあ、今となっては馬鹿らしいツッパリではありますが、当時はガチガチに真剣でしたし、同じような歌や演奏が入っている洋楽ポップスは平然として聴いていたんですから、その自己矛盾には我ながら情けない……。

ですから数年後、中古屋で掲載したシングル盤に遭遇した時も、実は十枚千円みたいな、所謂「まとめ売り」の員数合わせでゲットしていたのが真相であり、そしてなんとなく針を落して、思わず唸ってしまいましたよ。

いゃ~、全くお恥ずかしいかぎりなんですが、そこでいろいろと調べてみると、これと同時期に世に出たLP「エトセトラ」がマイク真木&前田美波里名義の隠れ名盤らしく、そう書かざるをえないのは、サイケおやじが未だ聴く事の叶わない幻の1枚だからです。

そして、もしかしたらCD化されているかもしれませんが正直、聴かずに死ねるか! という心境になるほど、この「空には名前がない」は素晴らしい名曲名唱と思っています。

ということで、結局は虚心坦懐とは程遠い若気の至りが、今日まで尾を引いてしまったわけでして、なんとか残りの人生は、それを取り戻すべく奮闘(?)するしかありません。

確かに自分の人生はロクなもんじゃ~ありませんが、「空には名前がない」の前には、仕事という大義名分で姑息な手段を弄したり、時には悪辣な遣り口に手を染めているサイケおやじも心を洗われる気分に浸ります。

 この世に追われている時 空を忘れ
 戦い疲れている時 愛を忘れる

う~ん、身に覚えの言葉の響き……。

ちょいとロンサムな呟きならば、それはそれでハードボイルドですけど、最近は矢鱈に自分の過去を悔いることの多いサイケおやじには、爽快な青空に憧れるのみであります。

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極東にウエストコーストの風

2013-05-17 15:00:30 | 歌謡曲

インスピレーション / チェルシア・チャン (フィリップス)

ここ最近、聴きたくなって取り出す歌謡曲のレコードが筒美京平関連になっているのは偶然と言うよりも、それだけ素敵な歌を世に出してくれた事の証明でしょう。

これは決してサイケおやじだけの気持ではないはずです。

そして一番に凄いと思ってしまうのは、ストレートに良い曲♪♪~♪

と、魅かれてしまう要素の中に所謂パクリ云々があったとしても、そこには元ネタよりも素晴らしいものを作ってしまう天才性が有り、常に時代の流行、特に洋楽ヒットの制作現場と業界の方向性を上手い具合に我国歌謡界へ変換反映させていったプロデューサー的な役割も流石!

本日掲載のシングル盤は昭和52(1977)年初夏に発売された、まさにそうしたポイントが上手く押さえられた傑作で、特にA面収録の「インスピレーション」は有馬三恵子の作詞と船山基紀のアレンジが筒美京平の書いたメロディーと見事なコラポを成し遂げていますよ♪♪~♪

また、それを余裕で歌っているチェルシア・チャン(陳秋霞)は当時、香港や台湾で大ブレイクしていた美人シンガーソングライターであったそうですが、この「インスピレーション」で日本デビューした時には完全なる出稼ぎアイドル扱いながら、透明感に満ちたボーカルとキュートなルックスがジャストミートしていましたから、忽ち注目されていました。

ところが地元、つまり香港や台湾での仕事が女優業でも評価され、売れ過ぎていたところから日本での活動に専念出来ず、僅かにシングル盤3枚と寄せ集め的に作られたと思しきLPを1枚だけしか残せなかったのは残念至極……。

実は後に知った事ではありますが、チェルシア・チャンに一番入れ込んでいたのが筒美京平だったと言われているとおり、件のレコードの実質的なプロデュースは御大自らが率先していたそうですから、仕上がりの素晴らしさは言わずもがなでしょう。

この「インスピーション」にしてもウエストコースト系AORの風味がモロに強い、当時の流行最先端が存分に活かされた歌謡ポップスであり、彼女の歌いっぷりも日本語詞パートでのちょっぴりカタコトなチャイニーズ系の愛くるしさが、後半の英語詞パートで逆に映えるという、なかなか深淵な目論見(?)がニクイほど!

さらにバックのカラオケパートがライトタッチのフュージョンフィーリング全開という、これぞっ! ハリウッドのスタジオから西海岸の風が吹いてくる爽快感に満ちているんですからねぇ~♪

もちろん演じているのは我国のセッションミュージシャンなんでしょうが、侮れません。

ちなみに一説によると、有名になる以前の高中正義やサディスティックス系の面々を最初に気に入って、自らの楽曲の録音現場に起用したのが筒美京平!?

という伝説が残されているぐらいですから、やっぱり流行最先端を意識している御大はアンテナ感度が現場主義的に凄いんでしょうねぇ~♪

ということで、様々に面倒な事を書き連ねてしまいましたが、スバリッ! 今の時期にはチェルシア・チャンの爽やかな歌声と爽快な筒美京平版ウエストコーストAORが似合います。

それは掲載のジャケ写からも一目瞭然ではありますが、聴いていただければ、虜になりますよ。ぜひっ!

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太田裕美のボサノバ歌謡

2013-05-16 15:29:07 | 歌謡曲

恋愛遊戯 / 太田裕美 (CBSソニー)

昨日は失礼致しました。

原因は完全にこちらの凡ミスで、お恥ずかしいかぎり……。

訪れて下さった皆様には、あらためましてお詫び申し上げます。

さて、そこでボサノバ歌謡といえば、忘れてならないのが、本日掲載したシングル盤A面曲「恋愛遊戯」でしょう。

ご存じ、太田裕美が昭和52(1977)年に歌ってくれた胸キュンにして、そこはかとない大人の恋愛姿勢を表現した名唱だと思いますが、それを書いたのが作詞:松本隆&作曲:筒美京平のシティポップス派ソングライターなんですから、後は言わずもがなのフィ~ル・ソ~~・グゥ~~ッは、お約束♪♪~♪

しかも萩田光雄のアレンジが、これまた絶妙のフュージョン味ですからねぇ~、太田裕美が持前の愛らしくて、そのくせ憎めない甘えた節回しが最高に活きていますよ♪♪~♪

ちなみに筒美京平の作風としては十八番のソウル&ディスコ歌謡と併せて、この頃からウエストコースト系AORへの接近が顕著になったようにサイケおやじは感じるんですが、いかがなものでしょう。

もちろん御大は常にリアルタイムの流行に気を配ってきたキャリアがありますから、そうした当て推量は不遜極まりない事は自覚しているのですが、それでも先日ご紹介した「あたなに帰れない / 竜エリザ」から、この「恋愛遊戯」、そして「ロマンチスト / 伊東ゆかり」へと続く流れの美しさは、後追いで聴くほどに素晴らしいとしか言えないものがあります。

ということで、楽曲的には相当に歌うのが難しいと思われる「恋愛遊戯」を軽いタッチで聞かせてしまう太田裕美の実力も侮れません。

説明不要とは思いますが、彼女は基本的にはピアノの弾き語りをメインにしていたシンガーソングライターであり、また渡辺プロダクションのスタア養成機関であった「東京音楽学院」~「スクールメイツ」の出身でもあり、さらにはNHKで当時放送されていた伝説の音楽番組「ステージ101」のレギュラーとして昭和48(1973)年前半に活躍していた、ある意味では自分名義のレコードを出す以前からの「売れた顔」でした。

ところが今となっては絶大なイメージを形成してしまった「木綿のハンカチーフ」のウルトラメガヒットにより、かなり残されている他の歌や演奏が逆に聴かれていないという実情は、ちょいと悲しくありませんかねぇ……。

サイケおやじ的には、この「恋愛遊戯」前後の例えば「しあわせ未満」とか「九月の雨」あたりが特に好きですし、彼女の狂的なファンのひとりにして、サイケおやじの友人に言わせると、最初のアルバムとなったLP「まごころ」だけあれば、残りは!?!

とまで信じ込ませる太田裕美の最大の魅力は、あの声質と不思議系の節回しが、昭和色の極めて強い歌謡ポップスにジャストミートしていた事に尽きるように思います。

うむ、ベスト盤CD買って、車の中で聴こうかなぁ~~♪

もちろん「恋愛遊戯」のリピートだけが最初の予感です。

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何故か…

2013-05-15 15:00:57 | Weblog

急にネット回線が不安定になってますので……。

本日の1枚は休載させていただきます。

こんな文章を投稿するのに、かなりの時間が!?

なんとかしてちょ~~~。

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梅雨入り前は竜エリザ

2013-05-14 14:52:53 | 歌謡曲

あなたに帰れない / 竜エリザ (日本ビクター)

レコードの世界には売れなかった名曲がどっさりあって、それらは所謂「幻の名盤」という伝説と共に聴き継がれ、再発見されている歴史が今も作られているわけですが、本日掲載のシングル盤A面曲「あなたに帰れない」も、そのひとつとして、なかなか根強い人気を集めているはずです。

なにしろ作詞:橋本淳、作曲:筒美京平、そして本曲:萩田光雄とくれば、それだけで悪いはずが無いと確信を抱けるのが昭和歌謡曲ファンの習性であり、しかも中身が、せつなくもお洒落なボサノバ歌謡なんですから、たまりません♪♪~♪

しかも歌っている竜エリザの声質や歌い回しが、本当に南沙織岩崎宏美の良いとこ取りとしか思えないほどで、これは実際に聴いていただければ、皆様にも納得いただけると思いますし、聴くほどにヤミツキ状態に陥っても、サイケおやじには全く責任がとれないと、お断りしなければなりません。

それほど竜エリザは魅力的な女性歌手であり、「あなたに帰れない」は発売された昭和51(1976)年のムードを今も滲ませる名曲!

極言すれば、ニューミュージックという新ジャンルに入るべき歌なのかもしれませんが、どっこい! 竜エリザの節回しには伝統的な歌謡曲フレイヴィーが大切にされていますよ。

そのあたりは次に発売されたシングル曲「そばに来て、ここに来て」において全開するわけなんですが、詳しくは次回何れかまでご容赦下さい。

しかし、それにしてもこの「あなたに帰れない」は見事な仕上がりで、透明感あふれるハイトーンボイスとちょいとエキゾチックな面立ちがジャストミートしているポイントも、当時17歳だったと言われていますから、充分にアイドルの要件は満たしていたのですが……。

残念ながらブレイクする事はなく、2年ほどでフェードアウトしています。

ちなみに彼女は沖縄出身でしたから、そのルックスと竜エリザという芸名(?)が殊更強い印象を残しているのかもしれません。

ということで、個人的には夏よりも、何か梅雨入り前の季節になると、妙にボサノバ歌謡が聞きたくなってしまいます。

先日掲載の「ミスティ・トワイライト / 麻倉未稀 」も、それゆえの事ですし、この「あなたに帰れない」もまた、その流れから出してしまったというわけです。

機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。

売れなかったのが不思議なほどですが、ある意味では時代よりもお洒落すぎたのかもしれませんねぇ~♪

だから、今こそっ!

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ベイ・シティ・ローラーズの輝きこそ

2013-05-13 15:33:04 | Pops

ひとりぼっちの十代 / Bay City Rollers (Arista / 東芝)

昭和50年代前半の我国で一番人気を集めた洋楽スタアと言えば、ベイ・シティ・ローラズ=BCRに他なりません。

うぁ~~、懐かしいぃぃぃ~~~♪

と感慨に浸る皆様におかれましては、当時の狂熱は言わずもがな、BCRに夢中になっていた小中学生の女の子を中心とするファン層の有り様は、そのまんま洋楽のリアルタイムな体験として、後々までの人生に影響を!?

そこまで言いたくなるほどの大騒ぎが確かにあった事は紛れもない歴史であり、実際、イギリスはエジンバラで結成されたローカルバンドが、ついには世界を制覇した瞬間の極みとして、日本で社会現象を巻き起こしたのですから、彼等が結果的に星屑バンドと揶揄されているとしても、それゆえに忘れられる存在ではないと思います。

う~ん、まさにビートルズの再来というマスコミの売り文句も、一理を認めざるを得ないのか……???!?

さて、そこで本日掲載のシングル盤は、そういう狂騒の最中、我国で独自に発売されたと思しき1枚なんですが、告白すればサイケおやじがBCRも、そんなに悪くはないなぁ~、と感服(?)させられた名曲「ひとりぼっちの十代 / My Teenage Hart」をA面に収録したコレクターズアイテム(!?)です。

それは何んと言っても絶妙のキメとなっているピアノのシンプルな合の手リフと胸キュンど真ん中のオールディズ調の曲メロが、実に美味しいわけでして、軽いアップテンポの流れの中に、甘さへ陥る寸前のボーカル&コーラスには、ある意味でのベテランの味わいさえ感じられるのですから、これを2ndアルバムにして、最初の日本発売LP「噂のベイ・シティ・ローラーズ」からカットしたレコード会社の思惑こそ、我国洋楽業界の美談(?)かもしれません。

ちなみにBCRはアラン&デレクのロングミュアー兄弟が中心となって結成され、既に1960年代後半にはプロとして活動していたそうですが、正式に「ベイ・シティ・ローラーズ」と名乗ってレコードデビューしたのは、1970年!

以降、数次のメンバーチェンジを経て、世界的にブレイクしたのが1974年頃であり、例の「タータン・ギア」と称されたチェック柄の衣装をトレードマークにしたのも同時期だったと言われています。

ただし相変わらずメンバーチェンジは激しかったようで、一応の人気沸騰時の顔ぶれはレスリー・マッコーエン(vo)、エリック・フォークナー(g)、スチュアート・ウッド(g,b,key)、アラン・ロングミュアー(b,key)、デレク・ロングミュアー(ds) の5人組ながら、その時には実質的なバンド経営者だったアランが三十路近くになっていた所為で、マネージメント側から強制引退させられたというのですから、アイドルバンドは辛いですねぇ……。

なんとっ! 替わりに入ったのがBCRのコピーバンドをやっていたミルクボーイ系のイアン・ミッチェル(g) で、弱冠17歳!

日本で爆発的な人気を得たのは、ちょうどその頃だったんですが、グループに馴染めなかったようで、直ぐに脱退し、次に入ったのが、これまたアイドル的ルックスが全開のパット・マグリン(g,vo) でしたから、おそらく我国でトップスタアであったのは、この人だったと記憶しています。

そして昭和51(1976)年の初来日でドシャメシャな騒ぎを巻き起こしたのも、このメンバーだったと思うのですが、既にご推察のとおり、レコードでの演奏には本人達が関わっている部分が少ない事は暗黙の了解であり、それゆえにライプステージは相当に危なっかしい場面の連続ながら、それをスリルと言い訳せずとも、集まったファンにとっては満足度が高いものでした。

と、サイケおやじが実際に会場へ行ってもいないのに確信するのは、そうしたギグや騒動がリアルタイムのテレビや新聞雑誌等々のマスコミで大々的に報じられていたからで、ほとんど半狂乱の少女の夥しさは、往年のGSブームを彷彿させて余りあるものだと思っています。

また、それを魅せるBCRのキラキラしたポップス魂の見事さも、虚心坦懐に評価されるべきなんでしょうねぇ、サイケおやじの本音は悔しいわけですが。

そう書かざるをえないのは当時、地道にロックをやっていた日本男児のバンド青少年達が、結局はアイドルじゃ~なければ、ロックは売れない! という真実に直面させられたからで、例えば知り合いのパーティーバンドは仕事とはいえ、BCRの「Saturday Night」や「青春の誓い / When Will You Be Mine?」等々をやらなきゃいけない事に腐りきっていたほどです。

もちろん幾つかのバンドに入れてもらって、それなりにやっていたサイケおやじにしても、プロになる気持は毛頭無かったとはいえ、そのあたりは痛感以上のものがありましたですねぇ。

しかし、もうひとつの本音として、洋楽好き人間としては、BCRの楽曲は相当に良い♪♪~♪ それがあったんですよねぇ~♪ ただし、大っぴらに言えなかっただけの話なんですよ。

それに目覚めたのが、本日ご紹介の「ひとりぽっちの十代 / My Teenage Hart」というわけです。

ということで、BCRにはホロ苦い気持がある事は確かですが、その社会現象によって、それまで歌謡フォークがメインだった音楽誌さえもが、アイドルロックバンドに編集方針を転換したり、グラムロックのブームから地味ながら続いていたパワーポップ系のブリティッシュバンドが再注目されたり、我国でも「らしい」グループがレコードデビュー出来たりした事は、案外と結果オーライだったのかもしれません。

うむ、ロックは、そうやって裾野を広げて……、云々と言う気持はありませんが、あの日、あの時にBCRによって、そういう狂騒を体験出来た女の子が長じて母親となっている現在、子供達にも同じ夢を与える義務はあるでしょう。

それは中年おやじ連中にとっても、同じではありますが♪

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パワフル&グラマーな麻倉未稀がフェミニンだった頃

2013-05-12 15:25:29 | 歌謡曲

ミスティ・トワイライト / 麻倉未稀 (キングレコード)

近年はすっかりパワフルボーカリストの姐御として、大ヒットさせたテレビドラマの主題歌「ヒーロー」ばっかりが有名な麻倉未稀も、昭和56(1981)年頃のレコードデビュー時には、所謂シティミュージックのお洒落系シンガーでありました。

それは本日掲載のシングル盤A面曲「ミスティ・トワイライト」を聴けば一発! これぞっ! ジャジーなボサノバ歌謡の決定版であり、どこかしら滲み出る儚げなボーカル表現が竜真知子の作詞、大野雄二の作編曲と完全融合した奇蹟の仕上がりと思うばかり♪♪~♪

いゃ~、何度聴いても胸キュン寸前のそういう情感、全てを言いきらないような勿体ぶった節回しの妙が素敵ですねぇ~♪

もちろんリアルタイムでは、こうしたシングル曲なんてヒットするはずもなかったんですが、既に日本の音楽界でもアルバムをメインに売っていくのがニューミュージック派の本質でしたから、それはそれで良かったわけですが……。

しかしそれにしてもジャケ写に登場している彼女からは、後に巨乳スタアとしてグラビア界を騒がせ、ついにはヘアヌード(?)までも披露した肉体派の片鱗さえ窺えないのですから、それが女の怖さ!?

と、思わず言ってみたくなります。

当然ながら、冒頭で述べたとおり、今ではテレビ出演される麻倉未稀の肉食系ナイスバディの迫力が、件のヒット曲「ヒーロー」を熱唱される場面の熱さに直結しているのですから、結果オーライである事は確かです。

ただし同時に、デビュー当時の繊細(?)な歌謡フィーリングを知っているファンにとっては、どうかこの「ミスティ・トワイライト」を歌い続けていて欲しいと願っているのかもしれません。

少なくともサイケおやじは、そういう気持です。

ということで、最後になりましたが、このシングル曲のバック演奏の基本はピアノトリオですから、モダンジャズ歌謡という側面もあり、それもまた大野雄二が十八番の世界でしょう。

思えば今は、こういう世界を歌ってくれる若手歌手もなかなか出て来ません。

否、もちろん全く誰も……、とは申しませんが、あまりハイブラウにならず、適度な下世話感を滲ませる女性ボーカリストが、もう少し表舞台に登場してもOKですよ。

問題は、未だ我国では、こういうフェミニン系は公にウケないっていう現実だと思っています。

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