OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

美しい…、猫顔で見つめる亜紀姐さん♪

2013-10-21 15:20:26 | 歌謡曲

愛は死んでも / 八代亜紀 (テイチク)

掲載したのは、八代亜紀姐さんのデビューシングル盤でありまして、発売された昭和46(1971)年には全くヒットしなかった1枚です。

しかしご存じのとおり、実力派御用達のテレビオーディション番組「全日本歌謡選手権(日本テレビ)」で見事勝ち抜き、昭和48(1973)年の通算4作目「なみだ恋」の大ヒットからスタア歌手の地位を確立して以降、今日までの絶対的な活躍は凄いと言うしかありません。

中でも流石と痛感させられる逸話のひとつが、事ある毎に売れなかったデビュー曲「愛は死んでも」をライプステージで歌っているという真実で、実はサイケおやじも昭和50年代中頃、トラック野郎をやっていた幼馴染に連れられて行った八代亜紀のコンサートで、この歌を聴いています。

いゃ~、それがなかなか良い歌なんですよねぇ~、売れなかったのが不思議なほどに!?

 あぁ~、いやよぉ~ いやよ
 いやよ いよや いやよ いやよぉ~
 いやよとぉ~ 燃えつきぃ~てぇ~~~~♪

というサビの曲展開にジャストミートする八代亜紀ならではの節回しには、グッと惹きつけられますよ♪♪~♪

ちなみに作詞:池田充男&作曲:野崎真一の手際には、歌謡曲王道の良さがビシッと凝縮されていますが、声の若さに寄り添う泣き節テナーサックスも良い感じ♪♪~♪

で、件の幼馴染は当然ながら、その頃「八代観音」とまで崇められていた彼女のレコードやカーオーディオテープはどっさり持っていて、このシングル盤も見せてもらったんですが、もちろんサイケおやじが速攻で欲しいなぁ~~~!

と決意を固めさせられたのは、言うまでもないでしょう。

だって、ジャケ写に登場している亜紀姐さんの美しさ♪♪~♪

基本的に猫顔が好みのサイケおやじにしても、この雰囲気で見つめられたら、全てを投げ出す覚悟は必至でしたねぇ~~~~♪

そこで狙い目トップのブツとして、中古屋漁りを続けて幾年月、ついにネットで発見してゲェ~~~ット!

昨夜、いよいよサイケおやじのところへやって来たというわけですが、その嬉しい余韻も残る今朝、テレビのニュースワイドショウの芸能コーナーで伝えられたのが、八代亜紀がヘビメタを歌った!?!?

うひぇ~~~~、仰天して発狂しそうな、その映像!

なんとも悪趣味な振袖(?)姿で持ちネタ十八番の演目をシャウトする亜紀姐さんのコブシは全開!?!

なんか、もう、悪夢の続きというか、新しき挑戦へのワクワク感とも言える、不条理な魂の高揚は、なんだっ!

と、思わず熱くなってしまったんですが、そこでシミジミと掲載のデビュー盤ジャケ写を愛でるサイケおやじは、やっぱりニヤニヤと和んでしまうのです。

ということで、こりゃ~、壁に飾って、PCの壁紙に使って、という思惑でスキャンして、今日のプログのネタになった次第です。

失礼ながら最近はちょっぴり化け猫の亜紀姐さんではありますが、それゆえにこのデビュー盤は尚更に大切になるのでした。

コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

背信と羨望がザ・フー

2013-10-20 15:33:54 | The Who

ワイルド・アクション / The Who (Track / 日本グラモフォン)

日本盤シングルの大きな魅力のひとつが、ピクチャースリーヴの素晴らしさでしょう。

もちろん確かに日本のレコードは全体的に値段が高く、特にサイケおやじが子供の頃は自らの乏しい小遣いに比較して、とてもとても、その歌が好きだからといって、気易く買えるものではありませんでしたからねぇ~、ジャケ写の魅力というのも、実に大きな楽しい要素でありました。

しかし……、それが裏目に出る事だって、少なからずあったわけですよ……、思い込みと言われれば、まあ、それまでなんですけど、本日掲載の1枚は、まさにそれが先行して、肩すかしを極められた傑作でした。

だって、演じているのがザ・フーであり、暴虐のアクションがモロに堪能出来るにちがいない曲タイトル「ワイルド・アクション」に、ド派手なステージショットを使ったジャケ写が鮮烈ですからっ!

しかもこれが発売されたのは昭和47(1972)年2月、という事は例のウッドストックの熱演が映画でも公開され、その勢いがアルバム諸作はもちろん、シングル曲「Summertime Blues」や「無法の世界 / Won't Get Fooled Again」等々を我国でも大ヒットさせていた頃ですから、ザ・フーという稀代のロックバンドの新曲に期待するなというのは、殊更ファンにとっては無理な話です。

そこでサイケおやじはザ・フーの新譜シングルをゲットする心意気に燃えていたところに、レコード屋の店頭で出会ったのが、しつこいようですけど、このジャケ写にして、この曲タイトル!!

当然ながら、それまで全く聴いた事も無かったのに、絶対に凄いはずっ!

そう思うのが、これまたザ・フー信者の素直な気持でありましょう。

ところが速攻で帰宅して、レコードに針を落せば、クリビツテンギョウ~~!?!

ザ・フーをザ・フーに成らしめている爆裂のドラムスも地鳴りのペースも出ず、なんとっ!? 大人しい(?)アコースティックギターの地味なカッティングやピアノに導かれた、いやはやなんとも、曲タイトルとは裏腹の……。

うわっ、これは……、と思った次の瞬間、それでもドラムスが入ってくるあたりから、ボーカルに力が漲ってくるというか、グイノリの曲展開と中間部での十八番のコーラスワークがザ・フーならではの仕掛の妙♪♪~♪

そこであたらためて確認してみると、「ワイルド・アクション」という曲タイトルは完全に「邦題」であって、本当の曲名は「Let's See Action」なんですから、納得する他はありません。

いや、と言うよりも、これはこれでザ・フーでしか演じられない唯一無二のロックであり、似た様な事は当時の他のバンドでもやっていたんですが、お叱りを覚悟で書かせていただければ、これをもしもフェィセズあたりが?

と思っただけで、些か額に汗が滲むでしょう。

流石はザ・フー! それが最終回答であります。

ということで、実は何度でも聴きたくなるほど、魂が高揚させられるのが、この「ワイルド・アクション / Let's See Action」です。

あぁ~、この構成万全の様式美♪♪~♪

最後になりましたが、実は「ワイルド・アクション / Let's See Action」については諸説云々、制作過程には噂ばかりが先行した幻のアルバム「ライフハウス」絡みの音源である事は確かと言われていますが、演奏メンバーが果たしてザ・フーだけでなく、セッションミュージシャンの存在も含めて、どうにもはっきりしません。

そのあたりも含めて、サイケおやじはザ・フーの全盛期を感じる諸々が、ここに聴けると思っているのでした。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出たっ! ニッポンのフィリーソウル

2013-10-19 13:25:57 | Soul

Midnight Train / The Three Degrees (CBSソニー)

現在の状況には疎いんですが、昭和の芸能界では外タレに日本語の歌をレコーディングさせるという企画が度々あって、それが相当に大きなヒットになっていました。

例えばシカゴというリアルタイム最先端のグループにしても、自らの代表曲としてヒットチャートを振るわせた「Questiones 67 and 68」や「Lowdown」を日本語で歌ったシングルバージョンを残していますし、さらに特別に我国のソングライターが書いたドメスティックな新曲を歌った外タレ作品も以外に多く、それらは今や貴重なコレクターズアイテムです。

さて、そこで本日掲載のシングル盤A面曲「Midnight Train」は、1970年代前半に世界的なブームとなったアメリカはフィラデルフィアで作られていた黒人音楽、所謂フィリーソウルの人気グループだったスリー・ディグリーズが1974年に出したヒット作♪♪~♪

というよりも、これが「和製フィリーソウル」の最初の大成果として、当時も今も大きな話題を集める1曲かと思います。

なにしろ作詞:松本隆&作曲:細野晴臣(b)、そして編曲:矢野誠(key) の制作陣に加えて、バックの演奏が鈴木茂(g) や林立夫(ds) を含むキャラメル・ママ~ティン・パン・アレイの人脈であった事は既定の事実ですからねぇ~~~!?!

しかも松本隆の綴った歌詞が英語なんですから、いやはやなんとも、これは明らかに世界戦略(?)を考慮した企画と思われます。

そして前述のとおり、これは件のフィリーソウルを特徴づけるゴージャスなストリングスや流麗なメロディライン、そして心地良いジャズ系のソウルビートが混然一体になった仕上がりは、なかなか見事でありました。

ちなみにレコーディングされたのは、スリー・ディグリーズが1974年に来日した時で、この時には彼女達の人気ヒット曲「When Will I See You Again / 天使のささやき」の日本語バージョン等々も一緒に吹き込まれたと言われていますが、実は「Midnight Train」の発売順がその次であった事から、つまりは純然たる新曲扱いとして、全く違和感が無かったのは驚異的と思うばかりです。

ところがこれで驚くのは、まだ早かったんですねぇ~~~~~。

なんとっ! そのレコーディングセッションからは、もうひとつ、「にがい涙」というウルトラ級に素晴らしい和製ソウルの大名曲が作られていて、「Midnight Train」の次に発売されたのですから、たまりません。

不遜ではありますが、本当に素晴らしいと思っていた「Midnight Train」が、なんともイナタイ……。

そのあたりは以降、あらためまして「にがい涙」を取り上げますので、今回はここまでと致しますが、ただし、だからと言って、この「Midnight Train」がダメというわけでは、もちろんありませんっ!

まあ、慾を言えばポーカルパートが全面に出過ぎているというか、本当はバックのストリングスやパーカッション等々のミックスが薄味で勿体無い感もあります。しかしリズムのニュアンスやオカズの使い方等々、何よりも当時の流行最先端であった「フィリーソウルのサウンド」を、ここまでコピーして再構築した技術と情熱こそ、永遠に称賛されるべきと思いますねぇ~♪

うむ、流石は当時、上り坂にあった「ものづくり大国ニッポン」の底力、万歳!!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お偉いさんのお供は疲れるなぁ~

2013-10-18 14:52:30 | Weblog

現在、移動中で、PCからリモートでデータを引き出せません。

本日の1枚は休載させていただきます。

失礼致しました(__)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュディ・オングは変わらないねぇ~~♪

2013-10-17 14:50:45 | 歌謡曲

夕陽の恋 c/w チャームで踊ろう / ジュディ・オング (日本コロムビア)

欧陽菲菲以前の台湾系スタアと言えば、ジュディ・オングが一番有名なところでしょう。

もちろん彼女も、今となっては昭和54(1979)年の「魅せられて」のウルトラメガヒットによって、昭和歌謡曲史にその名を刻しているわけですが、少なくともデビュー当時というか、昭和30年代後半からの映画やテレビでのチャーミングな活躍、そして歌手としての安定感は優れたタレント性の証として、なかなか幅広い人気を集めていました。

しかも外国語に堪能であったことから、テレビの歌番組等々で一緒に出演した外タレの通訳もやっていましたし、当時は珍しかった海外レポート番組に登場しても、全くソツの無い存在感は流石でしたねぇ~♪

実は後で知った事なんですが、ジュディ・オングは出身地の台湾では芸歴が無かったそうで、本格的に芸能界へ入ったのは日本に移り住んだ幼少の頃だったそうですよ。

うむ、そう思ってみれば、彼女の子役としての活動にも記憶があるサイケおやじは、中華系の衣装やボーイッシュなスタイルで明るく躍動していたジュディ・オングには刷り込まれているものが、少なからず有ります。

さて、そこで本日掲載のシングル盤は昭和42(1967)年秋に発売された人気作♪♪~♪

それはA面の「夕陽の恋」が当時流行の最先端であったエレキ~GS歌謡の味わいも深い、これがドドンパのリズムも取り込んだようなノリの良さなんですねぇ~~♪ 特にシンプルなエレキとミュートのトランペットがニクイばかりですからっ!

ジュディ・オングのボーカルが真正面から聴かせてくれる歌謡フィーリングの素晴らしさは言うまでもなく、絶妙に用いられたエコーが効果的なのは、彼女の幾分太い(?)声質にはジャストミートのプロデュースかと思います。

ちなみに曲を書いたのは作詞:白鳥朝詠&作曲:市川昭介という、失礼ながら、なんとなく今では旧態依然の先入観しかないコンビなんですが、実はなかなかモダンな感じが滲んでいるのは、河村利夫のアレンジが面白いからなんでしょうか。

と言うよりも、真相はジュディ・オングの芸能センスの良さかもしれません。

また、B面の「チャームで踊ろう」も同じ制作陣トリオが、むしろ本領発揮の隠れ名曲で、現在ではジャズロック調の演奏パートに顕著な、如何にも昭和の懐古趣味が人気の秘密かもしれませんが、個人的にはちょいと「外した」感じのボーカルこそが、ジュディ・オング真骨頂の魅力のように思います。

あぁ、今はこういうフィーリングで歌えるボーカリストが、歌謡曲のフィールドには存在しませんからねぇ~~~。

思わず嘆き節が出てしまうほど、これは素敵な仕上がりと思うばかりです♪♪~♪

ちなみに「チャーム」とは山野愛子が指導する「美と健康のビューティダンス」の相称なんでしょうか、細かい写真解説による振り付けもあるんですが、どのぐらい流行ったかは定かではありません。

ということで、掲載のジャケ写からも一目瞭然、ジュディ・オングの現在と比べても、そのイメージの変わらなさは世界の七不思議のひとつじゃ~ないでしょうか。

すると今日でも、当時のヒット曲を歌って違和感の無さは圧倒的なはずですから、ぜひとも「魅せられて」以外のご披露もお願いしたいですねぇ~~。

そういう期待から、拙プログでは少しずつではありますが、ジュディ・オングのレコード紹介は続けたいと思っています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨諸々

2013-10-16 14:21:00 | 歌謡曲

雨のエアポート / 欧陽菲菲 (東芝)

台風襲来、皆様はいかがでしょうか?

やっぱり各所で大きな被害が出てしまいましたが、こればっかりは人知の及ばぬところが……。

とにかく最善の策を選んで、実行するしかありません。

サイケおやじは、そういうわけで、昨夜は1日早い来訪に変更要請した仕事関係者を出迎えに某飛行場へ行った車中、思わず鳴らしてしまったのが、本日掲載のシングル盤A曲「雨のエアポート」です。

歌っている欧陽菲菲は説明不要とは思いますが、近年のお若い皆様には既に彼女の表記名が読めないという危惧から、あらためて「オーヤン・フィフィ」とご紹介させていただきます。

また、彼女の代表曲と言えば、ソウルフルなしっとり系パラードの「ラブ・イズ・オーヴァー」ばっかりが今では定番扱いですが、本格的に我国でレコードデビューを果たした昭和46(1971)年当時はアップテンポのロッキンソウルやブラスロック歌謡を得意にしていましたし、何よりも黒っぽいノリとカタコトながら歯切れの良い日本語詞の歌いっぷりが、唯一無二の個性として、大きな人気を集めた要因かと思います。

で、この「雨のエアポート」は、大ヒットデビュー曲にして必殺のベンチャーズ歌謡「雨の御堂筋」に続く追い撃ちの傑作で、作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平のヒットメーカーコンビが提供の意図を完全体現した欧陽菲菲ならではのビート歌唱が冴えまくり!

まさにパンチの効いた! という往年のフレーズがジャストミートですよ♪♪~♪

また、特徴的に重低音に拘ったカラオケパートの音作りも、当時の東芝サウンドと呼びたいほどに良い感じ♪♪~♪

ちなみに彼女の履歴としては、日本で活動する以前から台湾ではスタア歌手だったそうですし、今ではアジア全域で幅広い人気を集める国際派ですからねぇ~♪

実は欧陽菲菲は歌ばかりではなく、微妙な愛嬌顔と持ち前の明朗なキャラでステージのMCやテレビのバラエティ番組でもナチュラルにウケていた実相が有り、好き嫌いは別にしても憎めないタレント性は不滅でしょう。

そういう部分があってこそ、強靭な歌の実力が尚更に鮮やかな印象を与えてくれる側面も、なかなか素敵な魅力と思います。

ということで、欧陽菲菲も相当な数の歌謡曲レコードを残していますが、現在進行形のブツも含めて、極めてハズレの少ないボーカリストであり、時として曖昧な歌詞の表現も散見される節回しの妙が、逆説的に素晴らしく感じられるのですから、言ってみれば「芸能的な徳」があるんじゃないでしょうか。

サイケおやじは、そこが好きなのかもしれません。

最後になりましたが、今回の台風で被災された皆様には、心からお見舞い申し上げます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サルビアの花の言い訳

2013-10-15 13:14:24 | 歌謡曲

サルビアの花 / もとまろ (キャニオン)

歌謡フォーク屈指の人気名曲と言えば、昭和47(1972)年春頃から爆発的に流行った「サルビアの花」も忘れられないでしょう。

しかもそれをヒットさせていたのが、もとまろと名乗る女子大生(!?)トリオで、一応ジャケ写には登場しているものの、本格的な芸能活動は全くやっていなかったグループの歌だったんですから、当時の歌謡フォークのブームの物凄さを今に伝えるレコードなのかもしれません。

そして尚更に強烈なのは、歌詞の中身のストーカー性感度の高さで、簡単に言えば惚れた女が自分以外の男と結婚してしまう、その式場に列席していながら、一方的でネクラな情愛を鬱積させるという、なかなかアブナイものですからねぇ……。

それが流行ってしまう時代が昭和元禄爛熟期の様相であったと言えば、ミもフタも無くなってしまうほど!?

実は皆様ご存じのとおり、この「サルビアの花」のオリジナルは相沢靖子が歌詞を綴り、元ジャックスの早川義夫が作曲自演で既に発表されていた、これが非常に暗くて、自分で勝手に苦しんでいるような、極言すれば自虐のパフォーマンスとしかサイケおやじには思えないんですが、何がきっかけになったのか、もとまろのバージョンは胸キュン優先主義のハーモニーと節回しの妙が不思議なほどに心地良く、地味なフィーリングが逆に和みを滲ませてくれるんですから、たまりません。

なぁ~んて書いてしまうと、もはや居直ることも出来なくなるサイケおやじではありますが、もとまろの「サルビアの花」が流行っていた高校時代の自分の姿を鑑みれば、モヤモヤした鬱積は同等に蟠っていたわけですからねぇ……。

既に述べたとおり、そうして名曲歌謡フォークの殿堂入りを果たした「サルビアの花」が、多くの歌手やグループによってカバーされた事は言うまでもありません。

中でも確かチェリッシュや岩淵リリのバージョンは、今でも人気が高いと思いますが、やっぱり刷り込まれているのは、もとまろのヒットバージョンであります。

ということで、こういう歌を聴きたくなる日もあるというサイケおやじは、基本的に気が弱くて、ネクラな人種です。

ただし、それすらも貫けないというか、目の前の享楽に一番弱いもんですから、周囲から軽く扱われるのも当然なんでしょうねぇ……。

それに気がついているだけでも、良とすべきなのかも……、です。

最後になりましたが、掲載の私有盤は当然ながらリアルタイムでは無く、後々の中古ゲットが真相であり、しかも十把一絡げの激安バーゲンで員数合わせにした1枚ながら、実は最初に針を落してしまった現実は、素直に告白しなければなりません。

あぁ……、見苦しい言い訳にもなっていない……。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百万ドルのジョニーを聴いた頃

2013-10-14 14:55:31 | Winter Family

Johnny Winter (Columbia)

これはサイケおやじが初めて聴いたジョニー・ウィンターのアルバムで、掲載したのは後に買い直したアメリカ盤なんですが、もちろん最初は昭和44(1969)年に我国で発売された国内盤、それも中学の同級生からの借り物でありました。

さて、ここまでの経緯については拙プログでも以前に書いていますが、とにかくジョニー・ウィンターという白人ブルースマンは物凄いギタリストでもありましたから、アメリカでの宣伝文句は「百万ドルのブルースギタリスト」なぁ~んていう衝撃(?)のキャッチフレーズが、そのまんま、我国でも通用していました。

ところがジョニー・ウィンターは、件の巨額契約金で大手レコード会社のコロムビアと契約する以前の下積み時代、幾つかのマイナーレーベルにレコーディングを残していた、如何にも当然の活動がありましたから、メジャーデビューの大宣伝に便乗するような状況で、それらの音源がアルバムに纏められて出回り、なんとっ! 日本では掲載のアルバムよりも早く出たプレデビュー盤に「百万ドル」云々の邦題が用いられていたのですから、穏やかではありません。

そこで日本での発売元であったCBSソニーでは、このアルバムに「世紀のスーパー・スター」という、些か気恥ずかしくなるような邦題を附したわけですが、それはそれとして、確かに中身は強烈でしたっ!

 A-1 I'm Yours And I'm Hers
 A-2 Be Careful With A Fool
 A-3 Dallas
 A-4 Mean Mistreater
 B-1 Leland Mississippi Blues
 B-2 Good Morning Little School Girl
 B-3 When You Got A Good Friend
 B-4 I'll Drown In My Own Tears
 B-5 Back Door Friend

収められている演目はジョニー・ウィンターのオリジナルが「I'm Yours And I'm Hers」「Dallas」「Leland Mississippi Blues」の3曲、それ以外の6曲が、どうやら黒人ブルースやR&Bのカパーという構成ですから、基本的にはブルースロックと思い込んで聴き始めたサイケおやじが、いきなりブッ飛ばされる内容でした。

つまり当時のサイケおやじは、「ブルースロック」が「ブルース」であると勘違いしていたわけで、それは本物の黒人ブルースにほとんど接したことが無かった事が原因でしょう。

ですからジョニー・ウィンターが聴かせてくれた演奏が、それまで体験していたジョン・メイオール、エリック・クラプトンのヤードバーズクリームピーター・グリーンフリートウッド・マック等々とは完全にノリが異なっていたのもムペなるかな、ブルースを基本線に据えたニューロックとも全く違った、その小細工の無いストレートな感情の爆発を聞かせてくれるところには、ある種の怖さを感じさせられたほどっ!?

なにしろA面ド頭の「I'm Yours And I'm Hers」からして、ドロドロですからねぇ~~。どっしりヘヴィなドラムスとベースに唸るギターの豪快さは、ちょっぴりストーンズみたいな感じもしましたが、実はこのアルバムがアメリカで発売された1969年6月の直後、ストーンズがブライアン・ジョーンズ追悼で開催した例の「ハイドパーク・コンサート」で、その幕開けにぶっ放したのが「I'm Yours She's Mine」と改題した同曲でありました♪♪~♪

まあ、そういう経緯云々は当時のサイケおやじには知る由も無かったんですが、この曲に限らず、アルバムの随所で聴かれるスライドギターは、それまで知っていたストーンズのブライアン・ジョーンズのプレイとは似て非なるフィーリングであり、しかもこれまたジョニー・ウィンターのオリジナルである「Dallas」におけるアコースティックギターのスライド奏法には、全くどうやって弾いているのか見当すらつかず、困惑させられましたですねぇ~~。

もちろんそういう感じは収録全トラックにおいて、大袈裟ではなく、摩訶不思議の連続であり、告白すればサイケおやじは既にギターを少しは弾けるようになっていた事もありましたから、コピーしようと躍起になればなるほど、ドツボ状態……。

ちなみにその頃、サイケおやじが弾いていたのはエレキでは無く、クラシックギターに鉄弦を張っていたレキントギターのスタイルだったんですが、こういう演奏に触れる度に、あぁ~、エレキが欲しいなぁ~~~、と心底思いつめていた事は言うまでもありません。

そうです、これはやっぱりギタリストがヒーローであった時代なればこその作品であり、かなりダーティーなジョニー・ウィンター本人のボーカルが如何に力んでも、リスナーはギタープレイをメインに聴いてしまうのが本当のところだと思いますし、実際に「Be Careful With A Fool」での冒頭からの弾き倒し、「Mean Mistreate」での粘っこさ、「Leland Mississippi Blues」や「Back Door Friend」における低重心プレイ等々には常に圧倒されるばかり!

また、アップテンポの「Good Morning Little School Girl」では、バンドアンサンブル優先主義が流石ですし、R&B保守本流の「I'll Drown In My Own Tears」がオリジナルのレイ・チャールズに敬意を表するジャズフィールで歌われるのは、濃厚ではあるけれど、違和感を打ち消せなかったのがサイケおやじのその頃の本音でした。

ただし弾き語りスタイルの「When You Got A Good Friend」は、その意味で逆に新鮮というか、こういうブルースもOK♪♪~♪ なぁ~んていう不遜な気持になったのも、この歌が未だ邂逅していなかったロバート・ジョンソンのオリジナルであったのですから、なかなか意味深な感慨かもしれません。

そして書き遅れていましたが、このアルバムセッションを支えたバックミュージシャンはトミー・シャノン(b) とアンクル・ジョン・ターナー(ds) がリアルタイムのバンドレギュラーであり、また随所で活躍する実弟のエドガー・ウィンター(key,sax)、さらにはウィリー・ディクソン(b) やウォルター・ホートン(hmc) という大物黒人ブルースマンの参加も強い印象を残しています。

ということで、これを聴きまくったサイケおやじは若気の至りか、あるいは借物ゆえに自分のお金を払っていない気安もあり、イマイチ馴染めない気分だったのはバチアタリと今は痛切に反省しています。

しかもこれを貸してくたれ友人が、ある日突然に引っ越してしまって、どうやら真相は家族経営の工場が倒産した事が原因らしいのですが、とにかくしばらくの間、それが手元にあったという恵まれた環境での贅沢だったんですから、我ながら呆れた話……。

告白すればサイケおやじが本当にジョニー・ウィンターにシビれきったのは、1971年に世に出たライプアルバムからシングルカットされた「Jumpin' Jack Flash」に接してからであり、同じ頃にようやく弾けるようになったエレキギターがあればこそっ!

現在では自己形成の一端を担ってくれた、その感謝の念を抱くレコードになっているのでした。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの場所からの歌声

2013-10-13 14:50:33 | 歌謡曲

あの場所から / Kとブルンネン (CBSソニー)

好き嫌いは別にして、なかなか素敵な歌がどっさり残されている我国歌謡フォークの中でも、特に忘れられないのが作詞:山上路夫&作曲:筒美京平による「あの場所から」でしょう。

もちろん、だからこそ、大勢の歌手によってレコーディングされ、中でも昭和48(1973)年に発売された朝倉理恵のバージョンは特別なヒットになっているわけですが、そこで気になるのがオリジナルバージョンということで、本日掲載のシングル盤こそが、まさにそれっ!

世に出たのは遡ること3年前の昭和45(1970)年で、歌っているKとブルンネンは、あらためて述べるまでもなく、そのタレントイメージは既に人気絶頂だったヒデとロザンナのフォロワーとして、昭和44(1969)年にデビューしていますが、肝心の音楽性は洒落たムードの本家より幾分内省的な歌詞やマイナー調のメロディがジャストミートの持ち味で、そういう歌謡フォーク的なところは、やはり男女デュオとして人気が高かったトワ・エ・モアの路線も併せ持っていたように思います。

ちなみに芸名の「K」が鈴木豊明、「ブルンネン」がアメリカ生まれのクリスタル・ブルンネンであり、当時は共々に大学生だったそうですが、やはり音楽活動はアマチュア時代からやっていたんでしょうねぇ~。

とにかくブルンネンの如何にも「ガイジンさんの日本語」らしい歌い回しとKの暖か味のあるハーモニーワークは、個人的にかなり好きです。

そしてデビューヒットの「何故に二人はここに」やGS歌謡っぽい「恋人たちの舗道」はニクイほど良いわけですが、「あの場所から」も絶品♪♪~♪

既に述べたとおり、朝倉理恵によるカパーが大ヒットした時、サイケおやじは瞬時にKとブルンネンのオリジナルバージョンを思い出し、速攻で中古屋から釣り上げて来たのが掲載の私有盤というわけですが、他にも柏原芳恵がレコーディングしていますし、本音を吐露すれば、南沙織が昭和47(1972)年に出したアルバム「早春のハーモニー」で披露したバージョンが一番に好きなんですけどねぇ~~♪

ということで、えぇ~~っ!?

サイケおやじは歌謡フォークなんて、嫌いじゃ~なかったの!?

という声がはっきり聞こえたりもするんですが、そりゃ~、若気の至りという言い訳を弄するまでもなく、ブーム真っ盛りだった高校生の頃はとても自ら率先して演奏し、歌うなんて事は、とても自分の感性やつまらない自負心によって、否定されるべきもの……。

ただし、聴くことは好きだったんですよ、恥ずかしながら。

まあ、そんなサイケおやじの自己矛盾は相変わらず見苦しいばかりですが、どうか名曲「あの場所から」に免じて、ご容赦下さいませ。

 白いベンチに腰掛けながらぁ~~♪

失礼致しました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シンシア・シングス・グッバイガール

2013-10-12 13:24:10 | 歌謡曲

グッバイガール / 南沙織 (CBSソニー)

世の中、人其々の価値観が異なる事は絶対の真実です。

例えば本日掲載した南沙織のシングル盤は、ちょうど彼女が引退した昭和53(1978)年秋に発売された、所謂ラスト作なんですが、これがなかなかレアな実相を示していました。

まず、何んと言っても、このジャケ写!

おそらくはご亭主の篠山紀信が撮影したと思しき、ちょっぴりドギマギさせられる彼女のセクシーショットが良い感じ♪♪~♪

サイケおやじは、全くそれが一番の魅力に惹かれ、このブツをゲットしたのが真相と告白しなければならないわけですが、しかし収められている肝心の楽曲「グッバイガール」についても触れないわけにはいきません。

ご存じのとおり、これはアメリカの優良ポップスグループとして人気絶大であったブレッドの中心メンバーであるデヴィッド・ゲイツが前年、同名映画の主題歌としてソロ名義で出した自作自演の大ヒット曲だったんですが、南沙織は、それにあえて中里綴の意訳詩(?)を附した日本語バージョンをA面に、そしてB面にはオリジナルの英語バージョンを入れるという拘りがニクイばかり♪♪~♪

しかも堂々のスタジオレコーディングバージョンなんですよっ!

と言うのも、実はこの「グッバイガール」の英語バージョンは同時期に発売された彼女のLP「シンプリシティー」に収録されているんですが、日本語バージョンは、シングルオンリーの企画でありました。

ちなみに彼女の引退直後に発売されたラストツアーのライプ盤「さよならシンシア」でも日本語歌詞による「グッバイガール」を聴くことが出来ますが、それはあくまでも「ライプバージョン」ですからっ!

殊更このシングル盤がコレクターズアイテム化するのは必然でありました。

ただし、それなりに売れていたので、冒頭に述べた事には反しますが、決して激レアなブツではありません。

ところが時が流れた現在、サイケおやじの旧友であるドイツ人からの要請によって、今頃このシングル盤をあらためて探索する仕儀になったのは、どうやら最近、件の友人がデヴィッド・ゲイツに目覚めたそうで、片っ端から関連作を漁っているんだそうですよっ!?!

もちろんデヴィッド・ゲイツはブレッドで広く大衆に知られる活動の他に、なかなか有能なソングライターとして業界に認められていましたから、さもありなんのレコードは蒐集の遣り甲斐も膨大なエネルギーを要するでしょうねぇ~♪

なにか非常に心温まるというか、同じ趣味を共通に持つ友の頼みとあらば、少しでも状態の良いブツを渡してあげたいと思っています。

ということで、相対性理論の証明ではありませんが、仕事に追われて時間が無いと嘆くのは、自分の仕事能力が落ちて、世の中の時の流れに追いつけないのが本当なのでしょう。

しかし瞬時、こういう嬉しいような、面映ゆいような趣味性の強い作業を決めてしまうと、どんな忙しい日常にも光が射してくるような気分になるんですから、それはありがたいですねぇ~♪

そして最後になりましたが、やっぱり南沙織が歌う洋楽ポップスの日本語バージョンには独得の良さがありますねよねぇ~♪ 一番有名なのはジャニス・イアンがオリジナルだった「哀しい妖精」でしょうが、この「グッパイガール」も捨て置けません。

それは彼女の歌における言葉の発音と節回しに、なんともナチュラルな洋楽フィーリングが滲んでいるからでしょうか。

そんなふうに思ってしまえば、南沙織の残してくれた音源全てが尚更に愛おしいのでした。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする