OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

エスニックなアメ横と竹田かほり

2015-01-11 14:42:24 | 歌謡曲

うわのそら / 竹田かほり (ポリドール)

竹田かほりは昭和50年代に強い印象を残した女優ですが、芸能活動の発端はモデル~アイドル歌手という、如何にも定番のコースを歩んだ、その証左が本日掲載のシングル盤です。

発売されたのは昭和50(1975)年で、おそらくは彼女の歌手デビュー作と思われますが、残念ながらヒットしたとは言えません。しかし作詞:きずぎえつこ&作曲:きすぎたかおが提供したA面収録の「うわのそら」は、竹田かほりのほどほとの歌唱力と相まって、不思議と心に残る歌謡フォークのアイドル風展開になっています。

ただし、それが彼女の個性に合っていたかは些か疑問符が打ち消せず、やはり以降しばらくの間、歌手としてよりはセクシー&チャーム系のイメージタレントとして、現代で云うところのグラビアアイドルっぽい活動や女優として売れていった事は説明不要でしょう。

なにしろテレビ出演も夥しい中、殊更ロマンポルノの大ヒット作「桃尻娘(昭和53年・小原宏裕監督)」に主演した事は、永久に忘れられるものではありません。

もちろん、そこには彼女の裸の演技も確かにあります。

が、作品そのものが面白く、グッと惹きつけられる仕上がりになったのは、竹田かほりの個性的な演技があればこそっ!

個人的には「ロマンポルノ BEST 20」、そしてオールタイムの「日本映画 BEST 200」には必ず入れてしまうほど、素直に大好きな映画と言えるのも、不貞腐れているようで憎めない竹田かほりが素晴らし過ぎるからです♪♪~♪

あぁ、その彼女も今や人妻であり、すっかり引退しているわけですが、おそらくは今でもサイケおやじと同じ気持ちで、彼女のレコードを聴いたり、乳首も完全に出していた雑誌グラビア、そしてソフト化もそれなりされているテレビや映画出演の諸作を鑑賞している皆様も大勢いらっしゃるに違いありません。

ということで、実は昨日、久々に上野のアメ横へ行ってみたら、そこは中国人や東南アジア系の出稼ぎ者が様々な飲食店を営業している、なにか不思議な地帯になっていて、相当に驚きました。

で、成り行きから、その中のひとつの店で餃子と肉まんのハーフみたいな食べ物を買ったんですが、そこの狭~い調理場(?)のテレビに松田優作主演のテレビ映画「探偵物語」が映っていて、おぉ~~、当然そこには竹田かほり♪♪~♪

店員が、カワワイネェ~~~、カノジョォ~~♪

とか云々、愛想笑いしてましたですよ。

うむ、彼女の魅力は万国共通という思いを強くしているのでした。

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即効性フィーバー

2015-01-10 13:56:00 | 歌謡曲

シェイク・タッチ c/w お熱いのがお好き / フィーバー (東芝)

サイケおやじの苦手な物のひとつにテクノポップがある事は皆様ご存じのとおりですが、もちろんどんな事象にも例外があるのは、この世の真理!?

と、本日もノッケから苦しい言い訳を弄しつつご紹介するのが掲載のシングル盤です。

もちろん、恥ずかしながら、これは決してサイケおやじが自腹で購入したものではなく、業界の知り合いから頂戴したプロモ盤なので、悪い事は書けないという事情があるにせよ、しかし実際に針を落としてみれば、基本は好きなディスコ歌謡なんですから、たまりません♪♪~♪

そして演じているフィーバーは、今となってはテクノ歌謡の決定的名作「デジタラブ」を遺したことで、後追いのファンも含めて、夥しいマニアから支持されているキャンディーズ直系のアイドルグループとはいえ、そのデジタル風味がサイケおやじには、なかなか馴染難く……。

ですから、聴かず嫌いという側面も否定出来ない中、昭和55(1980)年に邂逅した収録A面曲「シェイク・タッチ」にツボを刺激されてしまった事には些かの面映さがあるわけでして、結局は良いものは良いっ!

そう、居直るしかないのが、サイケおやじの例によっての卑屈さであります。

しかし、そんな苦しい言い訳さえもブッ飛ばしてくれるのが、作詞:森雪之丞&作曲:小杉保夫、そして編曲:後藤次利の企図したストレートな目論見で、さらにそれを素直に具象化してくれたフィーバーの頑張りにも大拍手♪♪~♪

当然ながらサウンド面でコピコピヘコヘコ鳴っているテクノ味が、悔しいけれど抜群のスパイスになっているわけですよ♪♪~♪

その意味で同じスタッフが提供したB面収録の「お熱いのがお好き」が、正統派ディスコ歌謡に強引なサンバ&ラテン味を施したのは、これまた大正解でしょう。

個人的には、このB面が尚更に好き♪♪~♪

というあたり、未だサイケおやじの OLD WAVE な体質とご理解いただければ幸いです。

ということで、最後になりましたが、フィーバーは渡井なおみ、北川まゆみ、岡広いずみのトリオが解散してしまったキャンディーズの後釜として、彼女達がレギュラー出演していたテレビ番組の穴埋めで急遽結成されたらしく、だからこその即効性が求められていたのだとしたら、なかなか芸能的な泡沫性がモロ出しなのも納得です。

また、もしもキャンディーズが解散しなかったら、果たして所謂テクノ歌謡路線に進んでいたかは未知数ですし、例えはそうなったとしても、フィーバーほどの刹那的魅力が出せたか否かは、答えの出ない妄想かと思います。

そのあたりの姿勢、現代の集団アイドルを制作しているスタッフにも、再考願いたいものですねぇ~~。

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明日からは連休だってのに

2015-01-09 15:23:38 | Weblog

来週からの出張に備えて病院で様々な検査、予防接種を受けたりで、未だそこに留め置かれています。

あぁ~、小一時間で済むという話は、ど~なんてんだぁ~~!?

予定メチャ狂いで、本日の1枚も休載を余儀なく、ご理解下さい。

謹んで、お詫び申し上げます。

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トワ・エ・モアの感触と本気度

2015-01-08 15:19:29 | 歌謡曲

愛の泉 c/w 今こそ二人は / トワ・エ・モア (東芝)

リアルタイムでの「時代遅れ感」は流行を扱う業界ではタブーのひとつでしょうが、あえてそれを逆手に活かす手法もまた、「あざとい」とばかりは言い切れない良さがあるように思います。

例えば本日掲載のシングル盤は昭和歌謡フォークの最高峰男女デュオとして説明不要のトワ・エ・モアが昭和45(1970)年に出した1枚なんですが、なんとっ!

A面収録の「愛の泉」には既にブームの去っていたGS歌謡の味わいが濃厚なんですねぇ~♪

作詞&作曲は渡部隆巳とクレジットされていますが、これが最初っからトワ・エ・モアを想定して書かれたのかは、なかなか曖昧な判断しか出来かねるほどです。

極言すれば、タイガースが歌っても全然OKじゃ~ないんですかねぇ~~~。

しかもアレンジやサウンドの作りがブルーコメッツ風になっているのもニクイばかりで、そこにトワ・エ・モアならではのボーカル&ハーモニーが入っているのですから、これが後追いでGSに魅了された皆様であれば、シビレは絶対に止まらないでしょう。

ちなみにバックの演奏には川崎燎(g)、今田勝(key)、猪俣猛(ds) といったバリバリの一流ジャズプレイヤーが参加しているのも特筆物で、B面収録の「今こそ二人は」において、それが全開♪♪~♪

正直、作詞:作詞 芥川澄夫&作曲:山室英美子というクレジットがあるにしろ、楽曲そのものの面白さよりは、 クニ・河内のアレンジと前述した参加セッションミュージシャンの織りなすジャジーなサウンドの妙がサイケおやじにはジャストミートなんですねぇ~♪

中でも川崎燎のギターは素晴らしく、それと絶妙のコラボを演じているアコースティックギターが石川鷹彦というのも納得して、感服です。

それと気になるのが両面曲共に最高のベースを弾いているのが鈴木淳とクレジットされている事で、もしかしたら「有名作曲家の鈴木淳」なんでしょうか??

同姓同名の異人かもしれませんが、そんな妄想を喚起させられるほど、素敵なベースが聴けるのも、このシングル盤の魅力のひとつです。

ということで、トワ・エ・モアは歌謡フォークではありますが、なかなか「深い」レコードや楽曲が多い! と昨今再認識している次第です。

今年は本気で集めようかなぁ~~~。

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洋楽和製カバーの潔さ

2015-01-07 13:42:20 | 歌謡曲

涙が微笑みにかわるまで / 美岐陽子 (CBSソニー)

洋楽の日本語歌詞によるカバーは業界の常套手段であり、ならば所謂パクリとは次元の違う評価があって然るべきだと思うんですが、何故か今日では、それがストレートであるがゆえに軽く扱われているような気がします。

例えば昭和47(1972)年春に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「涙が微笑みにかわるまで」は、フランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」を訳詩:万里村ゆき子&編曲:小杉仁三によって美岐陽子が歌った和製カバーなんですが、ここにひとつ、小川知子がやはり同年秋に出してヒットさせた「若草の頃」があるもんですから、事態はやっかい???

詳しくは件の「若草の頃」をご一読願いたいわけですが、なかにし礼&川口真のヒットメーカーコンビが、どの程度この「涙が微笑みにかわるまで」を意識していたのかは、なかなか興味深いものがあります。

ただし、これは聴いていただければ瞭然なんですが、小川知子がアンニュイなムードを優先させているのに対し、美岐陽子は悲しみをこらえて前向きな表現とでも申しましょうか、はきはきと節回すところが妙に琴線に触れるという仕上がりですからねぇ~~♪

バックの演奏も当時の歌謡曲レコードでは耳に馴染んだお馴染みの面々のサウンドになっていて、特にリズムギターとベース&ドラムスのキレが気持ち良いスタイルは、まさにリアルタイムの素晴らしさですよ♪♪~♪

残念ながらヒットしたとは言い難いわけですが、もしも洋楽カバーの歌謡曲コンピレーションアルバムが企画されるのならば、ぜひとも加えられる資格を有する名作と思っています。

そして言わずもがなではありますが、こっちの方がユーミンの書いた例の「まちぶせ」をダイレクトに想起させてくれますよ。

ということで、今年こそは朗らかにやっていこうという年頭の決意が早くも崩れかけているサイケおやじとしては、それでも前向きの気持ちは失いたくありません。

それを自分に言い聞かせながら、これを聴いているのでした。

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新年気合いの空回り

2015-01-06 15:50:18 | Weblog

本日は年始回りで、ど~にもなりません……。

申し訳なくも、本日の1枚は休載ご理解下さい。

あと、私用PCに妙なウィルスが入ったような!?

突然、ネットが切断されるんですよ。

ウィルスバスターも頑張っているんでしょうが、皆様もご注意下さいませ。

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泣いてもいいじゃないか、友達よ…

2015-01-05 14:33:16 | 歌謡曲

友達よ泣くんじゃない / 森田健作 (RCA)

新年早々、暗い話とは思ったんですが、友人の訃報について、昨日は書かずにいられませんでした。

あまりにも内輪の話ではありますが、故人は地味な人柄に熱血を秘めていたところがあって、特に困っている者を捨て置かないという美徳の持ち主でしたから、なかなか貧乏籤を引かされることが多く、だからこそ軽く見られてはいても、人望がありましたですねぇ……。

それが正反対のサイケおやじと妙にウマがあったのは、やはり故人の度量の大きさであり、それに甘えていたサイケおやじは、昨年秋頃から体調を崩していたという友人の近況を知りながら、入院後も見舞いに行くことが一度もなく、自らの多忙を言い訳にしていた情けなさは悔恨の極みです。

通夜の席上、故人を悪く言う者などは皆無であり、それは社会常識を差し置いても、集った者全ての気持ちであったと思います。

で、掲載した森田健作のシングル盤は、故人がカラオケの十八番にしていた「友達よ泣くんじゃない」をA面に収録した昭和47(1972)年のヒット作なんですが、阿久悠の綴った歌詞も、また鈴木邦彦が書いたソフトロック歌謡がど真ん中という胸キュンメロディも、知っている皆様には言わずもがな、一度聴けば、これこそ故人に相応しいハートウォームな歌であります。

昨夜は帰宅後、久々にこれを取り出して、繰り返し針を落としました。

それが一番の供養とは言うつもりもありませんが、そうせずにはいられなかったのが正直な気持ちです。

もちろん社会に出てから知り合った友でありますし、あまりにも早く逝ってしまったことを思えば、諸行無常という、この世の心理が厳しく染入るのでした。

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絶句…

2015-01-04 15:55:40 | Weblog

新年早々、友人の訃報が……。

本日の1枚は休載、ご理解下さい。

暗い話で申し訳ございません。

皆様もご自愛下さい。

失礼致しました。

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迎春エレキインストの志

2015-01-03 15:58:42 | Rock

春がいっぱい / The Shadows (Columbia / 東芝)

サイケおやじが憧れ、幾ら練習しても決して出来ないのがイギリスのインストバンドでは一番有名なシャドウに在籍のハンク・マーヴィンが十八番のスタイルです。

それはビブラートとエコーが特徴的な澄み切ったギターサウンドであり、神業とも思えるピッキングの魔法は、シャドウズを決して忘れられないグループする源でしょう。

中でも本日掲載のシングル盤A面曲「春がいっぱい / Spring Is Nearly Here」は、その優しい曲メロを存分に活かした、まさに夢見心地の名演として、世界中のリスナーを魅了し、夥しいギタリストがコピーしまくってはトーシロとプロの境界線が明瞭化されてしまう至高の名品♪♪~♪

その思いっきり伸びのあるエレキのリードギターを初めて聴いた昭和42(1967)年のサイケおやじは、てっきりハワイアン等々に用いられているスチールギターかと思い込んでいたほどです。

しかし実際のハンク・マーヴィンのプレイはトレモロアーム付きのフェンダーストラトキャスターであり、アンプはヴォックスだったと言われていますが、エコーマシンについては勉強不足で知る由もありません。

ただし洋楽雑誌に掲載のライブにおける写真を見ると、ステージではバーンズを使っているみたいなので、前述の使用楽器云々については、ここまでとさせていただきます。

ちなみにシャドウズの最初の出発点はクリフ・リチャードのバックバンドの仕事であり、ハンク・マーヴィンと相方のギタリストであるブルース・ウェルチは常にバンドを牽引する中心人物でした。

というか、シャドウズ本隊は公式レコーディグ開始当初から顔ぶれが数次変化していたのですが、このコンビが存続しているかぎり、インストでも歌物でも、シャドウズの「らしさ」はそれほど変わらないと思います。

実際、ブルース・ウェルチが、例えばこの「春がいっぱい / Spring Is Nearly Here」を含めた多くの素敵な曲を書き、ハンク・マーヴィンがそれを柔らかな歌心で表現する時、この名人ギタリストコンビの存在こそが、シャドウズの魅力と感じ入るわけです。

ちなみに「春がいっぱい / Spring Is Nearly Here」の初出は1962年、多分シャドウズ名義としては2作目のLPに収録されたトラックのひとつだったんですが、それがど~して5年後の日本で流行ったのか、サイケおやじには今も謎のひとつになっています。

またレコーディングメンバーについても不明なところがあり、前述のハンク・マーヴィンとブルース・ウェルチの他に同曲の共作者(?)でもあるブライアン・ベネットがドラムスを担当しているであろう事は推察可能なんですが、するとベースはジェット・ハリスかブライアン・ロッキングか? これまた明確な答えを知り得ません。

しかし、それはあんまり関係無いと言えば問題なんでしょうが、とにかくハンク・マーヴィンとブルース・ウェルチが織りなすギターのコラボレーションが泣けてくるストリングスの響きと融合し、ジンワリと聞かせてくれる甘美な世界があれば完全にOKなんですねぇ~、それだけで♪♪~♪

さて、実は今年のサイケおやじが目論んでいる宴会芸にエレキギターを用いた所謂「歌の無い歌謡曲」を想定しているのですが、それは通常、歌ってしまうカラオケにボーカルではなく、自らが弾くギターを合わせよう!

という試みなんですよ、恥ずかしながら!?

そこで久々に様々なエレキインスト盤を出しているうちに、本日の1枚には惚れ直しという次第です。

ということで、シャドウズについては今回、簡単に述べさせていただきましたが、もちろんこんな事て済ませられるようなグループではありませんので、何れはきっちりと思うところを書いてみようと思います。

また独善で試みる「歌の無い歌謡曲」の結果につきましても、後々ご報告させていただきますね。

ど~なりますやら。

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昭和のお正月は洋楽も嬉しかったですねぇ~♪

2015-01-02 15:33:07 | Soul

夜汽車よ! ジョージアへ… / Gladys Knight & the Pips (Buddah / 日本コロムビア)

何故かお正月になると聴きたくなるのが、1973年秋頃から大ヒットした本日掲載のシングル盤A面曲「夜汽車よ! ジョージアへ… / Midnight Train To Georgia」です。

演じているグラディス・ナイト&ザ・ピップスは、紅一点のグラディス・ナイトがリードを歌い、彼女の兄のメラルド・ナイト、そして従兄のウィリアム・ゲストにエドワード・パッテンのトリオがバックコーラスを担当するという黒人ファミリーグループとして、本国アメリカでは1960年頃から売れていたんですが、我が国では知る人ぞ知る存在だったようで、それがこの「夜汽車よ! ジョージアへ… / Midnight Train To Georgia」のメガヒットにより、世界中で大ブレイク!

その大きな魅力は、グラディス・ナイトの絶対的な歌の上手さだと思います。

実は「夜汽車よ! ジョージアへ… / Midnight Train To Georgia」は決してグラディス・ナイト&ザ・ピップスのオリジナルヒットではなく、最初に歌っていたのはホイットニー・ヒューストンの母親としても有名なシシー・ヒューストンだったという逸話は良く知られるところでしょう。

なにしろシシー・ヒューストンはソロシンガーとしても、また夥しいセッションワークにおいても、流石の歌唱力は広く認められるところですからねぇ~。

その実力派の持ち歌を堂々とカバーしてしまうところからして、グラディス・ナイトの自信のほどは否定出来るものではありません。

また、バックコーラスの男性トリオが彼女と相性抜群のコーラスを聞かせ、さらにツボを外さない振付のダンスを見せるところも、なかなかライブステージやテレビ出演の場においてのウリになっていた事も侮れません。

というか、冒頭に述べた正月になると云々の話に関しては、ちょうど昭和49(1974)年の正月番組、あるいは前年大晦日あたりの特別番組のテレビ放送で、サイケおやじは「夜汽車よ! ジョージアへ… / Midnight Train To Georgia」を演じたグラディス・ナイト&ザ・ピップスに接した記憶が強く残っていて、それゆえに所謂パブロフの犬になっているのかもしれません。

実際、凄~くカッコ良かったんですよねぇ~~、それが!?

ということで、今日ではあんまりテレビ放送では企画もされませんが、昭和40~50年代においては外タレのコンサートが海外から中継されたり、特別なテレビショウがそのまんま日本で流されたりという、なかなか音楽ファンには嬉しかったのが年末年始の風物でありました。

もちろん、そうやってヒットした洋楽が記憶されるのも必然だったんですよねぇ~~♪

現代ではネットで簡単に諸外国のミュージシャンの映像に接することが出来る幸せと引き換えに、希少な喜びが失われてしまったのは、どこかしら寂しいものを感じているのでした。

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