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靖国史観のルーツ  へそ曲がり

2006年08月21日 01時09分30秒 | Weblog
 19日(土)の「毎日新聞」の朝刊第2面に興味深い記事がありました。
 ここでは12回にわたって「靖国」というタイトルで連載してきましたが、最終回では「『戦後』からどこへ 」というテーマで、「靖国史観」のルーツを探っています。「改憲論」の目指す方向を知るためにも興味のある記事かと思って紹介します。
 これまでに私が紹介した新聞記事の中でも最も重要な意味を持つものと考えます。長いですが、全文を掲載します。「平泉」という名前に注目して下さい。

      見出し 1 : A級戦犯合祀の源流
      見出し 2 : 今に脈打つ戦前史観

 靖国神社の歴史博物館「遊就館」の1階大展示室中央に陳列されている人間魚雷「回天」。太平洋戦争末期、「海の特攻隊」に使われ、100人余の若い兵士の命を奪った旧海軍出身の松平永芳元宮司が入手した同館の呼び物の1つだ。
「回天」を発案した黒木博司海軍少佐は、皇国史観を主唱した東京帝大文学部国史学科の「 平泉 澄(きよし)」教授に心酔していた。
 平泉氏は黒木氏を激励し、人間魚雷案が軍上層部に採用されるよう宮中にも働きかけた。
 
 松平氏もまた平泉氏を師と仰ぐ1人だった。敗戦後、長く務めた筑波藤麿元宮司が78年3月に急逝。後任を探していた靖国神社総代の村上勇・日本遺族会会長(当時、元建設相)は同年6月4日、福井県勝山市の生家、白山神社で宮司になっていた平泉氏に、松平氏の宮司就任について相談している。内定したのは同月末だった。
 
 福井藩主の血筋の松平氏は、海軍機関学校受験前の1年間、平泉氏宅に寄宿し、「他の方々には感ぜられない畏敬の念」を抱いていた。戦後、郷里の師を訪ねる時は、いつも駅から神社まで5キロの道を「神に歩みに行く厳粛さ」(親類の話)で歩き通した。15畳敷きの社務所1階応接間には、松平慶民元宮内相(永芳氏の父)の「忠義塡骨髄」という書が掲げられ、はかま姿の平泉氏とスーツを着た松平氏が机をはさみ、背筋を伸ばして差し向かいに正座したという。
 
 松平宮司は就任間もない78年10月、宮中や世論に配慮して10年近く「宮司預かり」になっていたA級戦犯合祀を決行した。85年に東京・神田錦町の学士会館で行われた戦後教育批判の会合で「生涯で意義あると自負できるのはA級戦犯合祀だ。現行憲法否定を願うが、その前に極東軍事裁判の根源をたたいてしまおうという意図の下に合祀した」と個人的な思想確信に基づく行動だったことを明かしている。

 師の平泉氏も合祀の10年以上前、その必要性を説いていた。田村元・元衆院議長が父親の旧制高校時代の親友だった平泉氏を白山神社に訪ねた時のこと。平泉氏は「戦犯というものは存在しない。国に尽くした人たちの戦死に準じる絞首刑だ」と主張。「東京裁判は認められないが、戦犯といわれる人たちは無謀な戦争をやった」と反発する田村氏に、「日本の国体をもっと勉強しなさい」と答えたという。

 「遊就館」の戦史パネルを書いた元防衛研究所戦史部主任研究官の永江太郎氏(69)も平泉史学を継承する「日本学協会」常務理事。A級戦犯合祀や独特の歴史展示など靖国問題の源流は、平泉氏の思想にあると言える。

 平泉氏は戦時中、皇族や政治家、軍人らと交わり、東条英機、近衛文麿両首相の相談に乗るなど戦争政策に深くかかわった。農民史を卒論に書こうとした学生に「豚に歴史がありますか」と反問し、学徒出陣の最終講義では短刀を抜いて和歌を詠み「永久にお別れです」と宣言したという。
 敗戦で大学を辞職したが、ほどなく言論活動を再開している。
「現行のマッカーサー憲法なるものは外国の暴力による強制であり、日本国の憲法とすることは恥ずべきこと。何よりも先に顔を洗ってつばの汚れを去るべきだ」。 54年、岸信介元首相が会長の自由党憲法調査会に招かれ、激烈に自主憲法制定を主張。68年1月17日にも岸氏と「重要なる会談」をした。翌年、自主憲法制定国民会議(岸会長)が発足している。

 東大を去った平泉門下生の何人かは、文部省で教科書検定や学習指導要領の作成を担当。80年代に始まった歴史教科書問題と靖国問題は、表裏の関係にある。その間、経済はバブル景気と「失われた15年」で激動し、国民的な歴史認識の熟成はなおざりにされた。

 岸氏の孫で次期首相最有力の安倍晋三官房長官は、靖国問題や東京裁判で詳細な持論を展開し、憲法や教育基本法の改正に意欲を燃やす。直接のつながりはないが、その論理は平泉史観と驚くほど似ている。


   お願い
 常連投稿家の「文科系」さん、「落石」さん、「守る」さん、ぜひ「平泉史学=皇国史観」なるものを調べて下さい。そうするとその論理が「某」氏と“驚くほど似ている”ことに気づかれると思います。「大日本帝国」の亡霊がいまでもさまよっています。

  
コメント (10)
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