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戦後日本へのアメリカの罪? へそ曲がり

2006年08月27日 22時42分53秒 | Weblog
興味深い新聞記事です。

        見出し 1 : 靖国神社が削除合意
        見出し 2 : 遊就館展示の米国批判部分
        見出し 3 : 英紙報道

【ロンドン=岡崎衆史】
 英フィナンシャル・タイムズ紙25日付は、靖国神社当局者が同神社の軍事博物館、遊就館展示の対米開戦に至る経緯で米国を批判した部分の削除に合意し、さらに展示内容の変更を協議していると報じました。外国からの圧力が背景にあるとしています。
 記事は英国版では、「米国批判の戦争展示を削除」と題して国際面に掲載され、靖国神社が遊就館展示の変更について自衛隊顧問の保守的歴史学者と会合を予定していると報道しました。
 同紙は、削除されるのは、「日本を故意に第二次大戦に追い込んだと米国を批判した展示」だと紹介しました。ただし、「中国や東南アジアへの日本による侵略についてのより議論が多い展示については変更されそうにない」と指摘しています。
 報道は、遊就館の今回の展示変更の動きについて、「外国からの圧力に敏感であることを示している」と分析しました。
 報道は、遊就館は「2002年に改装されたときに、多くの人々が日本の歴史の書き換えだと考える史観を反映したものになった」とし、「有罪判決を受けた戦争犯罪者を含む戦死者を祭った靖国神社に隣接している」と述べています。

 これまで、“「大東亜戦争」を引き起こした責任はアメリカにある”と叫んで来た「遊就館」が今後どんな展示をするか、また、それが「改憲論者」の主張にどんな影響を与えるか、関心を寄せるところです。

 これも、「戦後日本へのアメリカの罪」に入るのでしょうか?
コメント (16)
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調査の怪! 3  へそ曲がり

2006年08月27日 17時00分37秒 | Weblog
 公開審査の当日になりました。呼ばれるまで「控え室」でたった1人、いい気分ではありません。

 やがて、係りが呼びに来ました。緊張感が高まります。いったい相手はどんな戦法で出て来るのか、不安もあります。なにしろ「守る会」側の第1号証人です。

 入り口の扉が開けられ、中に入りました。左側に傍聴席が見えます。傍聴席の前の方には事業所の上層部や各現場の所属長がずらりと並んでいます。その真ん中に労働組合の本部役員が何人か座っています。“何ということか?”が第一印象です。支援する側の人たちはずっと後ろの方です。

 正面の証言席に着き、形どおりの「宣誓書」の読み上げが終わった後、尋問が始まりました。

 初めは「守る会」側の代理人や弁護士からの質問です。不安は全くありません。前もって打ち合わせがしてあるのですが、「事実」をありのまま証言出来るよう、質問もそのように配慮されているからです。こうして、兄の結婚式への参加や私の結婚式・新婚旅行などが全て「病欠」扱いにされたことなどを証言することが出来ました。申請したにもかかわらず「拒否」されたことも証言しました。当時の「出勤簿」も証拠品として出されています。“中を改めさせて欲しい”と要請しました。そのままになっていたので問題ありません。

 続いて、「事業所」側の弁護士からの反対尋問が始まりました。いわゆる「敵性尋問」と言われているものです。1人の主任弁護士と2人の事業所側の代表です。みんなにこにこ笑っています。自信があるような気配です。

 主任弁護士が立ち上がって私に言いました。
 “でもねえ、〇〇さん、べつに「年休」を取らなくても、「病欠」でも良かったんじゃあありませんか?実害がなかったのでしょう”、と。
 すかさず答えました。“おかしいのではありませんか?いったい「年休」にするのか、それとも「病欠」にするのか、それを決める「権限」は誰にあると考えてみえるのですか?”、と。
 その瞬間、3人の顔色が変わりました。まさか、こんな反論を受けるとは思いもよらなかったというような・・・。主任弁護士はあっけにとられたような顔付きで立ち尽くしたままでした。
 委員長が残った2人に尋ねました。“後はありませんか?”、と。2人とも座ったまま“ありません”と言いました。たったこれだけの「尋問」でした。
 証言の終わりが告げられ、席を立った瞬間、傍聴席の後ろの方から大きな拍手が沸き上がったことを、まだ昨日のように覚えています。

 その後、何回かの審査がありましたが、出てくる証人の「事実」には敵う筈がありません。誰の目から見ても「事業所」側の敗北が明らかになったところへ「労働組合本部」が「仲介」と称して入って来ました。「守る会」の中では意見が分かれましたが、ここは「組合」の顔も立てようということになり、「和解」が成立しました。「処分撤回」、「現状復帰」という結果になりました。

 長くなりましたが、これが私の体験です。ここからの教訓は、「世論調査」と称するものは、その全てが真実を告げているとは限らないということです。「謀略」もあるということです。出て来た数字についても、それを鵜呑みにするのでなく、質問内容や数字の背景などについて「分析」・「検証」した上で初めて結論がが出される、ということです。
 次回はそのことについて述べたいと思います。

 なお、「特別休暇」についても面白い話があります。

 当時は「年次有給休暇」の制度も認めていないのですから、「特別休暇」もあるはずがありません。
「守る会」に参加していた1人の青年が、自分の結婚に当たって、「特別休暇」を認めるよう、公開審査を請求しました。労働組合からの支援は全くありません。この訴えも「却下」されました。理由は“結婚式や新婚旅行はすでに終わっているから”、とのことです。
 しかし、それでは具合が悪いのでしょう。しばらくして、この制度が認定されました。
 
 その直後です。本人のところへ「労働組合本部青年部」の責任者が訪れました。“この問題を青年部運動の成果として取り上げるよう認めて欲しい”とのことだったそうです。もちろん、本人は拒否しました。これ,本人から直接聞いた話です。
 しかし、その後の組合機関紙には、“青年部『本部』の努力により「結婚休暇」を獲得した!!”との記事が掲載されました。この目で見ています。
コメント (3)
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戦後日本へのアメリカの罪は幾つあげられますか(保守系)

2006年08月27日 04時34分55秒 | Weblog
戦後のアメリカの日本への罪は、いずれ語りますが、しかしざっと考えると、日本自身もまたこの1990年代からの時代への反省をしなければなりません。
この20年近いこの日本を第二の敗戦という人もいます。
私もそうらしいという感じを持っています。
本格的に日本社会の解体が始まっているような気がします。まさかアメリカ社会のようにはなりませんが、官僚・民間の倫理感が次第に薄くなってきたように思います。かって官僚は国家のあるべき姿を思案しながら、政治家と議論を積み重ねてきたように思います。いわば選良の意識です。国家に殉じてもいいという気構えです。この日本という世界遺産のような美しい(精神の領域でも)日本をどう保存して、いつか世界の安定に羽ばたくのかという心意気ともいうべきものでしょうか。
安倍総理候補が、情報関係を強化したいと言っているようです。
日本版CIAでしょう。外交は情報の量が大切です。
アフリカでも日本よりシナの方が大使館な設置などが、多いと新聞で読みました。
シナはさすがです。
まあこれはともかくとして、あのシナに負けないような、情報網を持ちながら、アメリカ頼りではない、せめてシナには負けないミサイルを開発することも視野に入れることではないでしょうか。
とにかくアメリカの属国ではないのかと、思われている限りは、国際関係の中での名誉ある地位は築ける筈がありません。
占領軍アメリカの置き土産を残した日本への罪を、一度考えませんか。
勿論、日本が何故受け入れてしまったのかも、検証しないといけないでしょうが・・。
コメント (3)
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