さて、二人が歴史を見ていく理念とはどんなものでしょうか。
保守系さんはこう言いますね。
「絶対かつ崇高な精神の力が多少とも宿るのは、長き歴史の試練の中で鍛え上げられた国民の伝統精神の中にあると考えるのが、良識というものです。そのことが確認されていたら、民主主義はもっと国民の主権主義は、中々な健全な政治思想だということになります。」
「それが武士道なるものだと答えていますが・・。武士道とは、日本古来の自然への畏怖という神道・佛教・儒教が交じり合ったものです。一度、武士道なる本は沢山出ていますからお読み下さいね。あなた飛躍していませんか、民主主義イコール愛し合う関係ですか、普通選挙が始ってからこの国の愚昧さが加速したのではないのですか。貴方も私の自由と規律、個人と集団(公)、競争と格差の関係について何も述べていませんが・・。人権にいたっては、それを真から尊重している国の名前を教えて下さい」
対する僕はこんなように説明したものでした。
「なお、選挙が何を生み出していくかとか、その都度の主権者がどういう欠陥を持ち俗悪であるかとかいうことと関係なく、以下のことは言えるはずです。
『人間1人1人が同じように大切だということ。私が大切ならば、同じように貴方も、彼もみんな大切。同じように自由に幸せを求めていく存在として愛し合おうと。こういう思想ではないか。こういう思想から政治を考えた場合に民主主義政治が現れ、普通選挙が出てきたと、そういうことではないか』
どんな崇高な思想よりも、僕は上の考え方をまず取りますね。というよりも、上記の意味でのヒューマニズムを踏まえない思想は崇高なものとは言えないだろうとね。と、こういうようなヒューマニズムもあるはずですが、貴方はそれに賛成しますか?」
こんな具合に僕は、フランス革命の「自由、平等、博愛」を語り直してみたわけでした。これがアメリカ建国やイギリスの理念になっていき、社会主義思想にも受け継がれて、それを通してまた20世紀には世界中の国々の法制をも変えてきたわけですしね。
さて次に、二人とも当然、自分の理念を現に存在してきたもので、お前のは本当に存在してきたのかと主張しますね。「それを否定するこんなものがあるのに、お前はそれでもその理念を実在するものと言うのか。青二才みたいでおかしいのではないか?」と保守系さんの上記のような、そういう理念の存在を否定する僕への反論の言葉が出て来るわけです。僕も当然、「武士道」とか「神道・佛教・儒教」とかは武士もいなくなったのだし、普通の人々の中に現にあると言えるのかというくらいは一応言うことになりましょう。
この局面で保守系さんがいつも言うことが、以下です。こういう対立物を統一していく努力がそれなりの国には見られるものであって、それがそれなりの国の伝統と習慣という奴だと、こう語るわけです。ただし、それなりの国、日本でのことだよ、戦後の「盥の水を流して、赤子まで」というやりかたで近頃武士道も地に落ちてきたが、と、こういう具合です。だから、あの戦争は総括し直せ、そうすることを通じて日本人よ、この伝統と習慣に自信を持ち直そうと、懸命に叫ぶことになっていく。
保守系さんのこのやりかたを「『対立物の統一』を『実践(伝統や習慣になるように実践していく)として捉える』」と言い換えれば、そういうものとして「この対立した両者が対立し合って否定されるのではなく、対立したままで実在する」と語っているのだということに注意して下さい。面倒なことで恐縮ですが、哲学史ではドイツ古典哲学の頂点ヘーゲルの考え方、次いでその弟子カール・マルクスの考え方が入っています。保守系さん、流石、哲学者・西部邁の弟子だけのことはあるというわけです。
そこで僕も保守系さんと同じ論法を使用することにしましょう。ヒューマニズムは、これを否定する対立物があるからと言って存在しないものだというわけではない。ヒューマニズムはこの対立物とともに現に存在するものであって、この両者の統一こそ世界各国それぞれ様々な段階の実践の中に、それぞれの伝統や習慣としてあるいは法や道徳としても現存してきたもので、それは今なお世界各国の中にどんどん広がり、発展しつつあるとね。
なんのことはない二人の発想法は同じことになるんです。違うのは、こういう発想法の出発点というか核の理念というかに当たるものを、保守系さんは国別に求める以上のことはせず、僕は世界に求めていると、こういうことなんですね。
そこで僕はこう言いたいわけです。国別のこういう理念、哲学は当然あっても良かろうが、国別にこれができるというのならば同じ発想をどうして全ての国を見つつ働かせてはいけないのか。これだけ世界が絡み合ってきたら、そういう伝統と習慣ももう生まれてきてるんじゃないか、と。
そんなわけで保守系さんに言いたいんです。ご自分の理念は存在するけれど、他人の理念は存在しないなんて、安っぽく言ってはご都合主義に過ぎるということね。
今日はこれで一応終えておきます。
ところで皆さん。上記のまとめについて、何でも良いから感想を聞かせてくれませんか。みんながそれぞれ参加してきて欲しいということです。わいわいがやがややりたいもので。
保守系さんはこう言いますね。
「絶対かつ崇高な精神の力が多少とも宿るのは、長き歴史の試練の中で鍛え上げられた国民の伝統精神の中にあると考えるのが、良識というものです。そのことが確認されていたら、民主主義はもっと国民の主権主義は、中々な健全な政治思想だということになります。」
「それが武士道なるものだと答えていますが・・。武士道とは、日本古来の自然への畏怖という神道・佛教・儒教が交じり合ったものです。一度、武士道なる本は沢山出ていますからお読み下さいね。あなた飛躍していませんか、民主主義イコール愛し合う関係ですか、普通選挙が始ってからこの国の愚昧さが加速したのではないのですか。貴方も私の自由と規律、個人と集団(公)、競争と格差の関係について何も述べていませんが・・。人権にいたっては、それを真から尊重している国の名前を教えて下さい」
対する僕はこんなように説明したものでした。
「なお、選挙が何を生み出していくかとか、その都度の主権者がどういう欠陥を持ち俗悪であるかとかいうことと関係なく、以下のことは言えるはずです。
『人間1人1人が同じように大切だということ。私が大切ならば、同じように貴方も、彼もみんな大切。同じように自由に幸せを求めていく存在として愛し合おうと。こういう思想ではないか。こういう思想から政治を考えた場合に民主主義政治が現れ、普通選挙が出てきたと、そういうことではないか』
どんな崇高な思想よりも、僕は上の考え方をまず取りますね。というよりも、上記の意味でのヒューマニズムを踏まえない思想は崇高なものとは言えないだろうとね。と、こういうようなヒューマニズムもあるはずですが、貴方はそれに賛成しますか?」
こんな具合に僕は、フランス革命の「自由、平等、博愛」を語り直してみたわけでした。これがアメリカ建国やイギリスの理念になっていき、社会主義思想にも受け継がれて、それを通してまた20世紀には世界中の国々の法制をも変えてきたわけですしね。
さて次に、二人とも当然、自分の理念を現に存在してきたもので、お前のは本当に存在してきたのかと主張しますね。「それを否定するこんなものがあるのに、お前はそれでもその理念を実在するものと言うのか。青二才みたいでおかしいのではないか?」と保守系さんの上記のような、そういう理念の存在を否定する僕への反論の言葉が出て来るわけです。僕も当然、「武士道」とか「神道・佛教・儒教」とかは武士もいなくなったのだし、普通の人々の中に現にあると言えるのかというくらいは一応言うことになりましょう。
この局面で保守系さんがいつも言うことが、以下です。こういう対立物を統一していく努力がそれなりの国には見られるものであって、それがそれなりの国の伝統と習慣という奴だと、こう語るわけです。ただし、それなりの国、日本でのことだよ、戦後の「盥の水を流して、赤子まで」というやりかたで近頃武士道も地に落ちてきたが、と、こういう具合です。だから、あの戦争は総括し直せ、そうすることを通じて日本人よ、この伝統と習慣に自信を持ち直そうと、懸命に叫ぶことになっていく。
保守系さんのこのやりかたを「『対立物の統一』を『実践(伝統や習慣になるように実践していく)として捉える』」と言い換えれば、そういうものとして「この対立した両者が対立し合って否定されるのではなく、対立したままで実在する」と語っているのだということに注意して下さい。面倒なことで恐縮ですが、哲学史ではドイツ古典哲学の頂点ヘーゲルの考え方、次いでその弟子カール・マルクスの考え方が入っています。保守系さん、流石、哲学者・西部邁の弟子だけのことはあるというわけです。
そこで僕も保守系さんと同じ論法を使用することにしましょう。ヒューマニズムは、これを否定する対立物があるからと言って存在しないものだというわけではない。ヒューマニズムはこの対立物とともに現に存在するものであって、この両者の統一こそ世界各国それぞれ様々な段階の実践の中に、それぞれの伝統や習慣としてあるいは法や道徳としても現存してきたもので、それは今なお世界各国の中にどんどん広がり、発展しつつあるとね。
なんのことはない二人の発想法は同じことになるんです。違うのは、こういう発想法の出発点というか核の理念というかに当たるものを、保守系さんは国別に求める以上のことはせず、僕は世界に求めていると、こういうことなんですね。
そこで僕はこう言いたいわけです。国別のこういう理念、哲学は当然あっても良かろうが、国別にこれができるというのならば同じ発想をどうして全ての国を見つつ働かせてはいけないのか。これだけ世界が絡み合ってきたら、そういう伝統と習慣ももう生まれてきてるんじゃないか、と。
そんなわけで保守系さんに言いたいんです。ご自分の理念は存在するけれど、他人の理念は存在しないなんて、安っぽく言ってはご都合主義に過ぎるということね。
今日はこれで一応終えておきます。
ところで皆さん。上記のまとめについて、何でも良いから感想を聞かせてくれませんか。みんながそれぞれ参加してきて欲しいということです。わいわいがやがややりたいもので。