太平洋戦争末期の1944年3月から6月まで、戦史上最も無謀でばかげた作戦と評される戦いが、ビルマとインドの間で行われました。
ビルマから、日本軍が川幅600メートルのチンドンウィン河を渡り、2000メートル級の急峻な山々が連なるアラカン山系を越えて、インド北東部の都市インパールを占領する「インパール作戦」です。
この作戦は最初から失敗するのが明らかでした。太平洋各地で敗北を重ねる日本軍に、インドへ侵攻する余力はありませんでした。ビルマと日本を結ぶ海上ルートはすでにアメリカ軍の攻撃で寸断されていました。武器弾薬、医薬品の不足が深刻になっていました。武器の性能も、イギリス軍が日本軍を上回っていました。
太平洋戦争開始当初、イギリスの植民地支配からの解放を掲げ、ビルマの民衆から解放者として歓迎された日本軍は、このころイギリスと同じ侵略者であると、憎しみを買う存在になっていました。反日蜂起の徴候が出ていました。このような中で、戦局打開の切り札としてインパール作戦が強行されました。
日本軍の侵攻に備えて、イギリス軍は輸送機を動員して、空から大量の軍事物をインパール周辺の基地に送り、準備万端の体勢で望みました。対する日本軍は「ジンギスカン戦法」と称して、ビルマで徴発=略奪した数万頭の水牛に物資を積んで進軍しました。水牛は歩く食料になる、どうだ頭いいだろう、とこの作戦を強引に進めた日本陸軍第15軍司令官牟田口廉也は豪語しました。牟田口司令官は、またこうもうそぶきました。
「食料はイギリス軍からもらえ。奴らは空に向けて一発ぶっ放せば、物資を捨てて逃亡する臆病者に決まっている」
戦いの結果は、無残とか悲惨といった月並みな言葉では表現できないものでした。空と陸が一体となったイギリス軍の圧倒的な火力は、水牛に積んだ物資のほとんどを失った日本軍を粉砕しました。まもなく始まった雨期の豪雨は、補給を不可能にしました。そして飢餓と伝染病の蔓延が日本軍の将兵を死に追いやりました。一日の食事は乾パン一個、中には米粒一つというのもありました。これに耐えきれず、日本軍は撤退を始めました。飢えと病で日本軍の傷兵は次々に死んでいきました。撤退する道は白骨化したり、腐乱したりした死体がとぎれる事無く続きました。骨と皮ばかりに痩せこけた日本軍の兵士が幽霊の群れのように歩く道は、「白骨街道」と呼ばれるようになりました。
飢えのあまり、腐乱死体にたかるウジ虫さえ食べたというこの悪夢の撤退戦に参加した京都の陸軍第15師団の将兵が証言する番組が、NHKBSで放送されます。
NHKBS hi
証言記録 兵士たちの戦争「インパール作戦 補給なき戦いに散った若者たち」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=501&date=2009-0725&ch=10&eid=1116
放送日 7月25日(土)放送時間 午前8:00~午前8:45
坂井貴司
ビルマから、日本軍が川幅600メートルのチンドンウィン河を渡り、2000メートル級の急峻な山々が連なるアラカン山系を越えて、インド北東部の都市インパールを占領する「インパール作戦」です。
この作戦は最初から失敗するのが明らかでした。太平洋各地で敗北を重ねる日本軍に、インドへ侵攻する余力はありませんでした。ビルマと日本を結ぶ海上ルートはすでにアメリカ軍の攻撃で寸断されていました。武器弾薬、医薬品の不足が深刻になっていました。武器の性能も、イギリス軍が日本軍を上回っていました。
太平洋戦争開始当初、イギリスの植民地支配からの解放を掲げ、ビルマの民衆から解放者として歓迎された日本軍は、このころイギリスと同じ侵略者であると、憎しみを買う存在になっていました。反日蜂起の徴候が出ていました。このような中で、戦局打開の切り札としてインパール作戦が強行されました。
日本軍の侵攻に備えて、イギリス軍は輸送機を動員して、空から大量の軍事物をインパール周辺の基地に送り、準備万端の体勢で望みました。対する日本軍は「ジンギスカン戦法」と称して、ビルマで徴発=略奪した数万頭の水牛に物資を積んで進軍しました。水牛は歩く食料になる、どうだ頭いいだろう、とこの作戦を強引に進めた日本陸軍第15軍司令官牟田口廉也は豪語しました。牟田口司令官は、またこうもうそぶきました。
「食料はイギリス軍からもらえ。奴らは空に向けて一発ぶっ放せば、物資を捨てて逃亡する臆病者に決まっている」
戦いの結果は、無残とか悲惨といった月並みな言葉では表現できないものでした。空と陸が一体となったイギリス軍の圧倒的な火力は、水牛に積んだ物資のほとんどを失った日本軍を粉砕しました。まもなく始まった雨期の豪雨は、補給を不可能にしました。そして飢餓と伝染病の蔓延が日本軍の将兵を死に追いやりました。一日の食事は乾パン一個、中には米粒一つというのもありました。これに耐えきれず、日本軍は撤退を始めました。飢えと病で日本軍の傷兵は次々に死んでいきました。撤退する道は白骨化したり、腐乱したりした死体がとぎれる事無く続きました。骨と皮ばかりに痩せこけた日本軍の兵士が幽霊の群れのように歩く道は、「白骨街道」と呼ばれるようになりました。
飢えのあまり、腐乱死体にたかるウジ虫さえ食べたというこの悪夢の撤退戦に参加した京都の陸軍第15師団の将兵が証言する番組が、NHKBSで放送されます。
NHKBS hi
証言記録 兵士たちの戦争「インパール作戦 補給なき戦いに散った若者たち」
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=501&date=2009-0725&ch=10&eid=1116
放送日 7月25日(土)放送時間 午前8:00~午前8:45
坂井貴司