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こんな事も、政権が変われば?  ネット虫

2009年07月26日 20時39分57秒 | Weblog
★下の記事のような女性差別撤廃の国際評価も政権が変われば解決するのではと期待するのですが。

【国連委:女性差別撤廃で日本の対応非難】

 国連の女性差別撤廃委員会で23日、日本の女性差別撤廃の現状に関する08年4月の政府報告書に対する審査が行われ、厳しい意見が相次いだ。委員(11人)が、政府代表団(代表・南野知恵子元法相)に質問した。

 日本は85年に女性差別撤廃条約を批准しているが、条約の効力を高めるため、被害を受けた個人や団体が国連の委員会に通報できる制度などを盛り込んだ「選択議定書」(99年に国連総会で採択、97カ国が批准済み)は批准しておらず、国際社会から批判が集まっている。

 日本側は05年に男女共同参画社会基本法に基づく基本計画を作成し、20年末までにあらゆる分野で指導的地位をしめる女性の割合を30%にするなどの数値目標を設定していることなどを説明。議定書批准については「検討中」と繰り返した。

 委員側からは、条約に合わせた国内法の整備状況が遅いなどの厳しい意見があった。8月後半に、日本への勧告を含む委員会の最終見解が出る。

 日本から女性差別に取り組むNGOのメンバー84人が審査を傍聴。代表世話人の山下泰子さんは「政府側は何度も同じ答えを繰り返し、はがゆい思いがした」と不満を語った。

    毎日新聞ニューヨーク小倉特派員 2009年7月24日 11時50分

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社会保障制度を守るのは誰?     落石

2009年07月26日 16時18分25秒 | Weblog


規制緩和というキャッチフレーズに惑わされて、
働く人の権利がどんどん奪われてしまった。
「ヤミ専従」などというコトバが
白昼堂々と流通することになってしまった。
社会党の崩壊が大きく影響しているし、
当時のリーダーたちの責任は重大。

どうやって、取り返すのか?
今度の選挙で、どこまで可能か?
自民と民主という選択肢しか与えられていないのだから、
自ずから限界がある。

あの「自民党をぶっつぶす」と叫んだコイズミさんしか
選択肢がないという時代ではない。
まがりなりにも、民主という選択肢がある。

この民主という選択をして、
またコイズミさんのようなことが起らないだろうか?
私は、そこが知りたい。

   

民主も、あまり期待できないのなら、どこに期待したら良いのか?
残るのは共産党と社民党しかしない。
でも、この二人、犬猿のなか、これって、なんとかならないの?
二人とも、消えてなくなっては困るが、
存亡の危機に瀕するくらい惨敗するしかないのだろうか?
危機意識しか行動を変えさせることは出来ないとしたら。
二人に天誅は下るのか?


   


コメント (9)
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ああ聴きたかったサイモン&ガーファンクル、67歳の東京コンサート

2009年07月26日 15時03分38秒 | Weblog
★JANJANで石川雅之氏が
「サイモン&ガーファンクル、67歳の東京コンサート
東京ドームで再び見た「明日に架ける橋」の夢のかけら」
という一文を寄せている。
 私も40数年前彼らの歌声に魅了されたファンの一人だった。あれからも年に数度家族に遠慮しながら深夜にヘッドホーンで聴いている。青春の歌である。
 今回の石川氏の文章に共感し昨夜も久しぶりに彼らの曲に耳を傾けた。
 同年代のファンに彼の感動の一文を紹介したい。(ネット虫)

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4万人と公称された観衆の全員が固唾をのんでその瞬間を待ち構えた。アコースティックなギターの爪弾きが会場全体に響き、1曲目は今回で最後とされるワールドツアーの冠ともなっている「Old riends」。7月11日土曜日、サイモン&ガーファンクルの東京ドームコンサート(招聘:ウドー音楽事務所)は予定を15分遅れての開始だった。

 周囲はほとんどが40代後半から団塊の世代とおぼしき男女、なかには杖をついて席に向かう姿もあった。あの方は、おいくつだったのだろう。東京ドームでの2日間のチケットはほぼ完売に近い捌け方で、15日には日本武道館での追加公演が行われる。

 特筆すべきは、おそらくすべての会場に共通するそうした観客動員のありようである。自分自身は、直前に都合のつかなくなった知人から譲られてのライブだった。それほどの思い入れもなく席につき開演を待っていたせいか、ドーム全体のこれまでほとんど目にしたことのない雰囲気にただ戸惑うばかり。しかし、終わってみれば、実に懐かしい感覚に胸を揺すぶられる時間の重畳となり、大いに楽しむことができた。おそらく、この日参集したほとんどの聴衆がほぼ同様の満足感に浸ったのではなかったか。

 終曲として演奏された「明日に架ける橋」が世界を席巻したのは40年前の1970年。日本は大阪万博一色の年だった。東大安田講堂事件に象徴される年長者たちの学生運動が終息し、彼等とともに世代を超えて共有しはじめた新たな虚無感を、国をあげての祭典騒ぎで紛らす中、アメリカから発せられた若い2人の歌声は、同世代や、それに続く中高生の心を慰撫し、励ました。

 ビートルズが解散し、それを愛おしむように最後のアルバム「Let it be」の収録曲がそこかしこで聴こえ、同じ時期、気がつくとカーペンターズの甘い調べがヒットを重ねていた。それとは別の所で、ポール・サイモンの典雅な優しい歌声と、アート・ガーファンクルの「天使の歌声」とも評された清らかな高音とが、まだ希望はあるのだ、とそっと皆の背中を押して、特別な位置を獲得していたように思う。同時期の邦楽は、グループサウンズがすっかり鳴りを潜め、全盛をきわめていたフォークソングが、ニューミュージックと呼称されはじめる前夜だった。並行して、「あの素晴らしい愛をもう一度」が流れていた。

 そうした時代の端の方で無聊をかこっていた1人にとって、サイモン&ガーファンクルの楽曲が愛聴盤の第1になったことは決してなかった。けれども振り返ってみれば、いくつもの曲が、自身の内なる部分の最も柔らかな場所に沁み入るものになっている。
 
 「The Sound Of Silence」の「Hello darkness, my old friend」という、囁きかけるような歌い出しには、いつだって思春期はきっと共感する。いちいちは引用しないが、「冬の散歩道(A Hazy Shade Of Winter)」や「ボクサー」なども同様だ。ポール・サイモンの織りなす言葉の連なりは、アート・ガーファンクルとともに響かせる包み込むような調べにのって、ある意味、太宰治がいつの世でも若さを引き寄せつづけているものとよく似た共振をもたらすものだったのかも知れない。マイク・ニコルズ監督の「卒業」のダスティン・ホフマン、キャサリン・ロスとの切っても切れない関係性も大きく影響しているだろう。

 だから、こんなにも切なく懐しいんだ。2時間に及ぶコンサートの最中、ずっとそんな風に考え、陶然とした気分で揺らいでいた。

 あの頃から、40年。時代の姿は、予想だにしなったものに変貌した。希望とか夢とかの言葉が、いつからだったろう、表通りから退場して既に久しい。サイモン&ガーファンクルに激励され、誰もがそれぞれの場所を「卒業」し、洋々たる前途の中でアメリカが範を示してくれた幸福をみんなでこの手にしているはずだったのに。そう思いこんだあの頃は、はかなくも遠い彼方だ。

 予想図通りの人生を駆け抜けた人も中にはいるだろう。振り返って、あぁいい人生だったと思う人の方が実は大多数なのかも知れない。しかし、だとしても、後悔のない人生などあり得ない。欠けているものが確かにある。サイモン&ガーファンクルの抱擁力溢れ深い懐かしさを湛えたデュオは、そのことを気づかせ、その上で、ふたたび慰め、励ます魅力に満ちていた。

 コンサートを「70歳になった自分を思い描くことなど出来ない」(「Old riends」)という若い頃の歌詞でスタートさせた2人も、いまや67歳。老いてしまったことは、もはや隠しようもなかった。それでも、追加公演も含めて6回の公演で20万人を超える聴衆を集め、そのすべてに遠い夢のかけらを呼び戻させることになるであろう魅力の健在ぶりに、ブラボーの喝采を送らずにはいられなかった。
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