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グランパス・鹿島戦、友人とのやりとり  文科系

2009年07月02日 14時50分08秒 | スポーツ
友【 明日の鹿島戦が見物です。負けるかもしれないけど内容さえ良ければ、期待できます。】

僕【 確かに今日の鹿島戦は楽しみです。ただし、強敵相手に本来の攻撃的守備が復活すればの話と思います。
今まで通りなら、ダビが誰か2人ぐらいに食いつかれて、玉田、マギヌン(は出られない?)もフィットが今一歩、DFラインもずるずると下げられて2ボランチはタックルも出せずと、最近の姿がそんなに変わるとは僕には思えないんです。辛うじて小川に良いボールが入ったときを期待したいと思います。でも彼には小笠原・青木が密着するだろうし、相対的な力の差は歴然。
選手たちの「この戦いこそ、最後の希望がみえるか?」という気持、モチベーションに期待したいと思います。】

友【 さすがのこの点差には実力の差、グランパスの今の力を思い知りました、予想されたとおりですね、残念です。】

僕【 こうなると心配は次のこと。ケネディが加わってチームコンセプトがどうなるのか。ドイツにいた選手だから規律は守って一定防御もするだろうが、ダビと一緒にスリートップでは敵ボールが奪えないから、去年の「ヨンセン+玉田型」が良いと思う。ダビはベンチで後半20分に出す。そうなると心配はケネディの走力だ。ヨンセンぐらいは走ってもらわないとね。
でも、選手の監督への信頼がもう失われているとしたら、何をやってもだめだよね。戦術上の説得力がなくなっているということだからね。悲しいけれど。新潟の鈴木、川崎の関塚あたりのほうがよほど説得力があるのではないかな。昔のグラに戻ったということ。】

さて、ここからは僕の観測。
ダビはやめることになるでしょう。後半20分だけ出場なんて、彼が我慢するわけがない。日本のどこかが引っ張って、そのチームがまた沈没するのでしょうか。こういうタイプは、日本では無理です。ベルディにいたフッキか、あるいは、パルマだったかに中田と一緒にいたアドリアーノみたいなもの。個人のキープ力、得点力、パワーはすごくあるが、チーム概念が欠如した選手ね。日本には合いません。
このタイプで唯一現在でも世界的看板を張っているのが、イタリアはインテルのイブラヒモビッチ。ただしあの選手でも、フッキやアドリアーノほどひどくはないと思いますし、世界1、2の名将モウリーニョが、最低限度の説得力を彼に発揮していないわけはないと思います。
それにしても、モウリーニョは名監督ですね。ポルトガル、イギリスからヨーロッパチャンピオンクラブを作り、今度はイタリアでも同じことを成し遂げるように思います。スペイン2強とイングランド4強を退けてそうなったとしたら、サッカー史上前代未聞の大事件ですよ。その上で今度はスペインへ。多分リアルマドリッドでしょう。バルサは、38歳で監督初体験、初優勝、同時に初ヨーロッパチャンピオンという偉業を成し遂げたガルディオラがいますから。
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時間の創造は宇宙の創造である   落石

2009年07月02日 09時24分07秒 | Weblog
入退院を繰り返す母。だんだん記憶力が弱くなっています。
最近では、自分が転んだことは覚えていますが、
それが昨日だったのか?一昨日だったのか?は定かではありません。
さらに、30分前に、飲んだ薬のことを、もう忘れています。
加齢によって、時間の観念が失われていくのがよく分かります。

  

時間とは、一体、なんなんだろうか?そんな疑問が湧いてから
あちこちの本を読みましたが、今ひとつでした。
そして、出会ったのが、この本。
「時間はどこで生まれるのか」(集英社新書)

物理学の研究者が初心者にむけて書いたもの。
ミクロの世界では、時間も空間もない、
というのが常識だそうです。(ビックリ)
そうした常識?を土台にした時間論です。
本当の初心者には、難しくて、ほとんど理解不能でしたが、
なんとなく気に入った部分もありました。
こんな一節です。

  

時間は、刹那、刹那の生命の意思が作り出すもの。
生命の個体が外部から干渉をうけ、自らの行動を決断する。
その刹那、刹那から、主観的な時間が生まれる。
そうした主観的な時間には、現在しかない。

たしかに、母の話を聞いていると、「いま」が中心。
極端に言えば「今」しかありません。子供と同じ。
さっき言ったことと矛盾していても無頓着。
その時、その時の欲求にしたがっているのです。
これが、生きていることか!と思いました。

本は、もうひとつの時間について、こう説明しています。
この刹那、刹那の意思が「記録」されるようになると、
生命は誕生から死へつながる一連の自己を意識する。
こうして時間も向きや流れが意識される。

子供から大人になるということは、この時間を
身につけていくことにようです。
そして、加齢によって、この記録装置が壊れしまうのでしょう。
社会的な行動に齟齬が生じてきます。

   

しかし、生きているかぎり、「今」を楽しむことは出来るのです。
時間の創造は宇宙の創造である、という著者の言葉に、
納得するものがありました。

では、今を生きるのは、どうしたら良いのでしょう?




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