九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

お葬式セミナー    らくせき

2010年11月04日 16時09分59秒 | Weblog
生協の催しで、お葬式のセミナーに顔を出してみました。
定員20名のところ30名も参加。
関心の高さを肌身に感じました。

家族葬を希望する人が多い感じでした。
事前チエックをするマニュアルも配布され、
なかなか面倒なものだとも・・・

無宗教の場合、どういう形式が良いのか?
なかなか難しいことでもあります。

この点は、まだ葬儀屋さんも
マニュアル化されていないようで
要望しておきました。

1000年以上にわたって続いてきた
仏教式の葬儀に負けない儀式など
簡単にはできませんが・・・
でも・・・というのが感想です。

ポイントは事前に家族でよく話し合っておくこと、
だそうです。
これが一番大切ですって。





コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知多戦跡巡りの報告④  戦没軍人群像     まもる

2010年11月04日 03時56分43秒 | Weblog
                           今回の知多戦跡巡りの最後は戦没軍人群像」の見学です。
 「戦没軍人群像」は海水浴で有名な内海を山側に入り、知多四国霊場43番札所の岩屋寺のちかくの中の院という小さなお寺にあります。この小さなお寺の庭の片隅に100体ものコンクリート製の軍人たちが整然と整列して並んでいます。
 それぞれに表情が違いますが、当時の軍人としての決意と諦念気分が伝わってきます。
 
 群像の兵士たちのほとんどは昭和12年八月上海敵前上陸作戦で全滅した名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士です。凄惨な戦闘で数千人の兵士の遺骨遺品もほとんど戻らなかったといいます。
 そして、全滅した第六連隊の遺族が戦没者の一時金を使って写真を元に造像したのは昭和13年~18年のことです。
 この戦没兵士像の建立を引き受けたのは名古屋の鍋谷上野町にある大日寺隅谷住職でした。
 戦没像は18年には108体数え、戦時中ということもあり多くの人々が参拝したそうです。
 悲しい逸話として、母子家庭の母親が自分の遺骨を息子の像の下に埋めてほしいと嘆願したり。
 像の台座に祖父が孫の文章を記させたそうです。それには「オトウサンボクモオオキクナッタラ、リッパナグンジンニナリマス。オジイサンノイイツケヲヨクマモッテリッパナヒトニナリマス。 チョウナン ハナムラヤスオ」と書かれていました。
   
 そし戦後、進駐軍に像の取り壊しを命じられた際、住職は、
「国のために死ぬ事はアメリカも日本も変わりはなく、あれを日本人の手で壊すことは出来ない。壊すというなら我々をここで銃殺した上で、あなた方が壊せばいいだろう」と言い張り
おかげで像は壊されずに済んだとのことです。
 
 しかし平成七年道路拡張などから、大日寺から移転を余儀なくされた軍人像は、縁のあった知多の中の院に移されることになりました。
 住職の話によると最初はお参りに来る親戚の人もいたが今ではほとんど訪れる人はなくなり
無縁の像になっているそうです。

 忘れられ彷徨う百体の戦没軍人像を前にして言いようのない感慨が胸を締め付けました。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大田昌秀さん講演会のご案内 まもる

2010年11月04日 03時25分28秒 | Weblog
★不戦ネットの仲間からお誘いのメールがとどきました。

11月、沖縄知事選を前に名古屋で大田昌秀さんを招いての講演会があるそうです。
ぜひ、ご参加ください。


◇◇◇大田昌秀さん講演会◇◇◇

   “平和”を問い続ける沖縄  
    ~応答するために~ 
           ●日時・11月14日(日) 午後2時~4時
●場所・名古屋市博物館 講堂
    名古屋市営地下鉄桜通線「桜山」下車、4番出口から徒歩5分
●参加費:1000円

呼びかけ
  NoBase辺野古☆名古屋
  命どぅ宝あいち
  日本聖公会中部教区沖縄プロジェクト
  不戦へのネットワーク
  名古屋YWCA
  東海民衆センター

連絡先:052-731-7517
 メール:husen@jca.apc.org
 名古屋市昭和区鶴舞3-8-10 労働文化センター2階



 昨年、政権に就いた民主党連立政権は、迷走を重ねた挙句、多くの沖縄の人たちの期待を裏切り、
普天間基地の移設先を名護市辺野古沿岸とする「日米合意」を行いました。しかし、1月の名護市市長
選の辺野古への移設反対を上げた市長の誕生、4月には9万人が集まった県民集会、そして、9月の名
護市議選においては移設反対の議員が過半数をしめ、普天間基地の「県内移設」には明確に反対の
声を上げています。
 その声に対する本土の対応はどうでしょう。日米安保条約で米軍基地の存在を容認し、沖縄に基地負
担を押し付け続けています。今こそ問われているのは、私たち自身ではないでしょうか。11月には今後の
基地問題の帰趨を左右する沖縄知事選があります。“平和な島”を希求する沖縄の想いを、大田昌秀氏
からお聞きし、私たちにできることを考えます。多くの方の参加をお待ちしています。




●大田昌秀(おおた・まさひで)氏プロフィール
 元沖縄県知事。前参議院議員。現在大田平和総合研究所主宰
 1925年、沖縄県久米島に生まれる。1945年、沖縄師範学校本科2年在学中に鉄血勤皇師範隊の一員と
 して沖縄守備軍に動員され沖縄戦に参戦、九死に一生を得る。1954年、早稲田大学卒業。その後、ニュ
 ーヨーク州シラキュース大学大学院修了(ジャーナリズム修士号取得)。東京大学新聞研究所で3年間研究。
 1973年、ハワイ大学イースト・ウェストセンターで1年間教授・研究。1979年、フルブライト交換教授としてアリ
 ゾナ州立大学で1年間教授・研究。
 1957年~89年、琉球大学教授、法文学部長。1990年沖縄県知事に就任。2期8年勤めた後、参議院議員と
 して6年勤め、現在は大田平和総合研究所主宰。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする