中日新聞、本日の5面社説は深刻すぎる論調になっています。是非ご覧いただきたいのですが、その触りだけを書いておきます。
『内政も外交も行き詰まり感が深まって無為無策の政治へ国民の不安と不満、憤りが高じています。
戦前日本の破滅の歴史を思わざるを得ません。似ています。
国家財政の危機と民の貧困、外交対立。閉塞状況下、政党は醜い争いに終始して国民の軽蔑するところとなり、政党政治は瓦解。日本はファシズムへ、無謀な戦争へと傾斜していったのでした。(中略)
情けないのは、浅はかな身内を手厳しく叱る政治家が自民にも民主にも見当たらないことです。
政党政治の座標軸が狂っています。こういうときこそ国会が正しく機能すべきなのに、怒鳴り合いと揚げ足取り。与党も野党も非生産的なことこの上ありません』
僕はこの状況について、マスコミにも同じくらい以上の責任があるとここに書いてきた立場ですが、この文章は今の政治現象を上手く書いているとは思います。小泉を天まで持ち上げて弱肉強食社会を作ったり、その反動なのか今度は自民を引きずり下ろして民主政権を作ることになったり、今度はその民主政権を引きずり下ろすことしたり。マスコミ(も官僚)もそれぞれの狙いに程度の差はあれ、こういうことに腐心してきたはずだと、僕は見ています。国民の窮状、絶望感は確かに戦後かって無く大きくなっているのに、そういうものすべてを、責任ある人たちがそっちのけにしてきたとも見ています。それは、マスコミも含めてのこと。
社会正義の代弁者であるべき検察が率先してあのザマだし、裁判所もどうやら彼らと連んでいるらしい。彼らの小沢への執着ぶりは、私利に発していることとしか到底思えないのです。小沢の道徳的善悪はともかく、検察が2回も起訴に失敗した人間をあくまでも社会的に葬り去ろうとしてきた、と。官僚機構の中でも特に特権的な検察を改革しようとすることへの妨害。村木厚子免罪事件の動機も第5検察審査会の胡散臭さも、そこから出ている事は明らかでしょう。
こんなときにこそ、この社説が話を狭めて語っているように日本一国だけではなく世界の破滅が、誰も予期しないうちに、予期しない方向で、急激にやってくる時が多いもの。背景に、先の見えない世界的大恐慌があるのも、戦前と一緒なのです。ヒットラーの登場は電撃的だったと思いますし、近衛内閣から東条内閣へと換わってから12月8日の太平洋戦争開戦までは2ヶ月も経たぬ間のことでした。日米開戦と対米交渉との二者択一では近衛内閣はまだ、後者を継続しようとしていたことも想い出しています。マスコミと世論が、近衛氏ではなく東条をこそ励ましたのではなかったでしょうか。そして、熱狂の祭りが終わってみれば、大の大人が皆、ただ呆然! あの戦争を勝てばすべて良かったのだと語る人がいるとしたら、僕はこう申し上げたい。
「ユダヤ人や朝鮮の方々を歴史的にあれだけ殺してきた政府の世界など、死んでも嫌だ」
今の世界、日本も、こんなことでしょう。国民は生活懸かってみんな必死だし、社会に重い責任のある人たちが自分のことしか考えずこういう国民の目線をそれぞれ己の脇の方にそらそうとだけしている。そんな時にはいつも、その合成力が、後から考えた時誰にとってもとんでもないと見える方向へと社会を持って行ってしまうんですよね。
世界1の財産を形成してきて今なお国を支えている我々、日本の老人たちなのに、孫子にこんな世界、社会しか残してやれぬとは。そして、そういうお仲間が、どんどん無縁死していくとは。返す返すも残念でなりません。
『内政も外交も行き詰まり感が深まって無為無策の政治へ国民の不安と不満、憤りが高じています。
戦前日本の破滅の歴史を思わざるを得ません。似ています。
国家財政の危機と民の貧困、外交対立。閉塞状況下、政党は醜い争いに終始して国民の軽蔑するところとなり、政党政治は瓦解。日本はファシズムへ、無謀な戦争へと傾斜していったのでした。(中略)
情けないのは、浅はかな身内を手厳しく叱る政治家が自民にも民主にも見当たらないことです。
政党政治の座標軸が狂っています。こういうときこそ国会が正しく機能すべきなのに、怒鳴り合いと揚げ足取り。与党も野党も非生産的なことこの上ありません』
僕はこの状況について、マスコミにも同じくらい以上の責任があるとここに書いてきた立場ですが、この文章は今の政治現象を上手く書いているとは思います。小泉を天まで持ち上げて弱肉強食社会を作ったり、その反動なのか今度は自民を引きずり下ろして民主政権を作ることになったり、今度はその民主政権を引きずり下ろすことしたり。マスコミ(も官僚)もそれぞれの狙いに程度の差はあれ、こういうことに腐心してきたはずだと、僕は見ています。国民の窮状、絶望感は確かに戦後かって無く大きくなっているのに、そういうものすべてを、責任ある人たちがそっちのけにしてきたとも見ています。それは、マスコミも含めてのこと。
社会正義の代弁者であるべき検察が率先してあのザマだし、裁判所もどうやら彼らと連んでいるらしい。彼らの小沢への執着ぶりは、私利に発していることとしか到底思えないのです。小沢の道徳的善悪はともかく、検察が2回も起訴に失敗した人間をあくまでも社会的に葬り去ろうとしてきた、と。官僚機構の中でも特に特権的な検察を改革しようとすることへの妨害。村木厚子免罪事件の動機も第5検察審査会の胡散臭さも、そこから出ている事は明らかでしょう。
こんなときにこそ、この社説が話を狭めて語っているように日本一国だけではなく世界の破滅が、誰も予期しないうちに、予期しない方向で、急激にやってくる時が多いもの。背景に、先の見えない世界的大恐慌があるのも、戦前と一緒なのです。ヒットラーの登場は電撃的だったと思いますし、近衛内閣から東条内閣へと換わってから12月8日の太平洋戦争開戦までは2ヶ月も経たぬ間のことでした。日米開戦と対米交渉との二者択一では近衛内閣はまだ、後者を継続しようとしていたことも想い出しています。マスコミと世論が、近衛氏ではなく東条をこそ励ましたのではなかったでしょうか。そして、熱狂の祭りが終わってみれば、大の大人が皆、ただ呆然! あの戦争を勝てばすべて良かったのだと語る人がいるとしたら、僕はこう申し上げたい。
「ユダヤ人や朝鮮の方々を歴史的にあれだけ殺してきた政府の世界など、死んでも嫌だ」
今の世界、日本も、こんなことでしょう。国民は生活懸かってみんな必死だし、社会に重い責任のある人たちが自分のことしか考えずこういう国民の目線をそれぞれ己の脇の方にそらそうとだけしている。そんな時にはいつも、その合成力が、後から考えた時誰にとってもとんでもないと見える方向へと社会を持って行ってしまうんですよね。
世界1の財産を形成してきて今なお国を支えている我々、日本の老人たちなのに、孫子にこんな世界、社会しか残してやれぬとは。そして、そういうお仲間が、どんどん無縁死していくとは。返す返すも残念でなりません。