大西さんからの原稿を転載します。 らくせき
「シニア力役立てたい」(’12.4.12中日新聞)
市仕分け廃止判定鯱城学園に568人入学
「名古屋市が昨年実施した事業仕分けで「廃止」と判定された
高年大学『鯱城学園』の入学式が十一日、中区栄の鯱城ホールであった。
平均年齢六十八歳の新入生を代表し、犬飼忠昭さん(67歳)=北区=が
東日本大震災の被災地支援や地域活性化などに
『シニア力を役立てたい』と決意表明した。
学長の河村たかし市長は式辞で『学生一人当たり十二万円の税金が使われている。
税の使い道として公平か、どう改善したらええか身をもって勉強して』と述べた。」
鯱城学園は60歳以上の高齢者の学習の場として1986年に名古屋市が設立。
園芸、福祉など10の学科があり、学生は年70~90日程度登校し、2年で卒業します。
ところが昨年11月に行なわれた市の事業仕分けで
事業内容は老人クラブなどで賄えるとして「廃止」という結論になりました。
運営を委託する社会福祉協議会との契約が2013年まで残っているため、
当面存続することになっています。
事業仕分けは、河村市長が市の事業のうち不要だと考えるものについて
外部の意見を聞くために行なったもので、
鯱城学園の他、敬老パス(仕分けでは「見直し」の結論)、女性会館など
31の事業について行いました。
進め方は市が依頼した“有識者”が市の担当者に問題を提起し、
そのやりとりを聞いていた市民の代表(20人づつ2班)が
「廃止」「見直し」「存続」を判定し、市の予算編成に反映させるというものです。
公開で行なわれましたが、傍聴していた人の感想では、
市民の判定員からはあまり発言もなく、“有識者”の問題提起に影響された
結論となる場合が多かったということです。
私が疑問に思うのは、例えば鯱城学園の場合、リタイアした人たちの
文化を学ぶ意欲やそのための施設や機会を得ることがどのくらい難しいことか、
“有識者”とされる現役の大学教授が理解しているだろうか。
また敬老パスでも使用している人が70%弱しかいないということが
「見直し」の理由になったということですが、
65歳すぎても車を運転している人が結構多いことや、
地下鉄を利用する場合、階段の昇り降りが苦痛で家人に車の運転を頼んだり、
タクシーを利用している人が敬老パスを使っていない、
つまり敬老パスなどは要らないというのではなく、
使いたくても使えない人がいる一方、
必要な人にとっては必需品になっているということが分っていたのだろうか。
具体的な事情について「知識を有しない人」が
結論を誘導していたのではないかということです。
大阪の橋下市長も設置した市改革プロジェクトチームも
敬老パスや学童保育事業補助金の廃止など30項目以上の見直しを行なっていますが、
河村市長にしても、橋下市長にしても、
市民の税金である市の財政で人々の生活を潤すという観点を
忘れて効率主義に走るのは「改革」ではありません。
大西 五郎
らくせきの蛇足
こうした市民へのサービスが経済的に不要というか、
税金の無駄遣いという効率主義は、じつは経済の発展を
阻害しているのでは、ないでしょうか?
今、高齢者はお金を使わずに、老後の心配から、投資に回しています。
この投資が円高をうみ、円高が雇用を縮小再生産を生み・・・という悪循環。
この高齢者のお金を使わせることが、成熟した日本経済の
活性剤になるという考え方もあるのですが・・・
「シニア力役立てたい」(’12.4.12中日新聞)
市仕分け廃止判定鯱城学園に568人入学
「名古屋市が昨年実施した事業仕分けで「廃止」と判定された
高年大学『鯱城学園』の入学式が十一日、中区栄の鯱城ホールであった。
平均年齢六十八歳の新入生を代表し、犬飼忠昭さん(67歳)=北区=が
東日本大震災の被災地支援や地域活性化などに
『シニア力を役立てたい』と決意表明した。
学長の河村たかし市長は式辞で『学生一人当たり十二万円の税金が使われている。
税の使い道として公平か、どう改善したらええか身をもって勉強して』と述べた。」
鯱城学園は60歳以上の高齢者の学習の場として1986年に名古屋市が設立。
園芸、福祉など10の学科があり、学生は年70~90日程度登校し、2年で卒業します。
ところが昨年11月に行なわれた市の事業仕分けで
事業内容は老人クラブなどで賄えるとして「廃止」という結論になりました。
運営を委託する社会福祉協議会との契約が2013年まで残っているため、
当面存続することになっています。
事業仕分けは、河村市長が市の事業のうち不要だと考えるものについて
外部の意見を聞くために行なったもので、
鯱城学園の他、敬老パス(仕分けでは「見直し」の結論)、女性会館など
31の事業について行いました。
進め方は市が依頼した“有識者”が市の担当者に問題を提起し、
そのやりとりを聞いていた市民の代表(20人づつ2班)が
「廃止」「見直し」「存続」を判定し、市の予算編成に反映させるというものです。
公開で行なわれましたが、傍聴していた人の感想では、
市民の判定員からはあまり発言もなく、“有識者”の問題提起に影響された
結論となる場合が多かったということです。
私が疑問に思うのは、例えば鯱城学園の場合、リタイアした人たちの
文化を学ぶ意欲やそのための施設や機会を得ることがどのくらい難しいことか、
“有識者”とされる現役の大学教授が理解しているだろうか。
また敬老パスでも使用している人が70%弱しかいないということが
「見直し」の理由になったということですが、
65歳すぎても車を運転している人が結構多いことや、
地下鉄を利用する場合、階段の昇り降りが苦痛で家人に車の運転を頼んだり、
タクシーを利用している人が敬老パスを使っていない、
つまり敬老パスなどは要らないというのではなく、
使いたくても使えない人がいる一方、
必要な人にとっては必需品になっているということが分っていたのだろうか。
具体的な事情について「知識を有しない人」が
結論を誘導していたのではないかということです。
大阪の橋下市長も設置した市改革プロジェクトチームも
敬老パスや学童保育事業補助金の廃止など30項目以上の見直しを行なっていますが、
河村市長にしても、橋下市長にしても、
市民の税金である市の財政で人々の生活を潤すという観点を
忘れて効率主義に走るのは「改革」ではありません。
大西 五郎
らくせきの蛇足
こうした市民へのサービスが経済的に不要というか、
税金の無駄遣いという効率主義は、じつは経済の発展を
阻害しているのでは、ないでしょうか?
今、高齢者はお金を使わずに、老後の心配から、投資に回しています。
この投資が円高をうみ、円高が雇用を縮小再生産を生み・・・という悪循環。
この高齢者のお金を使わせることが、成熟した日本経済の
活性剤になるという考え方もあるのですが・・・