このところ耄碌症状の一環として、曜日は判っても何日であるか判らないこと多く、 そこで歴史カレンダーに目をやると、今日は4月6日。
〈130年前の今日、板垣退助が岐阜で暴漢に襲わる〉 とあった。
この時、手当をするために名古屋から二人牽き人力車で駆けつけたのが愛知医学校の校長であった後藤新平。
そして板垣に向って後藤新平が投げかけた最初の言葉は、「ご負傷、ご本望でしょう」。
いまテレビに映っているのは、無謀にも原発の再稼働を策する破廉恥な面の四人。
そこで思い出したのが、私利私欲に走る政官財の輩の妨害で震災復興計画が挫折したとき新平が漏らした言葉。
“ 一にも人、二にも人、あぁ人がほしい ”
後藤新平が来名したのは明治9年、20歳の時であった。
三等医として勤めた愛知医学校は、現在の栄一丁目の天王崎ビル(トーエネック)。碑がひっそりとあるはず。
住まいのあった地は、現在の名駅四丁目(オンワードビル)。明治16年離名した。