九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

         御用学者、健在の委員会         只今

2012年04月19日 16時39分05秒 | Weblog
 ● 二晩で豹変の 『福井県原子力安全専門委員会』

  16日開催の委員会について、新聞はこう報じた。
  「再稼働に批判続出」共同、東京新聞
  「委員長、独自の安全対策を要求」毎日新聞
  「中川委員長は、一次系で事故が発生した時の対応策を明確にすべきと語った」福井新聞 
             ↓
   翌々日の18日、大飯原発を視察。
   「中川委員長は、安全に制御できると大体確認出来た、と語った」朝日新聞
   「中川委員長は、焦点の一つだった免震事務棟建設までの代替についても、
   中央制御室横の会議室は耐震性が高く待機スペースも確保できる、とした」福井新聞 
              ★
   委員会の委員は12人。
   16日の出席者7人。18日の視察委員6人。うち3人は、関電からの寄付受領者。

   ということは、この3人は会議ではダンマリで通し、視察後、委員長に圧力かけたのか? 或いはグルか?


  ● あぁ言えば、こう言う 『原子力安全・保安院』深野院長 

   『国会・事故調査委員会』に参考人として出席した深野院長の、のらりくらり答弁は、
   「テレ朝」の〈モーニングバード〉が紹介。
    この番組は昨日、「2万5千トンの木くずを火力発電所で燃料として使ってほしいとの
   福島県木材協同組合連合会の要請を東電は拒否」と報じた。

     この委員会の全篇は、
    【国会事故調チャンネル USTREAM】で観ることができます。
         
コメント (2)
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新聞の片隅に載ったニュースから(10)   大西五郎

2012年04月19日 13時22分18秒 | Weblog
大西さんの「新聞の片隅に載ったニュースから(10)」です。らくせき

裁判記録紛失 盗難届を提出 横浜地裁(’12.4.17毎日新聞)

「横浜地裁が強盗殺人事件公判のやり取りを録音した
DVDや裁判記録のコピーを紛失した問題で、
地裁が神奈川県警加賀町署に盗難届を提出したことが16日分かった。
同署は窃盗容疑で捜査を始めている。関係者や地裁によると、
裁判員裁判で3月に行なわれた公判の被告人質問や証人尋問の録音を文字化するため、
作業を民間業者に依頼。
同月8日、音声を記録したDVDと起訴状や冒頭陳述、証拠書類などのコピーを
鍵付きナイロン袋に入れ宅配便で送付した。
しかし、翌9日に業者に届いた際は、鍵がかかっておらず中身が空だったという。
地裁は4月9日に盗難届を提出した。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   
 かつて裁判所の公判では証言台の前に速記官が座っていて
タイプで証言を記録していたことを知っている私はこのニュースを読んで驚きました。
裁判は公開で行なわれるのが原則ですから、
証言を記録したDVDを第三者に委託して文字化するのは
法律上問題はないと思いますが、
コピーとはいえ証拠書類を裁判所職員が直接持って行くのではなくて、
宅配便で送るということに、重要書類の保全が守られているのか、不安を覚えました。

 知り合いの元速記官に聞いてみたところ、全国の裁判所で十数年前から
速記官の採用と養成をやめて、録音の文字化を外注するようになったそうです。
一部定年前で裁判所にのこっている速記官もいるそうですが、
経費の節減のためだそうです。
文字化の仕事を請け負っているのは多くは元速記官で定年退職した人たちが
組織を作って受注し、裁判所の中に部屋を借りて作業していたそうですが、
今は独立した事務所を持っているそうです

 元速記官の人の話では、証言の中に業界用語が出てきたり、
初めてきく言葉もありますが、証言者の口の動き見ていると、
言葉の正確な意味が分かるそうです(読唇術のようなもの)。
また速記官の人は公判の前に記録に目を通しておくなど、努力をしていたそうです。
「同音異義」という言葉があるように、録音だけだと
正確な記録にならない恐れもあるそうです。

 経費節減も削るところをどうも間違えているようですね。
政党助成金など削るべきものは一杯あるのに。
そこで、元速記官の人たちや裁判所の書記官、一部弁護士も加わって、
正確な公判記録を残すために速記官を復活するよう
裁判所や国会に要請する運動も行なわれているそうです。
この運動を応援したいですね。
                                       大西 五郎

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小説  母の『音楽』(後編)   文科系 

2012年04月19日 08時56分07秒 | 文芸作品
 「あなたも、『生きなきゃー』の口で、「鑑賞よりも表現』の人ね。だから『可愛さ余って、憎さ百倍』は他人事じゃないわよ。どうせ直ぐに弾けなくなるんだから」
 〈お連れあいさんも、後になってそう言ってたな〉。腕や胸など汗まみれの体を休めながら今、そんなことを思い出している。
 「大聖堂」の例の難しい一カ所をかっきり五十回。正の字を打ちながら繰り返し終えたばかりだ。機械的な反復練習ではやっと、薬指上下につれて小指がほとんど動かなくなってきた。この厄介な癖の修正にあれこれと燃え始めて二週間、ようやく五五近くの速さになり、ちょっと先が見えたような気分になった頃のことだ。
 〈そういえば、俺も去年危機のようなことがあったなー。憎さ百倍にはならなかったのは、間違いなく母さんのお陰だ〉
去年のある舞台で立ち往生したときのことを思い出す。こんな調子だった。
 出だしの三段目ほどで止まってしまった。頭は真っ白で、次が思い出せない。仕方ないから、冒頭からまたやり直す。すると今度は、三ページ楽譜の二枚目終わりほどで止まってしまった。どれくらいだったか空白の時間があってから、思いついて目の前の楽譜を引き寄せ、間違い箇所を確認して、再開した。丁度練習で躓いたときのように。表情も態度も変えなかったはずだが、冷や汗たらたら、心臓は早鐘、もう大変な思いをした。好きで折を見ては二年以上も弾き続けてきた「ソルのエチュード作品六の十一番」。僕には難しすぎるが、いまならもう何とかなると思って臨んだのに。今までに指が震えてほとんど弾けていないということは何回かあったが、中断は初めてだった。それも二回も。そしてこの挫折の印象が、以降一週間ほどの間にどんどん大きくなっていった。僕の「老い」が膨らんでいくばかりだったのだ。
 そんな経験から間もなく、舞台で弾くことはもう諦めようと決めた。ところがこの決心、僕の練習態度に何の変化も与えなかったのである。それから間もなく手をつけたこの曲、「大聖堂」が毎日弾きたくなった。分散和音の中から最高音の清らかな旋律を響かせる第一楽章。荘重な和音連続を思いっきり鳴り渡らせる二楽章。そしてこの第三楽章は「最速アルペジオとスケールの中から、低音・高音の旋律、副旋律をメリハリつけて自由に鳴らせられれば、痛快・面白さこの上なし」といった趣き。気に入った曲だけを選んで先ず暗譜してから弾き込みレッスンに励む僕にとっては、なかでもことさら揺さぶられる曲。完成するまで一年でもやってやろうと、そのエネルギーは自分事ながらいぶかしいほどだった。

 さて、一度は全てを放り出した母のこの三味線。最後の場面が実は、ずっと後に出てくる。過去の「憎さ百倍」はなんのその、可愛さが遙かに優った感じで。いや、この三味線が母を救ってくれたとさえ言いうるだろう。闘病生活五年の最後の年、九十二歳を過ぎた病床のことだ。大学ノートの介護日誌五年分が九冊まであるのだが、そこのやり取りから抜粋してみよう。周囲が書き綴り、伝え合った病状・生活日誌である。八十八歳に脳内出血で死にかけた後は、感覚性全失語症から字はもちろん書けず、彼女の口から意味のある言葉を聞き取ることもほとんど無理だったから、連れあいの提案で備えられたものだ。四人の子、孫から、看護師さんたちだけではなく、病室を訪れた母の親類縁者、知人までが書いてくれるようになったみんなの合作物である。先ず初めは、亡くなる前年の八月十七日。
『ラジカセを持って来た。カヨさんのおケイコ(三味線と謡曲)のテープといっしょに。そしたらラジカセを抱えるようにして聞いていた。それでもしばらくして見たら眠っていたけど、起きてテープの話をした時の反応は当然強かった。何か分かるらしい。多分、フシなのだろう。しばらく(一時間ぐらい)消していてまた、”三味線聞く?”と問うと、”ウン”と言うのでつけると、また例によって指を動かして聞いている。右手も左手も』
 同十八日『長兄のノブ一家九人が来たのは覚えていた。良かったね。今は三十分以上ラジカセを聞いている』
 同二十日『今日はよく話が分かる。一昨日、ノブの家族が来たのは覚えているし、ウチの健太と雅子も覚えている。(中略)なんというか表情もおだやかだ』
 音楽療法というのがあるが、明らかに母の態度、意識が上向き始めたのである。看護婦さんもそれを認めた記述をここにすぐ書いてくれたし、久しぶりにはるばる横浜から来られた弟のお連れ合いさんも、こんな言葉を書いてくれた。
 九月十五日『いろいろあって家が空けられず、本当に久し振りにお母さんに会いに来ました。№7のノートの記録より、十一ヶ月もの間ご無沙汰していたと分かりました。眠っていらっしゃる横で、声をかけて起こそうかどうしようかと思いつつ、ノートをゆっくり読ませていただきました。長唄(?)のテープをBGMに。
 テープが回って数分したころ、右手がよく動くようになり、時々左目を開いて、次にベッドにつかまっていた左手が、弦を押さえるような動きを始めました。魔法のようです』
 十月二日『新しいカセットを持ってきて”三味線のおさらい”。たちまち右手でバチを動かし、左手の指がひょこひょこと動き出した。(中略)何か顔もほころんでいるし、ヨカッタヨカッタ。 ”目を開けなさい”と言うとかならず、パチッと開けてくれて、やはり微笑んでいる』
 丁度その晩秋のころ、僕は同人誌にこんな随筆を書いた。
【 ある交流 
 病院の夜の個室にもの音は稀だけれど、川音が間断なく聞こえてくる。二県にまたがる大川が窓の向こうにあるのだ。そしていつものように、僕の左手がベッドに寝た母の右手を軽く握っているのだけれど、そこでは母の指がトントンと動いている。
 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかわづ天に聞こゆる
 誰の作だったか、高校の授業で覚えたこの歌を、このごろよく思い出す。
 左脳内出血が招いた三途の川から戻ってきて、五年近い。失語症の他はなんとか自立できたと皆で喜んだのも、今振り返ると束の間のこと。一年ちょっと前、思いもしなかった後遺症、喉の神経障害から食物が摂れず、人工栄養に切り替えるしかなくなった。食べさせようとして何度か嚥下性肺炎を起こしたその末のことだった。人工栄養になってからも、唾液が入り込んでたびたび肺炎をまねくという始末で、既に「寝たきり」が四ヶ月。お得意の「晴れ晴れとした微笑」も、ほとんど見られなくなった。
 九十二歳、もう起き上がるのは難しそうだ。言葉も文字もなくなったので記憶力はひどいが、いわゆる痴呆ではない。痴呆でないのは我々には幸いだが、本人にはどうなのだろうかと考えてしまうことも多い。
 せっせと通って、ベッドサイドに座り、いつも手を握り続ける。これは、東京から来る妹のしぐさを取り入れたものだが、「生きて欲しいよ」というボディランゲージのつもりだ。本を読んでいる今現在、母の指の応答は、「はいはい、ありがとう。今日はもうちょっと居てね」と受け取っておこう。表情も和らいでいるようだし。
 僕は中篇に近い小説九つを年一作ずつ同人誌に書いてきた。うち最初の作品を含めて四つは、母が主人公だ。もう十年近く母を、老いというものを、見つめ、描いてきたことになる。発病前は老いの観察記録のように、その後は病室の中やベッドの上も、時には四肢さえもさらけ出して。普通ならマナー違反と言われようが、親が子に教える最後のことを受け取ってきたつもりだ。そして、僕がこんなふうに描くのは、母の本望だとも信じている。
 看護士さんが入ってきて、仕事をしながらこんなことを言った。
「不思議ですねぇ。手と指だけがいつも動いてるんですよ。ベッドの柵を右手でよく握られてるんですが、その時もなんです。右側に麻痺がある方でしたよねー?」
《母にもまだできることがあった。僕らが通う限り、生きようとしてくれるのだろうか》 】

 母は、いろんな曲を思い出し思い出ししながら、最後に残った楽しみを自分で作っていたのではないだろうか。そう、一度はすべてを放り出した音楽が、一人では何も出来ず、普通の楽しみさえなくなった病床で恩返しをしてくれた。音楽って、音を楽しむって、まず、自分が出す音を自分が楽しむものだろう。末期が近づきつつあった母の病床で、教えてもらったことだ。

(終わり)

  
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国会事故調査委も再稼働に否定的見解      あんころもち

2012年04月19日 00時27分27秒 | Weblog
 「毎日」は以下のように、国会の事故調査委員会で黒川委員長が再稼働に否定的な見解を提示したと報道しています。

 「東京電力福島第1原発事故に関する国会の事故調査委員会(委員長、黒川清・元日本学術会議会長)は18日、東京都内で第9回委員会を開いた。会合には経済産業省原子力安全・保安院の深野弘行院長が出席。定期検査で停止中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働に際し、政府が新しく定めた安全性の判断基準が守られなければ、原子炉を止めるよう行政指導する考えを明らかにした。
 黒川委員長は委員会終了後の記者会見で、政府の判断基準について、「暫定的な原因究明に基づいている。必要な対策が先送りされ、想定を超える災害に対応できていないことも明らか。住民の健康を守れるのか」と再稼働に否定的な考えを示した。

 これに関し、元通産・経産官僚、現大阪府市統合本部特別顧問の古賀茂明氏は、ツイッターで以下のように述べています。(18日夜)
 
 「今日の国会事故調はわかりやすかったですね。いかに政府の安全基準がデタラメなものか誰がきいてもよくわかったと思います。記者会見で黒川委員長が、今のプロセスの問題を「不透明さ」という言葉で表現されました。よほどのことです。」

 なお、当時行政改革に官僚内部から熱心に取り組んでいた古賀氏を、その他の官僚とグルになり、理由らしい理由もなくクビ同然にして追い払った張本人が、今、原発再開に狂奔している仙谷枝野
 彼らは当時から、官僚どもに完全に丸め込まれていて、今その馬脚があらわになったわけです。

 また、大飯原発に近い小浜市(10キロ以内に人口の70%が入ってしまう)の古刹・明通寺(本堂、三重塔が国宝)の住職・中嶌哲演師も、経産省前のテント村でハンストに合流されたとのことです。師の行動に敬意を評し、その志が実現することを祈念します。
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