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小説  母の『音楽』(前編)   文科系  

2012年04月18日 11時21分27秒 | 文芸作品
 同人誌に書いた小説を、転載します。前後編に分けて。 


  母の『音楽』(前編)

 ギターレッスンに苦心惨憺のある日、ふっと気付いた。
〈左手指がここで、他の箇所に比べて、どういうか、なんか、ばたばたしている。この小指が上がりすぎ、時に伸び切るようになるのは、どうしたことか?この癖から全体が遅くなるらしい。反復練習にはもう慣れてるが、これを直さんとどうしようもないぞ〉
 二月から七ヶ月も、毎日のように弾き続けている曲が、どうしてもできあがっていかない。南米のギター弾き・バリオスの「大聖堂」、その第三楽章。ここの速さが、ことのほか骨なのである。「もう限界なのかなー」、定年後に先生なる者につき始めて七年足らずの老いの身には、そんなことも頭をよぎる。六連十六分音符が三頁連なるこの楽章をせめて六十の速さにしたいのだけれど、四十五が限界。あれこれ観察し、試行錯誤しているうちに、やっと分かってきたことだった。
 ある一カ所が特に、何度弾いても上手くいかない。六連十六分音符がたった二つ並んだだけの一小節なのに。周囲と比べてちっとも難しそうにも見えず、なんの変哲もない箇所だ。そんな所を、何日かは意を決して五十回繰り返してみたりして、もう千回以上は優にやったろうというようなある日に、やっと気付いたのだ。
 さて、恥ずかしいことだがここまで来て、習い初めのころ先生に言われたことを思い出した。
「左手指は、一本ずつが他から分離して動くようにならなければいけません」
 左手小指が薬指に連動するらしい。薬指を指板から上げるときに特に、小指がぴくっと大きく跳ね上がる。よって、薬指の後に小指で押さえねばならない時などに、どうしても演奏が一瞬遅れる。この癖が原因で指のすべてが固くなっている。今までの曲ではなんとかこれをごまかせたが、今回の速すぎる箇所ではとうとうぼろが出たと、そういうことだろう。
 だけどこの曲、七ヶ月でこんな出来。人前で弾ける程度に完成するのだろうか。舞台で弾くことはもうないのだが、その程度にはしたい。去年からホームコンサートのようなもの以外は出ないと決めて、それまでやっていた舞台を全てパスしてきた。それでもこれだけ熱中できるのだ。それは、九十三歳で死んだ母の身近にいて、種々多くのことを教えられたからだと、いま振り返ることができる。父の最晩年を夫婦二組で同居し、次に父が亡くなった後は三人で過ごし、母の脳内出血以降はその介護の五年間を通して。

 職業婦人の走りであった明治生まれの母は、退職後に三味線を再開して二十年近く続けたが、七十八歳できれいさっぱり、すべてを投げ出してしまった。それまで出ていた教室の発表会に出なくなっただけではない。同時に「キネヤなんとか」さんの教室そのものも止めてしまった。それどころか、それからは弾いているのを見たこともない。死後に彼女の日記を見て改めて知ったのだが、このあと一度でも、三味線を弾いたことさえないはずだ。 母はそのころ、同い年の父の心臓病につきあって、疲れ切っていた。七十三歳を最初に、八十二歳で亡くなるまで、脳梗塞、心筋梗塞を都合四回も起こした父なのだ。彼の晩年二年間は次男である僕らが同居したのだが、「同居が遅すぎた」と何度後悔したことだったか。

 同一敷地内に新築の家を廊下で繋げたという「同居」二ヶ月ほどの初夏のことだ。珍しく明るいうちに帰って二階ベランダの窓際から庭に目をやると、ブロック塀の一角に母が見える。「水をまいている」と思ったのだが、どうも違うようだ。両手で持っているのがバケツでも、ジョーロでもない。父が愛用していた高価な徳利ではないか。〈父さんに怒鳴られるよ!〉、一瞬そう思ったが、今の父にはもうそんな気力も関心もないとすぐに思い直した。そういう徳利からお猪口ならぬ地面に注いでいるのは、水なのか酒なのか。間もなくとことこと歩き出して、僕に近い南東の角に来た。そして、僕のお気に入りのガクアジサイの近くで、同じようなことをやっている。そして、夕食時。その日父は確か、入院していて家にいなかったはずだ。
「さっき、庭で何やってたの?」
そのころ何となく黙りがちな日々が多かった母だが、一瞬僕の目を見てからちょっと顔を伏せたあと、ことさらにさらりとした感じで、応えた。 
「うん。庭の四隅にお酒を上げてたの。まー御神酒ということ。ここの家を建てたとき、地鎮祭をしてなかったのを思い出してね」
「ふーん。かーさんが縁起かつぐなんて、珍しいね。何か悪いことでもあったの?」
「うん、ちょっとね」
 そう、僕らが同居するまでの母は悪いことづくめだった。父の看病や、病院がよい。三味線は一年ほど前に止めていたし、大好きな友人たちとの旅行などもしなくなっていた。昔風賢夫人は、こういうときには物見遊山などは控えるものらしい。そんなこんなの鬱屈からなのか、物忘れも酷くなっていた。家のヤカンや鍋などを焦がしてしまい、庭に捨てられたものがいくつかあったし、当時使用中でも、地金の色を表している物がほとんど無かった。
 さらに、僕らとの同居によってもまた、別の「悪いこと」が生まれていたようだ。
 僕の脳裏に死後も含めてだんだん形作られていった母の心境を簡単に言えば、こういうことになろうか。まず、病気の、気むずかしい父を一人で抱え、自らの八十の老いを向こうに回して歯を食いしばって暮らしてきた。次いで、僕らと同居してからの心境は、こう。壮年期にある僕らの「若さ」に打ちのめされ始めたらしい。なんせ、自慢のようなことは口にしなかったが、子どもの僕とも競争したいような人。「私のどこが八十に見えるね。言ってごらんなさいよ!」。なにか僕が注意したときにこんな返答さえ返したこともあった。そんな心境も含めてすべてが、今にして痛いほど分かるような気がするのである。思い出すと胸が痛いとは、こういうことだろう。

 この年の十月、母は、僕の勧めによって心療内科の先生の所へ通い始めた。病名は、老化による軽症ウツ病。
 少し遅れて八十六歳の母が書いた「人生報告」とも言うべき文集に、こんな下りがある。女子高等師範学校同窓会の愛知支部発行「桜蔭(同窓会名です)」に収められた文章だが、二番目の古参生としてそこに書いた六枚ほどの原稿の一部だ。
【その後夫脳梗塞となり、左脚不自由に。つづいて心筋梗塞その他色々の老人病を併発し、十数回に及ぶ入退院をくりかえし、平成四年四月二十七日に亡くなりました。看病など何かと心身を使い果たしている間に、私も老人性鬱病という厄介な病名をつけられていました。好きな長唄・三味線も稽古不足のため中止し、日々無為の苦しい数年間を過ごしたものです。同居している次男夫婦も共働きですので、昼間は相変わらずの一人暮らしですが、二人が帰宅し、共にする夕食は楽しく、孤独を忘れることの出来るひとときです】
 僕もこの夕食は楽しかった。母も必ず二品ほど作ってくるので、連れ合いと二人競いあうようにして食卓にのせたものを三人で批評し合うといった夕食。僕の帰りが遅すぎて週に何回も持てなかったが、心が温かくなる思い出である。
さて、この頃はまだ、母の人生で三味線が持った意味を、僕はこんな程度に捉えていただけだった。
 最初に浮かび上がって来る映像はまず、こんなものである。三味線の発表会に出ていたときの、背中を丸めて大きなザブトンに小さく座った母の姿だった。
〈あれほど練習して、回りの人に四苦八苦でなんとかついていく。「生きなきゃー」って感じだなー。それにしてもそろそろ八十だ。いくつになっても「鑑賞」じゃ済まなくて、自分で「表現」して進歩を確かめていきたいという人なんだなー〉。
 また、このしばらく後には、
〈母さんのは「可愛さ余って、老いへの憎さ百倍」。三味線全てを放り出してしまったのは、舞台に出られなくなったショックからだ。随分苦しんだんだけど、俺の同居がもうちょっと早ければ辞めさせなかったのになー〉

(続く)
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保安員の大罪(61) 改めて再稼働問題   文科系

2012年04月18日 08時20分52秒 | 国内政治・経済・社会問題
 再稼働問題がアップされている今、今日の中日新聞一面には、こんな記事が載った。
『東電、顧問に月90万円 天下り官僚ら26人 震災後も高給支給』
 記事中の人物たち、もの凄い顔ぶれが並んでいる。
『津田広喜元財務次官、谷内正太郎元外務次官、石田徹元資源エネルギー庁長官ら26人』
 語られてきたようにこれではもう東電は、オール官僚老後の名誉職がかかって、一蓮托生の伏魔殿ではないか。その官僚たちが内閣を抱き込んで一体になって「再稼働」など、国民目線の公正な判断が出来るなどと、誰が考えられるだろうか。

 去年6月に書いた再稼働反対論をもう一度掲げておきたい。人の罪には、いうまでもなく軽重がある。重い罪を犯した時の態度で、その人物の品格、重みが分かる。このことは、人類の大切な大切な知恵というもの。以下のような重大事に反省するどころか、その大罪を隠すことに強大な権力を使うべく開き直っている人物たちに、原子力発電行政など任せられるわけがない。


【 保安院の大罪(12) 経産相「再稼働」を許せない理由  文科系
2011年06月20日 | 国内政治・時事問題
  
 標記のことを簡潔に述べてみたい。

①福島事故原因が明らかになっていない。津波と地震自身とで、どちらにどれだけ比重があったのかがはっきりしていない。
②事故後の人為的ミス、あるいは人材に対する課題の難度、などなどの内実も分かっていない。
③以上①、②の実際によって、他原発にも同じ事が起こりうる確率が違ってくる。そういう数字を、経産省自身が本気で調べたとも思えないし、知っていたことですら隠してきた事も多い。それどころか、意図的にごまかしてきた事さえも多かったと断言できる。自分らの責任逃れからと見るのが自然だろう。
④膨大な数の内部被ばく者が発生したわけだが、小児甲状腺癌、骨髄癌などなどの被害の大きさが分かるのは、はるか先のことだ。それで再稼働などとは、国民に対して鬼畜にも劣る手前勝手。こんなことで再稼働を許せば、先の話として癌患者の発生数などを誤魔化しにかかるのが落ちだろう。薬害エイズを長く認めなかったように。
⑤経産省周辺はこうして、「人としての慎み」に欠ける。国民を思うという点で全く品格がない。そもそも、故郷を失った膨大な人たちや海産物を国民が安心して食べられない状況をどう考えているのか? 避難所で寿命を縮めた人々についても同じだ。申し訳なかったという気持ちが、東電と共に全く感じられないのである。④、⑤合わせてみると、これで公務員・「(国民の)保安院」とは、聞いて呆れる!? 
⑥問題になっている電力不足は、休止中の火力発電再開で間に合うと言われているのだし、これで繋いでいる間に自然エネルギーの開発を急げばよい。 】 
コメント (3)
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