脳の急成長三つの時期というコメントを書いた。これに補足修正を加えて、エントリーに載せることを思い立った。これは、僕の若いころからの職業の中で、それとの関わりで時間をも与えられてずーっと学び続けてきたことである。子ども、人間が育っていく場合の基本中の基本に関わる事だと覚えてきた。
脳の成長曲線を観ると、三つの急成長時期が存在する。勿論、この三つで、早い時期ほど成長も激しいわけですが、第一は3歳まで。これは主として人間の日常生活に関わる普通の感覚、言語などが育つ時期です。この時期の(ハード面の)発達こそ最も著しく、人間の子どもが身体に較べて頭だけが非常に大きい理由になっているほどです。
二つ目が、第7回と10回目のエントリーにある抽象的言語が発達する、小学校3~4年生をピークとする時期です。これは、「国語科は学問であるか?」とその続きとに書いた通りです。
三つ目が、思春期で社会の中で自分を見つめ、大人になっていく時期なのでしょう。
この3時期に脳も急発達していくわけで、この三つ以外の時期の成長曲線はほぼ平らです。ただこういうハード面の発達とソフト面の発達との中身の区別や兼ね合いは、僕には分かりません。ただ、脳という心のハード面に対するソフトとは、まーその人間の体験ということなのでしょう。そして、ある体験はある特定の時期に脳というハード面に吸収されやすいと、それを踏まえて教育というものがあるべきだといういうことだと思います。
次いで、この三者の関係はこうです。豊富な前者を元、土台にして後者も豊富になっていくが、後者自身も単に自然に発達するものではなく、それぞれに相応しい独自の働きかけが重要、と。義務教育の教材も以上のことを踏まえて出来ており、例えば、小学校3~4年生になって初めて、それまで即物的であった学問内容に抽象的思考が出てくる。
そして、この第二の時期が実は、その後の学力というものを最も深く左右する。いわゆる「授業だけで分かる子」が育つというのは、豊富な1番目の上に、特に7,10回目で述べた発達が十二分にあってのこと。こういう子の内、中学に入る前後から改めて急にスポーツなどがうまくなる子が出てくるのも、この「考える力」からです。
こういう発達過程からすれば当然、時機を逸すると後にはカバーが大変難しいか、回復不可能なものさえあるということになります。例えば、この「時機を逸すると・・・」ということを、最も分かりやすい運動能力を例にとって、説明してみましょう。
①身体の使い方の巧みさは、小学校まで。サッカーの器用さ、アジリティーなどは、この時機を逸すると身につきにくくなります。体操や卓球の基本技術は低学年でというのも、同じことでしょう。
②心肺機能は、中学時代に最も伸びます。中長距離の名選手は、ここを逃すと育ちません。
③筋力は高校生以降でこそ、大きく育ちます。筋力は、いわゆる大人になるころにどんどん身についていくものだということでしょう。
これをサッカー選手で観てみれば、こんなことが言えます。俊輔とか憲剛のような晩稲のタイプは、①、②の時期が長かったこともあって、この時期のものが多いに身についた人と言えると思います。だからこそ、③は後からでも身につけることができた。つまり「技術はあるけど、身体がないから・・・」などと中学時代に将来の評価を下す指導者、関係者は愚かだということでしょう。俊輔や圭佑が、それぞれマリノスとガンバのユースを落ちたのは、そういう理由だったと読んだことがありました。憲剛は確か、若いころの年代別代表には選ばれていませんね。今では、こんな愚かな判断は、サッカー関係者の誰もしないと思いますが・・・。
脳の成長曲線を観ると、三つの急成長時期が存在する。勿論、この三つで、早い時期ほど成長も激しいわけですが、第一は3歳まで。これは主として人間の日常生活に関わる普通の感覚、言語などが育つ時期です。この時期の(ハード面の)発達こそ最も著しく、人間の子どもが身体に較べて頭だけが非常に大きい理由になっているほどです。
二つ目が、第7回と10回目のエントリーにある抽象的言語が発達する、小学校3~4年生をピークとする時期です。これは、「国語科は学問であるか?」とその続きとに書いた通りです。
三つ目が、思春期で社会の中で自分を見つめ、大人になっていく時期なのでしょう。
この3時期に脳も急発達していくわけで、この三つ以外の時期の成長曲線はほぼ平らです。ただこういうハード面の発達とソフト面の発達との中身の区別や兼ね合いは、僕には分かりません。ただ、脳という心のハード面に対するソフトとは、まーその人間の体験ということなのでしょう。そして、ある体験はある特定の時期に脳というハード面に吸収されやすいと、それを踏まえて教育というものがあるべきだといういうことだと思います。
次いで、この三者の関係はこうです。豊富な前者を元、土台にして後者も豊富になっていくが、後者自身も単に自然に発達するものではなく、それぞれに相応しい独自の働きかけが重要、と。義務教育の教材も以上のことを踏まえて出来ており、例えば、小学校3~4年生になって初めて、それまで即物的であった学問内容に抽象的思考が出てくる。
そして、この第二の時期が実は、その後の学力というものを最も深く左右する。いわゆる「授業だけで分かる子」が育つというのは、豊富な1番目の上に、特に7,10回目で述べた発達が十二分にあってのこと。こういう子の内、中学に入る前後から改めて急にスポーツなどがうまくなる子が出てくるのも、この「考える力」からです。
こういう発達過程からすれば当然、時機を逸すると後にはカバーが大変難しいか、回復不可能なものさえあるということになります。例えば、この「時機を逸すると・・・」ということを、最も分かりやすい運動能力を例にとって、説明してみましょう。
①身体の使い方の巧みさは、小学校まで。サッカーの器用さ、アジリティーなどは、この時機を逸すると身につきにくくなります。体操や卓球の基本技術は低学年でというのも、同じことでしょう。
②心肺機能は、中学時代に最も伸びます。中長距離の名選手は、ここを逃すと育ちません。
③筋力は高校生以降でこそ、大きく育ちます。筋力は、いわゆる大人になるころにどんどん身についていくものだということでしょう。
これをサッカー選手で観てみれば、こんなことが言えます。俊輔とか憲剛のような晩稲のタイプは、①、②の時期が長かったこともあって、この時期のものが多いに身についた人と言えると思います。だからこそ、③は後からでも身につけることができた。つまり「技術はあるけど、身体がないから・・・」などと中学時代に将来の評価を下す指導者、関係者は愚かだということでしょう。俊輔や圭佑が、それぞれマリノスとガンバのユースを落ちたのは、そういう理由だったと読んだことがありました。憲剛は確か、若いころの年代別代表には選ばれていませんね。今では、こんな愚かな判断は、サッカー関係者の誰もしないと思いますが・・・。