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随筆  ネットウヨクというもの  文科系

2016年03月30日 12時32分29秒 | 文芸作品

  この三月六日の拙ブログに「子ども甲状腺癌、楽観風評を排す」と、原発原因説に肩入れする何度目かのエントリーをした。すぐに例によって、ネットウヨク諸君共通の一理論による反論が来た。激しくやり合った末の、相手と僕との最後の遣り取りが、こうだ。
 『( 僕が述べた、福島の子ども甲状腺癌の家族たちへの「悲しみ」という言葉に対して)少しも悲しそうな印象を受けない。逆に自説が悲劇に因って肯定されるのを待ち望むかのようだ。福島の子供の為を思うならば、可能な限り不安や悲劇的なお話を語らず、静かに見守る事が最善なのだが、ここの人は違うようなので失礼する。再訪はしない』
 『「静かに見守る事が最善なのだが、ここの人は違うようなので失礼する。再訪はしない」。こんな言葉は、聞き捨てならないものとして戦後日本には既視感が無数だろう。イタイイタイ病、水俣病、薬害エイズ、四日市公害などなど。これらを「静かに見守」っていたら、被害者たちの人生そのものがただの泣き寝入りに終わったはずである。(中略)国が率先して世論をねじ曲げようとする世相は、全体主義の兆候。「国民が憲法によって独走しがちな政権というものを縛るもの」と解されてきた近代憲法理念「立憲主義」の危機とは、とりもなおさず官僚責任のウヤムヤ化、その特権死守の態度ということだ。そんな時に、こう語っているとは、まさに笑止千万!「福島の子供の為を思うならば、可能な限り不安や悲劇的なお話を語らず、静かに見守る事」?』。

 このブログで十年、ネットウヨク諸君とやり合ってきたその遣り口をご報告しよう。
 どんな論争でも幾何学の証明と同じで公理、定理にあたる部分が最も大事だと知らされた。自説の最大論拠のことだ。そして、ネトウヨ諸君の論議は要するに、この最大論拠が全ていい加減だとふり返ることができる。
 甲状腺癌の場合は「スクリーニング効果」議論。三八万人対象の虱潰し調査などはかって無かったことなのだから、余分な患者を無数に拾い上げているという主張だ。これが大々的に流布されたが、反論は極めて容易だった。なんせ現在進行中の事件で、新資料が無数に生まれて来るから、これらが「正直に公表される限り」彼らの議論などどんどん置き去りになっていく。今や百人を優に超える手術患者、その半数近い手術への様子見患者。合わせて166人。この「悪性癌」の数が公表されて、それらほとんどにリンパ節転移、甲状腺外浸潤が見られたと示されたのだから「スクリーニング効果」議論などはね飛ばされてしまうのである。
 慰安婦の場合は、その募集で「誘拐の証拠がない」、「当時、売春は合法。どの国もやっていたことだ」。そして、南京大虐殺の場合は「死者数の証拠がないし、南京人口自身がそんなに多くはない」。対する僕の論議は、こういうものだった。
 慰安婦では当時の陸軍省副官の極秘通達。そこにはっきりと「その募集に誘拐があった」とこの事業の最高責任者自身が認めていると反論した。その点南京事件は難しかったが、直前の大激戦・上海戦争との関わりを指摘した歴史家や、大陸派遣兵士への事前教育に使った陸軍教科書からこんな文章を見つけ出してきた著名な近代史専門学者もおられた。「中国軍の兵士は浮浪者(かり集め)も多く、戸籍も不十分だから、殺害しても国際問題にはならない」。追い詰められた中国軍兵士が浮浪民間人に化けるので、民間人も含んだ「便衣隊」大虐殺が、この理屈から既に事前に始まっていたということになる。ちなみに、こういう歴史学者の仕事には、慰安婦にかかわる前記の陸軍省副官の極秘通達を見つけ出してこられた方などもそうだが、まさに「大沙漠のオアシス」、本当に助けられた。

 さて、この論争体験史から学べたのは、こういったことだ。
①すべてのネットウヨク諸君が、どの一事件も同じ論拠で反論してくるから、どこかでそういう物を製造、出版、流布している専門家、機関があきらかに存在している。そこにはきっと、出世主義者にして曲学阿世である御用学者などがたむろしているのだろう。
②それへの立派な、できれば絶対的反論になるようなことを見つけ出して来る。本物の歴史学者たちは自著にさりげなく、そんな資料を無数に収めていてくれるものだ。
③最後に、こういう論争は必ず勝てる。その根拠は、こういうもの。彼らの背後にいる学者たちの背骨が歪んでいるのである。この大元は結局、右に書いたことになろう。
『国が率先して世論をねじ曲げようとするなどは、全体主義の兆候。現日本における立憲主義の危機とはとりもなおさず、官僚責任のウヤムヤ化、その特権死守の態度』

 二極分化新自由主義世界の権力者らには、金も人もマスコミ機関などもふんだんにある。対する僕らは、金はもちろん、人はもっと少ないようだ。新自由主義下の庶民は生きるのに精一杯にされているからだろう。こんな彼我の、彼ら。要するに民主主義を根っこから否定する出世主義者らがマスコミ総動員で行う世論工作。このブログを始めて十年。その間に僕ももうすぐ七五歳。相当に老いてきたが、この一月末からの週間累計アクセス数が再び千を越え続けていることなどにも勇気を得て、老いたる心を新たにしている。大好きなランニングが続けられる間は、書くことも大丈夫だろうという心づもりの下に。

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同人誌月例冊子の後書きから  文科系

2016年03月30日 12時22分06秒 | 文芸作品

  あとがき

 私的な事で申し訳ないが、今号も社会評論の部類を書いてしまった。最近なかなか文芸文にならないのは、世の中、世界にいろいろ腹が立って仕方ないから。それも、子や孫のこれからを思えば居ても立ってもいられないようで、色々学んだ結果がほとんど病気。

 政治、経済の劣化の背後に、人間の劣化が感じられてならない。特に権力者たちから、公共の感じ方そのものが消えてしまったようだ。孔子が観たところの人生最大徳目は、恕。「思いやりの心」として、「己の欲せざるところ、人にほどこすことなかれ」と解説されていたと覚えている。西洋にも「ノーブレス・オブリージ」、「権力者にこそ特に課される道徳的義務」という思想もあったはずだ。それらの美徳が今は、まるで別世界のことだったような。よく言われる人間の「裏表」で言えば、裏がほとんど丸見えの「表」だけで恥じない人間が大道を闊歩しているような。それも、真っ昼間から、日本最大のマスコミ大通りを。こんな見方は確かに、いつの時代にもよくある年寄りの僻みの一種なのだろうが、今の世界を見つめるほどに、自分の生きてきた基準自身が馬鹿にされているとさえ感じるのである。

 

 というわけで、本日次に、この月例冊子に載せた随筆、というか社会評論をエントリーしますので、ご笑覧下さい。。

 

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