老いること H・Tさんの作品です
数年前、私は小笠原の母島で、海の元旦初泳ぎ大会があることを知った。海のない山村育ちの私は、お正月の海で、それも初泳ぎということだけで胸が躍り、名古屋港から船に乗って、一泊。そして朝小舟に乗り換えて、母島着。
岸辺では、島の人総出の大歓迎。花束で迎えられ、もち投げ、パンパーンと昼間から花火まで。太陽は輝き、波は高かったが海は美しい。
私も水着に着替えて並んだ。
出発は、ドラの音合図で泳ぎだした。海の水は冷たいが、快い。
やがて終わり、また浜辺に整列。
主催者の挨拶。次に係の人が分厚い初泳ぎ記念証書を手に壇上に上がる。
「今年は参加者が多く、毎年のようにお一人お一人に証書をお渡しできませんから、参加した中の最高齢の方に代表で受け取っていただきます」
そして、一段と声を大きくして、
「ふかがわあーさんっ」
私は、めったに出会うことのない同姓の方、どんな人かしらと背伸びして見ている。
「ふかがわーともこさあーん」
“私だ”、私が最高齢者? “年上”に驚いたが、前に進み、証書を受け取った。
そして、初泳ぎ大会は終わった。
“最高齢者” “としうえ”という言葉が頭の中をぐるぐる回り、初泳ぎの達成感や喜びよりも大きく、重く残っていた。
それからまた、阪神淡路で大災害が発生した時のこと。
連日ニュースが被害を伝えていた。ある日のそのニュースの中で、障害者の生活援助をして下さる方は……と言っていたのを知り、私も何かの役に立ちたいと申し出た。
しばらくして、
「おとしの方には、こちらではゆっくりしていただく場所も不足しています。お心だけを感謝して……」と、丁重な断り状が届いた。
“おとしの方”、その言葉に私は肩を落とした。
昔は六十歳から老人と教えられたが、現状では七十歳からと言うではないか。家庭も家族も持たない私は“おばあさん”と呼ばれたこともない一人暮らしの六無歳。自分の年齢を考えた事もないのに、六十歳半ばで“最高齢者”、おとしの方などと言われるのは心外と力んでみたもの。歳月人を待たずというように、現在では八十路半ばとなり“おばあさん”と呼ばれても振り向くようになったけれど。
ある時近くの店で買い物をして、レジの近くに帽子を忘れた。近くにいた初老のご婦人が帽子を手に、「これ、お忘れでは」と届けて下さった。
すると近くに居た方が、
「お帽子、分かりまして?」
「ええ、このおばあ様がお忘れで……」と、私を指して言った。笑顔貼り付けで頭を下げたが、心の中ではこんな叫び声。そんなに年齢差なしなのに、おばあ様とはと、声にならない声。
若い時は、地球が勝手に回って年を重ねるだけと思っていたのに、老いるということは大変なことだ。もの忘れ、失せもの探しは数知れず、急ぐことなどもうできない。
自分ではどうしようもない現実。
老いという言葉とともに、思いもしないことが私を追いかけてくる。