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随筆 「年寄りギター、ある上達の話」   文科系

2016年03月18日 12時19分04秒 | 文芸作品

 長い、思い出したように弾く一人弾きの末に、リタイアー後の62歳に初めて先生についた僕のギター。きちんと習った人を見たこともない一人弾きだったから、やっと楽譜が読めるという以外には何の取り柄もなく、むしろ、悪い癖は無数についていて、人前で弾けるような心境にはなかなかならなかった。教室発表会に初めて出たのも習い始めて10年目に入った時だった。そして今年の5月で4度目の発表会になるという最近、ちょっとした進歩があったから、そのことを書いてみたい。他人が弾くのを止めるころの大きい進歩だから、少々誇らしい心境もあってのことだ。

 二つの癖を直した。いずれも誰にでも起こる、よくある癖のようだ。

 一つは、左手の指が撥ねること。「薬指と小指の分離」が出来ていなくって、相互に連動し合うから余分な力も入るし、ミスも増える上に、そもそも小指が自由にならない。例えば、小指を使ったトリルとかスラーの音などがお話にならない。この癖は、思えば1年前ほどまでに2年ほど掛かって直した。大変な苦労だったが、今になって本当に良かったと思っている。左小指が自由を得た思い、感じなのである。
 二つ目は、右の薬指の音出し。こちらは積年の悩みだったものを、最近になってやっと悪癖の原因、直し方に気付くことができて(記憶が貯まらない年寄りには、こういう複雑な原因分析自身が難しいのである、と、今分かる)、3分の2ほど治ったという感じかな。原因は要するに、こういうこと。まず、ギターの構え、次いで右手の構え。これが不安定だから、身体の調節が効かない年寄りにはその結果が右薬指にすぐに現れてくるということだった。そもそも、ギターの右手は左右にも前後にもどうにでも動くし、その傾き加減も難しい。それによって最も影響を受けるのが、親指と薬指なのだが、この2本に悪癖が現れるのである。そして、反射神経が鈍くなる年寄りには、薬指の自由が真っ先に減少していくということなのだろう。この指は案外使わなくとも済むので普通は無意識に過ごしているが、上級者の曲になるとたちまちこの欠陥が随所に露呈してくるのである。と、そんなことにも最近気付いたのである。

 さて、年寄りは、悪癖が直しにくい。僕の上記一つ目の癖のように、例え「こういう悪癖なのだ」と分かっていても、直すのに途方もなく時間がかかることもある。まして、原因が(分かっているようで)分からない癖などは、直しようもない。でも、重大な悪癖は結局こういう結果をもたらしているのである。美しい音にならない部分が必ず生じ、加齢と共に酷くなっていくから、弾いていてどんどん楽しくなくなっていく。すると、レッスンもさぼりがちになり、更に酷い出来になっていく。その悪循環から結局「もう年だ」という断念に至る。多分こういうことの結果なのだろうが、僕から観ればまだまだ続けられると観ていた同世代のギター先輩たちがもう、どれだけ止めていったことだろう。

 悪癖を直すことは、ギター年齢を延ばすこと。ただ、そのためには身体の強さが必要かも知れない。ランニングによって僕に与えられている有酸素運動能力が、ギターレッスンにどれだけ役に立っているか分からないと痛感するのである。2時間も小指を酷使するようなレッスンを続けてもどこも痛まない身体に、どれだけ感謝したことか。年寄りが何をやるにも、まず身体ということだろうが、その源は有酸素運動能力だと確信している。だから僕は、走り続ける。走れる間は、ギターも弾いていることだろう。

コメント (6)
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