一昨日こういうコメントを書いた。それについて、補足修正を加えた上で、さらなるコメントを少々。
『 FC東京監督・城福浩氏に告ぐ。
中島翔哉をどんどん使うべきだ。164センチで活躍できれば、他の小型選手も発奮するし、日本の小型のサッカー少年に希望を与えること甚だしいと考える。もし彼が成功するならば、FC東京だけのことではなく、日本サッカー全体にいろんな好影響を与えるはずである。中島の同僚たちもみんながこう語っているではないか。
「これだけやって使われなければ、仕方ないよね。今の練習を続けるしかないと、僕も君にそう語ることしかできないよ」
同僚にこう言われる中島は、起用すれば必ず相応の実績を上げられると確信している。
城福さん、こういう問題は目先の勝利だけで考えないでほしい。選手全員が中島の努力を見つめているはずなのだから、そういう選手らの目も、少しは意識したらよいと考えるが、どうなのだろうか。』
さて、日本サッカー界は、中島翔哉とか、ベルディだったかの高木三兄弟の善朗くんとかを、もっともっと重視して欲しい。165も背がないがテクニックは十分という選手たちのことだ。相撲には、「舞の海人気」というのがあったし、170しかない長友がイタリアであれだけ立派にやっているではないか。体幹さえ鍛えれば、大男相手にもかなり当たり合えるという証拠、証人だろうと考える。守備だって、鍛えた体幹の体高・重心を低くして当たれば、重心が高い大男を崩すことが出来るという理屈もある。舞の海や長友は、古くは中田、新しくは岡崎慎司らが、これを体現してきたはずだ。
また、こんなこともある。プロ・スポーツは人気も大事。中島や善朗が活躍したら、小さい子どもたちにどれだけ勇気を与えられるだろうか。俊輔、憲剛、本田などのように、中学卒業時に身体がないからと涙を飲む選手が、今でも無数にいるはずだ。それらの子どもらに限りない勇気を与えるのもプロチームの大事な仕事だと、僕は考えてきた。ちなみに、世界にも、特に日本人にはすべて、判官贔屓ってある。それを尊重するのも日本プロスポーツの大事な一発展手段と思う。
ましてや彼は、U23オリンピック代表のここまで10番を張ってきた選手。それも弱冠21歳である。そんな選手だが、リオ五輪18名と数少ない最終代表には「チームで使われていること」が大きな選考条件となる。つまり、彼がここに残るか否かについて、城福さん、貴方が半分の決定権を持っているに等しいのだ。彼の次の段階への一大成長を信じて、プロスポーツ興行という意味も含めて、今使わない手はないと観る。直接に貴方のお答えが聞きたいほどの心境になっている。
ちなみに、手倉森誠・五輪監督の中島翔哉評価について、こんな文章もあった。あるサイトからの記事を付け加えておく。
『「クラブで苦しんでいる選手はいますが、僕が選んだときに僕のチームで活躍できるかどうか、僕の求める戦術を理解してやれるかどうかも選出の大事な要素。例を挙げれば中島翔哉は僕のチームで本当に良くやってくれている。理解のある選手だし、僕のところでは活躍してくれるだろうと思っています」。(この言葉を述べた)手倉森ジャパンでは間違いなく彼は輝いている。それは、結果が示している。発足当初からメンバーに名を連ねる中島は14年1月のAFC U-22選手権、同年9月のアジア大会、15年3月のリオ五輪アジア一次予選で背番号10を背負ってきた。そして、ただ招集されるだけでなく、U-22選手権では4試合3得点、アジア大会では5試合2得点、リオ五輪一次予選では2試合1得点と結果を出し続け、リオ五輪アジア最終予選イラン戦までに14試合8得点(U-22選手権、アジア大会、リオ五輪予選)と破格の数字を残している。』
確かに、この言い分を聞き入れたからと言って、貴方の監督としての今の勝利に何か直接的プラスが生じるという保証はないどころか、チームとして何かマイナスがあるのかも知れない。でも、どうしても言いたかったことだ。
他の選手と同等程度の技術水準ともし観ているならば、城福さん、中島翔哉を是非使って欲しい。使えるような指導もし切って欲しい。僕は彼に何の縁もゆかりもない人間であるが、75歳の熱烈な一老人サッカーファンとして、孫を思うような心で、以上心からお願いしたい。