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掌編小説 「死にちなんで」  文科系

2019年01月13日 12時10分20秒 | 文芸作品
 69歳の年に2回、心臓カテーテル手術をやった。60歳前から始めたランニングが心臓不整脈から、やがて慢性心房細動を誘発したからだ。走り続ければこうなりやすいと知っていたが、同時に、慢性心房細動になっても根治療法のこの手術があることも知っていたから、即手術を決断できた。ここまで、常に心拍計をつけて走り続けてきたのだった。

 麻酔薬が入った点滴でうつらうつらし始めてちょっとたった頃、執刀医先生の初めての声。
「これからが本番です。眠っていただきます」。
 ところがなかなか眠りに入れない。眠ったと思ったら、間もなく目を覚ます。痛い。するとまた、意識がなくなっていくのだが、またぼんやりと覚醒。そんなことが3度ほど繰り返されたので、「痛いです」と声をかけた。執刀医の先生、かなり驚いたように何か指示の大声を出していた。
 さてそんなときずっと、いやに冴えている頭脳である思いにふけっていた。大事故の可能性もある手術と、意識していたからでもあろうか。手術自身がちっとも怖くなかった上に、こんな事を考えていたのだ。
「このまま死んでいっても良いな。死は、夢を見ない永遠の眠り、か」
 知らぬ間に生まれていたある心境、大げさに言えば僕の人生の一つの結実かも知れないなと、噛みしめていた。

 小学校の中頃友人を亡くして、それ以来自分が死ぬということを強く意識した。そして、すごく怖かった。押し寄せてくる「永遠の無」という感じが何とも得体が知れず、恐怖だった。この感じが寝床で蘇って、何度がばっと跳ね起きたことか。そんな時は、大量の冷や汗までかいている有様。ふりかえると、こんな「症状」は、程度に波はあれ初老期まで続いていたと思う。
「人生はただ一度。あとは無」
 これがその後の僕の生き方の羅針盤に。大学の専攻選びから、貧乏な福祉団体に就職したことも、かなり前からしっかり準備した老後の設計まで含めて、この羅針盤で生きる方向を決めてきたと言って良い。4人兄弟妹の中で、僕だけが違った進路を取ったから、「両親との諍い」が、僕の青春そのものにもなっていった。
 ハムレットの名高い名台詞「生きるか、死ぬか。それが問題だ」でも、その後半をよく覚えている。「死が眠りであって俺のこの苦しみがなくなるとしたら大歓迎なのだが、この苦しみがその眠りに夢で現れるとしたら、それも地獄だし・・・?」というような内容だった。この伝で言えば、今の僕ははてさて、いつとはなしにこう変わってきている。
「夢もない永遠の眠り。それに入ってしまえば、恐いも何もありゃしない」

 どうして変わってこられたのかなと、このごろよく考える。ハムレットとは全く逆で、人生がかなり楽しめているからだという気がする。特に老後が、設計した想定を遙かに超えるほどに楽しかったのが、意外に大きいことなのかなと思う。ギター、ランニング、同人誌活動、そしてこのブログ。これらそれぞれの客観的な出来はともかく、全部相当なエネルギーを費やすことができ、それぞれそれなりに前進も意味も感じられてきた。中でも、ギター演奏、「音楽」はちょっと別格だ。大げさに言うと、こんな感じかな。音楽には、いや多分美という領域には、どういうか何か魔力がある、と。シューベルトやゴッホなどを筆頭として、音楽家にも画家にも極貧が多かったはずだが、みんなこの魔力にとりつかれた人々ではないか、と。彼らと僕との隔たりは限りないが、そんな連想さえ起こっている。

「何かに熱中したい」
 若い頃の最大の望みであり、これが、気心知れた同類のような友だちたちとの挨拶言葉のようになってきたものだ。人生らしい人生事へのこの「熱中」が、人並み以上に果たせている。今、そんな風に生きられていると、日々感じている。
コメント
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