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記録映画「チリの闘い」3部作を観た  文科系

2019年01月19日 18時11分17秒 | 文芸作品
 昨日名古屋のシネマテークでのこと。アメリカが起こした1973年9月11日の世界史的クーデターを図らずも前段階から目撃、撮影することになった噂の3部作である。2回の休憩を挟んだ合計上映時間は、4時間を優に超えたと思う。選挙で生まれた史上初の社会主義政権、大統領を、軍部クーデターで倒したという、その結末を記録した映画である。要所の報告という形式で、以下を進める。

 チリにアジュンデ大統領が自由選挙によって生まれたのは、1970年11月。その時から映画監督パトリシオ・グスマンは史上初めてのこの「政治的実験」を記録映画に収めるべく、各方面へのインタビュー撮影などを始めた。第一部はまず、右派が総力を上げたアジュンデ政権不信任投票とその政権側勝利から始まる。この敗北から右派が政権破壊工作をどんどん強め、これがことごとく失敗した末に、最後に大統領府への軍部突入、大統領殺害クーデーターで終わるまでを描いていく。

 僕のメモには、これを書くために残したこんな記録がある。
①アメリカが、この国への輸出を急速に止めていき、最後には往時の15%程度になっていたこと。これはつまり、国民生活を困難に陥れる目的、反政権感情の増大を狙ったものだったということ。
②アメリカCIA工作員が、最多時40名入っていたこと。また金銭面では最高時500万ドルの政権転覆工作資金も流れたということ。
③軍が、公然と政権反対を唱え、はなから文民統制違反を広言していたこと。アメリカが軍将校などをパナマの軍事訓練学校に招いて、ずっと教育、訓練してきたということ。
④GNPの2割を占める銅鉱山操業を反革命ストライキで75日間も止めて、最大の外貨獲得手段を妨害したこと。これも、国民生活を困難にする政権妨害工作なのである。
⑤運輸業経営者団体がそのトラック使用を許さないというロックアウトを敢行して、物流を止め、国民生活を困難に陥れたこと。
⑥軍隊が勝手に出動して、労働組合事務所などを徹底的に捜査して、人民が武器を持っていないかを調べ尽くしていったということ。結局どこにも何も武器はないということを確認し続けただけだったのだが。
⑦一度大統領官邸を戦車で包囲して22名の警護警察官を殺し、国民の反応を伺うという、様子見をしていること。
⑧アジュンデ政権が和解の相手に選んで連立政権が成功しかけたカトリック教会(キリスト教民主党)の動きを潰したと言うこと。
⑨最後に、あの細長い国の沿岸部に4艘の米駆逐艦を集結させて、その上で軍部が大統領府爆撃を始めて、その後に官邸突入、大統領殺害が起こったということ。

 選挙で出来た政権を倒す。その大統領府に突入して、大統領を殺すことまでして。20世紀後半に起こった最大の政治的悲劇の一つだろう。


 追加の一言  この政権を混乱させ、疲弊させるまでと同じことを、今アメリカはベネズエラにやっている。世界のドル基軸通貨体制死守と結びついた、原油独占価格制度を守るために。ベネズエラとイランがアメリカの仇敵のようになってきたのは、このためである。アメリカの原油政策に従わない2国だからだ。ベネズエラ、イランはそれぞれの原油埋蔵量で世界1位と4位の国だ。今で言えば、シェールガス経由原油がまだ高値だから、何とかそれ以上の価格に保ちたと懸命なのである。日本は当然、アメリカの言うがままの価格になっている。世界一高い高速道路料金を取られたうえに、猫の目のように上がる高いガソリン代も税金のようなものだ。
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ランニング賛歌  文科系

2019年01月19日 18時06分36秒 | 文芸作品
 五十九歳からランニングを始めた僕は、五月が来ると七四歳になる。ランが老後にこれだけの恵みを与えてくれるとは、想像もつかぬことだった。
 膝が痛い? 新聞広告に満載される、コンドロイチンにグルコサミン? 若い頃椎間板ヘルニアで手術をしたこの身体なのに、その腰ばかりか膝にも、何のサプリメントも要らない。そもそも肩や首など、こったことがない。だから、パソコンに向かい続けていて、ふと気がつくと四~五時間なんてことはざらである。痩せるための健康器具? 体質もあるだろうが、僕が二十代に作った式服を着られるのは、スポーツ好きと今のランニングのおかげと確く信じている。身長一六九センチ体重五七キロで、二八インチのジーパンをはいている。ずらずらとこう書くとこの時代には特に自慢にしかとられないのは承知だが、まー一生懸命やってきたランニングの絶大な効果を伝えたいのだと、ご理解願いたい。
 医者たちからはこんな話も聴いている。「時速七キロ以上で歩ける人は長生きする」。当然、そうだろう。血管も含めた循環器系統が健全ならば、成人病も逃げ出すというもの。歯医者さんでこんなかけ声が行き交っているが、同じ理屈関連とも教えられた。「八〇歳まで自分の歯が二〇本ある人は、長生きする」。「健全な循環器系は細菌に対して免疫力があるということ。虫歯菌にも歯槽膿漏などにも強いのです」と教えられた。

 さて、こう考える僕だったから、六九歳新春に起こった慢性心房細動には、対する心臓カテーテル手術・ランニング禁止では、僕の人生が終わったと感じた。手術以前も、つまり慢性心房細動になる直前までは、不整脈を抱えてずーっと走り続けていたのである。それが手術の後には、無期限でもう止めなさいと医者に宣告されたのである。そんな未練からなのだが、七一歳の夏に医者に隠れて走り出し、「大丈夫」という実績をほんの少しずつ作っていった。秋には、主治医からの公認も取り付け、ジムに通い出す。以降故障や事故や試行錯誤等々も重なったけれど、今は心房細動前六六歳ごろの走力に戻っている。この一月七日、一時間の走行距離が念願の一〇キロに達した。僕にとっては六〇歳台半ばの走力に回復して、数々のメリットを改めて体感しているのである。最も嬉しかったのはこんなことだ。
 階段の上り下りが楽しいのである。地下鉄などの長い階段を一段飛ばしで登り切っては、脚の軽さを味わっている。一時無理がたたってアキレス腱痛に長く悩まされたが、試行錯誤を重ねつつこれを克服し終えた時に、新たに生まれた脚の軽さ、弾み! スキップが大好きだった子ども時代を思い出していた。

 昔の自分の小説で思いついて書いた僕なりのランニング賛歌を最後に加えて、結びとしたい。自分ながら好きな文章なのである。 
『ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根ざしたものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たして来られたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を作ったと言う。だとしたら神こそ走る「人」なのだ』


(2015年春に所属同人誌の月例冊子に掲載)
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