ここまでは、アメリカの衰退を、物作り・税収の減衰、自治体・家計の大赤字、そして、日本の輸出が対米から対アジアへと比重が移って来たことを描いてきた。そしてさてここからが本論になるのだが、アメリカ外交の今後と日本の進路に関わって、中国の急な台頭を横ににらみながら描いていく積もり。十分なものは書けないが、ここで読んできたいろんな本を参考にしつつ出来るだけ広く深いものを目指してみたい。
まず、米の対中政策を考えるために、過去日本への対応を見てみることにする。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代があった。アジア新興工業国を率いた日本が、ロックフェラービルなど「アメリカ」を買い漁るなど、米の脅威になった時代のことだ。その時のアメリカは、どう日本に対応したか。ちょうど冷戦が終わった時だったので、アメリカにはこんな議論もあったのであるが。
「年30兆円の軍事予算を半減して、日本の経済力に対抗していくべきだ」
が、アメリカはそうならず、軍事費は今日までに倍増をさらに通り過ぎ、物作りでも日本や、次いで中国に敗れてきた。当時は、金融による世界(の会社などの)征服で対応できるだろうという考え方もあったのだろうが、日本への金融による経済的征服は一定進んでも、中国への侵出は今やまったく予定通りに行かなかったと思い知ったのだろう。
この時の米の日本政策の「二つの柱」をも、元外務省国際情報局長・孫崎享は以下文中で語っている。2013年1月6日の拙稿、孫崎著作の抜粋などで示してみる。
【 ①(民主党)新政権発足直前の問題発言からたった7日で秘書の逮捕
以下は、孫崎の著作「アメリカに潰された政治家たち」からの抜粋を中心として進むが、事の起こりは民主党新政権09年9月発足前の小沢の発言であったと言う。夏の総選挙を控えた2月24日、強気になっていた小沢は奈良県でこんなことを記者団に語ったのだ。
『 「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。・・・極東におけるプレゼンスは第七艦隊で十分だ。あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う」・・・・この発言を、朝日、読売、毎日など新聞各紙は一斉に報じます。(中略 ここに、共同通信のアメリカ関係者の反発発言が細かく紹介されている)・・・発言から1か月も経っていない09年3月3日、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」の会計責任者で公設秘書も務める大久保規と、西松建設社長の國澤幹雄ほかが、政治資金規正法違反で逮捕される事件が起きたのである。』
僕は、こういうことが書ける所に、この著者のアンテナの鋭さを見たいと思う。「この発言は危ないぞ」という認識力が国際情報部門責任者を務めてきた人らしいと。ちなみに、僕がいままでも紹介してきた孫崎の持論「アメリカの虎の尾2本」(「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」とはアメリカの日本への2本の”虎の尾”だと、孫先は語っている)のうちの一方を、小沢の発言が踏んだということになるのである。発言と秘書逮捕との間隔も、孫崎が言うように「発言から1か月も経っていない」どころか、たった7日目のことではないか。それも政権交代が噂された超微妙な時期の、次期首相を噂された人物の発言とその秘書逮捕となのである。
さて今振り返れば、この発言と秘書逮捕によって民主党初代小沢内閣の目が消えたわけである。日本政界にとっては、新政権の話題性も相まって戦後ちょっとないような大変な出来事だったと言えるのではないか。問題の疑惑というのがまた、3年以上も前の話だ。まるで、彼のアラを見つけ出し、取っておいて、このときとばかりに告発すると、まるで首相の目をなくするための「予防拘禁」のようなものに見えないか。挙げ句の果てが、今日現在までずるずると小沢を引っ張り続けるなどあらゆる手を尽くしても、有罪にできなかったと言うおまけまでついた話である。米CIA得意の手法の一つなのであろうか。
②反撃に出た小沢
孫崎はこう語り継いでいく。
『 ここから小沢はアメリカに対して真っ向から反撃に出ます 』
この反撃部分は全文抜粋しておく。外務省最高の情報責任者であった孫崎が「アメリカの2本の虎の尾」と見てきたものを相次いで踏み越えていこうとした小沢が、今の僕には痛快この上なく見えるからだ。
『 鳩山と小沢は、政権発足とともに「東アジア共同体構想」を打ち出します。対米従属から脱却し、成長著しい東アジアに外交の軸足を移すことを堂々と宣言したのです。さらに、小沢は同年12月、民主党議員143名と一般参加者483名という大訪中団を引き連れて、中国の胡錦濤主席を訪問。宮内庁に働きかけて習近平副主席と天皇陛下の会見もセッティングしました。
鳩山首相については次項で述べますが、沖縄の米軍基地を「最低でも県外」に移設することを宣言し、実行に移そうとします。
しかし、前章で述べたとおり、「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」はアメリカの”虎の尾”です。これで怒らないはずがないのです 』
③僕の感想
僕の感想を少々。小沢は合理的なだけに考えすぎて、敵を見誤ったのだと思う。戦後半世紀の冷戦体制が終わってもこれまでの軍事力以上のものを世界に持ち続けているというアメリカの不条理な意図をば、普通の人間の判断力で解釈しすぎたと。僕にはそう思えて仕方ないのである。他方それに加えて、こんな気もする。
田中角栄はアメリカ、ニクソン大統領にぎりぎり先駆けて日中国交回復をなしたことへの報復としてロッキード事件の憂き目を見た。彼の電撃的な日中国交回復とは、その寸前にこの動きを察知したキッシンジャー国務長官が他国政治家と同席の場所でものすごい呪いの言葉を発して罵倒したもの。このことは、いまやもう有名な話だ。小沢一郎は、師匠角栄のロッキード裁判を全部傍聴したたったひとりの国会議員である。そこで僕はこんな推察もする。小沢が若いころ、すでにこんな決意をしていたのではないかと。いつか力をつけて、日中友好をもっと進めて見せよう。それまではすべて我慢だ。そして47歳で自民党幹事長になった。「まだまだ早い」。50歳を超えた1993年にベストセラーになった「日本改造計画」を世に出しても、まったくアメリカの意向に沿う内容だけだった。そして、新政権確実となって、かつ冷戦後20年近くなったという勇み足から、アメリカの世界戦略をば常識的に判断しすぎたのではなかったか。さらに加えて、日本の検察がここまでアメリカに抱き込まれているとは、内部の者以外には決して分かることではなかったはずだ。孫崎も書いているように『西松建設事件・陸山会事件を担当した佐久間達哉・東京地検特捜部長(当時)も同様に、在米日本大使館の一等書記官として勤務しています』という事実があったとしても。】
安倍は、文中小沢らの「失敗」から徹底的に学んだということだ。それが現在の「トランプへのご追従」という態度になっているわけである。安倍はこれだけ貧乏国になっても今なお、こう従順であり続けるのだろうか。中国がその為替政策など当時の日本のように対米従順にはならないのは明らかで、日本の中国との貿易のほうが対米貿易よりもはるかに重いものになっているのに。「中国製造2025年」などをめぐる米中衝突こそこうして、当面の世界最先端かつ最大の問題になっている。
続く
まず、米の対中政策を考えるために、過去日本への対応を見てみることにする。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代があった。アジア新興工業国を率いた日本が、ロックフェラービルなど「アメリカ」を買い漁るなど、米の脅威になった時代のことだ。その時のアメリカは、どう日本に対応したか。ちょうど冷戦が終わった時だったので、アメリカにはこんな議論もあったのであるが。
「年30兆円の軍事予算を半減して、日本の経済力に対抗していくべきだ」
が、アメリカはそうならず、軍事費は今日までに倍増をさらに通り過ぎ、物作りでも日本や、次いで中国に敗れてきた。当時は、金融による世界(の会社などの)征服で対応できるだろうという考え方もあったのだろうが、日本への金融による経済的征服は一定進んでも、中国への侵出は今やまったく予定通りに行かなかったと思い知ったのだろう。
この時の米の日本政策の「二つの柱」をも、元外務省国際情報局長・孫崎享は以下文中で語っている。2013年1月6日の拙稿、孫崎著作の抜粋などで示してみる。
【 ①(民主党)新政権発足直前の問題発言からたった7日で秘書の逮捕
以下は、孫崎の著作「アメリカに潰された政治家たち」からの抜粋を中心として進むが、事の起こりは民主党新政権09年9月発足前の小沢の発言であったと言う。夏の総選挙を控えた2月24日、強気になっていた小沢は奈良県でこんなことを記者団に語ったのだ。
『 「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。・・・極東におけるプレゼンスは第七艦隊で十分だ。あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う」・・・・この発言を、朝日、読売、毎日など新聞各紙は一斉に報じます。(中略 ここに、共同通信のアメリカ関係者の反発発言が細かく紹介されている)・・・発言から1か月も経っていない09年3月3日、小沢一郎の資金管理団体「陸山会」の会計責任者で公設秘書も務める大久保規と、西松建設社長の國澤幹雄ほかが、政治資金規正法違反で逮捕される事件が起きたのである。』
僕は、こういうことが書ける所に、この著者のアンテナの鋭さを見たいと思う。「この発言は危ないぞ」という認識力が国際情報部門責任者を務めてきた人らしいと。ちなみに、僕がいままでも紹介してきた孫崎の持論「アメリカの虎の尾2本」(「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」とはアメリカの日本への2本の”虎の尾”だと、孫先は語っている)のうちの一方を、小沢の発言が踏んだということになるのである。発言と秘書逮捕との間隔も、孫崎が言うように「発言から1か月も経っていない」どころか、たった7日目のことではないか。それも政権交代が噂された超微妙な時期の、次期首相を噂された人物の発言とその秘書逮捕となのである。
さて今振り返れば、この発言と秘書逮捕によって民主党初代小沢内閣の目が消えたわけである。日本政界にとっては、新政権の話題性も相まって戦後ちょっとないような大変な出来事だったと言えるのではないか。問題の疑惑というのがまた、3年以上も前の話だ。まるで、彼のアラを見つけ出し、取っておいて、このときとばかりに告発すると、まるで首相の目をなくするための「予防拘禁」のようなものに見えないか。挙げ句の果てが、今日現在までずるずると小沢を引っ張り続けるなどあらゆる手を尽くしても、有罪にできなかったと言うおまけまでついた話である。米CIA得意の手法の一つなのであろうか。
②反撃に出た小沢
孫崎はこう語り継いでいく。
『 ここから小沢はアメリカに対して真っ向から反撃に出ます 』
この反撃部分は全文抜粋しておく。外務省最高の情報責任者であった孫崎が「アメリカの2本の虎の尾」と見てきたものを相次いで踏み越えていこうとした小沢が、今の僕には痛快この上なく見えるからだ。
『 鳩山と小沢は、政権発足とともに「東アジア共同体構想」を打ち出します。対米従属から脱却し、成長著しい東アジアに外交の軸足を移すことを堂々と宣言したのです。さらに、小沢は同年12月、民主党議員143名と一般参加者483名という大訪中団を引き連れて、中国の胡錦濤主席を訪問。宮内庁に働きかけて習近平副主席と天皇陛下の会見もセッティングしました。
鳩山首相については次項で述べますが、沖縄の米軍基地を「最低でも県外」に移設することを宣言し、実行に移そうとします。
しかし、前章で述べたとおり、「在日米軍基地の削減」と「対中関係で先行すること」はアメリカの”虎の尾”です。これで怒らないはずがないのです 』
③僕の感想
僕の感想を少々。小沢は合理的なだけに考えすぎて、敵を見誤ったのだと思う。戦後半世紀の冷戦体制が終わってもこれまでの軍事力以上のものを世界に持ち続けているというアメリカの不条理な意図をば、普通の人間の判断力で解釈しすぎたと。僕にはそう思えて仕方ないのである。他方それに加えて、こんな気もする。
田中角栄はアメリカ、ニクソン大統領にぎりぎり先駆けて日中国交回復をなしたことへの報復としてロッキード事件の憂き目を見た。彼の電撃的な日中国交回復とは、その寸前にこの動きを察知したキッシンジャー国務長官が他国政治家と同席の場所でものすごい呪いの言葉を発して罵倒したもの。このことは、いまやもう有名な話だ。小沢一郎は、師匠角栄のロッキード裁判を全部傍聴したたったひとりの国会議員である。そこで僕はこんな推察もする。小沢が若いころ、すでにこんな決意をしていたのではないかと。いつか力をつけて、日中友好をもっと進めて見せよう。それまではすべて我慢だ。そして47歳で自民党幹事長になった。「まだまだ早い」。50歳を超えた1993年にベストセラーになった「日本改造計画」を世に出しても、まったくアメリカの意向に沿う内容だけだった。そして、新政権確実となって、かつ冷戦後20年近くなったという勇み足から、アメリカの世界戦略をば常識的に判断しすぎたのではなかったか。さらに加えて、日本の検察がここまでアメリカに抱き込まれているとは、内部の者以外には決して分かることではなかったはずだ。孫崎も書いているように『西松建設事件・陸山会事件を担当した佐久間達哉・東京地検特捜部長(当時)も同様に、在米日本大使館の一等書記官として勤務しています』という事実があったとしても。】
安倍は、文中小沢らの「失敗」から徹底的に学んだということだ。それが現在の「トランプへのご追従」という態度になっているわけである。安倍はこれだけ貧乏国になっても今なお、こう従順であり続けるのだろうか。中国がその為替政策など当時の日本のように対米従順にはならないのは明らかで、日本の中国との貿易のほうが対米貿易よりもはるかに重いものになっているのに。「中国製造2025年」などをめぐる米中衝突こそこうして、当面の世界最先端かつ最大の問題になっている。
続く