昨日のイングランド・ゲームで、リバプールが1対0で勝って、首位を守っている。その1得点が、プレミア全体で大論議になって、話題を呼んでいる。まず、リバプールのエースでエジプト人のサラーがペナルティーを取って上げた1得点について、シミュレーションという非難が出てきた。これを同僚のある選手がこう弁護したのである。
『彼は「そういう選手」では、断じてない』
どうだろう。同僚からこう庇われる選手と、世界的有名選手として3本の指に入るだろう、天下のネイマールとを比べてみて欲しい。
この超有名ブラジル選手は、ブラジル流儀のマリーシア(狡猾という意味)とやらをW杯ロシア大会で世界に見せ過ぎたせいか、全世界から「そういう選手」と観られてしまった。世界の子どもサッカーで「ネイマール!」と叫びつつ、大げさに倒れてみせる遊びまで流行させたというニュースは既に有名である。
こういうことの結末なのでもあろうが、このネイマールの最も最近の話でこんな事もある。彼が「元のバルサに戻りたい」と言い出したのだけど、古巣バルセロナは「要らない」と応えたと言う事件が起こった。
彼がサッカー界の伝統的習慣を破って秘密裏に強引に今のパリサンジェルマンに移ったことから、ここでも道義のない汚い選手と観られてしまったのだろう。この移籍は、彼の代理人のようなことをしている父親の仕業、責任が一番大きいとも語られてもいるが、そんなこともあってネイマールの人気はすっかり地に落ちたのである。ダーティーな移籍、入団は、江川卓など、日本の野球界でも幾多の大事件になってきたが、ネイマールの場合はもう、江川のようには立ち直れまい。これでもって彼を取るのは、ブラジルとちょっと似たところがある落日のイタリアサッカー界、クラブぐらいで、イングランドなどはもうネイマールを金輪際取らないはずだ。
さて、サラーとネイマール、この問題をもう一歩深めて考えてみたい。
カネと商売がらみゆえ勝ち負けだけに異常に拘ったマスコミ絡みの「興業スポーツ」と真のスポーツとの、スポーツ観の世界的対立の問題なのだと言いたい。そして、「興業スポーツ」には少年たちに憧れさせるという意味でも明日はなくじり貧で、後者こそ国民皆スポーツという理念とも結びついて発展性がある。そんな風に僕は考えて来た。
日本の真剣なサッカー少年もブラジル流儀とイングランド流儀と二派に分かれるようだが、岡崎や吉田そして香川もイングランドに拘ってきたのは、単に「最強リーグステイタス」というのではなく、以上のような問題絡みなのだと僕はずっと理解してきた。
例えばイングランドの目の越えたファンに、岡崎はこう観られ、こう語られて来た。
「気品のある選手だ!」
岡崎のフェアな敢闘精神がこう観られているわけであって、岡崎自身もこう語っている。
「イングランドの激しい走り合いや体当たりがやりたくって、ここに来たんですから・・・」
(なお、この「気品ある選手」というのは、英国の新聞が使った表現であって、この事の次第については、以下の拙稿を参照されたい。16年5月3日「気品ある選手」。これの出し方はこうだ。まず、右欄外の今月分カレンダーの下にある「バックナンバー」と書いた年月欄をスクロールして、16年5月をクリックする。すると上の今月分カレンダーがその月のものに替わるから、その3日をクリックする。これで、エントリー本欄がその日のエントリーだけに替わるから、お求めの物をお読み願える)
僕は、一部スポーツ・マスコミが作るスポーツのバラエティー化の風潮をいつも苦々しく思っている。無意識にと言うことも含めてスポーツを大きく汚してきた側面があると考えて来た。
『彼は「そういう選手」では、断じてない』
どうだろう。同僚からこう庇われる選手と、世界的有名選手として3本の指に入るだろう、天下のネイマールとを比べてみて欲しい。
この超有名ブラジル選手は、ブラジル流儀のマリーシア(狡猾という意味)とやらをW杯ロシア大会で世界に見せ過ぎたせいか、全世界から「そういう選手」と観られてしまった。世界の子どもサッカーで「ネイマール!」と叫びつつ、大げさに倒れてみせる遊びまで流行させたというニュースは既に有名である。
こういうことの結末なのでもあろうが、このネイマールの最も最近の話でこんな事もある。彼が「元のバルサに戻りたい」と言い出したのだけど、古巣バルセロナは「要らない」と応えたと言う事件が起こった。
彼がサッカー界の伝統的習慣を破って秘密裏に強引に今のパリサンジェルマンに移ったことから、ここでも道義のない汚い選手と観られてしまったのだろう。この移籍は、彼の代理人のようなことをしている父親の仕業、責任が一番大きいとも語られてもいるが、そんなこともあってネイマールの人気はすっかり地に落ちたのである。ダーティーな移籍、入団は、江川卓など、日本の野球界でも幾多の大事件になってきたが、ネイマールの場合はもう、江川のようには立ち直れまい。これでもって彼を取るのは、ブラジルとちょっと似たところがある落日のイタリアサッカー界、クラブぐらいで、イングランドなどはもうネイマールを金輪際取らないはずだ。
さて、サラーとネイマール、この問題をもう一歩深めて考えてみたい。
カネと商売がらみゆえ勝ち負けだけに異常に拘ったマスコミ絡みの「興業スポーツ」と真のスポーツとの、スポーツ観の世界的対立の問題なのだと言いたい。そして、「興業スポーツ」には少年たちに憧れさせるという意味でも明日はなくじり貧で、後者こそ国民皆スポーツという理念とも結びついて発展性がある。そんな風に僕は考えて来た。
日本の真剣なサッカー少年もブラジル流儀とイングランド流儀と二派に分かれるようだが、岡崎や吉田そして香川もイングランドに拘ってきたのは、単に「最強リーグステイタス」というのではなく、以上のような問題絡みなのだと僕はずっと理解してきた。
例えばイングランドの目の越えたファンに、岡崎はこう観られ、こう語られて来た。
「気品のある選手だ!」
岡崎のフェアな敢闘精神がこう観られているわけであって、岡崎自身もこう語っている。
「イングランドの激しい走り合いや体当たりがやりたくって、ここに来たんですから・・・」
(なお、この「気品ある選手」というのは、英国の新聞が使った表現であって、この事の次第については、以下の拙稿を参照されたい。16年5月3日「気品ある選手」。これの出し方はこうだ。まず、右欄外の今月分カレンダーの下にある「バックナンバー」と書いた年月欄をスクロールして、16年5月をクリックする。すると上の今月分カレンダーがその月のものに替わるから、その3日をクリックする。これで、エントリー本欄がその日のエントリーだけに替わるから、お求めの物をお読み願える)
僕は、一部スポーツ・マスコミが作るスポーツのバラエティー化の風潮をいつも苦々しく思っている。無意識にと言うことも含めてスポーツを大きく汚してきた側面があると考えて来た。