あるネトウヨ女子のブログに、昨日コメントを書いた。それも3つも,それぞれ相当長いものを。証拠を何も挙げず、ただ「独断」というだけの、あまりにも主観的な結論だけ命題、言葉の羅列にたまりかねたからだ。ちょうど、ここの常連名無し君とうり二つ、同じ論調なのである。JALの乗務員を何十年もやった女子だそうだが、こんな論議が通用している世界があるって、本当に驚いた。
さて、それで今日このブログを見た。僕のコメントが見事に全部削ってあるではないか? これもまた驚いたこと! というのは、このブログ14年で過去に一つのコメントも削ったことがないからである。同じコメントが二つ来るというようなも以外は、どんなひどいコメントも削らなかった。常連名無し君の罵倒コメントも含めてのことだ。それどころか、エビデンスを上げたネトウヨ文章には回答さえ書き、長い討論も付き合ってきたこと度々だった。そこで思ったのがこれ。
『せっかく書かれたコメントを削るって、言論弾圧も同じ。応える自信もからっきしないのだろうが、そんな言論弾圧も理解できず、かつ、自信もないお方は,言論などやるな! そんな資格さえない人だ』
『私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る』(ボルテール)