九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ここまでのグランパス(13) 閑話休題  文科系

2008年06月05日 13時27分06秒 | スポーツ
6月1日、若い友人からこんなメールが飛び込んできた。

『後半40分に同点、44分に逆点、何という力でしょうか、過去こういう試合運びを私は知りません。絶対に勝つんだ、と、信じて動く、走り込む、これぞサッカーですね。まったく嬉しいですよ。
反対にメンバーのニュースが入る度に心配なのは我らが代表チーム、明日はかぶりつきで観戦です』

前半は31日あった、グランパスのナビスコカップ京都戦、2対1大逆転勝利のこと。後半は2日のオマーン戦への不安。それへの僕の返信はこう。

『今回も、着眼点など、面白いメールでした。
点を取ったのが巻と津田でしょう? ぎりぎり土壇場で、若手たちが、まことに見事なもんです。こういう経験は人を伸ばしますから。ただ、今年の名古屋、逆転が今までもかなりあったけれど、ますます多くなってくることでしょうね。よその監督が何人か「勝つべくしてかっている」と評したけれど、もう強豪ですね。
ジャパンは、逆にホントに心配。こんなに攻撃的ばかりで、大丈夫? ととえばFWとDFの距離感などコンパクトネスは、どうなっているのか? ひょっとして、オマーンにも負けたりして?』

闘い勝ったあとのメールが質問で、松井のこと。僕は返信をこう書きました。

『よく聞いてくれました。NHK衛星放送解説者は結構、また何回も、松井を褒めていましたよ。
僕が思うに、日本人には珍しく、ドリブルもキープ力も敏捷性もパス力も備わって、何よりも「攻める姿勢」、「狙う姿勢」がいつもあるから、相手を集めてスペースが作れるんですね。彼がボールを持つと、周りの味方が必ずフリーになれるわけです。遠藤、俊輔が自由に動けたのはそのせいもあったと思います。アジア相手であって敵が守備を固めてくる場合には特に、彼のように「敵を集めて、DFを剥がす選手」が絶対に要ります。
岡田はそれを見ているはずであって、今回のゲームで彼はレギュラーを不動にしたでしょうね。
今日のゲームは会心のものです。あーいうようにアグレッシブにやれば、アジアに敵はないでしょう。ただ、攻勢にやって、しばらく先制点が取れないと、いつも困りますけどね。』


さてと、グラの京都戦、ホントに凄かった。もう神懸かり。ずっと1点負けていたのを、終盤85分に1点、土壇場の89分に1点。それも得点者FWが、25日の浦和戦に続いて、巻と津田。
先発メンバーを半分も入れ替えてのこの勝利、層が厚くなっている証拠です。これで、不安な苦手の夏場も、乗り切れそうですね。めでたいめでたい。


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軍隊を持たない国 5 へそ曲がり

2008年06月05日 10時46分31秒 | Weblog
★軍隊を持たない国 5★

 ⑧ 世界の非武装憲法

ヨーロッパ・なども含めて、軍隊のない国家についてまとめてみよう。まず「非武装憲法」である。

☆ 1921 リヒテンシュタイン公国憲法第44条

☆ 1946 日本国憲法第9条

☆ 1949 コスタリカ共和国憲法第12条

☆ 1979 キリバス共和国憲法第126条

☆ 1994 パナマ共和国憲法第305条(現在は310条)

 いくつか確認しておこう。

 第1に、コスタリカ憲法が最初の非武装憲法だと唱える見解が多いが、正しくない。リヒテンシュタインは1868年に軍隊を廃止して、1921年憲法が常備軍廃止を明示している。
 非武装永世中立のコスタリカの重要性は言うまでもないが、最初の非武装憲法はリヒテンシュタインである。
 第2に、リヒテンシュタイン憲法は日本国憲法に影響を与えていない。
 第3に、日本国憲法はコスタリカ憲法などに影響を与えていない。この意味については後述する。
 非武装中立についても見ておこう。
 いったん非武装永世中立となったが、のちに中立を放棄したのがルクセンブルクとアイスランドである。
 現在の非武装永世中立はコスタリカである。やはり非武装憲法を持つパナマも中立であるとの指摘もある。
 憲法に中立が明記されている例はオーストリア、マルタ、カンボジアなどがあるが、武装中立である。 

⑨ 軍隊廃止の理由

 もともと(古くから)軍隊を持たない国がある。アンドラ、サンマリノ、モナコ、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン、アイスランド、バチカンなどヨーロッパに多く、大国の狭間で外交術を駆使して安全を維持してきた。
 他方、この半世紀余りに軍隊を廃止した国には、軍隊が国民を殺害したために廃止した国がある。
 コスタリカは、1948年の内戦のため国民同士が殺し合う悲劇を体験したので常備軍を廃止した。
 ドミニカ国は、1981年に一部の人間がクーデター未遂を起こし、国民を殺害したため軍隊が廃止された。
 軍隊が国民を守るというのは、もともと幻想にすぎない。歴史を振り返れば、国民を殺害した軍隊は枚挙に暇がない。沖縄の日本軍を想起すればいい。軍隊の幻想に気づいたコスタリカやドミニカ国は、軍隊を廃止した。
 一方、外国軍に占領されて軍隊が解体された国がある。グレナダは、1983年に米軍がグレナダ侵攻を行って旧政権を抹殺した。この時に軍隊が解体された。パナマは、1989年に米軍が侵攻し、武装解除され、後に94年憲法で軍隊廃止を明記した。
 外国軍によって占領されて軍隊が解体した点では日本が先輩格であるが、グレナダ、パナマと日本は別の道を歩んだ。

⑩ なぜいま軍隊のない国家か。

「軍隊のない国家といっても小国が多く、経済力がないので軍隊を保有できないだけで、日本にとって参考にならない」という見解がある。
 しかし、第1に、国連加盟国192か国のうち25か国が軍隊を持たない事実そのものに大きな意味がある。
 第2に、軍隊のない国家が増えてきた。
 第3に、具体を持たないことだけが問題なのではない。各国がいかなる歴史を有しているのか。どのような外交政策を採ってきたのか。教育や市民社会の在り方はどうなのかが重要である。
 そして、第4に、軍隊のない国家に学ぶ側面だけを問題にするのは不十分である。
 日本国憲法第9条があるのだから、本来、日本は諸外国に学ぶ立場ではないはずだ。諸外国が第9条に学んできたかどうかが問題である。
 逆に言えば、日本政府が第9条を守ろうとせず、骨抜きにしてきた歴史、そして第9条を世界に輸出してこなかった不作為を反省する必要がある。
 というのも、軍隊のない国家は、日本国憲法第9条と何の関係もないからである。それぞれの歴史の中で軍隊のない状態になってきたのである。日本政府が第9条をセールスしていたなら、もっと多くの軍隊のない国家ができていたはずだ。
 政府だけが怠慢だったわけではない。私たち、平和運動を行う側も、第9条の実践的意義を十分に活用してきたとは言い難い。
 第9条を世界の平和主義の中核に位置づけ、多くの国がこれに学ぶようにしていかなくてはならない。「9条世界会議」がその出発点になるだろう。
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琴欧州は良い四股名か?   落石

2008年06月05日 09時30分34秒 | スポーツ
大関として初優勝した琴欧州。
あまりの安易な四股名に感じます。
ヨーロッパはブルガリアだけじゃないし。

モンゴルの朝青龍や白鵬のような、
良い四股名とは思えませんね。

優勝して横綱になったら、もっと良い四股名を
ファンから募集したら、どうでしょうね?



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ながらへて九条の改悪見んとするいのちとはかく不条理なもの

2008年06月04日 19時35分05秒 | 文芸作品
文科系さんから、この歌は観念的で、仲間内の自慰という厳しい
批判がありました。私は観念的という点では納得できますが、
自慰というのは分かりません。


もう少し歌のコトバに添って批判を展開して下さい。
今ひとつ良く分かりませんでした。
この歌の場合、キーワードは「いのち」だと思うのですが。


                 落石


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昨日のアクセス、214人、閲覧面数757面!  文科系

2008年06月04日 10時48分22秒 | Weblog
昨日のアクセス214人。これは間違いなく過去最高でしょう。
閲覧面数757面は、「カテゴリー改善」の時に管理者によって画面編集のためにこれよりも多いことがありましたが、平常時ではこれも間違いなく、最多。いずれも凄い数ですねー!
視聴率だとかなんだとか、左翼が非常に苦手なこの「過当競争サービス業の、非常な営業難の時代」に、みなさんなかなかのものだと、ご同慶の至り。なんせ気分に合わない物は無料でもまず読んではくれませんから。

この状態が先週からずっと続いていて、この調子だと今週も週間記録を更新するんではないでしょうか。また、そうなるように僕なりに工夫もしたいと思っています。そういう「工夫」の試行錯誤の中からこそ、初めて「人々の感性、関心、『人生観』」なども本当に分かってくるものでしょう?
 
工夫をちょっと抜くと、ガクンと落ちることもこの間分かりました。あっと言う間のことです。厳しい時代です。

継続は力、「歴史」も力、お互い投稿を工夫しあいたいものですね。コメントはなかったり、少なかったりしても、たくさんの人が読んでいることは確かなのですから。いや、ちらっと見るだけで読まないのもあるかもしれませんが。

とにかく「書きたいことを書いて、これだけ多くの人々に無料で読んでもらえるということ」は、今の世の中、ちょっと少ないことだと思いますので、よろしく。

客観的な(情報)価値、主観的な(情報)価値、「客観的なように思っても単に主観的な価値」、「主観的なようでも結構客観的な価値」。お互い反省しあいながら書きつつ、この貴重なブログを発展させあっていきたいものです。

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愛知万博裏話    落石

2008年06月04日 09時19分47秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
昨日、長久手の方に聞いた話。

万博が始まってすぐに役場に香流川の下流にすむ
町民から、川が臭くて眠れないという苦情が。

川の源流が愛知万博の会場。
一日に何万人という人のオシッコやウンコ。
どこへ?モチロン、下流の処理場へ。
小さな町の下水処理場の能力を超えてしまったわけです。

おかげで処理場近くの住民は期間中、
悪臭に悩まされることに。

この小さな事実は「大成功」の報道のなかでは
伝えられたのかな?

   

万博会場、その前は青少年公園。
これは昭和30年代に出来ましたが、
この上流の開発で、下流では、洪水の被害に。

東海豪雨の時も下流の堤防は決壊したそうです。

いま万博会場跡地は、丸裸。
大雨が降れば上流の水量は一気に下流に。
雨量によっては洪水の危険も。

万博大成功!って、誰にとってかな?
キチンと功罪を検証して報道するところはないかな?

   

そういえば、生物多様性なんとか会議。
経済界まで出かけた。
会議招致を名目に中部空港のPRをする知事さん。
裏にはいろんな話がありそう。

そういえば、石原産業もヒドイ!ヒドイ!
何回警察のお世話になっているうだろうか?
今度こそマスコミはがんばってほしい。
とくに地元紙は。




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軍隊を持たない国 4 へそ曲がり

2008年06月04日 09時03分51秒 | Weblog
★軍隊を持たない国 4★

⑥ パナマ・・・米軍侵攻で国防軍解体

 パナマといえば運河があまりにも有名である。運河の建設・管理は米政府が行い、運河防衛のために米軍が駐留してきた。
 1968年、トリホス将軍のクーデターで軍事政権となったが、78年、民生移管でロヨ大統領が就任した。83年、ノリエガ将軍が国軍最高司令官になり独裁政権となったとされる。
 89年、米軍のパナマ侵攻によって、ノリエガ将軍は逮捕・投獄され、エンダラ政権が発足した。その後の交渉の結果、99年、ようやく運河「返還」が実現した。運河が初めてパナマのものになった。同時に、運河とその両側を支配してきた米軍が完全撤退した。
 国防軍は、89年12月の米軍侵攻によって解体された。外国軍の占領によって軍隊がなくなったのは、日本やグレナダと同じパターンである。
 軍隊廃止は正式には94年憲法による。その後も憲法改正が小刻みに続いているが、現在の憲法第12章「国防と公共の安全」には3カ条の条文がある。第310条(当初は305条)は「バナマ共和国は軍隊を保有しない。すべてのパナマ人は、国家の独立と領土の防衛のために武器を持つ義務がある。公共の秩序の維持、国家の管轄下にある者の生命、名誉、財産の保護のため、および違法行為の予防のため、法律により独立した識見と階級組織を持つ、必要な警察組織を編成する。外部からの侵略の脅威のある場合、一時的に法律によって共和国の国境と管轄を保護するために、特別警察組織を設置する。(以下略)」と規定する。
 99年末の運河返還により米軍が完全撤退したので、これ以後、パナマは軍隊のない国家となった。


 ⑦ コスタリカ・・・非武装永世中立国

 コスタリカについてはすでに詳しく紹介されている。これに対して、沿岸警備隊、特別警察などの存在を理由に、コスタリカにも準軍隊と言うべき組織があるから軍隊がないとはいえないとの指摘もある。軍隊とはいえないから準軍隊と呼ぶしかないのに、準軍隊があるから軍隊だというのは背理である。
 軍隊不保持や死刑廃止など、コスタリカでは平和、生命、人権を尊重する政策や教育が進められてきた。軍事費を教育費にまわし、教育に熱心な国として知られる。識字率は約96%、近隣諸国と比較するとかなり高い。
 軍隊廃止は憲法第12条だけではなく、リオ条約やボゴタ憲章による集団安全保障体制の存在や、国際人権規約も根拠とされている。憲法第12条では常備軍の廃止が定められ、国防のための軍隊編成を全面的に否定しているわけではないが、これらを総合的に解釈することで軍隊全面廃止が導かれている。
 アリアス大統領は中米紛争の平和的解決を働きかけ、積極的平和主義を推進したので、1987年、ノーベル平和賞を受賞した。
 コスタリカは非武装に加えて、永世中立政策を採用している。1983年のモンヘ大統領の中立宣言が中核であるが、軍隊を保有していないこと、積極的平和主義外交の積み重ねがあって、中米における永世中立国としての地位を獲得している。
 自然が豊かで独立時には国土の90%がジャングルであった。太平洋とカリブ海にはさまれているが、中央高地は2,000メートル級の山岳地である。海岸線から高地まで変化に富んだ自然が広がり、動植物の貴重種も多い。近年は、自然を利用してエコツーリズムを推進している。
 手塚治虫の漫画『火の鳥』のモデルとも言われる、世界一美しい鳥ケツァールをはじめとして、モトモット、ハチドリ、グリーン・ヘロン、コンゴウインコ、カンムリサンジャク、ジャビルなどの鳥類、アルマジロ、グリーンバシリスク、クモザル、イグアナ、ナマケモノ、アリクイ、ヒメウミガメなどの動物が棲む。ジャングル、湿地帯、海岸のそれぞれに貴重な動植物がいる。 
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愛知の軍事施設は ②           まもる

2008年06月04日 00時01分45秒 | Weblog
「白昼、迷彩服で銃剣持って」   ★写真は第10師団創立記念行事より
                  ☆記念行事見聞記をコメントで載せました。

次は陸上自衛隊の問題です。守山に第10師団の司令部がありますが、この守山の部隊は春日井や豊川の部隊を指揮しています。いま自衛隊の部隊は海外派兵の任務、テロやゲリラに対する即応近代化師団に再編するということが行われています。とりわけ豊川の部隊は8700人、25%の人員を動員するというということが決められています。この部隊の師団長が着任のときの発言で、「陸上自衛隊の本質は武力集団であり、その基本は野戦部隊である。」と言っています。
愛知県平和委員会の調査によれば1年間に48回以上の訓練が基地や演習場を出て行われています。その訓練の参加者は延べ2800人。その訓練の内容は「徒歩行進訓練」と言われる行軍訓練、地形を読み取る「地図判読訓練」それから「施設偵察訓練」「山岳訓練」なども行われています。注目するのは、その訓練のときに携帯する装備です。
以前は自衛隊が迷彩服を着て外に出るということは憚られたのですが、今は堂々と迷彩服を着る。そればかりではありません。鉄帽や背のう、小銃、銃剣、防護マスク、酷いときには、対戦車誘導弾というバズーカ砲のようなものや機関銃まで持ち歩くということが行われています。
銃を持った自衛隊員が街中を歩く。それだけでも異様な光景ですが、訓練は子どもたちの生活の場所でも平気で行われています。スクリーンには、ライフル銃や銃剣を持った自衛隊員が子どもたちの通学路の前で寝そべって休憩を取っている。子どもたちが道の隅を怖そうに通り抜けている。そんな写真が映しだされています。
こういう訓練の特徴的なものの1つが、岐阜県の白川町から名古屋市守山区まで1泊2日かけて歩く訓練でした。これは昨年の11月20日から21日にかけて行われました。岐阜県の白川町、八百津町、可児市、愛知県の犬山市、小牧市、春日井市、名古屋市守山区を歩き通す訓練でした。この訓練を行った部隊は35普通科連隊レンジャー部隊です。レンジャー部隊というのは歩兵隊から選抜された激しく戦闘するための部隊です。顔にも迷彩の塗料を塗って、まさに戦闘するための部隊の様相です。並んでライフル銃を持って歩いています。ライフル銃の持ち方も三点式という持ち方でベルトを肩に掛け、ライフル銃に両手を当てて持ちます。この持ち方は市街地での戦闘訓練での持ち方だと言われています。いつでも戦闘が始まれば撃つことができる態勢になっています。こういうことが白昼堂々と市街地で行われているということが特徴です。
自衛隊はこれまで市街地での訓練をやってきませんでした。沼地や山岳訓練が中心でしたので、ブーツは厚底になっています。その厚底靴で市街地の舗装道路を歩いたため、足の皮を痛めた人が続出したと伝えられています。それだけ、自衛隊の訓練の質が変わってきていると言えます。
こういう訓練の裏側には、日米共同訓練の常態化があります。これは米兵から自衛隊員が市街地訓練を教わっている写真です。倒れている敵兵に対して本当に死んでいるかどうか確認をする、こういう訓練です。イラク帰りの海兵隊員から自衛隊員が伝授されるということが全国どこででも行われています。
その裏付けとして市街地戦闘訓練施設が全国各地で作られてきています。一番大きい施設には学校、デパート、それから病院、コンビニなどが模擬戦闘訓練施設として作られています。
愛知県の部隊が訓練する施設は滋賀県の饗庭野というところにありますが、若い自衛隊員が訓練の過酷さに悲鳴をあげ、ライフル銃を持ったまま脱走するという事件が昨年起きています。

☆記事は「東海放送人九条の会のものみやぐら」を転載しました。
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保守系さんの投稿より   落石

2008年06月03日 16時54分56秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
そういえば琉球新聞でしたか、読者の投稿欄に、
沖縄を香港のような一国二制度にしたらどうか
というがありました。

これって、興味があります。
どんな論旨だったのでしょうね?


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軍隊を持たない国 3 へそ曲がり

2008年06月03日 12時00分00秒 | 国内政治・経済・社会問題
★軍隊を持たない国 3★

④ セントビンセント・グレナディンズ・・・「持続可能な開発」政策。

 セントビンセント・グレナディンズ現代史の象徴となったのは、カリブ諸国の中でも最長の16年に及んだ政権を担ったジェームズ・ミッチェル元首相である。
 ミッチェルは、1975年に新民主党を創建し、4回の総選挙で政権を獲得し、セントビンセントの議会制民主主義の確立に寄与した。
 もともと農学専攻で「持続可能な開発」のための基礎となる戦略と政策を展開した。EU(欧州連合)や米国へのバナナの輸出交渉の先頭に立ち続けた。
 ミッチェルの指導力によって、セントビンセントは独立を確保し、国際社会に参入できたとみなされている。
 ミッチェル元首相の講演録『光の季節』(2001年)はセントビンセントの発展に関するメッセージとして広く読まれた。ミッチェルの時代は、政治的に安定し、経済開発も軌道に乗り始め、カリブ共同体においても主導力を発揮した時代であり、まさに「光の季節」であった。
 しかし、ミッチェルは過去を「光の季節」と描いているのではなく、未来に向けていかに「光の季節」を実現するかに焦点を当てている。20世紀が終わり新しい世紀が始まったことは、カリブ諸国にも新しい挑戦をもたらしているとみる。
 ラテンアメリカ各地の貧困の増大を無視するわけではなく、現実には暗黒の季節が覆っているからこそ、ミッチェルは若者たちに向けて「希望は創りだされねばならない。楽観主義こそが収穫されねばならない」と政治的遺言を残している。
 独立21周年記念式典を引退の場に選んだミッチェルは、2,000年10月の演説で、人民の信頼、正しい判断、統合、目的への献身、希望を語り、人間的自由をそのもっとも純粋な形で実現するよう呼びかけている。 

⑤ セントクリストファー・ネビス・・・島分離問題で防衛隊復活

 セントクリストファー・ネビスは、セントクリストファー島とネビス島から成る。セントキッツ・ネビスとも呼ばれる。憲法にも両者が明記されている。セントクリストファー出身者をキティシャン、ネビス出身者をネビジャンという。
 1998年8月、ネビス島分離問題をめぐる住民投票が行われた。ネビス島では、長年にわたって分離独立して主権国家になりたいとの主張が見られた。分離論者は自己決定権を主張した。60年代にすでに自己決定権確認要求が表明されていた。キティシャンによる支配と搾取に対する反発である。
 分離反対論者は、固有の産業を持たない極小国家は経済的に維持し得ないと主張した。98年8月、住民投票の結果、分離賛成は61.7%であり、3分の2に届かなかった。連邦が維持されたが、分離論者は今後も住民投票を求めていくという。
 独立前には防衛隊を保有していたが、81年に解体され、独立時にも軍隊を創設しなかった。ところが97年に防衛隊設置法が制定され、防衛隊が「復活」した。
 防衛隊は70年代においても、97年以後においても、、ネビス島分離問題と密接に関わっている。
 防衛隊は、67年国内治安維持目的で創設されたが、アンギラ島やネビス島分離問題への対策であった。アンギラ分離問題では67年5月に暴動が起きたので、警察を援助するため防衛隊が組織された。
 アンギラ分離後は必要性がなくなったため
 防衛隊は解体された。ところが、90年代後半にネビス島分離問題が浮上すると、政権は治安維持のため防衛隊を復活させた。

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オマーン戦、俊輔の大事な言葉  文科系

2008年06月03日 10時42分18秒 | スポーツ
オマーン戦は、実に見事なゲームだった。何しろ、日本が球際に厳しかったから、相手に何もさせなかったというゲーム。こんな全日本は久しぶりだ。まるで、Jリーグでボール奪取数1位を占めるグランパスみたいなゲーム!

グランパスと言えば昨日の玉田、見ている奴は見ているもので、俊輔がこんなことを反省していた。
「きょうタマ(玉田)は、オレがトラップした瞬間に動き出していた。でも、オレが遅くて生かせなかった」(スポニチのサイトから)

僕は俊輔のこの言葉を、彼の昨日の実績よりも高く買いたいね。
玉田の速い動きに俊輔が合わせられるなら、もっと軽く点が取れるということなのだから。そして俊輔は、この間の練習でこんなことも言っていた。
「玉田の動き出しなどは凄く速いんだから、前線にいてその動きを続けてよ。おれが合わせる」

言い換えればこういうこと。グランパスは今、この玉田の動き出しに他が合わせられていると。ヨンセン、小川、マギヌンらが。グラは、強いはずだね。

以下は、この玉田の速さの証明のつもりだ。
今僕が書いているグランパス連載の5月29日、第8回目に「コートジボアール戦の綺麗な得点」が、それである。連載9回目にも、この点の意味について触れているつもりだ。
「こーいう選手が日本にいるか!」、俊輔は驚いたんだよ! 玉田とそのチーム・グランパスは、「俊輔の体験の外の速さ」ということだ。ひょっとしたら、バルセロナかマンチェスターユナイテッド張りの速さ!
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大連・38度線・沖縄(保守系)

2008年06月03日 02時06分49秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
私は、4月に大連(ロシア語で遥かという意味)と韓国に行きました。
大連は、旅順港のある所です。市内には、大きなビル群が沢山建っていました。
しかし、その街角で、鼻を片手で押さえて、鼻汁を捨てる人をみました。
また、三輪車のよう車も見ました。また203高地へ向う家々は全てレンガ作りで、周囲はゴミが捨て放題でした。203高地は結構高い山でここへ乃木将軍の軍隊が、ロシアの機関銃の餌食になりながら登っていったのかと驚いたものです。
その203高地から見下ろす旅順港は、確かに、ここへ砲台を上げて撃つには絶好の場所でした。次の目的地は、ソウルでした。ソウルには、さすが大連のような三輪車のような車はありませんでした。なお仁川空港に着陸する時に、その干上がった海を眺めました。ここからマッカーサーが上陸したのかと、ここは干潟のような場所で、成る程ここからマッカサーサーが上陸してくるとは、北朝鮮軍(ソ連の戦車を持った)は、思わなかったと納得しました。そして休戦ラインの38度線に行きました。北朝鮮の山々は頂上の木々が伐採されていました。ソウルまでの帰途、高速道路を戦車が6台程、38度線に向って疾走していました。日本の高速道路を戦車が走るのを見た事がありません。なお昭和50年の朝鮮戦争は、韓国では動乱というそうです。
この朝鮮戦争のお陰?でマッカサーがこの韓半島の日本の安全保障の意味を理解し、この戦争のせい?で現在の自衛隊の発足が決まるのです。
マッカサーの勉強の無さに驚きます。
さて沖縄ですが、沖縄県平和祈念館に行きました。そこ展示物の中で、日本兵が壕の入り口で住民の銃剣で威嚇しているのです。しかもその顔は鬼のようなものでした。
その祈念館は税金で建てられたものです。しかもその祈念館の前庭には、愛知県・静岡県など全国からの軍人などの墓碑銘が並んでいる所です。
その祈念館には、大勢の修学旅行生も来ており、書いてあるものを写していたので、私から、「全部本当だ思ってはいけないよ」と言ってしましました。
さらに酷いのボランティアガイドの女性でした。浜辺の濠へ案内した折に、濠から日本軍が住民を追い出したというので、その女性に追い出したのではなく、その濠に住民がいると米軍の砲撃に合うからではないのですかと言ったら、黙っていました。更に、朝鮮人は強制連行され、姓まで改名させられたとガイドをするので、「違いますと、日本と当事の韓国は、ほぼ同じ国だったので、強制連行はされていないし、改名は、満州で差別されていた朝鮮人の人達からの要請によってされたものですよ。洪という陸軍中将も居たし暗殺された朴大統領も日本の士官学校を出て、名前は改姓していませんよ」と訂正しておきましたが、彼女は黙っていました。例の3月に、渡嘉敷島と座間味島の大阪地裁のアホな判決がでましたが、沖縄では、沖縄の人と軍隊は共に戦ったのです。
それに戦艦大和も特攻隊も出撃して行ったのです。
そういえば琉球新聞でしたか、読者の投稿欄に、沖縄を香港のような一国二制度にしたらどうかというがありました。
沖縄の歴史的な意味は、多少は知っていますが、あの県には、大きな河もありませんし、自立は難しいのです。沖縄左翼も健在ですが・・。困ったものです。
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ここまでのグランパス(12)選手の見所 ③小川佳純 文科系

2008年06月03日 00時47分33秒 | スポーツ
入団たった2年目で「グランパス最大の攻撃起点」になってしまった彼、ヨシズミ。掛け値なく天才である。もっと言うなら、いわゆる美辞麗句ではなく「ストイコビッチの再来」と述べて良いと、僕は思う。以下は、その訳を述べていると理解していただきたい。

市立船橋高校を、全国高校選手権大会決勝において自らの30メートル・シュートで優勝に導いている。その後明治大学を経て、昨年入団、終盤から活躍、今年度にレギュラーという右MFである。

先ずクロス数がJリーグ9位。得点もチーム3位の3点と多いが、アシスト(得点に至った最終パスのこと)5点はJリーグのトップである。これだけを見ても、正確なパスを武器にして何でもできる選手と分かるが、他にも、スペース走り込み、ボールキープ、ドリブル突破とできないことがないというまさに万能選手。それも2年目新人なのである。

そしてこういう万能性を生かして今や、グランパス点取りの最高戦術「右サイドからの崩し」の中心に座ってしまった。他のチームが分かっていて対策を練っても、今までのところ何ともならないという極めてやっかいな選手に育っている。
母校の明治大学がそんなに強い所とは言えなかったのだから、これらのJリーグ屈指の万能能力をわずか1年で身に付けたことになる。高校サッカーの強豪「市船」の「顔」だったのだから才能は申し分ないはずだが、その上によほど頭の良い青年なのだろう。そこで、彼の頭の良さを示すと思われる言葉を、拾い上げてみることにする。

「ゴールに向かうプレーを意識していて、自分が縦ばかりに抜けるとSB(サイドバック、竹内、バヤリッツァが務める)の上がるスペースがなくなるので、常にSBの存在を意識しています。SBからパスが出て(そのサイドバックが)オーバーラップ(小川を抜いて駆け上がること)すると相手は守りやすいですが、サイドチェンジで僕にボールが入った時はどんどん裏に回ってくれと言っているんです。SBが上がることで、僕のボールをもてる時間が長くなることもあって、プレーしやすくなっているのは確かですね。」
「僕たちは2トップにくさびを入れて、その後にサイドに展開するサッカーをしていますが、(3連敗したときは)そのくさびのパスコースをボランチの人数が多いチームに消されていた。素早くサイドチェンジをできればいいんですが、相手のプレッシャーも早いですからね。これから相手の分析もさらに進むなかで、試合中に相手の動きを見ながらスペースをどう生かすのかを、チームとして考えないといけない。対策を練られて負けてしまっては、今後のチームとしての成長はないと思いますから、そのあたりを重視して練習していきたいです」

どうだろう、これが今年からレギュラーになったばかり、2年目の選手が語る言葉だろうか? 他の選手との連携どころか、「今後のあるべきチーム戦術」までを語っている。誰もが認めるようなそれだけの自信に裏付けられているからこそ、こんな大きなことが語れるのだろう。
次の言葉は、まさにその自信の塊と言える。
「中盤でプレーしながら100点を取っている藤田俊哉さんが見本であり、目標です。(中略) まだプロ2年目ですけど、いずれは偉大な選手の記録に並べるように1年1年頑張っていきたいです」

こんなでっかい選手を専門記者たちの目が、見逃すはずはない。某サッカー週刊誌の「今節のJリーグ部門別ベストテン・MF部門」では、常に2~4位につけている。世界的にも層が厚いと言われる日本の中盤で、入団後あっという間にその顔の一人になってしまった。これって、中田英寿以来ではないだろうか。

これだけの要素がそろえば「ストイコビッチの再来」と述べても十分にお許し願えるはずだ。ピクシーも、同じ攻撃的MFであり、自分に似たタイプでもあるこの才能に、自分の全てを注ぎ込んでいる真っ最中であるにちがいない。

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気軽にコメントを・・・コメントの仕方       まもる

2008年06月02日 22時35分25秒 | Weblog
 

文科系さんの言われるように、このブログを覗いてくださる方が多くなっています。
 とてもうれしいことです。文科系さんのサッカーの連載力作や落石さんの多様な問題提起、そしてへそ曲がりさんの闘病を跳ね返す平和記事の連載。
 政治的関心を持った方ばかりでなく多様な方が読者になりつつあるのではと希望的な観測もしたくなります。
 ブログは毎日の更新が大切だと言われますが一日二つ以上入ることもあります。二年半で千六百の以上の投稿です。

 コメントをいただくことが記事掲載者の何よりの喜びですし、励ましです。どうかコメントを気軽に書いていただきたいと思います。

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軍隊を持たない国 2 へそ曲がり

2008年06月02日 11時07分40秒 | 国内政治・経済・社会問題
★軍隊を持たない国 2★
 
② グレナダ・・・米国が軍隊を解体

 グレナダは1974年に英国から独立したが、1961年から続いたゲイリー政権の腐敗に対する批判が高まっていた。ゲイリーは労働運動のリーダーであったが、ゲイリズムと呼ばれる一族支配と反対派への弾圧体制を築き、失業や貧困は放置された。
 1979年、「新しい宝石運動(NJM)」が登場した。1970年、看護士による改善要求デモに遡る。
 この時、英国から若き法律家が2人帰国し、看護士たちに援助した。モーリス・ビショップとケンドリック・ラディックスである。英国における黒人学生組織では名の知られたマルクス主義者であった。グレナダにマルクス主義を広め、急進的な社会変革、、平等実現、階級廃絶を掲げた。
 2人は1973年にNJMを立ち上げ、福祉、教育、自由を掲げ、政党政治に替えて人民議会と参加民主主義を目指した。政権による弾圧に対してNJMは大衆動員によるデモ戦術を採用した。
 東カリブ地域の教授や学生など知識人が結集し、幅広い運動体となって、ついに79年3月12日、グレナダ革命が始まった。
 ビショップが首相に就任し、人民革命政府を樹立した。人民革命政府は医療や教育に力を入れた。外交政策では非同盟・中立を掲げ、キューバとも友好関係を築いた。このため親キューバ政権とみなされ、米国から敵視された。
 1983年10月、政権内での路線対立からクーデターが起こり、ビショップ首相らが「処刑」され、革命軍事評議会が設立されたといわれる。
 政権転覆が目的だった米国は、在住米人の安全確保を口実にグレナダ侵攻を行った。海兵隊や特殊部隊が送り込まれ、人民革命政府の幹部たちは完全抹殺された。
 実際は在住米人保護の必要性が高くはなく、軍事攻撃が病院など民間施設に対しても行われた。米軍に解体されて以後、グレナダに軍隊はない。


③ セントルシア・・・奴隷解放獲得の歴史

 首都カストリーズの博物館に入ると自由の戦士を復元した人形が目に飛び込んでくる。砂糖プランテーションにおける虐待と重労働からのがれた奴隷たちは、ジャングル各所に自治空間を形成し、英国軍や農園主の私兵と闘った。
「自由の戦士」たちは東カリブ地域史において共通のキーワードである。歴史教育においても博物館の展示においても、奴隷解放、自由を求める人々の戦いが物語の中核に位置している。
 マイケル・オバーティンの小説『ネグ・マロン』(2,000年)は、その歴史を描いている。「ネグ・マロン」とは「逃亡した黒人(=自由の戦士)」という意味のクレオール語(パトワ)である。時代は1777年、部隊は英仏が領有権を争ってていたセントルシア。
 農園から逃亡して自治社会を形成した黒人たちが、自由を求めて闘った。自治社会と農園は切り離されていたわけではない。逃亡先から農園に出入りする活動もあるし、農園に残って仲間を救出する秘密の仕事もある。
 リンカーンに代表される政治家や慈善活動家による奴隷解放の物語とは異なる世界が、ここにはある。奴隷と虐待、勇気と解放、立ち上がる女性。カリブ地域にディアスポラ(政治上の理由などから本国を本国を離れて暮らす人々)の子孫として生まれたすべての人々にとって歴史は遠い彼方にあるのではなく、今、自分自身の存在、家族、コミュニティそのものとしてある。

コメント (8)
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