九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

今夜「平和のともしびウォーク」ですご参加を!!   まもる

2008年12月08日 10時20分14秒 | Weblog
★開戦の日を記念し、今日、平和を願う冬の行事「平和のともしびウォーク」をします。

 今年も十二月八日(月)午後5時から8時まで、博物館から千種まで行進します。昨年は昭和区・瑞穂区・千種区、名東区などから300人が参加しました。

☆私の参加している「昭和区九条の会」は、開戦記念日の今夜、第三回目の「平和のともしびウォーク」を開催します。是非ご参加ください。

 今年は「9条で平和。街角を平和のともし火で埋め尽くそう」を合言葉で行進します。
 灯し火用のペットボトルは用意してあります。お気軽に沿道からでもご参加ください。また、沿道からの応援もよろしくお願いします。

★ みなさん、開戦記念日の今夜、三百万人の犠牲者に哀悼の意をひょうしながら冬の夜空に平和の誓いを響かせましょう。

☆昭和区九条の会は、 御器所交差点南西の天神公園で5時40分から昭和区の出発集会をします。

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「メディアの憲法報道を問う」     

2008年12月08日 09時59分51秒 | Weblog
東海放送人九条の会 2周年記念講演会は第3回定例総会のあと、
午後3時から総会と同じ愛大車道校舎新館9階903教室で行われました。
講師に、中京大学教授で、中日新聞論説委員でもある飯室勝彦氏を迎え、
テーマは「メディアの憲法報道を問う」でした。

ご本人の了解を頂いて、当日の講演の詳細を紹介させていただきます。
                    (落石)


憲法は時代の道案内

自己紹介を簡単に申し上げます。
私は中日新聞に入社しまして38年間中日新聞の記者をやっておりました。
記者として取材対象にしたのは裁判が比較的長かったんですが、
最後は論説委員として12年ぐらい社説を書いておりました。
今本業の方は中京大学で、こそばゆいんですが、
一応教授として学生の相手をしております。

メディアの方の仕事は従でございまして、
時に、私が書くべきだと社の論説の責任者が思ったテーマを
書かしてもらうということでございます。
ですから皆様方のなかにも中日新聞の社説をお読みになって、
時に腹をお立てになったり、
或いは共感を得られた方の文章の中に私が担当したものがあるかもしれません。

どっちの反応にしましても、新聞社およびライターにとっては
非常に励みになるものです。


新聞社の中にいると見えないものが外にいると見えてくる
という部分もあるんですね。
自己批判を込めて今の報道に少し私の考えを
ご披露させていただきたいと思います。

改憲熱は下がったのか

導入部として新聞記事の話から入ります。
今年の5月2日、朝日新聞の二面の時事刻々という欄に
「政界、改憲熱 今は昔」という記事が載りました。
時事刻々というのはその時々の一番大きな話題を解説を交えて掘り下げる
欄なんですが、
「政界、改憲熱 今は昔」というメインタイトルで
「首相抑制、民主も乗らず」という見出しがついています。

首相というのはこのころは福田さんでした。
要旨を簡単に言いますと、憲法改正の国民投票法案は成立したが、
憲法審査会は未だ国会に出来ていない。
当時の福田康夫首相は安倍さんと違って改憲ということを全然口にしなくなった。
民主党もいまや政権を取ることに必死で憲法には全然関心がなさそうだ、と
いう記事です。

福田さんは改憲のことを何も言わないまま政権を放り出し、
いま麻生さんですね。
麻生さんも経済問題の対応に追われて憲法改正ということは何も言いません。
本来なら麻生さんも安倍さんと同じぐらい改憲意見のはずなんですが
何にも言いません。

民主党の方も政権が取れるかもしれないと言うことで
憲法にあまり関心を示さない。
とすると5月の朝日新聞の「政界、改憲熱 今は昔」
という記事は正しかったのかなぁと思われるかもしれませんが、
僕の見方はまったく違います。
この記事を読んだときから、そんなことはないぞ、
いま熱が下がったように見えるだけで、
政界の改憲熱は相変わらず高いよというのが僕の意識でした。

この見方は甘いんじゃないのと思っていた矢先に、
田母神論文問題なんですね。航空自衛隊のトップが侵略戦争を美化して、
憲法改正すべきだということまで言い出した。
これは僕にしてみれば「やっぱりなぁ、それ見ろ」という感じだったんです。
だって、その前後の選挙を見てますと、
とても政界の、或いは国民一般の雰囲気が変わったとも思われないんですね。確
かに参議院選では自民党を大敗させました。
ですから今やとても三分の二なんて取れませんから
憲法改正なんてことは言い出せない雰囲気になっていますが、
その前の衆議院選では自民党を大勝させています。

そうしてみると、憲法を守る運動が拡がっているのは事実なんだが、
その運動とは関係のないところでは、もっと風のようなもの、
吹いてくる風のようなものが動かしているんではないか。
ですから僕はいつも別の風が吹いてくると怖いなぁと思ってたんです。
そういう時に、あの論文が出て来たわけです。
ですからあれは、今新聞で扱われている以上にタイヘンな問題だと思っています。
ゾッとしています。
あれは形を変えた二二・六事件ではないか、という気がしています。

二二・六事件は言ってみれば政治のやり方が気に入らないと言って、
軍の指導者たちがクーデターを起こそうとした事件ですね。
あの論文そのものは、あれで3百万円くれれば美味しいなぁという論文です。
インターネットでアパグループというページを呼出しますと
そこに論文の発表というウェブがありますから、そこで全文引き出せます。

                           つづく


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<毎日世論調査>内閣支持21%に激減!何故解散とならぬ?

2008年12月07日 23時44分21秒 | Weblog
12月7日22時20分配信 毎日新聞

麻生内閣の支持率の推移

 毎日新聞は6、7の両日、電話による全国世論調査を実施した。麻生内閣の支持率は21%で10月の前回調査から15ポイント下落、不支持率は17ポイント増の58%だった。「麻生太郎首相と小沢一郎民主党代表のどちらが首相にふさわしいと思うか」という質問への回答は、麻生首相が21ポイント減の19%、小沢氏が3ポイント増の21%で両者が初めて逆転。「選挙の顔」と「党首力」を期待されて就任した首相が今後、厳しい政権運営を迫られるのは必至の情勢となった。

 ◇失言、政策迷走…不支持は58%に 

 内閣支持率21%は安倍政権最低の07年8月調査の22%を下回る数字。自民党が大敗した参院選直後の調査で、安倍晋三元首相は1カ月余後に退陣を表明した。また福田政権下の08年5月の18%、6月の21%、7月の22%と同水準となった。

 支持理由は「首相の指導力に期待できるから」が前回調査比14ポイント減の19%。不支持理由も「首相の指導力に期待できないから」が14ポイント増の27%となり、政策決定を巡る政権の「迷走」や首相の失言などが支持激減に影響したとみられる。

 首相の不用意な発言や漢字の読み間違いへの評価は「首相の資質を疑う」が48%で「目くじらを立てるほどのことではない」の42%を上回った。

 どちらが首相にふさわしいかは「どちらもふさわしくない」が14ポイント増の54%。9月は麻生首相42%、小沢氏19%、10月は麻生首相40%、小沢氏18%だったことから、麻生首相と答えた層が「どちらもふさわしくない」という回答に流れたことがうかがえる。

 一方、定額給付金への評価は「評価しない」が70%で「評価する」の21%を圧倒。政府が08年度第2次補正予算案提出を09年1月召集の通常国会に先送りしたことも「支持しない」61%、「支持する」24%で麻生内閣が政策的にも支持を集めていないことが浮かんだ。【坂口裕彦】

 【調査の方法】 6、7日の2日間、コンピューターで無作為に選んだ電話番号を使うRDS法で調査。有権者のいる1615世帯から、1031人の回答を得た。回答率は64%。


★毎日の世論調査を見て「さもありなん」と思った・
 絶好のチャンスですが。民主党など野党に自公を解散に追い込めないのは、経済最優先の国民感情でしょうか?
 教えてください。   (ネット虫)
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ちょっとね? ファシズム?   落石

2008年12月07日 10時14分30秒 | Weblog
コメント欄でのファシズム論議、案外大切と思い
本論に載せました。

ファシズムとは?ということで文科系さんは
こう述べています。

 さて、ぼくは典型的なファシズムの思想だと思いますね。
 その理由は以下です。
 民主主義を衆愚政治と言い切り、少数の人によるのでもよいからとにかく
 「国の団結」こそ全てとする思想はファシズムでしょう。
 しかも、そのように語る舞台であるこの世界を「常時戦場」と見ている。

これで、ファシズムと言ってしまったら、
ちょっと言いすぎではないでしょうか?

あるいは、これはファシズムなのか?




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中日新聞の社説    落石

2008年12月07日 10時03分18秒 | Weblog
中日新聞12月7日の社説がとても良いと思いますので、転載します。

  


◎人権としての脱貧困

 努力しても人間らしく生きられない人たちを放置するのは許されません。
経済危機でより深刻化する貧困や不安を「人権問題」として考えましょう。

 スーパーのレジの前で数十円の予算超過に悩み、財布をのぞき込む
お年寄りが増えたそうです。ベテラン店員の観察です。
 犯罪白書によると、社会的孤立や経済的不安を抱えた高齢受刑者が増えました。
空腹から食品の万引きを繰り返し、刑務所に入ってホッとする人もいるそうです。

 二十年前から続く博報堂生活総合研究所の生活定点調査では、
今年は「安定した暮らしがほしい」「食費を節約したい」人が
いずれも過去最高の四四%でした。 


 非正社員が利益に貢献

 「割安感がある」と高級ホテルのバーに通う麻生太郎首相には、
こうした不安、貧困は理解できないのではないでしょうか。
 働いても人間らしい生活を営むに足る収入を得られない
ワーキングプアと呼ばれる人が、若者を中心に急増し、
年収二百万円以下の民間労働者は一千万人を超えています。
自殺者は十年連続で三万人を超え、昨年の自殺者のうち七千三百人は
経済苦が一因でした。

 小泉改革の結果、雇用の調整弁として派遣労働など
低い賃金の非正規雇用への転換が急激に進められ、
不安定な雇用による低賃金労働が広がりました。
いまや非正規雇用の労働者は二千万人近く、全雇用労働者の三五%以上です。

 安く使え、いらなくなればいつでも切り捨てられる、
これら非正社員の貢献で多くの企業が巨額の利益を上げてきました。
 しかし、厚生労働省の「働き方の多様化に関する調査」では、
派遣労働者の半数が正社員としての安定した雇用を求めています。
自ら好き好んで“ハケン”をしているのではないのです。


 人間らしく生きる権利

 こうした人々の生活を支えるべき社会保障制度は
自己負担の増加と給付の削減が続いて十分機能せず、
「貧困の連鎖」現象さえ生まれつつあります。
生活を維持できるだけの収入を得られなくても救済されず、
蓄えや家族、住まいなどを次々失って、
貧困が世代を越えて継承され拡大再生産されてゆくのです。
 このような貧困は社会の構造から生まれており、
人間が生まれながらにして有する人権を侵害していると言っていいでしょう。

 日本国憲法第一三条は、個人の尊厳を維持し、
生命、自由、幸福を追求する権利を「最大限に尊重する」と定めています。
第二七条は公正な労働条件で人間らしく働く権利を保障しています。
 第二五条では「健康で文化的な最低限度の生活」を
営む権利が保障されています。

 憲法は国民の権利と国家・政府の義務、責任を定めた法典です。
ひとには貧困から脱して人間らしく生きる権利があり、
政府にはそれを実現する責任があるのです。
 自分の努力だけでは人間として生きられない環境を改めず、
当事者の自己責任を云々するのは人権無視です。
政治としてなすべきは「施し」ではなく、権利行使を阻んでいる要因を除去して、
権利を実現できるようレールをきちんと敷くことです。

 現在の政治がこうした方向で行われているとはとうてい思えません。
実施細目を決めずに自治体に丸投げし、漂流している定額給付金がいい例です。
 場当たり的な実施で、本当に必要な人に届かないかもしれないのですから、
貧しい人の権利などは首相の眼中にないのでしょう。
 敗戦直後、占領軍の米兵が自動車から子どもたちにチョコレートを
ばらまいた光景を思い浮かべた高齢者がいるかもしれません。

 危険で過酷な労働を低賃金で強いられることが多い日雇い派遣の禁止も、
国会混乱で、いつになったら実現するのやらです。

 構造改革、自由化、多様化などをスローガンにした改革で、
極端な格差と社会的貧困が生まれました。
昨年あたりからやっと多くの目が改革の影の部分に向けられるようになったものの、
世界的な経済危機に目を奪われ、脱貧困は再び忘れ去られそうです。


 自動車など製造業界を中心に、来春までに職を失う非正規労働者は
三万人を超える見通しです。
厚生労働省は緊急対策本部を設置しましたが、
「権利実現」の視点を忘れてはなりません。


 尊厳を維持して暮らす

 すべての人が人間としての尊厳を維持しながら暮らしていけるように、
雇用と社会保障に対する一体的取り組みが求められます。
 そのためには「恩恵」としての貧困対策から「権利」としての
貧困対策への発想転換が必要です。
政治家も企業経営者もアタマを切り替えなければなりません。


    

9条を守る=憲法を守る
               
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開戦記念日の俳句           まもる

2008年12月07日 00時00分56秒 | 文芸作品
★「記念日俳句」というHPがあります。    
     http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/kinenbi-home.htm
 日本記念日協会と里俳句会が共催で立ち上げているHPです。365日記念日の無い日は無いのですが、その記念日に合わせたお題で俳句の応募を募り載せています。応募の作品はそれぞれ個性的な秀句揃いです。そして、選者が鋭くも温かい講評を載せていて楽しいHPです。
 今回はその中から明後日の十二月八日の終戦記念日が近いので、この日の句会の様子を紹介させていただきます。
*****************************  

   12.8:太平洋戦争開戦記念日    寒蝉選
                 Date: 2005年12月08日 (木)
【天】  
太平洋戦争開戦記念日梵鐘の流離譚          青榧
【地】  
文箱冠水す太平洋戦争開戦記念日           中村安伸
【人】  
太平洋戦争開戦記念日 謝らぬ子を押し入れに    ほにゃらか
【佳作】 
太平洋戦争開戦記念日滅法からす鳴き         紅椿
消しゴムで消えぬペン文字太平洋戦争開戦記念日  きみえ
太平洋戦争開戦記念日馬鹿と云ふ字の難しき     百花
パールのピアス太平洋戦争開戦記念日         まなぶ 
幾万の母へ太平洋戦争開戦記念日            園を
太平洋戦争開戦記念日日米対抗餃子早喰競争    流鬢力
彼の名もジョンといった太平洋開戦記念日        雪うさぎ
【選評】
 天の句は戦争を真正面から批判するのでなく、梵鐘たちの流離譚を思い起こさせることによって却って反省を促す効果がある。梵鐘や銅像は供出されて軍艦や飛行機になり、例えば大和のように轟沈し海の藻屑となったり、例えば長門のように武装解除された後水爆実験で沈められたり・・・。
 地の句のシュールな光景もまた先の戦争への痛烈な批判となっている。文箱は日本の伝統的な文化を象徴すると見た。それが冠水するとは勿論軍艦の沈没するイメージを重ねながらアメリカ文化に染まって失われていく日本の文化の状況を言っているとも取れる。いやそのような戦後の状況と取らなくても戦争が起こることによって文化の被る軍部からの圧迫(例えば新興俳句の弾圧など)を指しているのかもしれない。実に深い句だ。
 人の句は誰にも覚えのある幼い頃叱られた思い出に戦争で負けたわが国の状態を喩えている。押入れに押し込めようとしているのはアメリカとも取れるし「謝らぬ子を」という表現からは中国とも。いずれにせよ先の戦争は子供が親に反抗するような無謀なものだったとの見方。
 佳作。「滅法」からすが鳴くとは不吉な、つまりは戦争を忌避する姿勢。「消しゴム」は拭い去りたい愚かな戦争の記憶、でも消えはしないし忘れてはならない。「馬鹿と」云う字は別に難しくもない、しかし馬鹿には自分が見えないから難しいだろうなあと、先の戦争を引き起こした馬鹿な人達への批判。「パールのピアス」は勿論真珠湾のイメージ、戦争と平和。「幾万の母へ」は流石に女性らしい思い、戦争で辛い目をするのは戦う男達ばかりではない。「日米対抗」のあほらしさ、でも戦争はもっとあほらしいのだとの穏やかな批判、このくらいの対抗戦なら人も死なず金もかからぬのに。「彼の名も」は戦争で殺されたり殺したりした何千ものジョンと、後に歌を通して戦争を批判する活動を続け凶弾に倒れたジョン・レノンという同じ名の男との対比。選外だが「太平洋戦争開戦記念日トラ三匹放つ(淡々)」の駄洒落の馬鹿馬鹿しさ。

【選者詠】
  太平洋戦争開戦記念日草鞋のやうなステーキ食ふ  寒蝉

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『憲法九条、今こそ旬』       加藤周一氏の講演より

2008年12月06日 10時09分53秒 | Weblog
★加藤氏が2004年7月31日にされた講演を再録します。  (まもる)
************

『憲法九条、今こそ旬』 加藤周一 2004・7・31 
  
 「九条の会」の最初の呼びかけ人である加藤周一氏は、会を立ち上げた理由として、政治家の間で今「圧倒的な早さで、急激に」憲法改正案が広がっていることを挙げた。

 この憲法改正の声を加藤氏は「来るべきものが来た」と、当然のものとして受け止める。憲法が生まれてから半世紀、歴史を追えば、九条の解釈は変わり続け、軍備を増大させてきた。

 戦後、日本では最初、軍事に関することは、自衛さえも禁じられていた。それが他国からの攻撃に対する自衛が論じられるようになった。自衛隊の活動範囲は、日本周辺に広がり、今は「イラクは遠いですよね。イラクが可能ならば、ブラジルでもどこでもつまり世界中ということです」と加藤氏は語った。

 「なんとか理屈をつけてここまできた」が、「限度までくれば文章、つまり法律を変えるしかない」。改憲にいきつくのは、必然の結果で「何も驚くことはない」と加藤氏は述べた。

 憲法解釈の「もう一つの方向」

 また、加藤氏は憲法解釈の「方向」に疑問を投げかけ、もう一つの可能性について論じた。日本は軍備を強くする、自衛隊活動を広げる方向にしか動かなかった。しかし、それと対極にある「自衛隊の装備を制限する、活動範囲を狭めようというような方向」で解釈を進めようとすることは一度もなかった。「かつて『逆コース』という言葉があったが、以前の『日本軍』に段々と戻すようになった」と、加藤氏は述べる。

 加藤氏はそれを「武装放棄を謳った、独創的で世界でも画期的な憲法に対する反動」と呼び、日本の戦後は保守政党が支配してきたと言われるが、それは制定された憲法に対する明らかな反動政策だったと述べた。「保守ではなく、反動。別の2つの概念である」

 加藤氏によれば、軍備を可能にするような解釈をしながら憲法と共に暮らすことが一つの可能性だとすれば、もともとの「憲法の精神を強める、積極的に打ち出す」方向で憲法と共に暮らす可能性もあった。しかし、日本では第1の解釈のみを選択し、第2は実現しなかった。

 もし憲法がなかったら

 「憲法がなかったら何が起こるかを考える必要がある」と主張する加藤氏は、「おそらくそうなるであろうということを予想できる」として、4点を挙げた。

 第1に加藤氏は「集団的自衛権」の問題を取り上げた。「集団」とはどこの集団かと考えたとき、それは、安保条約を結んだ日米集団でしかない。日本とフィリピン、日本と韓国、日本と中国といった「集団」は誰も考えておらず、結局「日米軍事同盟が強化される」ことになる。そして、第2に起こりうるのが「徴兵の問題」。集団的自衛権の関係で、日本だけ徴兵しないというのは難しくなるだろう、と加藤氏は述べる。また、第3点として、軍備が増大すれば、軍産体制が強くなることが指摘された。以前の日本のように軍部の政治への影響が増し、介入するようになる。そして軍事関連企業が圧力団体に成長する。また、第4の問題として、外交面における選択の範囲が狭まることが挙げられた。

 加藤氏はもし戦争を望まなければ、軽々しく憲法9条を廃棄して、安保条約を強化することに簡単に踏み込んでいくのは「非常に危険である」と訴え、「今が分かれ道だ」と語気を強めた。「我々(「九条の会」)は、戦争に近づいていく道をとらないほうがいいという立場でいる」

 「我々に何ができるのか」

 最後に加藤氏は、「我々に何ができるのか」について論じた。一つには、すでに提出したアピールの賛同者を増やすことを挙げ、講演会の参加者に「賛同者を増加するために助けていただきたい」と述べた。

 また、議会の中では圧倒的に改憲だが、議会の外、世論調査をすれば、半分以上が「改憲しないほうがいい」という意見を持っており、議会の内と外とでかなりの食い違いがある、と加藤氏は指摘した。加藤氏は「それを狭めることをしなければいけない」と語り、「我々、一般大衆が一番強く意見を言うことができるのは選挙であり、選挙と意見が結びつくことが重要になってくる」と述べた。

 「みんなで協力していけば、あるいは希望が出てくるのでは、と私は思います」

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加藤周一氏が死去 幅広い評論、「九条の会」

2008年12月06日 10時03分36秒 | Weblog
★九条の会の立ち上げ人の一人、加藤周一氏がなくなられました。心からの哀悼の意を表します。中日新聞より概要をお伝えします。(まもる)

**********************************

東西にわたる深い知識と幅広い視野で評論活動を続け、護憲派文化人らによる「九条の会」を結成した加藤周一(かとう・しゅういち)氏が5日、死去した。89歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取りや喪主などは未定。胃がんを患い都内の病院に入院していた。

 東京大医学部卒。血液学を専門とするかたわら文学に傾倒、フランス文学や古典に親しんだ。戦後間もなく福永武彦、中村真一郎氏と「1946 文学的考察」を著し、若手文学者として注目を集めた。

 その後3年間、医学留学生としてパリなどに滞在。欧州各地を回ることで日本を見つめ直し、日本文化の雑種性を指摘した評論「雑種文化」を発表した。次いでカナダ、ドイツ、米国などの大学で日本の古典文学などを講義。日本文学を世界史的視点から通観した大作「日本文学史序説」で大仏次郎賞を受賞した。

 上智大教授、東京都立中央図書館長などを歴任、林達夫氏のあとを継いで平凡社「世界大百科事典」の編集長を務めた。

 主な著書に自伝的回想録「羊の歌」、評論集「言葉と戦車」、「加藤周一著作集」(全24巻)などがある。

 2004年には作家の大江健三郎氏らと「九条の会」を結成し、改憲に反対した。

 (中日新聞)

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フランスで原爆の被害を伝える    

2008年12月05日 09時43分36秒 | Weblog
フランスに住んで原爆の被害について伝えている
美帆シボさんの歌集「人を恋うロバ」が最近出版されました。

そのなかから幾首かを。

 被爆者のかたえに訳す証言を五度くりかし五度こころ漂う

 「原爆の子」を語らえば聞く子らの視線はひしと我が身に迫る

歌集の題になった歌

 闇ふかき谷間を駆ける音ひびき窓の灯りに人を恋うロバ

などです。      (落石)

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不整脈ランナーの日記(3)  文科系

2008年12月05日 08時44分55秒 | スポーツ
11月24日投稿の随筆「年をとった」でこう書いた。
「長年、不整脈をおして、これを管理しつつ走っていたが、とうとう走れなくなって、2ヶ月も様子を見ている。筋肉が弱くならない程度に未練ったらしく階段のぼりなどをしつつ」

28日投稿の「天にも昇る気持ち」では、こう書いた。
「2ヶ月ぶりくらいに走ったが、異常が出なかった。ウオームアップに以前の4倍ほどの時間をかければ何とかなると分かった。歩いたり走ったりの末に40分走り通せて、1時間のその合計7.3キロ。2年前の1時間最大限12キロに比べれば雀の涙だが、『天にも昇る気持』!」

さて、昨日は怖々と1週間ぶり、再開後2回目のラン。またまた慎重に20分ほどのアップから始めた。階段登りは4日前に140往復(18階段、合計約50分)ほどをやっているから体力には不安はない。膝もフクラハギも痛めはしないだろう。問題は心臓だ。
トレッドミルで歩行など10分~15分ほどのアップを続けた。以前より汗が出にくいのは、悪い兆候か、それとも良い徴なのか。とにかく、いろんなことが心配になる。
結果は、とても良い兆候だったと後で分かった。
65分で8キロ。心臓が無理をしていないからこのスピードでは汗が少なかったということなのである。事後の疲労も前回とは全く違う。更衣室への、あるいはジム帰りの階段登りによって、その日の疲労度が分かるのである。脚も前回よりもずいぶん軽いし、なによりも心臓疲れからくる運動後の息切れのようなものがない。2ヶ月ぶりにたった1回走っただけで2回目の今日、この前進。まだまだ取り戻せると、根拠のある希望が生まれてきた。
今日も最高は時速9キロ(前回は8.2キロ)まで走っているし、最高心拍は155(同145)ぐらいまで行った。再開後わずか2回目でこの前進なのだから、異常が起こらなければ、1ヶ月後には時に時速10キロも可能だろう。問題は1時間の走行距離だが、当面せめて9キロを目指そう。

不整脈に負けて、体力低下との悪循環から、何もなかったような老後を送った父を見ていて、それを迎え撃とうと思った。思えばいつもじり貧を避ける、荒療治のような生活だったなーとも振り返ることができる。30歳前に椎間板ヘルニアの大手術をして、その再発を防ぐために運動を心がけてきた。それが僕の原点で、一病息災、今のランニングにつながっているのだ。

血液の回りが良くなったせいか、2時間ギターを弾き通しても最近起こる肩こりが、以前に戻ったようになくなった。今日は先生のレッスン、今から2時間、元気に練習だ。  
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日本型保守主義の「形」   文科系

2008年12月05日 06時15分45秒 | 国内政治・経済・社会問題
保守系さんとのすれ違いから

僕はこのブログで保守系さんともっとも長く、激しくやりあってきた者の1人だ。振り返って今、正直言っていろいろ勉強になった。初めはどう話してみても、重視している理念がことごとく対立して、どこに接点があるのだろうかと戸惑うばかりだった。民主主義というと「衆愚政治」と返ってくるし、明治憲法や天皇制を批判すれば「現憲法よりマシ」とか「民主主義(=衆愚政治)よりもはるかにマシ」などの応対だったかと思う。これを、賛成はできないにしても一つの論として理解しようとすると、「枝葉」や歴史的事件の解釈やなどの論議をしていてはだめだと気づいた。ものの考え方、感じ方がもっと大きな幹のようなところで別れているのだろうから、そこまで行かなければ分からないだろうとも、つくづく思ったものだった。
そこで期せずしてどんどん討論の世界を広げていくことになった。その末にとうとう、「これなら分からぬことはない」という思想基盤に行き着いたものがあった。幕末から明治期にかけての思想家(確か東京大学初代総長)、加藤弘之の「社会ダーウィニズム・日本版」とでもいうべきものである。そして、このブログの07年7月16日「日本主義の形(2)」で、この加藤弘之の「形」を紹介することになった(その1は7月8日です。この画面の出し方はこうです。ブログ右欄外に年月が並べてあるコーナーがありますので、そこの07年7月をクリックしてください。すると、その上のカレンダ-が08年12月から07年7月に替わります。その16日とか8日とかをクリックしてくだされば、画面が「その日のブログ面」に替わります。その画面で、読みたい記事に行ってください)。保守系さんもこの思想を知っていると答えられたし、おそらく全般的に人間観、歴史観に臨む態度、センスとしてこういうものを持っておられるのだろうと推察できた。というよりも、昨今の日本保守主義学者たちなどが、こういった体系を至る所で活用し、彼ら流の「社会教育」の方法論としてきたのではないかと、今は思っている。こういう判断から出発して最近、こんな会話が保守系さんとあった。


最近僕が彼と行った討論から

【 貴方の思想の定義を僕はこう名付けることにしました。『国家間生存競争の絶対主義(絶対化論のほうが良いだろう)』と。それは、以下のような命題を絶対化することによってのみ初めて成り立つ『思想』である。
①国家の滅ぼし合いは、過去も現在も未来も全く減ることなく続いている。
②国家が滅びたら、たとえ現代先進国家でもその個人は悲惨というだけのことであるから、他の何を犠牲にしても、国家存続、防衛を義務としなければならない 】
 これに対して保守系さんはこう答えてきた。
「当然の考えですが、間違っていますか?」
日本の保守主義一般もこういう「絶対化論」の思想的特徴を持っているのだと思う。


こういう「絶対化」にも程度があると考えるが

保守系さんは不用意に「当然の考えですが」と答えられたが、『国家間生存競争の絶対化論』という場合、この「絶対化」にも程度というものがあるはずだ。
まず第一にこのこと。
大国の戦争は、20世紀後半にいちじるしく減っていると思うが、戦争は今後も幾分かずつでも減らせるのではないか、と。これに対しては、核兵器があるから20世紀後半にはそうなっているだけだとの回答が、保守系さんからあった。対する僕は結局、こういう見解をずっと言い続けてきたものである。「『戦争は減らない、備えよ』と言う人たちが軍備を増強させるなどで、結局、戦争を起こしてきたのではないか。少なくなっているという人たちでないと戦争は減らせないだろう」と。ぼくのこの命題にはまた、保守系さんはこう答えるだろう。「経済力があるのに軍備をしない国こそ、相手の侵略を誘発するようなものではないか」と。

どうもこの点の「絶対化」は取り下げられる気配もないようだ。だから僕は思う。保守系さんの思想は、「日本国」と「戦争」を絶対化することによってのみ成り立っている考え方なのだと。戦争が未来永劫絶対にちっとも減らないと見るならば、備えなければならないと誰でも言うに違いない。保守系さんらの全ての判断、命題は、一見戦争や「日本国愛」に関係ないものも含めて、実はここから生まれてくるものなのだと僕は考えることにした。一般には非常識と思われるようななんらかの判断もすべて、この絶対化を前提として生まれて来るものなのであると、今は考えることにしている。

第二に、この「絶対化」には、こんな程度問題もあろうと思う。
軍事的・政治的国家主義運営からは犠牲にするものが膨大に出るが、犠牲にしてはいけないものもあるだろうと。例えば保守系さんがケインズを支持されるところを見ると、今はやりの新自由主義経済よりも修正資本主義的経済のほうがお好みらしい。ケインズは現在では、新自由主義者が忌み嫌う「大きな国家」の代表者のようなものである。対して新自由主義者は、国家防衛と外交以外の福祉、医療など税による所得再配分効果などは全く眼中になく、すべて民間任せというようなそんな「小さな国家」論者たちなのだから。
この点については一度こううかがってみたいものだ。「ケインズのどこを支持されるのですか」と。ただしこの点への保守系さんの言及ははっきり言って非常に少ないから、日本国や戦争を論ずるほどには熱心に学ぶ対象にはなっていないのではないか。
あるものの絶対化によって成り立っている「思想」は、その絶対化の領域以外には、熱心にはなれないものなのかも知れない。


「我が国」、戦争の絶対化が切り捨てるもの

紙数の関係で、ここはメモ程度にとどめる。
現在の世界恐慌状況の中で、経済の国際的つながりはどんどん緊密になっていかざるをえない。しかしながら、保守系さんのような思想は、アジアとの結びつきをすら、損なうものであると思う。
飢え、飢餓、水、環境など、地球に金のいる問題は多いが、国があってもこれらの問題に何の助けにもならない人々は圧倒的に多い。「日本主義」は最初からこういう人々を無視することになろう。「歴史のない民族は可哀想」、こんな文章もよく読ませていただいたが、こういう人々にも対してもできることはないかと胸を痛めるような思想ではないようだ。またむしろ、これらの人々こそが戦争をなくしていくのではないかと僕は思っている。
戦争を好む国際的軍事産業が、特に不景気の中では、この思想を必ず利用するという問題もあると思う。その一典型がシオニズムである。
結論として、「日本主義」があれば「イスラム主義」、「シオニズム」、「ナチズム」もあって、そういうそれぞれの「原理主義」と同根の思想と述べても言い過ぎでないのではないか。世界をばらばらにする思想であると言うしかないと思う。よってこういう思想のほうがむしろ、実は、戦争と不可分に成り立っているものなのではないかと思う。
もっともまー、加藤弘之の思想も含めて「社会ダーウィニズム」とは、生物世界に見える適者生存、生存競争、弱肉強食の様相を、人間世界理解に誤って適応したものに過ぎないのであるが。
コメント (11)
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NHK経営委員候補に推されて考えたこと③  桂 敬一

2008年12月04日 09時50分44秒 | Weblog
ジャーナリズム研究者・元東大教授、桂さんの最終回です。 


3.NHKをめぐる当面の問題の望ましい解決めざす

 NHKは、現に直面しつつあり、一両年のうちにはさらに困難の度合いを
増すこのような情勢のなか、政界・財界の関与に身を任せ、
漂流するばかりだと、結局、政治と産業の貪欲な野望に引き裂かれ、
営々として国民の受信料によって築かれてきた
公共的な言論報道機関、放送文化の砦は、権力と市場に奪い取られ、
雲散霧消の憂き目に遭うおそれがある。
なんとしても、そのような状況が出来するのを、防がなければならない。
そのためには、視聴者の立場に足を置き、その目となり耳となり、
さらには声ともなる経営委員がNHKの主体性を復権、
その独立を確かなものとする必要がある。

 そのために「めざす会」は今回、私と湯山さん、
2人の候補を推薦する運動を始めたが、
同時に、NHKをめぐるいくつかの問題にも同時に取り組み、
適切な解決をNHK、ならびに関係機関に働きかける運動も推進している。
その一つを紹介すれば、NHK・ETVの従軍慰安婦番組改変問題は、
いろいろな意味で未解決というべき状態にあり、
そのマイナスの影響を考慮すると、
問題を放置しておくわけにはいかないというのが、
「めざす会」関係者の一致した見解だ。

そこで、この問題で裁判を提起した原告女性団体、
VAWW-NETジャパンとは関係なく、
独自に放送界の自主機関、BPO(放送倫理・番組向上機構。NHKも会員)に対し、
機構内の放送倫理検証委員会が番組改変の事実について検証を行い、
倫理的にどのような問題があったか、
その是正に関して判断を示してもらいたいと、9月に申し入れを行った。

VAWW-NETジャパンの提起した裁判において、
高裁は、NHKが政治家の意向を忖度し、
憲法が保障している編集の自由をみずから曲げ、逸脱し、番組を改変した、
とする判断を示した。
これは一審=地裁判決後に朝日の報道やNHKの当該番組制作従事者からの
告発があり、それを踏まえて出されたもので、
一定の事実認定をしたうえでの判断であるということができた。

ところが、今年の最高裁の判断は、
「編集権」とする言葉の語義解釈だけに終始し、
それは経営トップだけに帰属し、そのトップだけが裁量できるものであって、
現場の人間は自分のつくったものを改変されても、
異議を唱えることはできない―
まして外部の制作協力者が関与すべきものではない、とするものだった。
番組改変の事実に関する判断にはいっさい踏み込まない、
納得のいかない判決だった。

本来、NHKが報道機関として健全なら、みずから検証番組をつくり、
視聴者の前に事実の経過と問題点を明らかにし、
反省すべきところがあれば改善を約束するのが、適切な解決のやり方だ。
だが、NHKはそれをやろうとしない。
そこで私たちはBPOに問題を持ち込んだわけだ。
 
BPOの放送倫理検証委員会はその後、9・10・11月と
この問題の取り扱いについて検討、慎重な審議をつづけている。
私たちは、一議に及ばず差し戻す、とするような対応はせず、
このように粘り強く検討を繰り返している委員会に深い敬意を覚えるとともに、
私たちは、怯むことなく、臆すことなく、
大事なことを一つ一つ着実に解決していくこと、
その努力を倦まず重ねていくことの大切さも、学んでいる。

11月11日、国会・参院で、「我が国が侵略国家だというのは濡れ衣だ」と
する論文公表問題で参考人招致された田母神俊雄前空自幕僚長が、
各党議員の質問にさらされた。
だが、国民の関心も高く、問題の性格上、田母神参考人の言説の危うさは
広く知られるべきものであるのに、NHKはその生中継をしなかった。
そもそも申請さえ国会にしていなかったのだ。
その事実が判明すると、多くの視聴者から抗議の声が殺到したが、
NHKが、広報窓口に応対を任せっぱなしで、
しかも回答は「NHKに編集権があり、
NHKとして独自の編集判断によってしたことだ」とのみ、
何度でも繰り返させるだけのものだったのには驚いた。
ある電話の抗議者が、一問一答のありのままの録音を、
ユーチューブに投稿していたのを聞いたが、
番組改変問題・最高裁判決の「編集権」論が、
早速、悪く生かされていることを実感した。
NHKをそんな方向に追いやらないためにも、
この改変問題を正しく解決しておくことが必要だ、と思った。

    

以上で桂さんの NHK経営委員候補に推されて考えたこと
は終わりです。

署名運動を進めていらっしゃるということです。
見かけたら、是非、ご協力をお願いします。
                        落石


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NHK経営委員候補に推されて考えたこと②  桂  敬一 

2008年12月03日 17時04分57秒 | Weblog
ジャーナリズム研究者・元東大教授の桂敬一さんの2回目です。
9条を守るうえでも、知っておきたい内容です。
                        (落石) 



2.危機に乗じてNHKを変質させる政界と財界

 NHKの「国営化」を目論む政府・与党:NHKが危機に瀕し、
自分たちで長年培ってきたやり方ではにっちもさっちもいかなくなったとき、
だれがトクをするのだろうか。
そう思うとき、NHKを救う顔をしながら、
これを自分たちの都合のいいものに仕立て上げようとしている二つの勢力に、
注目しなければならない。
一つは、政府・政治家、
もう一つが、情報をグループの主要事業部門に加えようとしている大企業だ。
簡単にいえば政界と財界だ。

 政治の世界では、情報産業への志向が1960年代に
産業構造審議会の場を中心に具体的な動きとなって生じて以来、
政治家が、産業界・財界、官界の意向を受け、一貫してその音頭を取り、
行政が各種の政策のとりまとめ、実行に関わってきた。
その流れは今日も変わらないどころか、
経済の情報化・ソフト化、デジタル情報・メディア事業の中核産業化で
極限に達し、その結節点に現在のNHK「改革」が位置づけられる。

 このような情勢のなかで、政府や政治家の一部は、
1993年の55年体制崩壊を経、とくに小泉政権以降、ポピュリズム政治に傾斜、
プロパガンダ・大衆教化を重んじ、さまざまなかたちでメディアへの
介入・操作を強めるようになっているのが目立つ。
NHKの従軍慰安婦問題を取り扱ったETVの番組改変に
安倍晋三・中川昭一両自民党議員が影響力を及ぼした事件こそ、
その流れのなかで生じたものだ。
そして重要なのは、メディアの言説に直接介入するだけでなく、
NHKに対しては、人事・財政などの面で影響力を及ぼす傾向が露骨となった点が、
無視できない。
人事では端的な例が、安倍政権が古森重隆富士フィルムホールディングス社長を、
前例のない形でいきなり経営委員長に押し込んできたやり方だ。
財政面では、安倍政権の菅総務相が、罰則(法的処罰)付きの支払い義務化と
抱き合わせで受信料を引き下げさせることを提唱していた事実を、
思い出す必要がある。
古森委員長の受信料引き下げの執念は、これと地続きのところにある。
2012年に至り、10%の引き下げが不可能となったとき、
経営委員会は政府の意向を体し、収納率を飛躍的に高めて
この引き下げを実現せよと迫り、
罰則付きの受信料義務化の導入を図るおそれがある。
そうなったら、NHKは体質的な次元で「国営放送」となってしまう。
権力に対するメディアの独立、言論報道の自由は、経営基盤において失われる。


 財界はNHKの「民営化」がぜひとも欲しい:
他方、産業界・財界も、NHKの利用価値を放ってはおかない。
この数年のあいだ、経団連が著作権問題に熱心に取り組み、
総務省・経済産業省・文科省・文化庁などとも協議、
各種のメディアの産物ができたとき、
その著作権を一括処理し、二次段階以降のソフトの流通促進を
図る体制整備に努めてきた動きには、実のところ驚いている。
彼らの関心は、NHKを例に取れば、自分のところ、または関係企業で、
デジタル・コンテンツ配信やそれらのディストリビューション・サービス、
あるいはそれらのための端末機器類の製造販売などを手がけるとき、
NHKと提携、その豊富な番組が利用できれば、
ビジネスに有利だと考えだしている。
そのためにも、厄介なライツ(広範な権利関係)は簡単にクリアできた方がいい。
経団連に結集する大企業がそのような関心を抱くようになっているから、
経団連としても、著作権などという問題に目の色を変えるようになっていたのだ。

 アメリカの昨年来の、いわゆるハリウッド・ストライキ騒動と
いうのを思い出してほしい。
主役は脚本家だったが、彼らは自分たちの利益だけでなく、
舞台演劇領域も含め、俳優、作曲家、演奏家、美術家など、
多数の関係著作権者の利益も、包摂して闘い、
結果的に今年春、アカデミー賞授賞式前に一定の成果―
当初作品の二次段階以降の流通から上がる収益の一定部分を、
自分たちに配分させる成果をかち取った。
残念ながら、日本ではこのような動きが生じず、
また、ハリウッド・ストでは大騒ぎしたくせに、
この成果についてはまったくといっていいほど、
報じなかったのがメディアの実情だ。

 だが、メディアが番組の質を維持、向上させ、
視聴者に良質な報道・番組を提供して信頼をかち得ていくためには、
このようにアーチスト、クリエーターの経済条件も改善、
創造力を高い水準に維持していくための努力を傾けていくことも、必要なのだ。
ところが実態は、どのメディアも、ビッグバンの本格的到来の前に、
だれとでもいい、コンテンツのデジタル配信などで手を組んで先陣を切り、
後発グループに断然水を開けることができるような相手企業があったら、
早く一緒に組みたい、と考えだしているのが実情だ。

NHKは12月から、大河ドラマ「篤姫」など人気の番組を見忘れた視聴者に対して、
1回300円で配信する見忘れサービスを開始する。
これとは別に番組ライブラリーの推薦番組配信もやる。
これには民放も黙っているわけにはいかず、人気番組をひっさげて追随、
同様のサービスを開始するようだ。
このようなNHKの民活化、「民営化」を財界は大歓迎だろう。
なぜならば、それは彼らがそこに参入する機会を、
必然的につくることになるからだ。
受信料収入が低迷、あるいは低落、
NHKが受信料以外の収入拡大に走らねばならなくなるとしたら、
それもまた財界・大企業がNHKに食らいつくチャンスを大きくする。
丸3年後の10%引き下げは、そういう意味をもつことにもなるのだ。

    

 古森委員長の所属企業、富士フイルムは財界では
けっして主流企業とはいえない。
ところが、彼も含めた12月に任期切れとなる4委員の補充のため、
総務省が13日、国会に提出した新任委員候補をみると、
そこには前田晃伸・みずほフィナンシャルグループ社長が含まれていた。
みずほ銀行はNHKのメーン・バンクだ。なんと厚かましいことか。
また、政府は現委員・委員長代行の岩崎芳史・三井不動産販売会長を、
古森委員長退任の後の委員長に就かせる、とする新聞辞令が飛び交っている。
執行部には、アサヒビール元社長の福地茂雄会長、
トヨタ自動車元専務の金田新専務理事が収まっている。
こうやってみると、財界格下の古森氏は、安倍首相の推挽で経営委員長となり、
政界・財界の期待するNHK「改革」の方向付け、
基礎工事をやっただけで引っ込み、いよいよ始まる本格的なNHKの料理に、
財界の大どころの企業関係者が臆面もなく乗り込んできた、
という感じがしてならない。
こんな役員の顔ぶれは、かつてなかったものだ。

    

メデイアがスポンサーに弱いのはなんとなく分かるような気がしますが、
いよいよ政治家と財界がNHKの直接支配に乗り出してきたんですね。
こうした動きは9条を守る運動にとっても見過ごせないですね。(落石)




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「平和百人一首」のご紹介       まもる

2008年12月02日 15時39分06秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今年の5月に「百のうた、千の想い」という大竹桂子さん編集の平和百人一首の本が発行されました。
 大竹さんは戦後の昭和二十三年に新憲法記念行事として行われた「平和百人一首」の企画を知り、全国23720人の応募から当選した百一の平和短歌を再び世に公表し、終戦を喜び輝く新しい国に希望をふくらます当時の日本人の生の声を知らせたいと、画家の稲田善樹さんと協力してこの本を出版しました。
どの短歌にも当時日本の様子が滲み出ており戦争の無い時代到来の安心と喜びが全篇に溢れ、心打たれる物ばかりです。

「水ぬるむ信濃の川をよぎる汽車 はなやぐ子らの 声をもりゆく」

「手まりうたのどかに子らと遊びいて 平和の春はありがたきかも」

「みどりよりみど利にくるるわが家は 草ぶきなれどこころ安けし」

「琴たきて雪夜をいねず引きあげし かの日思へばなにたえざらん」

「ゆめにさへ恋ひやまざりし青だたみ ただうれしくて足のばしけ利」

「さきわひはこたつにこそあれ ひとつ灯に 親子五人夕げたのしむ」

「山ずみの夏こそよけれ子とひたる 野風呂あまねく月夜となりぬ」

「春は花 秋はもみぢ葉山川の 美ましき国に事なあらせそ」

「春の野をわが恋ひくればみなし児のくろき片手にれんげ匂へり」

「われら選ぶ人のをさむる新しき国輝けと一票を投ず」

「地の上に永遠の平和を祈るかな戦に病みし生命きつつ」

「人類がたたかひの爐に投げ入れしさちの価はいくばくならむ」

「広島の焼け野にたちし棟長屋ゆふべ点く灯のあたたかく見ゆ」

 この百人一首を読んでみると、あの何にも無い時代に、人々はどういうことに
素朴な喜びを感じて生きていたかを、しみじみと知ることができ、あらためて憲法の大切さ、とりわけ九条の果たしてきた役割を再認識した次第です。

★昭和区九条の会では、この本の原画展を1月12日より18日まで恵方町マタイ教会で開催します。
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NHK経営委員候補に推されて考えたこと 桂敬一

2008年12月01日 20時00分23秒 | Weblog
ジャーナリズム研究者・元東大教授の桂敬一さんが
「開かれたNHK経営委員会をめざす会」から
NHK経営委員候補に推薦されています。

そして「推されて考えたこと」という趣旨の文章を
書かれています。
ご本人の了承を頂きましたので、数回にわたって
連載します。
一回目は少し長いのですが、ちょっとガマンして読んで下さい。

                    落石


    

1.2010年・2011年・2012年―NHKを襲う3つの危機

 (1)新法「情報通信法」がめざす「放送」の解体

 小泉政権時代の竹中平蔵総務相は2006年1月、
「通信・放送の在り方に関する懇談会」、通称「竹中懇談会」を立ち上げ、
デジタル通信技術の発展を全面化、通信・放送の境界を取り払い、
メディア・ビッグバンというべき状況をつくり出すために、
法体系の見直しに着手した。
そのための法整備は、安部内閣に委ねられ、
菅義偉総務相の強力なリーダーシップの下、
「情報通信法」構想がまとめられ(2007年6月)、
早ければ2010年には法案成立、翌年には施行とするスケジュールも発表された。
こうした政府方針どおりの「情報通信法」ができ、実施されれば、
公共性故に放送が市場的産物とされずに特定の事業者に免許が
独占的に与えられ、
その一方で一つの事業者に放送企業多数の保有を禁ずる、
いわゆる集中排除原則が適用される、
特殊な制度的産物とされてきたこれまでの放送の在り方が、一変する。

このことは、公共性の保持が求められ、証券との兼営が禁止されてきた銀行が、
いわゆる金融ビッグバンで両者の境界がなくなると、
証券・保険やサラ金までを含む、あらゆる儲かる金融ビジネスに
なりふり構わず飛びついていったことを、想起させる。
やがて銀行は、バブルとその崩壊のなかでダメージを受け、
信用も失墜、今またそうした体質のせいで、
アメリカ発の世界金融危機に巻き込まれている。
竹中・菅構想のメディア・ビッグバンは、
内外の巨大な複合型情報産業がデジタル通信技術と市場の自由を武器に、
放送に襲いかかる状況を生み出すだろう。
そのとき、民放だけではない、うまそうな巨体、
食いつかれやすい柔らかい腹をさらす公共放送・NHKも、
危機に瀕するおそれがある。

 (2)地上波デジタル化完了・アナログ停波の難問

 2011年は政府の計画通りにいけば、地上波デジタル化の完了、
アナログ放送の停波が実施されることになる。
これもまた、放送界、それに放送と視聴者の関係を、
根本から揺さぶる歴史的事件だ。
放送界は実際には、その年のデジタル受信機の全国家庭における完全普及は、
まだ実現にほど遠い状態にあるだろう、と予想している。
また自分たちのデジタル化設備投資も完了しているとはいいがたく、
追加投資続行中となる公算大だ。

このような状況のなか、良質のデジタル制作の番組を安定的に供給、
デジタル受信機の普及を促したり、
共用可能な中継アンテナの設置を急速に拡大したりするなど、
放送界全体が、白黒テレビからカラーテレビへの切り替え時や、
衛星テレビ導入のときのように、
NHKにパイオニア役を期待するところ大であり、
NHKにかかるデジタル化の費用負担は、とくに大きくなる。

だが、2002年から受信料10%引き下げの枷を古森経営委員会から嵌められている。
赤字を出したら、先にいって埋め合わせればいい、
とするような方策は講じられない。
また、家電業界は大量の新規需要の創出を期待し、
アナログ停波の早期実施を待望している。
しかし、経済的弱者や、コンピューター顔負けの、
複雑な高機能付きのデジタル受信機を使い切れない高齢者などのことを考えると、
まだ十分使えるアナログ受信機を全廃させ、
そんなに急いでデジタル化一本に切り替える必要があるのか、
とする根本的な疑問も出てくる。
ここでも決め手を握るのがNHKだ。
家電業界の顔色をうかがうのか、弱い立場にある視聴者の方を
しっかり見守るのか、大事な思案のしどころとなる。


 (3)満3年先の受信料10%引き下げに縛られる苦しみ

 今回、古森委員長の強引な裁可で、経営委員会は、
NHK執行部=理事会が作成した向こう3年を睨んだ
中期経営計画案の受信料改定案を拒否、
2012年からの受信料10%引き下げ方針を、執行部に飲ませた。
しかし、この2012年という年が、
「情報通信法」施行、地上波デジタル化完了・アナログ停波などの
時期にもろにぶつかるものである点を、重視する必要がある。

「情報通信法」施行後のメディア・ビッグバンのなかでは、
関連事業の拡大局面が現れるだろうが、当分収益は期待できず、
投資行為が多くなるだけに違いない。
地デジ完了・アナログ停波については、実施時期が若干延びるにせよ、
その直前で山ほどカネが要る。
こういう状況がありながら、現在の受信料収納率でいけば、
2012年にざっと600億円もの減収が待っているのだ。
こんな無茶苦茶な経営計画はない。
それまでの3年にたくさん稼いで貯金すればいいのかもしれないが、
そんなに受信料収納率を上げることはできないし、
放送法等によって、放送に関係のない収益事業を手広くやることは
禁じられている。
かりにそれが許されても、NHKには、本業に関係なく収益目的の事業を
やった経験もなければ、ノウハウもない。
実直に公共放送としての仕事を積み重ね、視聴者の信頼を獲得、
その支持の拡大を、まずテレビ受信料の収納率の向上に結びつけ、
さらに多メディア時代のなかで公共放送がやり得る副業的な
メディア・情報サービスを通じて収入が上げられれば、
そうしたサープラスを全体の受信料引き下げに還元していく、
とするのが常道なのではないか。
そのような道を阻んだ古森経営委員会の責任は重大だ。


                      続く




 
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