九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

        怖い警官 やさしいお巡りさん       只今

2012年04月21日 11時39分03秒 | Weblog
  なんだかこの頃警官の不祥事が多いね、という声がバス停で聞かれた。
  ふーん、と思ってこの二日間のニュースを追ってみた。
  19日=千葉の警官、小学生の女児二人に猥褻行為(読売)  大阪の警官、女性三人に痴漢(毎日)
  20日=山梨の警官、無線機盗む(読売)  甲府の警官、備品窃盗(時事)  茨城の警官、酒酔い運転で人身事故(産経)

  このように連日、警官の不祥事が報ぜられることは、前にはなかったように思う。では増えたのだろうか。
   懲戒処分を受けた警官は、2011年に367人。2010年は385人。2009年は230人。
  増えたように思えるが、10年前の2001年は486人。2000年は546人。
 
  ということは、特に増えたわけではなく新聞・テレビの報道が増えたということなのだろう。
  これまでは、独自取材した警察発表以外の記事、とりわけ〈桜タブー〉と称される警察の不祥事を扱うことは、即「記者クラブ」
  から排除されることを意味した。
  更には犯罪が発覚した場合には、公になる前に退職(諭旨免職)させて〈私人〉とした。
  しかしこの数年、こうした警察の防禦線はもろくなった? ということか。
  ということは、警察が市民により近くなるチャンスといえなくはないか?

  ●市民の側に、警官を立たせることはできないか、ということを思うのは、夢想だろうか?
   原発再稼働を阻止すべく全国で様々な行動がみられますが、
   喜寿を過ぎた志村建世(元NHKプロデューサー)さんは、〈反原発〉ゼッケンを背に国会一周の日々。
   その中で警官と遭遇した様子を次のようにレポートされています。

   【 南門にさしかかったあたりで、警察官から「ゼッケンを外していただけませんか」と声がかかりました。
     「法的根拠は何ですか」と聞いても答えはありません。
     しばらくすると、「あちら側の歩道に渡っていただけませんか」との要請がありました。
     あとで確かめたところ、警察の言い分は、あくまでも〈命令でなくて要請〉だということがわかりました。
     国会の正門前で記念写真を撮ろうとしたときには、歩道の敷石部分は警察の管轄で、門の敷地は国会の衛視の管轄。
     国会の敷地に入る入らないでマンガのような論争になりますが、警備がからむと四角四面の論争になるのでした。
     警備担当の人たちは職務でやっているのだし、国会周辺に出ている警官のレベルは上質なほうではないかと思います】 

    ★ゼッケンを外せ、と言われたら、「なにを!」という言葉しか出せない小生。感じ入っての紹介です。
  
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勇気ある告発 北電元社員・水島さん         あんころもち

2012年04月20日 17時13分03秒 | Weblog
 元北電の社員が実名で、「原発がなくとも電力は足りる」と市民集会で発言しています。
 しかも自分が在職期間中に接したちゃんとしたデータを上げてです。
 その辺の汚れきった御用学者に比べてなんと立派なことか。

 http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1991490&media_id=131&m=2&ref=news%3Aright%3Aphoto

 ニュースの記事のあと、ご本人のインタビューでの述懐があります。
 お読みいただくと電力会社がいかに社員を洗脳し恫喝しているかも伺えます。
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保安院の大罪(62) 「知事抹殺」(1)  文科系

2012年04月20日 07時07分45秒 | 国内政治・経済・社会問題
 去年の9月9日から5回に分けて連載した本の内容紹介5回分を、「保安院の大罪」欄として改めて再連載していくことにしました。『元福島県知事当時に福島原発行政の官僚のやり口を批判せざるをえなくなってこれを続けた佐藤栄佐久氏が「国策捜査」で抹殺された事件』のご本人による手記と言えるもの。この本、今国民の多数の方々に出来るだけ広めたいもの。初版第1刷が、09年9月とフクシマ事故の遙か前のこと。事故以降改めて大きな話題になっている本です。


【 佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(1) 文科系
2011年09月09日 | 国内政治・時事問題 
 改めて今世の話題になっている前福島県知事のこの本を、昨日買ってきた。初版第1刷が09年9月、初版第6刷が本年5月とあって、東電(福島原発)を舞台とし今や悪名高い検察特捜が引き起こした事件の報告なのだから、話題になるのは当然の話だ。要約すれば「東電福島原発を巡る長年のやり取りに絡んだ、国策捜査」ということになるのだから。ハードカバー全340ページのうち206ページを昨夜一挙に読んでしまった。それほどに興味深い、大事な事件と読んだ。詳しい内容は、後に何回かに分けてでも是非要約したいと予告しておいて、今日はこの本の周辺事情とか、貴重な価値などを巡って、書評めいたことを書いておきたい。
 
 この本に書いてあることを周辺予備知識など何もなくてただそのまま読んだだけとしたら、この内容はにわかには信じがたい。それほどに酷い冤罪ということだから。この内容が真実ならば、僕がここでも近ごろよく使う言葉で言うと「必殺仕置き人かゴルゴ13がこの日本に存在するならば、あの検事たちへのこの恨み、命に替えても晴らして欲しい」というものだろう。佐藤栄佐久氏がそのように、血を吐く歯ぎしりをしていることは間違いない。なんせ、現職知事の周辺捜査、依願退職、即事情聴取もない逮捕と進展していった異例の大事件だったのだから。
 そして、僕はまた、ここに書いてあることは全て事実だろうと確信する。事件・容疑の概要はこういうものなのだが。
『この頃になると、私も、特捜部がどんな事件を描いているのかが、だいたいわかってきた。
 前田建設が水谷建設を手先に使い、官製談合の謝礼として郡山三東スーツの土地取引の対価を支払ったという構図なのだ。つまり、ストーリーはこうだ。
「木戸ダムの発注で官製談合が行われており、県側は祐二が窓口になって話をまとめた。発注権者の知事が祐二に隠れる形で、県職員に働きかけて前田建設が発注できるように便宜を図った。ダムの受注に成功した前田建設は、謝礼として、郡山三東スーツの土地を水谷建設を迂回して高く買った」』(196ページ)
 なお、郡山三東スーツとは佐藤前知事の家業の会社、祐二とは知事の弟でここの社長である。ここがつまり、「検察が描いた構図が成り立ったとしても、ご本人は一銭ももらっていない収賄事件」と語られるゆえんである。収賄罪とは、公務員でないと成立しない事件なのだから。なお、この木戸ダムというのが、東電福島原発絡みなのである。『2008年4月に竣工し、福島第2原発、広野火力発電所が使用する水の供給源の役割も担う』とあった。なお、ここの水谷建設とは三重県に本社があって、確か陸山会事件でも小沢告発の検察側証言人になっていたかと思う。
 
 この事件は、村木厚子厚労省局長冤罪事件、陸山会(冤罪)事件をその後に体験してきた我々にとっては、既にもうこんな既視感がある。だから、これは事実だと確信するのだ。
「検察の構図に合わせて、先ず周辺を『自白』させる」「その自白でもって強行に迫り、焦点のご本人に『検察のお見立て通りでした』と『白状』させる」「本人はたとえ濡れ衣だと分かっていても、結局『白状』せざるをえない。周辺の親しい人々がどんどん拘留され、自殺者も出るほどに迫られるのだから」。また、事件の背景が「国策捜査」であることも同じだ。村木事件、陸山会事件は民主党政権対策であったが、この知事抹殺の国策とはズバリこの二つだ。「知事・福島県による長年の原発村批判への国策」「地方分権・闘う知事たちに対する国策」。なお、東電は佐藤前知事に恨みがあると言って良い。2002年9月2日に現・前・元ら4人の社長経験者が引責辞任をさせられているのである。佐藤らが問題にした「原発検査記録改ざん事件」による引責であって、会長と、平岩外四ら2人の相談役との辞任までが含まれていた。なお、村木厚子事件に関しては当ブログ10年3月15日、28日、31日拙稿に詳しい。このエントリーは、前田検事によるフロッピー改ざんや、冤罪判明のかなり前に書いたものだ。

 「知事抹殺」の帯文章を紹介しておこう。
 表「特捜検察に失脚させられた前知事は東電・経産省の天敵だった。原発『安全神話』のウソを見抜き、驚くほど正確に悲劇を予見したのに、口を封じた国家の恐るべき『冤罪』」
 裏「『知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する』(東京地検特捜部検事)」

 今回分の最後になるが、佐藤栄佐久の公式サイト・アドレスをご紹介しておこう。
 http://eisaku-sato.jp/ 】
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         御用学者、健在の委員会         只今

2012年04月19日 16時39分05秒 | Weblog
 ● 二晩で豹変の 『福井県原子力安全専門委員会』

  16日開催の委員会について、新聞はこう報じた。
  「再稼働に批判続出」共同、東京新聞
  「委員長、独自の安全対策を要求」毎日新聞
  「中川委員長は、一次系で事故が発生した時の対応策を明確にすべきと語った」福井新聞 
             ↓
   翌々日の18日、大飯原発を視察。
   「中川委員長は、安全に制御できると大体確認出来た、と語った」朝日新聞
   「中川委員長は、焦点の一つだった免震事務棟建設までの代替についても、
   中央制御室横の会議室は耐震性が高く待機スペースも確保できる、とした」福井新聞 
              ★
   委員会の委員は12人。
   16日の出席者7人。18日の視察委員6人。うち3人は、関電からの寄付受領者。

   ということは、この3人は会議ではダンマリで通し、視察後、委員長に圧力かけたのか? 或いはグルか?


  ● あぁ言えば、こう言う 『原子力安全・保安院』深野院長 

   『国会・事故調査委員会』に参考人として出席した深野院長の、のらりくらり答弁は、
   「テレ朝」の〈モーニングバード〉が紹介。
    この番組は昨日、「2万5千トンの木くずを火力発電所で燃料として使ってほしいとの
   福島県木材協同組合連合会の要請を東電は拒否」と報じた。

     この委員会の全篇は、
    【国会事故調チャンネル USTREAM】で観ることができます。
         
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新聞の片隅に載ったニュースから(10)   大西五郎

2012年04月19日 13時22分18秒 | Weblog
大西さんの「新聞の片隅に載ったニュースから(10)」です。らくせき

裁判記録紛失 盗難届を提出 横浜地裁(’12.4.17毎日新聞)

「横浜地裁が強盗殺人事件公判のやり取りを録音した
DVDや裁判記録のコピーを紛失した問題で、
地裁が神奈川県警加賀町署に盗難届を提出したことが16日分かった。
同署は窃盗容疑で捜査を始めている。関係者や地裁によると、
裁判員裁判で3月に行なわれた公判の被告人質問や証人尋問の録音を文字化するため、
作業を民間業者に依頼。
同月8日、音声を記録したDVDと起訴状や冒頭陳述、証拠書類などのコピーを
鍵付きナイロン袋に入れ宅配便で送付した。
しかし、翌9日に業者に届いた際は、鍵がかかっておらず中身が空だったという。
地裁は4月9日に盗難届を提出した。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   
 かつて裁判所の公判では証言台の前に速記官が座っていて
タイプで証言を記録していたことを知っている私はこのニュースを読んで驚きました。
裁判は公開で行なわれるのが原則ですから、
証言を記録したDVDを第三者に委託して文字化するのは
法律上問題はないと思いますが、
コピーとはいえ証拠書類を裁判所職員が直接持って行くのではなくて、
宅配便で送るということに、重要書類の保全が守られているのか、不安を覚えました。

 知り合いの元速記官に聞いてみたところ、全国の裁判所で十数年前から
速記官の採用と養成をやめて、録音の文字化を外注するようになったそうです。
一部定年前で裁判所にのこっている速記官もいるそうですが、
経費の節減のためだそうです。
文字化の仕事を請け負っているのは多くは元速記官で定年退職した人たちが
組織を作って受注し、裁判所の中に部屋を借りて作業していたそうですが、
今は独立した事務所を持っているそうです

 元速記官の人の話では、証言の中に業界用語が出てきたり、
初めてきく言葉もありますが、証言者の口の動き見ていると、
言葉の正確な意味が分かるそうです(読唇術のようなもの)。
また速記官の人は公判の前に記録に目を通しておくなど、努力をしていたそうです。
「同音異義」という言葉があるように、録音だけだと
正確な記録にならない恐れもあるそうです。

 経費節減も削るところをどうも間違えているようですね。
政党助成金など削るべきものは一杯あるのに。
そこで、元速記官の人たちや裁判所の書記官、一部弁護士も加わって、
正確な公判記録を残すために速記官を復活するよう
裁判所や国会に要請する運動も行なわれているそうです。
この運動を応援したいですね。
                                       大西 五郎

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小説  母の『音楽』(後編)   文科系 

2012年04月19日 08時56分07秒 | 文芸作品
 「あなたも、『生きなきゃー』の口で、「鑑賞よりも表現』の人ね。だから『可愛さ余って、憎さ百倍』は他人事じゃないわよ。どうせ直ぐに弾けなくなるんだから」
 〈お連れあいさんも、後になってそう言ってたな〉。腕や胸など汗まみれの体を休めながら今、そんなことを思い出している。
 「大聖堂」の例の難しい一カ所をかっきり五十回。正の字を打ちながら繰り返し終えたばかりだ。機械的な反復練習ではやっと、薬指上下につれて小指がほとんど動かなくなってきた。この厄介な癖の修正にあれこれと燃え始めて二週間、ようやく五五近くの速さになり、ちょっと先が見えたような気分になった頃のことだ。
 〈そういえば、俺も去年危機のようなことがあったなー。憎さ百倍にはならなかったのは、間違いなく母さんのお陰だ〉
去年のある舞台で立ち往生したときのことを思い出す。こんな調子だった。
 出だしの三段目ほどで止まってしまった。頭は真っ白で、次が思い出せない。仕方ないから、冒頭からまたやり直す。すると今度は、三ページ楽譜の二枚目終わりほどで止まってしまった。どれくらいだったか空白の時間があってから、思いついて目の前の楽譜を引き寄せ、間違い箇所を確認して、再開した。丁度練習で躓いたときのように。表情も態度も変えなかったはずだが、冷や汗たらたら、心臓は早鐘、もう大変な思いをした。好きで折を見ては二年以上も弾き続けてきた「ソルのエチュード作品六の十一番」。僕には難しすぎるが、いまならもう何とかなると思って臨んだのに。今までに指が震えてほとんど弾けていないということは何回かあったが、中断は初めてだった。それも二回も。そしてこの挫折の印象が、以降一週間ほどの間にどんどん大きくなっていった。僕の「老い」が膨らんでいくばかりだったのだ。
 そんな経験から間もなく、舞台で弾くことはもう諦めようと決めた。ところがこの決心、僕の練習態度に何の変化も与えなかったのである。それから間もなく手をつけたこの曲、「大聖堂」が毎日弾きたくなった。分散和音の中から最高音の清らかな旋律を響かせる第一楽章。荘重な和音連続を思いっきり鳴り渡らせる二楽章。そしてこの第三楽章は「最速アルペジオとスケールの中から、低音・高音の旋律、副旋律をメリハリつけて自由に鳴らせられれば、痛快・面白さこの上なし」といった趣き。気に入った曲だけを選んで先ず暗譜してから弾き込みレッスンに励む僕にとっては、なかでもことさら揺さぶられる曲。完成するまで一年でもやってやろうと、そのエネルギーは自分事ながらいぶかしいほどだった。

 さて、一度は全てを放り出した母のこの三味線。最後の場面が実は、ずっと後に出てくる。過去の「憎さ百倍」はなんのその、可愛さが遙かに優った感じで。いや、この三味線が母を救ってくれたとさえ言いうるだろう。闘病生活五年の最後の年、九十二歳を過ぎた病床のことだ。大学ノートの介護日誌五年分が九冊まであるのだが、そこのやり取りから抜粋してみよう。周囲が書き綴り、伝え合った病状・生活日誌である。八十八歳に脳内出血で死にかけた後は、感覚性全失語症から字はもちろん書けず、彼女の口から意味のある言葉を聞き取ることもほとんど無理だったから、連れあいの提案で備えられたものだ。四人の子、孫から、看護師さんたちだけではなく、病室を訪れた母の親類縁者、知人までが書いてくれるようになったみんなの合作物である。先ず初めは、亡くなる前年の八月十七日。
『ラジカセを持って来た。カヨさんのおケイコ(三味線と謡曲)のテープといっしょに。そしたらラジカセを抱えるようにして聞いていた。それでもしばらくして見たら眠っていたけど、起きてテープの話をした時の反応は当然強かった。何か分かるらしい。多分、フシなのだろう。しばらく(一時間ぐらい)消していてまた、”三味線聞く?”と問うと、”ウン”と言うのでつけると、また例によって指を動かして聞いている。右手も左手も』
 同十八日『長兄のノブ一家九人が来たのは覚えていた。良かったね。今は三十分以上ラジカセを聞いている』
 同二十日『今日はよく話が分かる。一昨日、ノブの家族が来たのは覚えているし、ウチの健太と雅子も覚えている。(中略)なんというか表情もおだやかだ』
 音楽療法というのがあるが、明らかに母の態度、意識が上向き始めたのである。看護婦さんもそれを認めた記述をここにすぐ書いてくれたし、久しぶりにはるばる横浜から来られた弟のお連れ合いさんも、こんな言葉を書いてくれた。
 九月十五日『いろいろあって家が空けられず、本当に久し振りにお母さんに会いに来ました。№7のノートの記録より、十一ヶ月もの間ご無沙汰していたと分かりました。眠っていらっしゃる横で、声をかけて起こそうかどうしようかと思いつつ、ノートをゆっくり読ませていただきました。長唄(?)のテープをBGMに。
 テープが回って数分したころ、右手がよく動くようになり、時々左目を開いて、次にベッドにつかまっていた左手が、弦を押さえるような動きを始めました。魔法のようです』
 十月二日『新しいカセットを持ってきて”三味線のおさらい”。たちまち右手でバチを動かし、左手の指がひょこひょこと動き出した。(中略)何か顔もほころんでいるし、ヨカッタヨカッタ。 ”目を開けなさい”と言うとかならず、パチッと開けてくれて、やはり微笑んでいる』
 丁度その晩秋のころ、僕は同人誌にこんな随筆を書いた。
【 ある交流 
 病院の夜の個室にもの音は稀だけれど、川音が間断なく聞こえてくる。二県にまたがる大川が窓の向こうにあるのだ。そしていつものように、僕の左手がベッドに寝た母の右手を軽く握っているのだけれど、そこでは母の指がトントンと動いている。
 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかわづ天に聞こゆる
 誰の作だったか、高校の授業で覚えたこの歌を、このごろよく思い出す。
 左脳内出血が招いた三途の川から戻ってきて、五年近い。失語症の他はなんとか自立できたと皆で喜んだのも、今振り返ると束の間のこと。一年ちょっと前、思いもしなかった後遺症、喉の神経障害から食物が摂れず、人工栄養に切り替えるしかなくなった。食べさせようとして何度か嚥下性肺炎を起こしたその末のことだった。人工栄養になってからも、唾液が入り込んでたびたび肺炎をまねくという始末で、既に「寝たきり」が四ヶ月。お得意の「晴れ晴れとした微笑」も、ほとんど見られなくなった。
 九十二歳、もう起き上がるのは難しそうだ。言葉も文字もなくなったので記憶力はひどいが、いわゆる痴呆ではない。痴呆でないのは我々には幸いだが、本人にはどうなのだろうかと考えてしまうことも多い。
 せっせと通って、ベッドサイドに座り、いつも手を握り続ける。これは、東京から来る妹のしぐさを取り入れたものだが、「生きて欲しいよ」というボディランゲージのつもりだ。本を読んでいる今現在、母の指の応答は、「はいはい、ありがとう。今日はもうちょっと居てね」と受け取っておこう。表情も和らいでいるようだし。
 僕は中篇に近い小説九つを年一作ずつ同人誌に書いてきた。うち最初の作品を含めて四つは、母が主人公だ。もう十年近く母を、老いというものを、見つめ、描いてきたことになる。発病前は老いの観察記録のように、その後は病室の中やベッドの上も、時には四肢さえもさらけ出して。普通ならマナー違反と言われようが、親が子に教える最後のことを受け取ってきたつもりだ。そして、僕がこんなふうに描くのは、母の本望だとも信じている。
 看護士さんが入ってきて、仕事をしながらこんなことを言った。
「不思議ですねぇ。手と指だけがいつも動いてるんですよ。ベッドの柵を右手でよく握られてるんですが、その時もなんです。右側に麻痺がある方でしたよねー?」
《母にもまだできることがあった。僕らが通う限り、生きようとしてくれるのだろうか》 】

 母は、いろんな曲を思い出し思い出ししながら、最後に残った楽しみを自分で作っていたのではないだろうか。そう、一度はすべてを放り出した音楽が、一人では何も出来ず、普通の楽しみさえなくなった病床で恩返しをしてくれた。音楽って、音を楽しむって、まず、自分が出す音を自分が楽しむものだろう。末期が近づきつつあった母の病床で、教えてもらったことだ。

(終わり)

  
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国会事故調査委も再稼働に否定的見解      あんころもち

2012年04月19日 00時27分27秒 | Weblog
 「毎日」は以下のように、国会の事故調査委員会で黒川委員長が再稼働に否定的な見解を提示したと報道しています。

 「東京電力福島第1原発事故に関する国会の事故調査委員会(委員長、黒川清・元日本学術会議会長)は18日、東京都内で第9回委員会を開いた。会合には経済産業省原子力安全・保安院の深野弘行院長が出席。定期検査で停止中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働に際し、政府が新しく定めた安全性の判断基準が守られなければ、原子炉を止めるよう行政指導する考えを明らかにした。
 黒川委員長は委員会終了後の記者会見で、政府の判断基準について、「暫定的な原因究明に基づいている。必要な対策が先送りされ、想定を超える災害に対応できていないことも明らか。住民の健康を守れるのか」と再稼働に否定的な考えを示した。

 これに関し、元通産・経産官僚、現大阪府市統合本部特別顧問の古賀茂明氏は、ツイッターで以下のように述べています。(18日夜)
 
 「今日の国会事故調はわかりやすかったですね。いかに政府の安全基準がデタラメなものか誰がきいてもよくわかったと思います。記者会見で黒川委員長が、今のプロセスの問題を「不透明さ」という言葉で表現されました。よほどのことです。」

 なお、当時行政改革に官僚内部から熱心に取り組んでいた古賀氏を、その他の官僚とグルになり、理由らしい理由もなくクビ同然にして追い払った張本人が、今、原発再開に狂奔している仙谷枝野
 彼らは当時から、官僚どもに完全に丸め込まれていて、今その馬脚があらわになったわけです。

 また、大飯原発に近い小浜市(10キロ以内に人口の70%が入ってしまう)の古刹・明通寺(本堂、三重塔が国宝)の住職・中嶌哲演師も、経産省前のテント村でハンストに合流されたとのことです。師の行動に敬意を評し、その志が実現することを祈念します。
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小説  母の『音楽』(前編)   文科系  

2012年04月18日 11時21分27秒 | 文芸作品
 同人誌に書いた小説を、転載します。前後編に分けて。 


  母の『音楽』(前編)

 ギターレッスンに苦心惨憺のある日、ふっと気付いた。
〈左手指がここで、他の箇所に比べて、どういうか、なんか、ばたばたしている。この小指が上がりすぎ、時に伸び切るようになるのは、どうしたことか?この癖から全体が遅くなるらしい。反復練習にはもう慣れてるが、これを直さんとどうしようもないぞ〉
 二月から七ヶ月も、毎日のように弾き続けている曲が、どうしてもできあがっていかない。南米のギター弾き・バリオスの「大聖堂」、その第三楽章。ここの速さが、ことのほか骨なのである。「もう限界なのかなー」、定年後に先生なる者につき始めて七年足らずの老いの身には、そんなことも頭をよぎる。六連十六分音符が三頁連なるこの楽章をせめて六十の速さにしたいのだけれど、四十五が限界。あれこれ観察し、試行錯誤しているうちに、やっと分かってきたことだった。
 ある一カ所が特に、何度弾いても上手くいかない。六連十六分音符がたった二つ並んだだけの一小節なのに。周囲と比べてちっとも難しそうにも見えず、なんの変哲もない箇所だ。そんな所を、何日かは意を決して五十回繰り返してみたりして、もう千回以上は優にやったろうというようなある日に、やっと気付いたのだ。
 さて、恥ずかしいことだがここまで来て、習い初めのころ先生に言われたことを思い出した。
「左手指は、一本ずつが他から分離して動くようにならなければいけません」
 左手小指が薬指に連動するらしい。薬指を指板から上げるときに特に、小指がぴくっと大きく跳ね上がる。よって、薬指の後に小指で押さえねばならない時などに、どうしても演奏が一瞬遅れる。この癖が原因で指のすべてが固くなっている。今までの曲ではなんとかこれをごまかせたが、今回の速すぎる箇所ではとうとうぼろが出たと、そういうことだろう。
 だけどこの曲、七ヶ月でこんな出来。人前で弾ける程度に完成するのだろうか。舞台で弾くことはもうないのだが、その程度にはしたい。去年からホームコンサートのようなもの以外は出ないと決めて、それまでやっていた舞台を全てパスしてきた。それでもこれだけ熱中できるのだ。それは、九十三歳で死んだ母の身近にいて、種々多くのことを教えられたからだと、いま振り返ることができる。父の最晩年を夫婦二組で同居し、次に父が亡くなった後は三人で過ごし、母の脳内出血以降はその介護の五年間を通して。

 職業婦人の走りであった明治生まれの母は、退職後に三味線を再開して二十年近く続けたが、七十八歳できれいさっぱり、すべてを投げ出してしまった。それまで出ていた教室の発表会に出なくなっただけではない。同時に「キネヤなんとか」さんの教室そのものも止めてしまった。それどころか、それからは弾いているのを見たこともない。死後に彼女の日記を見て改めて知ったのだが、このあと一度でも、三味線を弾いたことさえないはずだ。 母はそのころ、同い年の父の心臓病につきあって、疲れ切っていた。七十三歳を最初に、八十二歳で亡くなるまで、脳梗塞、心筋梗塞を都合四回も起こした父なのだ。彼の晩年二年間は次男である僕らが同居したのだが、「同居が遅すぎた」と何度後悔したことだったか。

 同一敷地内に新築の家を廊下で繋げたという「同居」二ヶ月ほどの初夏のことだ。珍しく明るいうちに帰って二階ベランダの窓際から庭に目をやると、ブロック塀の一角に母が見える。「水をまいている」と思ったのだが、どうも違うようだ。両手で持っているのがバケツでも、ジョーロでもない。父が愛用していた高価な徳利ではないか。〈父さんに怒鳴られるよ!〉、一瞬そう思ったが、今の父にはもうそんな気力も関心もないとすぐに思い直した。そういう徳利からお猪口ならぬ地面に注いでいるのは、水なのか酒なのか。間もなくとことこと歩き出して、僕に近い南東の角に来た。そして、僕のお気に入りのガクアジサイの近くで、同じようなことをやっている。そして、夕食時。その日父は確か、入院していて家にいなかったはずだ。
「さっき、庭で何やってたの?」
そのころ何となく黙りがちな日々が多かった母だが、一瞬僕の目を見てからちょっと顔を伏せたあと、ことさらにさらりとした感じで、応えた。 
「うん。庭の四隅にお酒を上げてたの。まー御神酒ということ。ここの家を建てたとき、地鎮祭をしてなかったのを思い出してね」
「ふーん。かーさんが縁起かつぐなんて、珍しいね。何か悪いことでもあったの?」
「うん、ちょっとね」
 そう、僕らが同居するまでの母は悪いことづくめだった。父の看病や、病院がよい。三味線は一年ほど前に止めていたし、大好きな友人たちとの旅行などもしなくなっていた。昔風賢夫人は、こういうときには物見遊山などは控えるものらしい。そんなこんなの鬱屈からなのか、物忘れも酷くなっていた。家のヤカンや鍋などを焦がしてしまい、庭に捨てられたものがいくつかあったし、当時使用中でも、地金の色を表している物がほとんど無かった。
 さらに、僕らとの同居によってもまた、別の「悪いこと」が生まれていたようだ。
 僕の脳裏に死後も含めてだんだん形作られていった母の心境を簡単に言えば、こういうことになろうか。まず、病気の、気むずかしい父を一人で抱え、自らの八十の老いを向こうに回して歯を食いしばって暮らしてきた。次いで、僕らと同居してからの心境は、こう。壮年期にある僕らの「若さ」に打ちのめされ始めたらしい。なんせ、自慢のようなことは口にしなかったが、子どもの僕とも競争したいような人。「私のどこが八十に見えるね。言ってごらんなさいよ!」。なにか僕が注意したときにこんな返答さえ返したこともあった。そんな心境も含めてすべてが、今にして痛いほど分かるような気がするのである。思い出すと胸が痛いとは、こういうことだろう。

 この年の十月、母は、僕の勧めによって心療内科の先生の所へ通い始めた。病名は、老化による軽症ウツ病。
 少し遅れて八十六歳の母が書いた「人生報告」とも言うべき文集に、こんな下りがある。女子高等師範学校同窓会の愛知支部発行「桜蔭(同窓会名です)」に収められた文章だが、二番目の古参生としてそこに書いた六枚ほどの原稿の一部だ。
【その後夫脳梗塞となり、左脚不自由に。つづいて心筋梗塞その他色々の老人病を併発し、十数回に及ぶ入退院をくりかえし、平成四年四月二十七日に亡くなりました。看病など何かと心身を使い果たしている間に、私も老人性鬱病という厄介な病名をつけられていました。好きな長唄・三味線も稽古不足のため中止し、日々無為の苦しい数年間を過ごしたものです。同居している次男夫婦も共働きですので、昼間は相変わらずの一人暮らしですが、二人が帰宅し、共にする夕食は楽しく、孤独を忘れることの出来るひとときです】
 僕もこの夕食は楽しかった。母も必ず二品ほど作ってくるので、連れ合いと二人競いあうようにして食卓にのせたものを三人で批評し合うといった夕食。僕の帰りが遅すぎて週に何回も持てなかったが、心が温かくなる思い出である。
さて、この頃はまだ、母の人生で三味線が持った意味を、僕はこんな程度に捉えていただけだった。
 最初に浮かび上がって来る映像はまず、こんなものである。三味線の発表会に出ていたときの、背中を丸めて大きなザブトンに小さく座った母の姿だった。
〈あれほど練習して、回りの人に四苦八苦でなんとかついていく。「生きなきゃー」って感じだなー。それにしてもそろそろ八十だ。いくつになっても「鑑賞」じゃ済まなくて、自分で「表現」して進歩を確かめていきたいという人なんだなー〉。
 また、このしばらく後には、
〈母さんのは「可愛さ余って、老いへの憎さ百倍」。三味線全てを放り出してしまったのは、舞台に出られなくなったショックからだ。随分苦しんだんだけど、俺の同居がもうちょっと早ければ辞めさせなかったのになー〉

(続く)
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保安員の大罪(61) 改めて再稼働問題   文科系

2012年04月18日 08時20分52秒 | 国内政治・経済・社会問題
 再稼働問題がアップされている今、今日の中日新聞一面には、こんな記事が載った。
『東電、顧問に月90万円 天下り官僚ら26人 震災後も高給支給』
 記事中の人物たち、もの凄い顔ぶれが並んでいる。
『津田広喜元財務次官、谷内正太郎元外務次官、石田徹元資源エネルギー庁長官ら26人』
 語られてきたようにこれではもう東電は、オール官僚老後の名誉職がかかって、一蓮托生の伏魔殿ではないか。その官僚たちが内閣を抱き込んで一体になって「再稼働」など、国民目線の公正な判断が出来るなどと、誰が考えられるだろうか。

 去年6月に書いた再稼働反対論をもう一度掲げておきたい。人の罪には、いうまでもなく軽重がある。重い罪を犯した時の態度で、その人物の品格、重みが分かる。このことは、人類の大切な大切な知恵というもの。以下のような重大事に反省するどころか、その大罪を隠すことに強大な権力を使うべく開き直っている人物たちに、原子力発電行政など任せられるわけがない。


【 保安院の大罪(12) 経産相「再稼働」を許せない理由  文科系
2011年06月20日 | 国内政治・時事問題
  
 標記のことを簡潔に述べてみたい。

①福島事故原因が明らかになっていない。津波と地震自身とで、どちらにどれだけ比重があったのかがはっきりしていない。
②事故後の人為的ミス、あるいは人材に対する課題の難度、などなどの内実も分かっていない。
③以上①、②の実際によって、他原発にも同じ事が起こりうる確率が違ってくる。そういう数字を、経産省自身が本気で調べたとも思えないし、知っていたことですら隠してきた事も多い。それどころか、意図的にごまかしてきた事さえも多かったと断言できる。自分らの責任逃れからと見るのが自然だろう。
④膨大な数の内部被ばく者が発生したわけだが、小児甲状腺癌、骨髄癌などなどの被害の大きさが分かるのは、はるか先のことだ。それで再稼働などとは、国民に対して鬼畜にも劣る手前勝手。こんなことで再稼働を許せば、先の話として癌患者の発生数などを誤魔化しにかかるのが落ちだろう。薬害エイズを長く認めなかったように。
⑤経産省周辺はこうして、「人としての慎み」に欠ける。国民を思うという点で全く品格がない。そもそも、故郷を失った膨大な人たちや海産物を国民が安心して食べられない状況をどう考えているのか? 避難所で寿命を縮めた人々についても同じだ。申し訳なかったという気持ちが、東電と共に全く感じられないのである。④、⑤合わせてみると、これで公務員・「(国民の)保安院」とは、聞いて呆れる!? 
⑥問題になっている電力不足は、休止中の火力発電再開で間に合うと言われているのだし、これで繋いでいる間に自然エネルギーの開発を急げばよい。 】 
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         第二の大熊由紀子氏現る      只今

2012年04月17日 19時49分48秒 | Weblog
      3・11以前、『朝日新聞』論説委員の大熊由紀子氏は、次のような発言で原発推進キャンペーンを張ってきた。
    
      「これまでいろいろの非科学がまかり通ってきたが、最近は原発廃絶を唱える新手の非科学が登場してきた」      
      「エネルギー不足の恐ろしさよりも原子力の恐ろしさを心配する人は勝手に凍死でもしてください」
     
      ●それから一年、今日(4月17日)の『朝日新聞』には、高橋真理子・編集委員の次のような論説が載っている。
      見出しは「放射線 心配しすぎる必要はない」      
      「国際放射線防護委員会(ICRP)の評価には重みがある。心配は無用と思える」

      このICRPなる団体は、広島・長崎で被爆者をモルモットにしたことで有名。
      ヨーロッパ放射線リスク委員会も、ICRPは余りにも政治的過ぎると批判している。

      更に、福島県の調査も信用せよという。が、その調査の実情はどのようなものであるか。
     
      ●福島県飯館村では!
       汚染の値が年明けから急低下。積雪が多かったせいかと考えながら、3月末村に入った。
       そしてモニタリングポストを確認して驚いた。
       線量測定器の置かれている周りは徹底的に除染され、表土も入れ替えられていた。
       しかも、測定器の下には分厚い鉄板。
       文科省に問い合わせると、除染は内閣府が実施したため関与していないという。
          =以上は、『中日新聞』4月10付「紙つぷて」欄の小沢祥司氏証言=

      
        
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恫喝に屈することなく反原発を!         あんころもち

2012年04月17日 14時59分39秒 | Weblog
 フクシマの検証も終わらず、終息どころか今なお放射能を垂れ流し続けている状況、住民が追い出された町や村、農産物や海産物が出荷できない生産者(この範囲は関東にまで及んでいます)が思いあぐねている状況下にもかかわらず、野田内閣は大飯原発の再稼働に向けてゴリ押しの日程を進めつつあります。
 国民の安全を第一に考えるべき政府が、官僚や電力会社の手先となって狂奔しているのが実情です。

 そればかりではありません。
 極めて悪質な根拠を欠いた恫喝や見せしめの言動が政府や与党から聞かれます。

 1)「大阪地域を見せしめのために広域停電にしてやろうか」という「閣僚」の発言は、先般私が掲載したとおりです。
 2)東大全共闘崩れ、仙谷由人政調会長代行は名古屋市で講演し、「原発停止は集団自殺」と、あたかも原発停止こそが国民の生命を脅かすかのような恫喝をしています。
 3)また、枝野幸男経済産業相は、このままでは「国内の原発稼働が5月6日から一瞬ゼロになる」と発言しています。
 この発言の趣旨は「原発が一瞬止まる」ことが危機だということを越えて、原発は今後とも継続して存続すべきものなのだということを示していて、彼らが一部でいわれているような「脱原発依存」など全くもって考えていないことを示しています。
 語るに落ちるとはこのことです。

 地元の福井県、おおい町での「抵抗」は一時的な駆け引きに過ぎません。
 県知事は福井県にもんじゅやふげん(殺人装置になぜ佛の名が?)を含め15基の原発を誘致した連中の人脈にしっかりつながっています。
 また、おおい町長は大飯原発におんぶにだっこの下請け会社の実質的な会長です。
 現在までの慣例では、県知事、地元市町村長の承認をもって原発の設置や再稼働は許されてきました。
 しかし、フクシマが私たちに示したものは「原発にもはや地元はない」という事実です。

 その意味では、それに強い懸念を示している、滋賀県、京都府、それに大阪と連帯し、全国民的問題としてそれに対峙する必要があります。
 そうしなければ、原子ムラの意向と、それに追随する知事、町長の極めて狭小な同族関係のなかで、全国民的な問題が決定されてしまいます。
 「朝日」の世論調査によれば、約80%の人たちが再稼働に反対ないしは懸念を持っているのですが、彼らはそれに耳をふさいだまま「粛々」と再稼働を進めています。

 こうした一連の動きに怒りをもって抗議します。
 そして、こうした全国民的課題は、原子ムラ同族内での結論に従うのではなく、解散総選挙により全国民の審判のもとに進められるべきだと思います
 反原発の志を持つ人々のさらなる結束(それぞれの人がそれぞれの方法による)を訴えます。
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新聞の片隅に載ったニュースから(9)

2012年04月16日 11時00分20秒 | Weblog
大西さんからの、新聞の片隅に載ったニュースから(9)を転載します。らくせき

韓国の原発 非常用電源が故障(’12.4.16朝日新聞)

「韓国の原子力安全委員会は15日、霊光(ヨンガン)原子力発電所(全羅南道霊光郡)で、
原子炉の冷却に使う非常用発電機が作動してすぐに停止する不具合が
3月に起きていた、と明らかにした。
事実を知らされなかった地域住民は強く反発している。
安全委などによると、3月28日午後、非常用ディーゼル発電機を
点検のため作動させたところ、約1分後に停止した。
エンジン振動などが原因とみられる。再稼動までに5時間あまりかかったという。
点検は3月に発覚した釜山市の古里(コリ)原発の全電源喪失と事故隠しを
機に実施されたが、停止の事実は周辺住民には知らされず、
地元紙の取材で明らかになった。」(全文1段21行)

 この記事にある「古里原発の電源喪失事故」というのは、
今年2月9日に発生したもので、電力事業者の韓国水力原子力株式会社が
一ヶ月以上韓国安全委員会に報告しなかった事故です。
4月6日の朝日新聞によりますと、釜山市の原発近くの住民たちは
原発に危険を感じて集落ごと集団移転を求めて
電力会社に押しかけるなどの騒動になっているということです。
この記事によりますと、きっかけは地元の市会議員が飲食店で小耳にはさんだ
「古里原発1号機で全電源が約12分間失われ、
原子炉の冷却水の温度が20度余り急上昇した」という内輪話だったといいます。
電力会社はそれまで事故の事実を隠し続けていました。
それが問題となっているのに、霊光原発でも事故隠しです。

 韓国中央日報(日本語版)によりますと、韓国原子力安全委員会は
古里原発に専門家23人で構成された現場調査チームを派遣し、
調査チームは古里原発の稼動を中断させて原因を調べています。
原子力安全委員会は所長の指示で事故を隠蔽したとして、所長らを告発しました。

 韓国の原発も福島第一原発の場合と同じように非常用電源が失われたのです。
原子力安全神話の国際的な崩壊です。東京電力は原発での過去の事故を発表せず、
ただ原発の安全性を強調してきました。
韓国の原発会社の対応もこれと同じです。
韓国の原子力安全委員会は事故に対して厳しく対応しているように見えます。
日本の原子力安全委員会や原子力安全・保安院の対応との違いを感じました。

 また、霊光原発事故が明かになったのは地元紙の取材によるということですが、
発表だけに頼っていては実質的に安全神話の片棒を担いだことになります。
日本のメディアも見習ってほしいものです。
                                       大西 五郎

なるほど、事故隠しは、いずこも同じですね。でも、政府の対応が少し違う。
日本の電力会社は、ますます事故隠しに走るのでしょうか?
それとも・・・
今の再稼動への動きを見ていると、およそ反省の姿勢が見えませんから
事故はますます闇のなかかな・・・

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原発に対するひとつの判断   らくせき

2012年04月16日 10時27分09秒 | Weblog
浜岡原発のある市で、市長選挙があり、
一番、再稼動に近い現職が圧倒的な勝利。
市長の間は再稼動させない、廃炉を訴えた2氏は敗退。

出口調査で廃炉を支持する人が30%だったのに
廃炉を訴えた候補は10%強の得票率だった。

事故対策を十分に行って、原発は再稼動、というのが民意。
巨大地震が必至とされる市民の判断。
これが、現時点での日本人の原発に対するひとつの判断なのだろう。

ドイツでは、原発をやめる決断をした。
これもドイツ人の判断。

どちらも判断が良いのかは一概には言えない。
ただ、判断のモノサシが日本人の場合は短い。

未来に対する智恵は、失敗によって生まれ、失敗によって育つ。
ドイツの智恵は、日本人の及ばない暗い闇から
生まれているのかも知れない。



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中央日報より    らくせき

2012年04月15日 15時34分46秒 | Weblog
金正日(キム・ジョンイル)が、死去の2カ月ほど前に側近に残したという
「10.8遺訓」の一部が公開された、というニュースです。
北の頭のなかを知るには、よい資料だと思います。

脱北者で、北朝鮮戦略情報サービスセンターのイ・ユンゴル所長(44)は12日、
「北朝鮮の最高位層と連絡が取れる複数の消息筋から入手した資料」とし、
金正日遺書を公開した。

遺訓は「米国との心理的対決で必ず勝つこと」
「堂々と合法的な核保有国となり、米国の影響力を弱めて国際制裁を解除させ、
経済発展のための対外的条件を用意すること」と書かれている。

この過程で6カ国協議を利用することにも言及した。
「6カ国協議を、われわれの核をなくす会議ではなく、
われわれの核を認めて核保有を全世界に公式化する会議にするべきであり、
制裁を解く会議にしなければならない」と強調した。

 (この考え方は、これまでの経緯を見ていると、かなり成功しているようです。)

中国に対する二重の見方も登場する。
金正日は遺書で「歴史的にわれわれを最も苦しめた国が中国」とし
「中国は現在、われわれと最も近い国だが、今後、
最も警戒すべき国となる可能性がある」と伝えた。
さらに「中国に利用されてはならない」と警告した。
「朝中が血盟関係ではなく、徹底的に自国の利益に基づく外交的関係に入ったことを
見せる部分」と分析した。

 (これは当然ですね。日本のほうが情緒的に反応しやすいです。
  とくにマスコミの報道に、この欠陥があり、国益をベースにした
  国際関係の解説が弱い。)

対内的には、金正日の妹である金敬姫(キム・ギョンヒ)党軽工業部長に
絶対的な信頼を見せた。遺訓の執行と金正男をはじめとする家族の去就、
国内外資金の管理責任などをすべて金敬姫に任せたのだ。

長男の金正男に対する配慮もある。
遺書には「金正男にはよく配慮しなければいけない。あの子は悪い子ではない。
彼の苦労を減らすこと」と書かれている。金正男を粛清しないように勧告したのだ。

  (金一門が北朝鮮を支配することが遺訓だそうです。)





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          何故これほど乱暴に、再稼働を急ぐのか     只今

2012年04月14日 22時05分55秒 | Weblog
      なぜ今少し、待つことも出来ず、再稼働を企図するのか。見聞した幾つかの理由を整理してみました。
     
     ●【「全原発が止まっても、なんとかいけるではないか」という声が出ることは、なんとしても避けねばならない】
                    ↓
       5月5日には、定期検査で泊原発が止まる。原発が一基も稼働していない状態で夏を乗り切ると、どうなるか。
       「やっぱり無くてもやつていけるのだ」という世論が高まる。これは「原子力ムラ」にとっては由々しき問題。
       この流れを潰すには、逆算すると今が再稼働するぎりぎりの時期。こうして「原子力ムラ」の総反抗が始まった。

       実働部隊は、旧民社系議員を中心とした民主党と個人献金の72パーセントを電事連から受けてきた自民党。
       補佐するのは、「原発輸出」を新成長戦略の柱にした電事連と電力総連。
 
     
     ●【原子力ムラの今一つの総意は、「東電を破綻させてはならない」】
                     ↓
         3月中に提出されるはずだった「東電再建計画」は、先送りされた。
        「政府の財政援助は、経営に関与することであってはならない」という経団連の意向が
        かなえられそうになかったからである。
         しかし、提出をいつまでも放っておくわけにいかず、更には電気料値上げも見送られる事態が迫り、      
        これを打開する一つの方途としての再稼働。
  
     ●【「タイヘンなことになりますよ」という霞ヶ関の囁き】
                      ↓
       4月2日、社民党党首に「現時点で私も再稼働には反対」と首うな垂れた枝野経産相は、
       翌3日、「きのうの段階では、すべての記録を精査していなかったので」と豹変。
   
       こうしたことを、朝テレ「そもそも総研」で玉川徹氏に問われた古賀茂明氏はこう応えた。
       「電力会社からの“足りない”という情報を、官僚は毎日、大臣に吹きこみ、そして言う。
        〈足りなくなったら責任を取らなくてはいけないのは大臣であり、与党ですよ〉。
        こうして、洗脳され変貌していくんです」
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