九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

これは驚いた!           大西 五郎

2015年02月18日 09時32分21秒 | Weblog
これは驚いた!国会代表質問などを押し退けて16日のNews Watchは黒田の広島到着がトップ

16日夜に、その日衆議院本会議で行なわれた安倍首相の所信表明演説に対する各党代表質問の模様をNHKのNews Watchで確認しようと思って9時にスイッチをNHKに合せました。いきなり飛び込んできたのが、米大リーグ ニューヨーク・ヤンキーでFA権を得た黒田博樹投手がメジャー球団からのオファーを振り切って古巣の広島カープに戻ることを決め、キャンプに合流するため広島に到着したというニュースでした。

選局のボタンを間違えたかと思って画面をよく見ましたら、左上隅にnhk news watch と出ていました。
広島空港到着の様子、ファンが群がって携帯電話で撮影した画面、ファンとの握手風景などが続いた後に黒田投手へのインタビューなどと3~4分続きました。
その後、昨年10~12月期のGDPが前年同期比で3期ぶりにプラスになったニュース、デンマークでのテロ事件と続いて代表質問のニュースはその後でした。

他局はどうかとその後の各局のニュースを見てみました。「報道ステーション」(TV朝日)は代表質問で論戦“格差”“安保”“原発”がトップ、「ニュース23」(TBS)は北日本大荒れに続いてIS関係、「ニユースZERO」(NTV)は首都高速で火災、北日本大荒れ、デンマークでのテロ事件、「ニュースJAPAN」(フジTV)は首都高速で火災、IS関係で、各局はその後に代表質問の内容を紹介していました。
黒田投手の広島球団合流はいずれもスポーツ・コーナーで取り上げていました。

最近「近頃のNHKのニュースはおかしい。政府の言い分の説明ばかりで、批判的な解説は殆どない」などの声をよく聞きます。籾井会長の「政府が右と云うのを左とは云えないでしょう」「従軍慰安婦の問題は政府の見解を見てから」という発言が批判されていますが、NHK内部で“自粛”が始まっているといわれます。
所信表明に対する代表質問では、アベノミクスに対する否定的評価や集団的自衛権問題での憲法解釈を曲げているという批判が取り上げられましたが、NHKのニュース部門の責任者はこれを避けようとしたのでしょうか。
国民が知りたいことを伝えるのがジャーナリズム、報道機関の役目です。NHKがこの原点を踏み外さないようにしてほしいと思います。
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世論はよく誤る  文科系

2015年02月18日 00時03分32秒 | Weblog
 このごろここで、「世論は誤る」なんて当たり前のことを否定するかという人々が居る。馬鹿馬鹿しい限りである。過去の有名な世界的大政治家も語っているではないか。
「民主主義は、これまでに試されてきたすべての統治形態を別にすれば、最悪の政治形態であるらしい」
 その同じ政治家が、こうも語っている。「嘘が世界を半周したころ、真実はまだズボンを履こうとしている」。二つを合わせれば、世論はころっと騙されるという意味でもあるのだろう。だから前者は、民主主義って最良ではないが、これよりマシな政治体制はまだない、という意味になるのだろう。

 この政治家の言葉の解釈でもそうだろうが、世論が誤ることを大いに叫ぶことと、民主主義を否定することとは別の話。誤るけれど、誤った「政治決定」でも多数決で決まったら従うしかないというのが民主主義である。そこが先の政治家の語った「これよりよりましな制度はまだ存在していないよ」という意味なのだろう。この「よりまし」とは、神権政治や貴族支配、絶対王政や官僚制に転化した旧社会主義等よりマシという程度にも捉えることができる。その政治家にお会いして聞いてみたいものだ。どの程度ましなのだとお思いでしたかと。

 ところで、決定には従わざるを得ないという意味にもいろいろある。日本ではこれが絶対の規則のように理解しているようだが、西欧のニュアンスは多少違うはずだ。国家の主人公は諸個人なのだから、大事な諸個人の意見をば不本意ながら全体の決定のために抑えさせて頂きますというのが、民主主義に基づく社会契約説の考え方であるはずだ。そしてだからこそ、この決定は誤っていると個人が叫び続けることは当然可能な、当然の権利である。
 
 僕は今後もどんどんこう語っていくね。「この世論、多数みたいだけど誤りだよ」「新聞の世論調査なんて、疑問も良い所。太平洋戦争の体たらく覚えてるよね?」と。過去の歴史を振り返れば、ポピュリズムという言葉が示すように、世論なんて誤りの陳列台だといっても過言ではないはずだ。
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「慰安婦」、「南京」、大状況を見る  文科系

2015年02月17日 09時10分03秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 反米保守さんと今、この二つの問題が論議になっている。これらの論議でいつも思うある事を今日は書いてみたい。
「強制もなかったし、虐殺も通常の戦時ていどである」と右の方々が語る時、いつも或る事を忘れているような気がしていた、そのことを。慰安婦問題にしても南京虐殺にしても、それが起こった非常時の背景など、今の人には分かりにくい大状況のことである。裁判などでは事件の事実認定を徹底するが、同時に背景、動機なども同じくらい重要なものとなるはずだ。特に、植民地とか激戦時とかには、今の普通の感覚では分からないようなことが無数にあると思う。

 さて、こういう大状況を慰安婦問題では14日のエントリーにこう書かせて頂いた。
『③次いで、僕が最も力説してきたのはこのことだ。朝鮮は1873年征韓論・西郷隆盛の出兵騒動を経て1875年江華島事件以来東学教徒鎮圧など数々の皇軍暴力を経て、1910年に植民地にされた。その後はまたさらに、35年間植民地だった。その間日本への反乱、反抗行為は絶えず、女囚房も含めた政治犯刑務所なども「大盛況」であった。こういう国の女性が「任意の自由意思で売春婦になった」と植民地にした側の人間が現在語っているのだが、あまりにも違和感がある。1929年の世界大恐慌以降は、日本でも「娘売ります」があったことを考えれば、朝鮮半島では同じ事がもっと多かっただろうと十分に推察できるからだ。つまり、植民地宗主国が広義にはそういう事態を多く作ってきたとも言えるのである。政治犯として家の主などが殺された例なども数知れずだったのだから、少なくとも広義の強制は絶対にあったと言いたい。

 以上から、平時の「(保護者の意思も含めた)任意自由意思の売春婦」のように日本人が語るのは、道義的には全く許されないどころか、犯罪的行為とさえ思うものだ。ドイツが、占領したフランスに今ヘイトスピーチをやるのと同じ行為であるという事実を、少しは考えてみたらよい。』


 南京虐殺にはこんな大状況があったとは、歴史家たちも指摘する所である。
『 上海大攻防戦は37年8月(13日)に始まり11月(9日)にほぼ一段落した。その直後12月から翌年まで続いたのが、南京虐殺である。上海攻防戦自身が、揚子江沿いのすぐ上流にある首都南京防衛の為とも言えて、二つは切り離せないということ。
 こうしてここでは、南京の人口が急に増えた事が肝心だと言いたかったのが分からないのかな?』(拙コメントから、一部追加、修正)

 つまり、3ヶ月続いた大激戦から、揚子江沿い上流の南京に向かって潰走して行く南京政府軍と、それを追って先陣争いの日本軍という構図が存在した。なお、この上海と揚子江流域にはドイツ式の装備・訓練による最精鋭部隊30万の中央軍が配備され、上海戦への延べ中国軍投入兵力は70万といわれて、第一次大戦最激戦であったベルダン要塞戦にも例えられる激しさと聞いてきた。
 なお、南京政府軍15万は、12月12日夜から13日朝にかけて日本軍包囲網からの退却を図ったが、揚子江を渡れた将兵は極めて少なかったと言う。

 こういう大状況下の日本兵の心境、捕虜への態度などを、華中方面従軍作家石川達三はこう描いていたという。
『南京は敵の首都である。兵隊はそれが嬉しかった。常熟や無錫と違って南京を乗っとることは決定的な勝利を意味する』(岩波新書日本近現代史シリーズ第5巻加藤陽子著「満州事変から日中戦争へ」から)
『不十分な補給のままの追撃戦による鬱積、中国兵への蔑視の感情が日本側にはあった。作家の石川達三は兵士の感情をよく観察していた。「殊に兵隊の感情を苛立たせる原因となったものは、支那兵が追いつめられると軍服をすてて庶民の中にまぎれ込むという常套手段」。(中略)また、兵士たちは捕虜の取り扱いに窮した。石川は率直に「こういう追撃戦ではどの部隊も捕虜の始末に困るのであった」と書いていた。この混乱の渦中に南京事件は起きた』(同上書)

 なお、33年に陸軍歩兵学校が頒布した「対支那軍戦闘法の研究」には、こういう一文があるという事実も付記しておきたい。わざわざ、兵にこう教えていたのである。
『「支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者」が多いので、「仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し」と書かれていた(藤原彰『餓死した英霊たち』)。』(同上書)
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人質問題、その後1970さんと   文科系 

2015年02月17日 07時36分14秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 11日のイスラム国人質殺し問題エントリー以降、彼との間であったコメントやりとりをご紹介します。こういう問題が焦点になりましたが、問題提起です。

『 普通の論理 (文科系)2015-02-12 20:23:38
 1970さん
 僕が述べた事は、テロリストでなくともそう受け取る普通の論理、筋道というものであると述べているのだが、どうでしょう。
①戦争をしているAとBが居て、Aがこの戦争の第三者であるC国から、人質を取った。
②その時にCがわざわざ、こういう政治行動を取った。
 B国に「救出」事務所を置いて、「Aと戦うB諸国に、これこれの支援をしていく」と決意表明を述べ、加えてさらにAと積年の因縁がある国(イスラエル)の旗の前で、C国の首相が堂々とその演説をした。
③これだけの条件がそろえば、A国でなくとも「バカにしているのか、オチョクッテイルのか」と解釈するのが普通ではないか。
④人質を取られた国が取る行動ではないということだ。なにしろ、その時を狙ったようにわざわざそうしたのだからして、そんな必要があったのかということだけをずっと僕は批判してきたのである。

 人質の命はどうでも良いと振る舞ったのは確かだし、加えて「この機会に長年の政治課題(米国との集団安保行動)」を一挙に進めてしまえということも論理的に含まれている。「人命救助」が聞いて呆れるという事でもあると思いますが。以下の意味でもなおさら、人命救助が聞いて呆れる。

 イラク戦争(の始末)とシリア反乱軍支援という国際法違反のような今後の行動に、日本が荷担していくさらなる一歩をふみだしたのだ。だから、地球の反対側の国で日本人の命がどんどん失われかねない方向にも踏み出したということでもある。どうして?

(中略  この間にいろんな応酬がありました。その末の、最後のやりとりが以下です)

『 Unknown (1970)2015-02-16 04:00:19
 普通は100%の人が正しいと思うはずだ、先ずこの思い込みがずれてるよ。
もしもそうならば中東諸国からも非難ごうごうになるはずだが、そういう声が聞こえないのは何故?
オチョクッた演説だとは思ってない人がいるからじゃない。貴方は援助のくだりだけを書いているが演説はその前後があってその中でもいい話をしているんだよ。
だからとても100%の人がオチョクッていると思うような話ではない。
貴方と同じ見方をする人もいるだろうが100%ではとても無い。』

『有志国側なら・・・ (文科系)2015-02-16 12:12:26
 戦争している当事者・敵対者・有志連合が日本の言動に賛成するのは当たり前。また、普通のイスラム教徒もね。でも、その内実は二つ上で述べた普通の論理として、こういうことだよ。

「こちら側について、援助金までくれて有り難う。さらにイスラム国をおちょくってくれた、奴ら怒るだろうナー。これで後藤さんは死ぬ確率が高まっただろう、気の毒な事だが」』

『それは普通の論理じゃない (1970)2015-02-16 14:57:09
 貴方の論理。
自分の考えイコール普通の考えと簡単に置き換えるのが疑問だよ。
正しいか正しくないかではなく、そう思うか思わないかの視点からも考えた方がいいと思うよ。
少なくともオチョクッたかという見方においてはそうは思わないという人もかなりの数いるということ。これで普通の論理とはとてもじゃないが言えないと考えるのがそれこそ普通。』

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改めて、朝鮮慰安婦問題  文科系

2015年02月14日 17時33分48秒 | Weblog
①まず、政府が先頭に立って慰安所設置に務めたこと、朝鮮で募集に当たったこと、少なくとも内地募集では誘拐があったこと、等を当時の政府文書で示したい。

 1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」から。
『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (中略)
 憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就    業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度(以下略)』

この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」より

『 支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ』

 
②次に、当ブログで僕がずっと語ってきたネット右翼諸君への批判を書きたい。
 ①のように内地では誘拐に類するやり方があったと当局が述べているのだし、中国では強制連行があったと歴史家・秦郁彦が語っている。これは、朝鮮でも同じような事が十分に予想される状況証拠になろう。

③次いで、僕が最も力説してきたのはこのことだ。朝鮮は1873年征韓論・西郷隆盛の出兵騒動を経て1875年江華島事件以来東学教徒鎮圧など数々の皇軍暴力を経て、1910年に植民地にされた。その後はまたさらに、35年間植民地だった。その間日本への反乱、反抗行為は絶えず、女囚房も含めた政治犯刑務所なども「大盛況」であった。こういう国の女性が「任意の自由意思で売春婦になった」と植民地にした側の人間が現在語っているのだが、あまりにも違和感がある。1929年の世界大恐慌以降は、日本でも「娘売ります」があったことを考えれば、朝鮮半島では同じ事がもっと多かっただろうと十分に推察できるからだ。つまり、植民地宗主国が広義にはそういう事態を多く作ってきたとも言えるのである。政治犯として家の主などが殺された例なども数知れずだったのだから、少なくとも広義の強制は絶対にあったと言いたい。

 以上から、平時の「(保護者の意思も含めた)任意自由意思の売春婦」のように日本人が語るのは、道義的には全く許されないどころか、犯罪的行為とさえ思うものだ。ドイツが、占領したフランスに今ヘイトスピーチをやるのと同じ行為であるという事実を、少しは考えてみたらよい。 
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当ブログ当初5年の発展を振り返る    文科系

2015年02月14日 05時40分04秒 | その他
 当ブログは、この秋で発足10年になります。大学時代からの友人(管理人さん)の呼びかけで僕ともう一人が応え、管理人さんの友人、御親類なども参加したことなどから、下記のように大変な発展をしてきました。「名もない私人の政治名ブログ」としては、異例の数字だと自負しています。以下は発足5年の頃にこの発展を振り返って、「どんなものが読まれるか」、「こんなブログでありたい」などの私見をまとめたものです。管理人さんは長くご病気、御親類の名随筆家の一人は家庭内事故で書けなくなり、もうお一人の優れた論文書きの方は癌で亡くなられて、それぞれ永久欠席。今でも、痛恨の極みです。僕が嫌いで去って行かれた途中参加の方も何人かいらっしゃるようですが、それに対する責任も僕なりに取ってきたつもりです。


『 私見、ここに何が期待されている?  文科系  2010年02月22日 | その他

 このブログも05年11月発足から、そろそろ5年を迎えようとしている。アクセス数で言えば、週間人数でこんなふうに発展してきた。閲覧数は、これらの数字に3~4ほどを掛けていただけばよいだろうか。こんな事から始めて、標記のことを考えてみた。

 当初の1年はアクセスの多い週で400人ほどであり、200人台の週もざらにあった。多分、ほとんどが昭和区9条の会の方々だったのだろうと思われる。ただ、急に多くの投稿を読まれたという週があった。400人ほどの方が、 閲覧2000とか、時に3000を越えるというような週も混じったからだ。当然のことだが、ここの人々に「これは読みたい」という強い好みがあるということだろう。
 週アクセス500人を越えたのは発足1年半弱ほどのことで、1000人を越えたのがさらに1年ちょっとを経た発足2年半の08年初夏のころだった。その後は小幅の一進一退を経て、去年の夏の初めに1500を越え、8月にはやがて2000人へと増えるにいたった。ちょうどあの衆院選挙を控えた頃のことである。そして、現在までそのピークを基本的に続行中であるうえに、この1~2月には2500人近い人が10000回前後閲覧するというような過去最高の峰が3週続いた。

 さて、どんな投稿が望まれているのだろう。「私見」、自分なりの分析をまとめてみたいし、皆さんからもご意見を聞いてみたい。素直に次のように考え、望むからだ。エンタテインメント映画よろしく読まれさえすればよいと言うのではなく、自分としてなんらかの意義ありと思って書かぬモノは一つもないのであって、より多くの方々にこれらをお読みいただきたいと願っているからである。

①投稿の形としてはこんな事が言える。
a 自分なり誰かなりの意見、感想などは好まれない。ただしこういうものであっても、投稿で継続される論争は好まれる。
b よく調べられた事実報告(紹介も含む)が好まれる。最近では例えば、「女性秘書監禁事件」の週刊朝日記事紹介など二つの投稿とか、昔で言えば「激流中国」(の本の連載紹介)などは、非常に多くの方に読まれた。自分なりに興味がわいた新聞報道記事などの紹介も、結構読まれると実感する。
c 随筆とか俳句などは結構人気があるし、具体的事項でテーマを明示した短い論文のようなモノもここでは案外多くの人に読まれている。後者の例としては、09年11月15日からの1週間が過去ダントツのアクセス数(2719人)だったということなどが挙げられよう。

②内容的には、こんな事が言える。
a 流石に選挙前の何ヶ月かは、いつも急に読者が増える。ここの性格上そういう記事が増えるからだし、そこに関心も集まるからだろう。ただし、一政党支持のような投稿がでると、すぐに批判が返されてくるという特徴も、ここにはある。
b 俳句、随筆に人気があるというのは、文化に関わるからだろう。政治評論も時事問題も、そういう意見、感想も、文化のような形式で書けると良いのだが。因みに、「随筆」と銘打ってあるとそれだけでの検索ヒット訪問も相当あるようだ。
c スポーツは特に人気がある。野球もそうなのだけれど、拙稿で恐縮だがサッカー記事で外れたことはない。きちんと調べたモノをいくらか書き連ねた週は、必ずアクセス、閲覧ともにその週の内に急増していくことが分かる。因みにこういう急増が、歴代アクセス・ピーク時には必ず関わっていると言っても良い。また、なんらか活躍した個人名からの「検索訪問」も多い。
d 以上にも述べたことだが「Jワード検索」などに上がっているような氏名、事項が投稿名称に付けてあったりすると、急にアクセスが増えることがある。これは是非、投稿者の方々に念頭に置いていただきたいことである。

 継続は力であると、つくづく思う。ただし、マンネリでないちょっと能動性のある継続ということだろうと、急いで付け加えたい。最近は、長く続いた新聞などのどこもが下降線一途なのだし、ブログといえども友人仲間、団体仲間の域を出ていないといったものがほとんどなのだから。このブログは、グーブログ140万弱のうちで、3000位を割りはじめており、こういう性格のモノとしては異例なものであろうと、僕は密かに自負している。

 最後に僕個人のここへの決意を少々。今まで同様、基本は1人称文体で行きたい。文芸文が無人称文章よりも人々に好まれるのは、人の顔が見えるからだろう。また、丸公を扱う政治というものは、個人の顔が見えにくいから無責任にも見えたりして好かれないという特徴もあるのではないか。全ての人の生活を左右するほどに極めて大事なモノなのに、投票率数十パーセントなどというのが良い例証になるだろう。そして、人の顔が見えないということは、文化の匂いも少ないということだろう。文化というモノはどうしても個人の感性、5感を抜きには語れないものだからだと思う。こうして僕としては今までと同様、9条に関係なくというように投稿していきたい。9条に関係ない人間の営み、感性などは実際にはおよそあり得ないんじゃないかという、そんな感じで。』
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「よたよたランナーの手記」(106) ぼつぼつ・・・   文科系

2015年02月13日 15時42分16秒 | 文芸作品
 9日、12日と走って、合間にウオーキング。10、11日と用事移行時を使って1200歩、3000歩の速歩をした。速歩をやって走った翌日は、走り初めが楽になる。心臓はそんなでもないが、脚が軽くなる。脚などの血管が開いて、活発になっているということなのだろう。逆に言えば、一日脚を動かさなければ、血管がどんどん縮んで行く年齢になったということなのかな。

 さて、2日間のランでまた気付いたのだが、確かに身体が変化していると思う。
①ウオームアップに、特に心臓の調子が出るまでに20分近くかかるようになった。心肺機能がやや落ちたということだろう。
②心臓のウオームアップを十分にしておかないと、突発性の心房細動が起こりうる。僕の心臓内壁には、余分な心拍電流回路が通りやすくなっているようだ。また、どうも、去年後半以降に頑張った脚の筋肉、血管の強化に対して、心臓が追いつかないということでもあるらしい。「心臓は鍛えられない」というから、そう思うのである。

 さて、50歳以下の人のために心臓の衰え方とその「(後になって分かるというような事も含めた)全人生的意味」とをちょっと書いておきたい。運動不足は、とてつもなく活動年齢を下げてしまうからだ。このように。

①運動をしていないと40歳前でも、ちょっとの運動ではなかなか心拍数が上がらなくなる。すると、ちょっとの運動を続けるのにも凄く疲れるようになる。だから、運動がしにくくなる。悪循環という事だ。そういう人は、よほど太っているのでもなければ、汗も出にくいはずである。
②そういう人と運動をしている人との差が、例えば50歳ではこういう事。最高心拍数が、一方はちょっと走れば180にも上がるのに、運動してない人は140にもなかなかならない、と。
③50歳で心拍数150にもなりにくい人は、心肺機能年齢がそのままではもう70歳ということになる。こういう人は脂肪が付いている場合も多いし、長生きできないだけでなく、肩はこるし、目は疲れるし、歯も悪くなりやすいのが普通である。心肺機能の高い人は、活性酸素対策さえすれば細胞が若いということで、成人病や癌にもなりにくいということになる。

 以上は、一人の心臓病を抱えたスポーツマニアが長年かけて医者や本や家族、隣人たちから集めた情報をアレンジしたもの。ただ、上の心拍数関係には、個人差がある事をお断りしておきます。ちょうど、平常心拍数に優に20ほどの個人差があるのと同じで。 
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朝鮮日報より    らくせき

2015年02月12日 10時18分25秒 | Weblog
朝日新聞の慰安婦報道をめぐる裁判を中心にポイントを押さえた解説です。

旧日本軍の慰安婦となった韓国人女性の証言を初めて報じた、朝日新聞元記者で北星学園大学(北海道札幌市)非常勤講師の植村隆氏(56)が今月10日、自らを「慰安婦問題を捏造(ねつぞう)した記者」と非難した極右派の女性ジャーナリスト、櫻井よしこ氏(69)と、櫻井氏の書いた記事を雑誌に掲載した出版社を相手取り、1650万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴訟を起こした。植村氏は先月にも、東京基督教大学の西岡力教授と出版社を相手取って同様の訴訟を起こしている。


 植村氏は朝日新聞の記者だった1991年8月、旧日本軍の慰安婦だったことを初めて公表した金学順(キム・ハクスン)さん(故人)の証言を特ダネとして報じた。植村氏は「社会的な影響力が大きい櫻井氏が『慰安婦問題の記事を捏造した記者』という虚偽の事実を流布したため、私の家族まで殺害を予告されるようになった」と主張した。植村氏が現在勤務している北星学園大学にも「植村氏を解雇しなければテロを実行する」という極右派の脅迫が相次いでいる。


 元ニュースキャスターの櫻井氏は、安倍晋三首相の「思想的な同志」と知られ、寄稿や講演、テレビ番組などを通じ、旧日本軍の慰安婦の強制動員を否定してきた。櫻井氏が理事長を務める「国家基本問題研究所」は、慰安婦の強制動員について謝罪した「河野談話」の破棄を求める運動を繰り広げている。


 訴訟の争点は、記事の内容の真実性の有無だ。植村氏は当時の記事で「(金学順さんが)女子挺身(ていしん)隊という名目で戦場に連れていかれ、日本軍兵士を相手に売春行為を強要された朝鮮人従軍慰安婦の1人」という表現を用いた。これに対し櫻井氏は寄稿記事で「金学順さんは挺身隊ではなく、貧しさのため両親によって身売りされた哀れな女性の1人にすぎない」と主張した。一方、植村氏は「当時は韓国でも日本でも『女子挺身隊』と『従軍慰安婦』の用語を混同していた。また記事では、(金学順さんが)17歳のときにだまされて慰安婦にされたという表現をしている。櫻井氏は記事をきちんと読まず、虚偽の主張を繰り広げた」と反論している。
もう一つの争点は、論客や学者の論評が名誉毀損(きそん)訴訟の対象になり得るかという問題だ。櫻井氏は訴訟に対し「言論人はいかなる批判にも言論で応じるべきだと思う。私の論評に不満があるなら(訴訟ではなく)言論の場で堂々と説明、反論すればよい」とコメントした。これに対し植村氏は「いくら反論をしても櫻井氏が『捏造』という主張を繰り返したことにより、家族や大学の学生まで脅迫されているだけに、法廷でこれを正す必要がある」と主張している。


 植村氏を支援する市民団体の関係者は「今回の訴訟は結局、慰安婦の強制性の有無が争点になるだろう」とした上で「日本の良心派と極右派の代理戦争になるのではないか」と話した。植村氏の訴訟は約170人の弁護士が支援している。判決が確定するまでは4-5年がかかる見通しだ。


 一方、朝日新聞の慰安婦問題に関する報道について、極右派は朝日新聞を相手取り、相次いで訴訟を起こしている。朝日新聞が「旧日本軍が慰安婦を強制連行したという誤った認識を国際社会に広め、(日本の)名誉を棄損した」として、学者や政治家など約8700人が先月、1人当たり1万円の慰謝料と謝罪広告を求める訴訟を起こした。また「朝日新聞を糺す国民会議」の会員など400人も、今月9日に同様の訴訟を起こした。

朝鮮日報の車学峰(チャ・ハクポン)特派員のレポートです。


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新聞の片隅に載ったニュースから(188)    大西五郎

2015年02月11日 16時55分30秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
慰安婦番組「政府方針見て」の会長発言に経営委員「遺憾」(15.2.11 毎日新聞)

NHKの経営委員会は10日、籾井勝人会長が定例記者会見で、従軍慰安婦問題を番組で採り上げるかどうかは、政府の方針を見て判断する意向を示したことについて協議した。放送の自律を放棄したかのような会長の発言には、批判的な意見が多かったとみられるが、籾井会長は欠席だったため、浜田健一郎委員長(ANA総合研究所会長)が近日中に、真意を確認の上、あらためて協議する。
非公開の委員会が終了後、上村達男委員長職務代行者(早稲田大教授)は記者団に「記録を見た限りにおいて遺憾だ」と述べた。この日は執行部側からの提案事項がなかったため、当初から籾井会長は欠席予定だった。
籾井会長は5日の記者会見で、従軍慰安婦問題について「政府のスタンスがまだ見えないので、放送するのが妥当かどうかは慎重に考えないといけない」と延べ、政府がまとめる「戦後70年談話」の行方を見て判断するとしていた。
また10日、市民団体「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」「放送を語る会」日本ジャーナリスト会議(JCJ)の3団体は会長の辞任と、経営委員会による会長の罷免を求める申し入れ所をNHK側に提出した。

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JCJと放送を語る会は10日に共同で籾井会長宛に「即刻辞任を求めます」を、経営委員会宛に「籾井会長の即刻罷免を強く求めます」を申し入れました。
申入書は「籾井会長の従軍慰安婦について正式に政府のスタンスを見て考えるという発言は、事実上『番組は政府の方針に従って作る』ことを表明したことに他なりません。また総選挙を控えた昨年11月20日、自民党がNHKと在京民放キー局に、出演者の発言回数、時間、ゲスト出演者の選定、街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏ることがないよう公平・中立、公正を求めました。(註:これは安倍首相がテレビ生放送に出演中、街頭インタビューに答えた若者が『アベノミクスは評価できない』と答えたことに安倍首相が番組中に文句を云ったのが発端ですが)、報道内容に対し、露骨に、事細かに干渉しました。これについても籾井会長は記者との懇談で『この文書の通りだ』と発言し、選挙報道に対する政権党の露骨な干渉に唯唯諾諾と従う態度を示しました。籾井会長が放送の自主・自律を堅持すべき公共放送NHKのトップ失格であることはあきらかです。」と指摘しています。
また、NHKを監視・激励する視聴者コミュニティも経営委員会に籾井会長の罷免を求める申入書を提出しました。
なお、これら3団体は他の4団体と一緒に籾井会長と百田尚樹、長谷川三千子経営委員の罷免を求める署名運動を行なっており、これまでに7万2千筆を超える署名が集まっています。
(籾井会長と経営委員会宛の申入書はJCJ本部から会員である私に届いた通信によります。)
                                                大西 五郎
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1970さんにお答えする   文科系

2015年02月11日 16時48分26秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 1970さん、既にお分かりのように、僕は、アベが金を払えば良かったと語ったわけでも、アベの言動ゆえに殺されたのだと断定したわけでもない。どうすれば殺されあるいは殺されなかったかは、敵側の情報が入らない僕らには(貴方にも)、今は語れないはずだ。そして、あなたのコメントには、無理な論法、断定が垣間見えると言いたい。

『何をやったって揚げ足取るテロリストなんだからそんなことをいちいち叩くのもおかしい』
 そうだろうか。後藤さんが交換のためにトルコ国境近くまでいったんは連れて来られたという話も、諸外国経由で聞こえている。
 それよりも何よりも上の言葉でここはいかがなものか?
「そんなことをいちいち叩くのもおかしい」。

 こう語る事によって貴方は、政府の以下の行動を許容していることになる。人質が殺されるかという時に「イスラム国と戦う有志国に2億ドル寄付すると決めた」とアベが大々的に演説して見せたこと。しかも、敢えてしたようにイスラエル国旗の前で演説をぶった事。かてて加えて、救出事務所をイスラム国爆撃有志国のヨルダンに置いたことなどだ。トルコに置けば良かったとは、いろんな人々が述べている所だ。貴方はアベを中心としたこれら全ての挑戦的行動への批判に対して、「いちいち叩くのはおかしい」とアベを擁護して見せた事になる。

 さて、ひょっとしたら、これらのアベの行動故に殺されたのかも知れない。2ヶ月近くも期間がありながら救出に向けた政府の熱意が全く感じられなかった全体的雰囲気とともに。
 ただし、そういうアベらの諸言動をかばいうる論理がただ一つあり得かも知れぬ。「どうせ殺されるのだから、この際開き直って、今後の憂いを断っておこう」というものだ。つまり、「殺しなさい」と示す事によって同時に「今後日本人を拉致しても金にはなりませんよ」と暗示したと。政府をこう理解する方がむしろいろんなその言動に合致すると僕は思っているほどだ。だが、これはとてつもない代償を払う論理でもある。将来の海外派兵方向を示している現在においては、この態度は「私は完全な敵になりました。これからはもっと敵になります。アメリカと共に」と述べていることになるだろうからである。世界のアメリカへの恨み辛みが全て日本にも被せられるということだ。そこをも含めて僕は「アベがこの事件を政治的に活用した」と述べたつもりだ。
 

 最後になるが、後藤さんについては取材のために行ったのでも、比較的軽い気持で赴いたのでもない。湯川さんを引き込んだ責任を感じて、彼を救出しに行ったのだと述べていたはずだ。だからこそ「何が起こっても僕の責任だ」との不安も覚悟も披露した渡航だと、あなたも語っていたはずではないか。
 こういう日本人が人質になっている時に、上のアベの態度はないだろうと、あれは一体何なんだと、今後に向けての政治利用としか考えられないと、そう言いたかったのである。
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『随筆 「国語(科)は学問ではない!」?』 の続き   文科系

2015年02月11日 11時06分35秒 | 文芸作品
 この拙稿は、1月29日エントリー『随筆「国語(科)は学問ではない!」?』の続きです。アクセス記録数などによるとこのエントリーを読んで下さる方が意外に多いようだし、一読者の「難解だった」という電話感想もあったので、そこの最も大事だけど難しい部分を詳論しようと思い立ちました。

 29日にはこのような事を述べさせていただきました。深い思考力とは、言語能力とともに発達していく。そういう言語能力は小学校中学年で出現し、そこで最も飛躍的に伸びていく抽象的言語能力の事ですが、それが実はその子の社会性と共に進んでいくということ。「机」とか、「走る」とかの目に見えるようなものについての言語ではなく、真善美とか、喜怒哀楽(その名詞、形容詞)、「したがって」などの接続詞等目に見えないものの言語能力が、特に社会性と結びついているということ。その場合の社会性とはさし当たって、『他人の言動が見え、分かり、共感するということなど』を述べさせていただきました。

 さて、この抽象的言語能力と社会性の関係をより詳しくまとめる事が、今回のテーマです。他人(のごく単純な状況。これを、後で述べます)が見えてこなければ小学校中学年段階の抽象的言語能力は伸びないといっても良いということです。そして、そういう子は学年が上がるに従って学力一般が落ちていくものです。勉強とは先ず記憶であると誤解しているような子がそうなのですが。

 さて、こんな実験をした学者がいます。
①ボール紙切り抜き3組、各3枚ずつを用意します。両面赤く塗った丸3枚。同じく青の三角、緑の四角それぞれ3枚。因みに、色と形がそろっている点がミソです。
②それを、小学生低学年の子の目の前で3枚3組に分けて見せてから、「今度はあなたが、お仲間同士に分けてみて」とお願いします。当然分けることができます。
③次に、そこへ大人を一人連れて来て目隠しをさせ、その子にこうお願いします。「この人が。この9枚をさっきみたいなお仲間に分けられるように、何でも良いから言葉で教えてあげて」

 さて、正解は「貴方の前に紙があるから、触ってみて同じ形の組に分けて」とか「前にあるボール紙に触って、丸、三角、四角3枚ずつに分けてください」なのですが、小学校低学年では平気で色の事を語る子がいます。「赤くて丸いの」とか。つまり、「目が見えない相手」という事にほとんど気付かず、配慮がない子も多いんです。もっというと、「相手の立場で物事が見られない」。この遊び、僕も昔我が子などによくやってみたものですが、賢い子ほど上手だとはっきりしています。小学中学年でこれができる子が飛躍的に増えるから、ここで成績の差が付いていく。そしてここが大事なのが、「相手の立場で物事を見ようとしていないと、抽象的言語が苦手になる」ということでしょう。例えば、電話で他人に道順を教えるやり方を考えてみて下さい。大人になってもこれが苦手な人がいますよね。何故なんでしょう。
 道順を教える要点はこういう事でしょう。「誰でも分かる目印」と、誰でも分かる方向、および客観的な距離です。「(自分がよく遊ぶ場所)」とか、「かなり遠くまで行って」などは、主観的な言葉で、ダメなんです。

 ちなみに、上の実験は20世紀の発達心理学で大問題の一つになった「自己中心的言語」という概念を巡る大論争の中から、その結末の辺りで生まれたものでした。

 さて結論です。目にも見えないし、手でも触れないモノを扱う抽象的言語は、人々、人間全体がそれをどう捉え、どう使用しているかを気にしなければ、身につけられないものです。言語自身が元々人と人のコミュニケーションの必要から生まれたものでしょうが、抽象的言語(の中身)は特に、人の心の中にしか存在しないようなものだから、自己中心的人間には苦手なわけです。大人でもすぐに、こういう人が多いですよね。「具体的に語ってくれ!」。

結論 他人が見えてくるに従って、抽象的言語がちゃんと身につき、抽象的言語が正しく使えるようになり始めてこそ、以下も発達していく。論理性・思考力、さらには人間的感性、情緒など。これらの関係理解について最後に一言だけ。それぞれ前者は、後者に不可欠にして重大な必要条件ではあるが、必要十分条件ではないということ。また、それぞれ後者が逆に前者を発達させもするということ。これらは言うまでもありません。
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朝鮮日報より   らくせき

2015年02月11日 09時55分08秒 | Weblog
北朝鮮の朝鮮労働党機関紙、労働新聞は10日、先ごろ日本が事実上の偵察衛星とされる情報収集衛星を打ち上げたことに対し、侵略の野望を現したと非難した。


 同紙は論評で衛星打ち上げについて、「わが国とその周辺地域を詳細に監視し、任意の時間に任意の対象を先制攻撃するための海外侵略準備策動を行った」と主張した。


 また、日本が1998年に北朝鮮が初の「実用衛星」を打ち上げたことをきっかけに軍事偵察衛星の導入を決め、現在5基の軍事偵察衛星を保有しているとしながら、日本による侵略が現実になることを示すものだと強調した。


 また、韓国と米国、日本の3カ国が北朝鮮の核やミサイル関連情報を共有するための覚書を締結したことについて、日本が米国の対北朝鮮敵対政策に便乗して朝鮮半島で利益を得ようとしているとした。


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『戦後70年談話で与党協議「不要」』    文科系    

2015年02月10日 08時12分04秒 | 国内政治・経済・社会問題
 6日の大西さんエントリーに続いて、標記の事を少々。
 本日の中日新聞2面に、標記の言葉に「自民・萩生田氏」と付加したタイトル記事がありました。その一節にこんな解説が入っています。

『首相は戦後五十年の村山富市首相談話、六十年の小泉純一郎首相談話で使われた「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのおわび」などのキーワードに縛られず、国会の意思とは関係なく「内閣の責任」で談話を出す考えを表明。』

 今回はこれについて、萩生田光一総裁特別補佐が9日にこう語ったのだそうです。
『「同じ与党であっても、百人いれば百通りの意見が出てくる。(首相の)専権事項としてやられたらいい」と強調した。与党としての意思表明は「国会決議でやればいい話だ」とした』

 どうやら野党との相談は勿論、公明党を含めた与党の合意もなく、一人の考えを表明するらしい。そういう専権があるということらしい。従来の首相談話との関連性などについて、法的問題などはどうなっているのだろうか。誰かお応え願えないものでしょうか。
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籾井発言について再びUnknownさんへ   大西五郎

2015年02月09日 09時50分45秒 | Weblog
籾井会長の談話にたいするコメントへの反論です。コメント欄ではなく投稿として扱いました。(らくせき)


Unknown(Unknown)さんは「そもそも公共放送なんて中途半端な立場がおかしい」とNHKの存在形態から論を説きますが、NHKがどうあった方がいいかという問題と、放送法に規定されて放送業務を行なっている現在のNHKがどのような放送をすべきかは別問題です。
重ねて申し上げますが、籾井発言の問題点は、放送法によって本来政権から独立して問題を採り上げ、評論すべき放送局が政権の顔色を覗うという公共放送としての自立性を失っていることです。
放送法第三条は「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」
放送法第三条の二①は「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めることによらなければならない。
一、公安及び善良な風俗を害しないこと。
ニ、政治的に公平であること。
三、報道は事実をまげないですること。
四、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
籾井会長の発言はこれに反していることを指摘したのです。
NHKが将来どう在るべきかの意見ではなく、籾井発言が現在のNHKがとるべき放送の在り方(籾井発言の可否)についてのUnknown(Unknown)の見解をお聞かせください。
さらにUnknown(Unknown)さんは「事実上税金に等しい集金をしているのに、公的にはどの省庁の支配下でもない」とおっしゃいますが、放送局が特定省庁の支配下に置かれたら、言論・報道の自由という立場は果せなくなります。
また「国民の放送局と称していますが、それを検証判断するのは内部の数人」というのも、どういうことをおっしゃっているのか意味不明な文章です。
公共放送ということについてはイギリスにBBC(British Broadcasting Corporation)という放送局があります。イギリスではテレビ受像機やビデオデッキを所有するときには許可書を買う制度があり、それがBBCの財政に繰り込まれます。それでBCCはどこからも規制を受けず、自主性を保っています。フォークランド紛争の時も、アメリカが始めたイラク戦争でも、政府の方針を批判しました。参考までに申し上げました。
                                 大西五郎

なお、この放送法は戦争への道を後押ししたことを反省、平和を大切にするという精神で制定されたものです。
名無しさんがこのことを知っていて、批判されるのなら、こまったものですが。
いかがですか?                             (らくせき)



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辺野古から抵抗の報告   文科系

2015年02月09日 05時40分24秒 | Weblog
 これも阿修羅掲示板からの転載だが、辺野古住民らは今、国家権力とのこんな闘いの真っ最中なのだと知ることができた。まさに闘いという表現そのものの先頭に立っているのが、名護市・稲嶺進市長。その意外に明るさ漂うインタビュー報告部分が、レポーター渡瀬夏彦氏の文章と共に、秀逸と感じた。


『(前略)
1月27日午後、名護市役所で行なわれた稲嶺(いなみね)進市長の会見に駆けつけ、その言葉にじっと耳を傾けた。

悲しみと悔しさと怒りとを一生懸命にこらえているような、複雑な表情の稲嶺市長は、この異常な緊急事態を受けてなお、あくまで冷静沈着な筋の通った発言をした。
だからこそ、会見内容の大切な部分を、きちんと紹介しておきたい。この民意に寄り添う誠実な地元市長の意思表明会見を、じっくり読んでいただきたい。

まず、知事が第三者委員会の「埋め立て承認の瑕疵(かし)」の検証が終わるまで作業中止を求めた翌日の出来事だが、と問われて―。

「知事は県民の代表です。先の知事選で相手候補に10万票近い大差をつけて『辺野古移設は駄目だ』という県民の意思が示されています。その県民の意思を受けて、知事は作業中止を求めたわけです。しかし、国はその意思をまったく無視している。無視イコール差別ともいえる形で物事が進められている感じがします。
国側は、いつでも法治国家(前知事の埋め立て承認を受けているから、法的に問題ない)という言い方をされますが、民意をまったく無視することが法治国家のあるべき姿かなぁと感じます。
選挙期間中は選挙に不利になるかもしれないから作業は止める。しかし選挙が終わったら(結果に関係なく、防衛省沖縄防衛局が)すぐに工事業者入札の公告をしたりする。これは、民意に関係なく、国はやるんだぞ、というパフォーマンス、見せしめ、と感じざるを得ません」

警備当局が「安全確保」と言っていることについて―。

「逆に過剰警備によって、危険を伴うことが海上やゲート前で起きています。だから、抗議の人たちの手が薄くなった、寝静まった時間を見計らうようなやり方をする。今日も台船が、夜が明けてみたら、そこに来ていました。防衛局のお得意技かな、と感じます。
法にのっとっているなら、テレビカメラの前で、あるいは新聞の文字を通して説明をした上で、明るい時間にやればよいのに、なぜできないのか。ある日突然、襲いかかってくるという感じです」

いわゆる「移設工事」(正確には新基地建設工事)への思いと、名護市の立場をあらためて問われて―。

「今は『移設』の前段のボーリング調査の段階で、無謀、横暴な作業が進められていますが、いざ埋め立て工事がそのまま進められていくかというと、わたしは決してそうは思わないんですね。
防衛局が県への申請を取り下げた部分や、名護市の許可が必要な部分も、何ひとつクリアされていません。それらは直接埋め立て工事に関わる必要事項です。いま(ボーリング調査関連作業を)権力で強行しておりますけれども、これが埋め立てまでスムーズに進むとはとても思えないですね」


読者の皆さんは、どう感じられるだろうか。

民意に基づき、「海にも陸にも新しい基地はつくらせない」という公約を2010年1月の初当選以来、守り抜いている市長の言葉の重みと説得力は伝わるのではないだろうか。
腹が据わっている。この市長の言葉は、国が仕掛けてきた「沖縄制圧戦争の武力行使」に対して、ひるむことなく立ち向かおうとしている誇り高き沖縄県民にとって、間違いなく大いなる励ましになる。

連日連夜、民意を無視した強行工事のガードマンと化している海上保安官や県警機動隊の諸君と、自然を愛し平和を希求してやまない市民県民・全国からの支援者との衝突が繰り返されている。
本当に悲しく腹立たしい光景である。だが、目の前にいる、過剰警備をさせられている公務員ひとりひとりは、わたしたちの敵ではない。

翁長雄志(おなが・たけし)知事が選挙期間中に時折発した言葉を借りれば「どこか高い所から、笑って見ている人がいませんか」という話だ。

わたしたちは、誰が当事者なのか、しっかり見極めなければならない。

●この続き、PART3は明日配信予定!

(取材・文/渡瀬夏彦 撮影/森住 卓)

■週刊プレイボーイ7号「政権の言うことを聞かない沖縄が“武力”で圧殺された日」より 』
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