九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

海外報道にも「人質見殺し」   文科系

2015年02月08日 20時39分17秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 阿修羅掲示板に、各国の日本人人質殺害事件を論評した記事が載っている。イタリアの一メディアは、こう報じたとのこと。常識的な線かと愚考する

『 イタリアは、シリア難民問題に悩んでいる。イタリアの「Il Sore 24 Ore」は、後藤さんが殺害されてしまったのは、安倍総理が7つの間違いを犯したからだと報じた。

1つ目は、秘密裏に行われた11月以前の交渉が失敗に終わったこと。
2つ目は、その交渉の情報を得た「週刊ポスト」など日本のメディアに対し外務省が報じないように圧力をかけ、そして安倍総理はそれが看過したこと。
3つ目は、カイロでの演説において、中東地域に対し2億ドル支援すると表明したが、その目的を明確にしなかったため、ISILが同じ金額を身代金として要求する結果となったことなどだ。

残りは、ISILとの有効なコミュニケーション・チャネルを見いだせなかったこと、また、安倍総理がISILに対して「罪を償わせる」と欧米の政治家なような厳しい発言をしたことが、集団的自衛権など安倍総理のポリシーとあまりに重なったことなどだ。』


 こういう情報報告がネット社会に飛び交うのはグローバリズムの良い点だなと、痛感した所。国内世論を工作することに励めばよいというのがアベの作戦だったのだろうが、かくのごとくに昔のようには行かないようだ。このイタリアニュースも強調しているようにただ前ノメリ政治利用ばかりが目立ったアベに、ざまー見ろと言いたい。日本の民主主義も、このグローバリズム時代には安倍が思うように到底「善導」などできないだろう。外国ニュースがどんどん入ってくる今は、「鬼畜米英時代」とは違うと言う事だ。米英流グローバリズムの暗い事ばかりが目立つ日本に、グローバリズムのちょっと明るいニュースだね。
 
 
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「よたよたランナーの手記」(105) さらに、老いを確認   文科系

2015年02月08日 11時58分45秒 | 文芸作品
 1、3日の走りで、こんな事が認められたと、前に書いた。
「時速10キロまでならいくらでも走れるが、これを越えると心拍が乱れ、発汗も過ぎるということ。まー、心拍が155で10分は辛いと言い換えても良い」
 このことを実証したような出来事が、7日のジムで起こった。

5、6日と用事などの折に各30分程度の速歩きをやって、7日にジムへ行った。ちなみに、6日の速歩きはかなり激烈だったな。そして、7日ジム前半30分では4.5キロ走って、何の問題も無し。後半の30分で僕としてはちょっとした事件が久し振りに起こったのである。

 15分過ぎに10.5キロ時、20分過ぎには11キロ時へと上げた。すると27分過ぎ辺りの事だったか、ふっと心拍計を見たら194と出ている。僕の場合のこの数字は昔苦しんだ心房細動の突発にまちがいない。何か息苦しさというのも、微かな異常も感じられずに、心拍数だけが200を越えていくのだから、質が悪いのである。心拍計を付けていなければ、そのまま走り続けて死んでしまうというこの様相も、昔と同じだ。この症状、10年のカテーテル手術2回でこれが安定してからは初の事だった。あわてて昔のようにすぐに歩いた。すると、やはり昔のようにすぐに収まって、150弱に。それで、又走り出したのだが、その間は30秒もなかったはずだ。今度は9キロ時ほどで走って、計5キロちょうどで終わった。分かった事がこれだ。

 心拍160近くで走ると、昔スピードで無理をした時のように心房細動が突発することが、今も起こりうる。こういう事が重なって、この回数が増えていけば、慢性心房細動に転化することになろう、とも。ついでに、こんな医者の言葉、警告も、思い出していた。
『ランナーには心房細動が多いんです。ただ、早く手術をすればころっと完治して、又走っている。走れるんだから、心臓自身は健全なのですしね。又激走して又手術という人もいらっしゃいますよ』

 まー僕は、再手術はご免被る。よって、心拍数155以下、普通は150以下で走る事にしよう。このスピードなら勿論、速歩きでさえ、運動効果の多様さ、豊富さには、程度の差はあっても変わりはないのだし。こういう程度の差は、年齢ゆえと自分に言い聞かせていく事だな。それにしても、今の心拍数限界155が150、140となっていくのは、それぞれ何歳ぐらいなのだろうか? こんなことを見つめ続けていくのもまー、楽しみというもの。
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随筆 ギター、この5年間の前進?  文科系

2015年02月07日 09時53分59秒 | 文芸作品
 62歳から先生について12年目のクラシックギターだが、近ごろとんと上達しない。去年などは新曲をやらず、僕の暗譜リスト群の手直しに丸1年を費やしてしまった。暗譜リスト群というのは、この12年間にいろいろ出し入れしながら選び抜いてきた大好きな20数曲を暗譜リストにしているということ。そして、その都度のレッスン曲以外にこのリスト群を週に一回りほど、その日の気分に任せてあれこれいろいろ弾き回しを楽しんできたということ。暗譜していれば、読譜作業が不要な分自由な弾き回しを楽しめるということ。こういうこと全てが、僕のギター極楽生活の一部になってきたということでもある。その内の未完成難曲いくつかへの再挑戦だけで、去年一年が過ぎてしまったのである。もっとも、音楽の演奏なんて、どんな曲も常に未完成に決まっているのだが、僕の場合の未完成基準は酷くって、言ってみるならばこういうこと。「先ず、人には聞かせられない」。

 なお、ギター曲をご存知の同志のために去年再挑戦した曲名を上げれば、こんなところである。ソルのエチュードセゴビア編集20曲集のうち第14番と17番、バッハBWV998プレリュード、そして、大聖堂全3楽章などだ。

 さて、今やっているこの大聖堂。楽譜6頁のこの曲を初めにやったのは、10年2月から翌年1月頃まで。1日1時間以上は弾き続けて約1年粘ったが完成と言うにはほど遠いままに、自分で「ひとまずレッスン打ち切り」としたものだ。未来への宿題として暗譜リスト群に残したというと聞こえはよいが、この宿題が一応でも完成するか否かは自分でも分からないのである。僕にとって特に難しかったのはこの第3楽章だった。
( この悪戦苦闘ぶりを覗いてやろうという同志がいらっしゃったら、次の拙稿をご覧下さい。
10年8月25日 随筆 「大聖堂」第三楽章
9月13日 随筆 「老いと錯覚」、「老いと付き合う」
10月24日 随筆 バリオス「大聖堂」第三楽章 )

 さて、中4年置いて同じ難曲に再チャレンジして約一か月。何と多くの発見、気づきがあったことか。やはりこの5年の継続に紆余曲折があるにせよ、いろんな力を付け加えてくれていた。ちっとも進歩していないとか、予期せぬミスばかりが目立つようになって退歩しているとかに、ほとんど気を取られていたのに。

①第1楽章は、旋律をこの間に覚えたアポヤンド奏法で響かせられるようになって、この楽章の曲想に不可欠な緊張感が生まれた。
②第2楽章は、連続する和音と和音の構成音一つ一つを、注意すれば聴けるようになっている。もう少し広く言えば、聴きながら弾き、弾きながら聴けるように少しはなっている。ちなみに、複数のことになかなか注意が払えないのが老人のギターレッスン、これがなかなか難しいのである。とそのことを自覚することさえ、なかなか難しかったのである。
③過去もっとも難しかった第3楽章は、こんな曲だ。「最速アルペジオ、スケールなどの中から低音・高音の旋律、副旋律を響かせることが出来れば、痛快・『音楽』この上なし」と。これが一番変わったというのが、先生が一番力を込めくれた論評だった。この楽章らしい速さで弾けるようになったと先生が言われた変化には、この5年間における二つの前進が関わっている。
 一つはこのこと。昔特に苦労した左手小指の悪癖がほぼ修正された。薬指に連動したり、強く撥ねたりという癖が消えているのだが、この2年苦闘してきたおかげなのである。二つ目はこれ。右手の薬指が滑らかになって、その音の粒がそろうようになった。

 いくら年を取っても、根気よくやってみるものだ。数年単位で観ると驚くように前進している。物忘れも絡む判断の遅れとか、筋肉の硬化とかから偶発的なつまらないミスが増えて人前で弾くのはどんどん難しくなるが、それ以外の技量自身は確実に上がっている。そう思えた。

 母が、熱中していた三味線を全て放り出してしまったのが78歳。発表会について行けなくなったからのようだが、その年まで僕はあと4年(亡くなった93歳までは、あと19年)。そこまでは確実に弾いていたいとは心に決めてきたことだが、僕の音楽人生、どう終わっていくのだろう。
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新聞の片隅に載ったニュースから(187)     大西五郎

2015年02月06日 19時35分28秒 | Weblog
慰安婦番組「慎重に考える」NHK籾井会長政府方針に言及(15.2.6 朝日新聞)

NHKの籾井勝人会長は5日、定例の記者会見で、戦後70年の節目に従軍慰安婦について番組で採り上げる可能性はあるかと問われ、「(従軍慰安婦問題について)正式に政府のスタンスというのがよくまだ見えない。慎重に考えなければならない」などと述べた。
安倍政権は「戦後70年談話」を検討中で、籾井会長は「夏にかけてどういう政府のきちんとした方針が分かるのか、この辺がポイント」と発言。従軍慰安婦について「政府の見解が変わりうるという認識か」と問われると、「お答えは控える。しゃべったら、書いて大騒動になるじゃないですか」などと答えた。

「報道の機能損なう」
この発言について朝日新聞は「報道の機能損なう」という碓井広義上智大学教授(メディア論)の次のようなコメントを紹介しています。
籾井会長は、就任会見での「政府が右ということを左というわけにはいかない」という発言から何ら代わっていないという印象だ。そもそもジャーナリズムというのは、自分たちで課題やテーマを探して報じるもの。なかでも公共放送は国民の放送局で、国営放送ではない。権力者から見解を聞かされて、一定の方向を伝えるものではない。NHK内部に慰安婦問題に取り組みたい人がいても、企画書が書けなくなる。NHKのジャーナリズム機能を損なう発言だ。

□□――――――――――――――――――――――――――――――――――――――□

碓井教授の通りおっしゃるとおりですね。籾井会長は就任会見での発言を批判されたことをどう考えているのでしょうか。
なおこの問題は中日新聞、毎日新聞も取り上げています。中日新聞は「籾井氏は、NHKの基本姿勢として『自主・自律、不偏不党』とくりかえしているが、今回の発言は政府のスタンスに沿った放送をする趣旨と取られかねず、国会での追及も予想される」。毎日新聞は「政府が8月にも発表する『戦後70年談話』の行方を見て判断する意向を示した。自律的な放送を放棄するかのような発言は批判を呼びそうだ。」
また朝日新聞は「NHK経営委3委員退任へ」と報じました。それによりますと、「政府は5日、NHKの最高意思決定機関である経営委員会の委員に充てる国会同意人事案を衆参両院に示した。作家の百田尚樹氏、委員長代行を務める上村達男早稲田大教授ら3人が任期満了で2月末で退任する。
人事案では、井伊雅子・一ツ橋大大学院教授、森下俊三・阪神高速道路会長、本田勝彦・日本たばこ産業顧問、佐藤友美子・追手門学院大学学長直属特別任用教授の4人が提示された。本田氏は再任で、残りの3人は新任。」
問題発言を繰り返した百田氏は自ら再任を断ったそうですが(毎日新聞)、いたたれなくなったのでしょうか、それとも、そんな窮屈なら辞めてやるなのでしょうか?
                                              大西 五郎
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「侵略」と認めたがらない安倍首相またも       大西五郎

2015年02月06日 09時19分51秒 | Weblog
「侵略」と認めたがらない安倍首相またも「評価は歴史家に任せたい」の国会答弁

「反省とお詫び」は引き継がず

今年は第二次世界大戦が終わって70周年に当たることから、安倍首相は8月15日に「安倍談話」を発表する意向です。この「安倍談話」で、先の50周年の村山談話、60周年の小泉談話が「過去の植民地支配と侵略に痛切な反省と心からのお詫び」を述べたことを引き継ぐのかどうか問題になっています。
「村山談話を全体として引き継ぐ」とは云いますが、安倍談話は未来志向のものにするといいます。「反省とお詫び」はこれまでのところこの文言は新しい談話では継承しないつもりのようです。
またぞろ「侵略という定義は学界的にも、国際的にも定まっていない」
安倍首相は2013年4月の参議院予算委員会で「侵略という定義は学界的にも、国際的にも定まっていない」と答弁して世間をアッと云わせました。中国や韓国から厳しい批判の声が挙がり、アメリカのマスコミからも歴史修正主義ではないかと指摘された過去を持っています。

この発言がきのう(2月4日)の衆議院予算委員会でもまた出てきました。民主党の細野豪志政調会長の質問に対して「多くの日本人の命が失われ、国土は焦土と化した。結果に対して政治の指導者、戦争指導者に大きな責任があるのは当然のことだ」と述べ、当時の指導者の責任に言及しました。しかし細野氏が「我が国は国策を誤ったと認めるべきではないか」と質したのに対しては「それぞれの判断がある。歴史については歴史家に任せたい」と述べるにとどめました。(2月5日毎日新聞)

安倍首相は「当時の指導者の戦争の進め方(負けてしまったこと)には指導者として責任があるが、戦争をする方針を決めたことについての責任は問わない。すなわち責任があるとは云わない」という態度です。

「日本人の命の責任は国の最高責任者である私にある」と云うなら

またこの予算委員会では、「イスラム国(IS)」による日本人人質事件についても問題になりました。細野氏が首相の中東訪問中に「イスラム国」の攻撃を受けている国や人々に2億㌦の支援を表明する演説を行なったが、「拘束された湯川氏と後藤氏が危機にさらされる中、言葉を選ぶことも必要だった」と述べたことに対して安倍首相は「多くの難民を受け容れている国々を孤立化させ、困窮化させることは正にISの思うつぼだ。日本のできる支援、連帯を表明することは極めて大切だ。2人がこのような結果になったのは大変残念だ。日本人の命を守る責務はすべからく国の最高責任者である私にある」と述べました。
安倍首相は「国の最高責任者である私」とか「内閣総理大臣である私」「私の内閣で」というフレーズが好きなようで、しばしば使います。集団的自衛権の行使容認でも「国民の生命財産を守る責任が私にはある」と云いました。武力で守るのか、平和国家としてのメッセージを発することによって安全を守るのか、日本が過去に犯した誤りをきっぱりと反省していることを内外に発信することこそが内閣総理大臣としての務めではないでしょうか。
                                                  大西 五郎



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「I am not Abe」を巡る攻防、激烈   文科系 

2015年02月05日 04時00分46秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
古賀茂明の報道ステーション発言「アイ アム ノット アベ」がネトウヨの総攻撃にあっている。政権から報道ステーションへの圧力も、もの凄いようだ。その後、このことを巡って古賀自身が反撃インタビューなどをあちこちで展開している。その一部を紹介する。福島原発報道などで有名な岩上安身さんとのインタビューであり、阿修羅掲示板から取った。


『(前略)古賀氏「安倍総理が、軍事力を背景として、米国や英国と同様に世界を仕切ることができるようになることを目指しているのだと思います。そのために、「戦争をするための13本の矢」がセットされている。日本版NSC、特定秘密保護法などなど」

岩上「今回、非常時なんだから、政府がやっている時は黙っていろ、という同調圧力がかかりました。しかし、戦争というのは常に非常時ですよね」

古賀氏「そうなると、マスコミが自粛して、政権に有利な情報だけが流れていきます」

岩上「報道ステーションの方には、圧力がかかっていないのでしょうか」

古賀氏「社内では、やはりすごい圧力がかかっているそうです。それだけではなく、ネットウヨクの人たちから、出演しているコメンテーターにすごい量のメールが送られてくるそうです」

古賀氏「今回、日本人のイスラム国に対する報復感情を政府が煽っているように思います。憎悪に恐怖が重なった時、『やられる前にやらなければならない』という思考回路になります。『やられる前にやる』というのは、殺人ですよ。それが、正義にすり替えられていく」

古賀氏「私達は今、どこに連れていかれようとしているのか。法律改正をして、自衛隊が米軍の共同作戦に参加することになる。そして自衛隊員に死者が出れば、さらに憎悪と恐怖が煽られ、偽りの正義が膨らんでいくことになります」

古賀氏「一国のリーダーというのは、まずは冷静になるよう、国民に訴えかけることが務めなのでは。日本国憲法のせいで、日本が弱腰だなんて思っている国はありませんよ。なぜ安倍総理は、この平和ブランドを恥だと思うのか、全く理解できないんですよ」

古賀氏「安倍総理は、中国が強くなるなら日本も軍事的に強くならないと、と思っています。経産官僚はそこに乗っかって、軍需産業で利益を出そうとしているのでしょう。今、経産官僚は、安倍政権にグッと食い込んでいるんです」

古賀氏「世界では、原発が高いというのは常識になっています。安いなんて言っているのは日本だけ。どうしても原発を維持したがっているのは、日本としては、抑止力として核兵器を持ちたがっているのでしょう」

古賀氏「今の安倍政権とそれをサポートしている人たちは、自分たちが勝つということしか考えていないんですよ。負けるなんてことは思っていない、そういうメンタリティなんでしょう。(軍事的に)強くなって、世界に認められたい、ということ」

岩上「今回の事件をきっかけにして、日本は中東に出て行くことになるのでしょうか」

古賀氏「論理的に考えれば、米国は中国と戦争をしたがっていません。米国は、中国と対抗するために頑張らせるのではなく、中東に自衛隊を派遣させたいのではないでしょうか」

岩上「翼賛体制構築に抗する『声明文』というものを出すそうですね」

古賀氏「今井一さんと映画監督の想田和弘さんが中心となっています。この宣言を出し、賛同者を募るということをやっていきたいと思います」

以上で「岩上安身による元経産官僚・古賀茂明氏インタビュー」の実況を終了します。

(終わり)』
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「よたよたランナーの手記」(104) 老いをこそ書いていく!   文科系

2015年02月05日 02時24分55秒 | 文芸作品
 先々回の末尾にこう書いたが、これは正しい現状認識だったと、また発見。
『むしろ問題なのは、次のことの方だろう。この脚の強化、弾みに心臓、循環機能が追いつく時が来るのだろうかと。それが今の最大課題である。心臓の方は、10分継続できる強度の運動の心拍数が、以前の160から現在は155ほどに落ちてきたのではないか』

 そして、28、30日とそれぞれ9キロちょっとの走りで、心拍160を10分続けるのが難しくなってきたようであると書いたが、心拍数が152~7ほどで、かなり苦しいのである。今はそれ以上には上げられないと感じた。
 さてそして、そんな無理をしなくても良いとも思ったことだった。僕はここに自分が老いていく姿をもありのままに書くつもりでいたことでもあるし(最初は「ランニング日記」だったものが、「不整脈ランナーの手記」に換わった。そしてさらに、手術をした後の思いもせぬ再出発からは「よたよたランナーの手記」に換わった。それはすべて、そういう意味だった)。そして、28、30日はもうそのように走っていた。40分近くは時速8、9キロ程度の完全LSDで、それ以外にいろいろ速度を上げてみて合計9キロちょっとと。

 さてそれから、1、3日に走った。いろいろ考えた末にこんな変則的なやり方で。1日は30分×3回の90分で13キロ弱。「ゆっくりと長く」なのだが、時間も距離もラン再開後初めてのことだろう。そして、1日置いて普通に30分×2回で9.2キロ。これはちょっとした実験のつもりだったのだが、こんなことが分かった。

①先ず両日とも、好調ではなかったということ。
②時速10キロまでならいくらでも走れるが、これを越えると心拍が乱れ、発汗も過ぎるということ。まー、心拍が155で10分は辛いと言い換えても良い。
③昨年末からここまでいろいろやってきた末の②の現状認識だから、これ以上の前進は難しいのかなと思い始めたということ。
 以上である。
 これを続けるという以上には無理をせず、様子を見ていきたいと思ったことだった。

 別の話だが、ランニングの諸効果についての新しい認識が一つ加わった。ちょっと事故的なことが起こって、脳のCTを生まれて初めて撮った。ついでに脳ドッグの希望を質問してきたのだが、こう答えられたのである。
『この映像なら、脳ドッグは全く必要ありません。梗塞も出血も何も心配ありませんよ。綺麗な、若い脳です。ランナーだそうですが、ランナーは相対的に脳も若いんですよ。ぱっと観たってお若いし』
 とても喜んで帰ってきたことだった。こんなこともあるのだから、記録に拘らず走り続けていきたいのである。最後には、歩くのと変わらないスピードになっても。そして、そんなこともここに書き続けていこう。そういう記録が残るのも、興味ある同志には必要なものだろうと思ってきたことだったのだし。無理せずに走っている間、程度でも、こういう総体的な若さがどれだけ保たれるのだろうかという興味である。走らなくなって体型が変わることなどもまっぴらだしな。
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古賀茂明の「I am not Abe」   文科系

2015年02月04日 12時21分28秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 日刊ゲンダイに2邦人人質殺人事件を巡って安倍首相がとってきた態度を分析した古賀茂明のインタビューが載っていた。一部を抜粋する。この拙稿直前のらくせきさん「朝鮮日報より」の内容を支持する内容にもなっており、その背後にある安倍の考え方から今後の行動までを元官僚らしく分析して、テレビマスコミを騒がせたものの再演であるらしい。以下は、古賀氏自身が題名を付けても、「I am not Abe」になるだろう。


『――なるほど。そうなると、安倍首相がエジプトでイスラム国に宣戦布告するような言い方で、2億ドルの支援表明をしたのも分かりますね。
 有志国連合として認めてもらうために空爆や武器供与をしたいけど、現行の憲法ではできない。できるのは人道支援くらいです。そこで、イスラム国を名指しして、そこと戦うためのお金であると聞こえる言い方をした。他にもテロ組織はたくさんあるのに、イスラム国にだけ言及したのは不自然ですし、本来、人道支援というのは武力紛争にはかかわらず、どちらにも加担せずに、政治的意図を排除して、人道主義の立場から行うもので、日本はいつもそれを強調していた。ところが、あの演説は人道支援というトーンを弱めて、軍事的政治的意図を込めた支援であるような言い方をした。この発言を米英は歓迎したようですが、身代金を取れずに焦れていたイスラム国にしてみれば、これで交渉の余地なしとなった。「宣戦布告された」となったのだと思います。

――安倍首相は動画が公開された後、盛んに人道支援だと強調していますけど?
 最初は人道支援ではなくイスラム国と戦うための支援であるかのように装い、これは失敗したと思ったら、急に人道支援を強調する。二枚舌外交です。五輪プレゼンテーションの汚染水発言もそうでしたが、世界の大舞台で大嘘をつく。それが安倍政権の特徴です。

――「人命第一」と繰り返していますが、これも怪しいもんですね。
 25日、NHKの日曜討論で安倍首相は「この(テロ殺害事件)ように海外で邦人が危害に遭った時、自衛隊が救出できるための法整備をしっかりする」と言いました。これは驚くべき発言で、イスラム国が聞いたらどう思うのか。人命第一と言いながら、その交渉の最中に「いまは戦争できないけど、法律を改正したら、おまえたちを叩くために自衛隊を出すぞ」と言ったわけです。普通の感覚であれば出てこない発言で、安倍首相は中東で米国と人質奪還の共同作戦をやりたいのでしょう。人命のかかった危機を「政治利用」しようとするとんでもない発言です。

――でも、そうなると、日本人は対テロ戦争に引きずり込まれる。世界中でテロの標的になってしまう。
 中東での日本のイメージとは「戦争をしない国」です。ポジティブな平和ブランドがあるんです。安倍さんはそれをぶっ壊そうとしている。少なくとも政治的にも軍事的にも、米国の正義=日本の正義というイメージで走ろうとしている。安倍さん自身の願望でしょう。でも、日本は米国とイコールではありませんよ。日本は世界に敵が少ないんです。一方、米国はシンパもいるが敵も多い。おそらく、米国ほど敵が多い国はないと思いますよ。途上国では中国よりも嫌われている。イスラム国がやっていることはめちゃくちゃですが、その根底には米国がイラクやアフガニスタンで無実の女性や子供、民間人を大量に殺戮した過去がある。その報復は国際法上は許されないが、メンタリティーとしては理解できる。だから、イスラム国は急拡大したのでしょう。そんな中、米国の正義=日本の正義で、米国の敵=日本の敵というイメージがつくられつつある。イスラム国のPR戦略の巧みさもありますが、安倍さん自身がそういう認識の政治家であるというのも真実だと思います。

――ちょっと待ってください。多くの日本人は米国の敵=日本の敵なんて思っちゃいませんよ。中東で戦争しようとも思っていない。
 だからこそ、「I am not Abe」というプラカードを掲げる必要があるのです。私たちは安倍さんとは違う、安倍さんは変なメッセージを送ったが、彼は日本国憲法を踏みにじるおかしな人だ、普通の日本人じゃない。我々は違うということを、世界に訴える必要がある。安倍さんのもとに結束しろという意見があるが、それは危険です。「I am not Abe」ということで、日本人の命を守るには、安倍さんの考え方を否定すべきだということを言いたかったのです。憲法の前文を見てください。日本はあらゆる国と仲良くし、それを通じて、世界平和に道を開くことを基本理念にしている。日本を攻撃しない人々を敵にするのは、憲法上、許されないのです。この理念は後藤さんの考えと共通しています。「I am Kenji」ですね。そうしたことを訴えるべきで、さもないと、世界中で日本人はテロの標的になってしまいます。』
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朝鮮日報より    らくせき

2015年02月04日 10時00分19秒 | Weblog
安倍政権の対応にも検証論

 安倍晋三首相の対応が適切だったかどうかに関する検証論も政界で持ち上がった。民主党の岡田克也代表は「こうした事態が再び起きないように、(安倍政権の)対応策には検証作業が必要だ」と述べた。岡田代表が問題視したのは、後藤さんら自国民2人がイスラム国に拉致されているのを安倍政権が昨年末の段階で知っていたにもかかわらず、まともに対応してこなかった点だ。

 人質がいるにもかかわらず中東を訪問し、公にテロとの戦争への参加を宣言したことがイスラム国を刺激したとの主張も聞かれる。民主党の枝野幸男幹事長は「テロに屈服すると見られてもいけないが、挑発する必要もなかった」と述べた。毎日新聞は社説で「後藤さんの家族には昨年から身代金要求があり、これを政府も承知していた。にもかかわらず安倍首相が中東を歴訪し、イスラム国と戦う国々に経済支援を表明した狙いは何だったのか」と問い掛けた。

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イスラム国出自に関わる「東洋経済」解説   文科系

2015年02月04日 00時26分39秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 標記のことについて、昨年10月に軍事ジャーナリスト田岡俊次という人が週刊東洋経済に書いた記事の一部を紹介する。今問題になっている凶器のようなイスラム国の、その出自が分かるような記事である。
 以下いつものように本文抜粋は『 』にするが、そこまでの書き出し「(前略)」の部分はこういうことが書いてある。

10年8月にイラクから米軍が撤退してすぐに「アラブの春」が起こった。エジプト、リビア、イエメン、チュニジアで政権が潰れたが、これらは後期にはもう親米政権と言えるようになっていた。シリアだけが違っていて米支援で反乱軍が蜂起して内戦になったが、政権は持ちこたえ、かえって強化されてしまった。

『(前略)この戦いの中、元シリア将兵主体の自由シリア軍はイスラエルを支持する米国の支援を受けていることが明白だったから、シリア国民の支持が低く、弱体化した。反政府派の主力は、戦闘経験も多いアルカイダに属する「ヌスラ戦線」と、あまりに悪辣な行動(人質を取り身代金を要求するなど)でアルカイダからも破門された「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」になった。

 このISISが「イスラム国」の前身だ。クルド人も独立を求め蜂起したが、シリア政府は自治を認めて懐柔し今ではクルド人は過激派と戦っている。米国とスンニ派のトルコ、サウジアラビア、カタールなどから反政府側には武器、車両、資金が送られたが、自由シリア軍に渡すべきものがISISなどの過激派武装集団に流れ、勢力を拡大させることになった。

 シリア情勢に注目してきた米上院共和党議員のランド・ポール氏は今年の6月、CNNとNBCテレビで「米政府はアサド政権打倒のため、ISISに武器を供与してきた」と述べた。英国のガーディアン紙も「CIA(米国中央情報局)がヨルダンの秘密基地でISISを訓練している」と報じたことがある。(中略)』


『昨年8月21日にはダマスカス郊外で反政府側地域に化学攻撃があり、「アサド政権が行った」と米情報機関は報告。一時は米国がシリア爆撃(今回とは逆で政府側を攻撃)をしそうになった。だが国連人権委員会の「シリア内戦に関する調査団」によれば、同年3~4月に少なくとも4回、化学兵器が使われ、調査官は「反政府勢力がサリンを使った可能性が高い」と述べていた。シリア政府は国連に化学兵器調査団派遣を求め、それが8月18日にダマスカスに到着し調査を開始しようとしたとき、同市郊外で政府軍が化学兵器を使うのは不自然だ。ISISなど反政府側テロ組織が米国に軍事介入をさせるためにやった、とも考えられる。

 国連調査団が9月16日に出した報告はどちらが使用したか特定しなかった。英国議会も8月29日、「シリア政府が化学兵器を使った証拠はない」として軍事行動案を否決した。

 戦争、特に内戦に謀略は付き物で、偽情報が飛び交う。それに引きずられない注意が必要だ。「イスラム国」勢力拡大の責任の一端は、内乱を鎮圧する側を一方的に「悪」と決め付け、イスラム過激派への外国からの義勇兵の参加や資金援助を助けた諸外国の報道、人権団体にもある。

 中東ではシリアの「アサド政権打倒」を目指した米国などが、今度はシリア軍と戦っているイスラム過激派を攻撃する一見複雑怪奇な状況となったが、そもそもアサド政権を敵視したことに無理があったから、こういう結果になったといえよう。

(軍事ジャーナリスト・田岡俊次)』

 最近アメリカで起こったことだが、ヘーゲル国防長官が罷免になったという事件があった。イスラム国(シリア)への大々的攻撃を主張・工作して、オバマ大統領の不興を買ったということだが、この件については去年11月26日にエントリーを書いたところだ。ただこの罷免の真相は、ほとんど分からない。シリアとイスラム国を巡るアメリカの行動はきわめて複雑怪奇であるが、この罷免事件はその一つの顕れであろう。これだけの無理な行動の歴史は、アメリカ政権最高首脳内部でさえ意見が割れてきたということなのでもあろう。

 ともあれ、イスラム国をここまでにした重大責任がアメリカにあるのは、確かだろう。アメリカにとってはなにしろ地球の裏側のこと。なぜここまで内乱工作をしたのかと、上の筆者と同様に僕も問いたい。
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中央日報より      らくせき

2015年02月03日 09時49分25秒 | Weblog
イスラム過激主義の武装集団イスラム国(IS)によって殺害された日本人・後藤健二氏(47)をしのぶ追悼の熱が冷めないでいる。一方では今回の事件をめぐって「安倍責任論」と「後藤責任論」が鋭く対抗し始めた。

後藤氏の妻は1日夜に発表した声明を通じて「彼は愛する私の夫であり2人の娘の父親だっただけでなく、全世界の多くの人々の友人でした。イラク・ソマリア・シリアなど紛争地域の人々の苦難と逆境を報道してきた夫を誇りに思います」と述べた。

英国に本部を置くジャーナリスト支援団体「ロリー・ペック財団」のティナ・カー代表も、朝日新聞に「健二(後藤)は人助けをしたいという優しい視点を持った人物だった。日本の人々は彼を誇りに思うべきだ」と話した。

一方、ISが日本人人質2人の殺害威嚇を始めたきっかけになった安倍首相の中東訪問時の演説をめぐって議論が広がっている。あえてISを刺激する表現を使う必要があったのかという指摘だ。

毎日新聞は2日「後藤氏の家族が昨年から(ISから)身代金の支払い要求を受けた事実を政府も知っていたにもかかわらず(中東訪問時に)『ISと戦う国々』に(2億ドルの)支援を表明した目的は何か」として徹底した検証を促した。朝日も「昨年に新設された国家安全保障国(NSC)はどう作動したのか」として日本政府の無気力な対応を指摘した。

一方、読売新聞は「安倍首相は(中東歴訪時の)演説の英文版で『battle(戦闘)』や『war(戦争)』のような表現を使わず、より穏当な『contend(争う)』という表現を使うなど細心の注意をした」と擁護した。


2人の人質が殺されたことは安倍さん・日本外務省の失敗。
どこまでの外交努力をしたのか?
アメリカに情報を負んぶ。ヨルダンに交渉を負んぶ。
どこに日本の努力があったのか?私は知りたい。
事件への対応が見えず、ゆっくりした感があったが、それ以降のテロ対策はスピーディ。
どこかちぐはぐな感を否めない。
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「弱い国に生まれたお前の不幸!」  文科系

2015年02月03日 09時22分09秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 2日、こういうコメントを書いた。
『これだけの犠牲を払って? 2015-02-02 10:48:35
 イスラム国と闘う国への援助。こんな姿勢を貫くなどと改めて演説したのがいけない。今後の泥沼闘争にも日本が巻き込まれることになった。日本政府はそもそも、以下二つをどう考えるのか。僕はこれを言い続けたい。

①嘘の理由を大々的にでっち上げてイラク戦争が開戦された。これに騙されることになった有志国全てが多大な犠牲を払った。戦争違法化時代にはこれは重大過ぎる犯罪である。
②れっきとした独立国シリアに現在、米国中心で大々的な反乱軍育成、訓練、武器供与が行われている。こんな残酷なことがこの21世紀に許されるものなのか。あまつさえアメリカは、こういう反乱支援を堂々と公言しているのだ。こんな弱肉強食暴力を止められない国際社会。独立国家の意味をどう考えるのだろう。不思議な光景である。』
 
 さて、このように国家主権を嘲笑うような惨すぎる蛮行が最近二つも続いているのだが、ここからこの両国に跨がってこれまた残忍なイスラム国が生まれた。さらに、それ以上に重大なことがある。国家主権無視とは、必ず人が多く死ぬことになるということだ。人権無視の典型が殺人であるように、国家主権蹂躙はその国民の人命蹂躙にも繋がるのだから。一国民の命が他国家から守られるのは、その国家主権を認められてのことであろう。超大国アメリカによるこの二つの国家主権無視は、その国民の命をも蹂躙するという重大宣言をも含んでいるのである。
 戦国時代さながらに「そういう弱い領主の国に生まれたお前の不幸である」とでも、アメリカは開き直っているのだろう。

 こういう直前の過去をきちんと見なくて、現在や未来の問題が正しく捉えられるものだろうか。どんな問題分析にも、ことの軽重があろう。国際社会、外交問題に関わる国家主権問題。これを素通りしたら、どんな言論も詭弁とか、おかしな世界に入り込んで行くはずである。

 アメリカ(と両国家蹂躙の「有志国」)は、イラク、シリア2国家を潰すどういう権利があるのか? この二つの戦争が国連で認められず有志国でしかできていないのは、そういうことであろう。こんなことが許されたら、この世の一部が地獄になることが続いていく。今や世界は、大国の私闘を放任している無法地帯である。
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琉球新報の社説      らくせき

2015年02月02日 09時48分25秒 | Weblog

解放を祈る人々の思いは無視された。卑劣極まりない蛮行であり、激しい憤りを覚える。
 中東の過激派「イスラム国」を名乗る組織が、人質にした仙台市出身のジャーナリスト後藤健二さん(47)を殺害したとの映像声明をインターネット上で公開した。
 ネット上などでは「I AM KENJI(私は健二)」と後藤さんとの連帯を示し、解放を訴える運動がイスラム教徒を含む世界各国に広がっていた。世界中の人々の願いを踏みにじり、罪なき市民の命を奪う残虐非道なテロは絶対に正当化できない。

 邦人保護に全力を

 犯人側が最初の映像声明で日本人2人の殺害を予告し身代金2億ドル(約235億円)を支払うよう要求したのは1月20日。24日には千葉市の湯川遥菜さん(42)を殺害したとの画像を公表した。
 その後、犯人側は身代金要求を取り下げ、ヨルダンで収監中のイラク人女性死刑囚の釈放を求めるなど事態は二転三転。日本政府はヨルダン政府を通して後藤さんの解放を働き掛けたが、犯人側に翻弄(ほんろう)された感は否めず、最悪の展開を迎えたことは痛恨の極みだ。
 犯人側は後藤さん殺害の声明の中で、日本が「邪悪な有志国連合」と共に、イスラム国との「勝ち目のない戦い」に参加したとして、今後もあらゆる場所で日本人を殺すと脅迫した。日本政府は海外の日本人や日系企業の安全確保に全力を挙げる必要がある。
 同時に、大変残念なことだが、日本人の一人一人が今回の事態を重く受け止め、現実を直視せねばならないだろう。
 繰り返すが、イスラム国側の身勝手極まりない主張は、国際社会の理解を決して得られない。卑劣なテロや暴力はいかなる理由があれ許されることはなく、今後も国際社会と協調しイスラム国に対する圧力を強める必要がある。
 ただ一方で事件は、日本政府が今後イスラム国などの過激派組織にどう対峙(たいじ)していくかという重い課題を突き付けた。日本政府の中東外交戦略も問われよう。
 犯行グループは今回の事件について、中東歴訪中だった安倍晋三首相がエジプトでの演説で表明した「イスラム国と戦う周辺各国」への2億ドルの支援を理由に挙げた。首相の表明に関して、日本政府は「難民支援など非軍事分野の貢献だ」と理解を求めたが、その訴えは犯人側には通じなかったと言わざるを得ない。

 首相表明の検証必要

 イスラム国はイラクとシリアに至る地域を支配する。内戦が続くシリアでは欧米のほとんどが大使館を撤収し、日本も3年前に閉鎖した。情報収集も困難な中、政府は救出に当たったが、さまざまな観点から検証が必要だ。
 湯川さんが行方不明になったのは昨年8月、後藤さんは10月だ。政府はその事実をどう把握し、水面下の接触はあったのか。
 2人が拘束された中での首相の中東訪問と2億ドルの支援表明は、テロへの毅然(きぜん)とした姿勢を示した一方、犯人側を刺激した可能性は否めない。結果的に事件の口実に使われた。事件発覚後の首相会見がイスラエル国旗の隣で行われたことも影響したとの主張もある。
 気掛かりなのは「親日」とされた中東諸国の評価が急変しているとの指摘だ。「米国の世界戦略に寄り添い、米主導の戦争への協力やイスラエルとの関係強化を進める日本に対するまなざしが急速に冷ややかになりつつある」(栗田禎子千葉大教授)ことは深刻だ。
 安倍首相は「積極的平和主義」を掲げ、集団的自衛権の行使容認に踏みだした。それが中東からも米国追従と目され、過激派組織などに攻撃の理由を与えるようなことがあるとすれば放置できない。
 事件を糾弾し、イスラム国包囲を国際社会と協調して進めていく一方で、戦後70年の平和国家としての歩みを見詰め直し、中東諸国に粘り強く日本への理解を求めていく努力が今こそ必要だ。


安倍さんのような外交が日本の国益に資するのだろうか?という疑問は消えません。(ら)
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ワイツゼッカー独元大統領逝く 安倍首相は彼の言葉を何と聴く

2015年02月02日 09時29分58秒 | Weblog
過去に目を閉ざすな

元西ドイツ大統領で、ドイツ統一後の初代大統領だったリヒャルト・フォン・ワイツゼッカーさんが1月31日に亡くなりました。94歳でした。
ワイツゼッカーさんは大統領だった1985年の5月8日、この日は第二次世界大戦でドイツが崩壊した日ですが、大戦終結から40周年に当たるこの日、ドイツ連邦議会の演説で、「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる」という演説を行なって世界中から共感を得ました。ドイツ人は第二次大戦中にナチス・ドイツが行なったユダヤ人の虐殺や近隣の国々の国土を侵略したことの責任を忘れてはならないと説いたのです。
当時私はこの演説を襟を正して聴き(読み)ました。演説の主要部分をもう一度見てみましょう。
「ドイツ人だから罪を着せられるわけではないが、先人は重い遺産を残した。私たち全員が過去に対する責任を負わされている。それは過去を乗り越えることではないし、過去は変えられない。過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる。非人間的な行いを記憶しない者は、また(非人間的な考えに)汚染されるおそれがある。和解は記憶なしではあり得ないことを理解すべきだ。」

「反省とお詫び」を言わない?安倍首相
安倍首相が8月15日に戦後70年に当たっての首相談話を発表する意向を示しています。50年には当時首相だった村山談話、60年には小泉談話が出され、「過去の植民地支配と侵略に痛切な反省と心からのお詫び」を表明しましたが、安倍首相は自分が出す談話では「反省とお詫び」という表現を使わないつもりのようです。それよりも「次なる80年、90年、100年に向けて、日本は積極的平和主義の下、アジアや世界の平和と安定のため、より一層の貢献を行なっていくことを表明する」と述べています(1月27日の衆議院本会議での共産党穀田恵ニ議員への答弁)。

過去と向き合うことが必要
「過去の反省とお詫び」は口にしたくないというのが安倍首相の心情のようです。安倍首相は戦後レジームからの脱却を政治スローガンにしています。戦後の日本の政治・社会制度は占領軍によって押し付けられたものだから、憲法も作り直さなければならないと主張しています。基本的人権の尊重、思想・信条、言論・表現の自由は、戦前の日本国民には権利として認められていませんでした。戦後日本国憲法が保障する国民の権利よりも、「統治」の政治を志向しているように見えます。
ワイツゼッカーさんが指摘されたように「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる」のです。過去に日本が行なった植民地支配と侵略の事実にしっかりと目を向けてこそ、周辺諸国や世界の国々と平和で友好な関係が築けるのです。
安倍首相にワイツゼッカーさんの談話をもう一度深く読んでほしいと思います。

                                      大西五郎
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やはり出現、中日「シャルリ」論調への批判  文科系

2015年02月01日 16時29分14秒 | 国内政治・経済・社会問題
 「私はシャルリ」への中日新聞の批判はおかしいという拙稿を、22日ここに載せた。中日新聞の言う「異文化を尊重するという節度」という観点を、政教分離に基づく言論の自由という観点から批判したものだった。すると、5555さんという人がイスラムの側に立った激烈な批判を展開してきた。昔からよくある「誤ったレッテル貼り批判」であると一読ですぐに分かったので、入り口、出発点の所で証明が欠けていると、一蹴して置いた。僕は相当考え抜き、書き方も注意して書いた原稿だった割には、軽すぎる批判でもあったし。

 さて、案の定、僕への援軍が現れた。それも、中日新聞紙上に。本日付「中日新聞を読んで」に名古屋大学の愛敬浩二教授が「私もシャルリである」と題した中日新聞批判記事を書いている。僕とはちょっと違った観点からなのだが。

 人間に他者を裁く(注)資格など根本的にないはずで、イスラムには『自分自身を含めて世界を相対化するユーモアの精神』が欠けているという批判と言えようか。政教分離の政治の世界における言論の自由というものも、もともとこういう相対主義を前提としたもののはずなのだ。それを、自分の「(宗教の)絶対者」という観点から「(政治世界の)言論の自由によって傷つけられた」という人が存在するとしたら、ましてそういう人が政治世界の言論に暴力で応えるとしたら、そういう人々、宗教は批判されずには済まないはずではないか。宗教を信ずることを批判しているのではない。その宗教原理を政治言論の世界の中に持ち込んで、暴力として振る舞い返すことを批判しているのである。愛敬氏はイスラム国だけではなく、イランのホメイニ氏による「死刑宣告」の例をも挙げて、こういう批判を展開していた。ご一読を。

 近代になって日が浅い日本は、こういう政治原理に関わる思考がまだまだ随分と浅いと思う。政治の公論を損得の論議にしたり、ネトウヨ諸君のようにポジショントークと決め込んでみたり。だから、安倍などが台頭してくるのだが。といっても、近代の歴史が長い英米仏の体制側マスコミ主流は、その権威も既に地に落ちているのではあるが。イラク戦争理由でころっと騙されたかのアメリカマスコミが、今大きな顔をしている事態は僕には全く信じられない思いである。その自己批判もないのに、シリアがどうとかこうとか? よく言うよと思う。日本マスコミも近くそうならなければよいのだが、近ごろ怪しいものである。中日新聞だけはまだ大丈夫なようだが。


注 この場合の「他者を裁く」は、人間個人にはできないことで、裁判のような意味だろう。「貴男は死刑」だとか、「懲役○年」だとかのように裁くことと読んだ。これは、「国家が(やむを得ず)やるものである」ということだ。言論に対する反論は言論でするから、これは裁くことにはならないとも理解できる。
 なお、上の「国家が(やむを得ず)やるものである」とは、こういう意味である。国家の主人公は国民だから、その国家が国民を裁くというのが論理矛盾だということだ。例えば社会契約説国家論は、そこをこう説明していると聞く。主人公である国民が契約しあって国家にそういう権限を与えたのだと。この論議は、つまらない国家主義に陥らないためにも大切な論点だと思うから、敢えてくどくどと書いた。ただし、シャリーアを基礎とするイスラム国家は、こういう国家観とは全く異なるはずだ。今後日本でも、こういう論議はとても大切になるだろう。イスラム相手にも、おかしな安倍の台頭、マスコミ支配によっても。
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