Sixteen Tones

音律と音階・ヴァイブ・ジャズ・ガラス絵・ミステリ.....

坪内祐三「玉電松原物語」

2021-05-07 09:02:06 | 読書
新潮社(2020/10).図書館で借用.

Amazon の紹介*****
急逝した評論家の「遺作」は、私小説のごとき昭和文化論だった――。

その町にはチンチン電車が走り、牧場には牛が群れ、神社は奉納相撲で盛り上がる。そして駅前の商店街には、様々な人びとがいた――。

かつて世田谷を中心に走っていた東急玉川線。通称、玉電。三軒茶屋と下高井戸を結ぶ線に、その玉電松原駅(現・東急世田谷線松原駅)はあった。昭和30年代半ばよりこの町に暮らした評論家が、幼年時代から少年時代までを町の記憶とともに振り返る。

「私のことを、東京っ子を鼻にかけると思っている人がいる。だが私は東京っ子ではなく世田谷っ子だ。しかも世間の人が思っている世田谷っ子ではない。……私が引っ越して来た当時の世田谷、特に赤堤界隈は少しも高級ではなかった。もちろん低級でもない。つまり、田舎だった」

松原、赤堤、下高井戸、経堂……自らのすべてを育んだ昭和の世田谷を卓越した記憶力で再現し、令和が喪った街と文化を瑞々しく甦らせる最後のエッセイ。*****

著者は16トンより一回り以上歳下だが,著者の幼年期少年期の環境は16トンと似ている.16トンが育ったのは東横線沿線で,まだ自然が残っていた.玉電沿線はど田舎とバカにしていた,これは玉電沿線が,かっての東横線沿線程度に市街化したが自然も残っていた時期の物語と言うことになる.
玉電の三軒茶屋 (かってはサンチャとは言わなかった) 上町間あたりまでは16トンの自転車での行動範囲だった.

多少は土地鑑があるし楽しく読んだ.植草甚一,梅宮辰夫など,有名人も少しは登場するが,田舎の商店街の普通の人たちの「物語」で,読む人がいるのだろうかと思ったが,小説新潮連載だったそうだ.

絶筆らしい最終回はかなりトーンが変.そこまでは実録エッセイ風だったのが,こんなふうにおわる.*****
5年生で担任になったW先生は成績がガタ落ちになった著者を呼びつけて「いったい僕の教え方のどこが悪いのか教えてくれ」と言う.この先生はホモだった (という噂を流したのは著者だった).修学旅行で当時のマンガをまねて,W先生に電気アンマをかけた...寝かせて両足をつかんで股間に足を入れて揺さぶるのだそうだ.親友 (悪友) に,先生が気持ちよがっている,と止められた.*****

最後の文章は*****
玉虫をみつけた.死んでいたけれど,とても美しかった.玉虫って本当に美しいなと思った.*****
と言うわけで裏カバーは玉虫.挿画 いとう良一.玉電松原駅周辺の地図と,玉電路線図付き.
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