北原は葛西と旧知の間柄で、もとより葛西と打ち合わせ済みだったのだろう。経営委員会の席上、携帯電話を取り出して葛西に電話をかけ、松本のNHK会長就任について了解を取り付けた。
「電話はアリバイ作りのセレモニーのような感じだった」
当時の経営委員はそう話した。
◆葛西の目論見通り
葛西は元来、国策としての公共放送のあり方に独自の見解を展開してきた。当人が表だってNHKに介入したのがこのときだ。会長人事を巡るこのときの迷走は、3月8日付の経営委員会議事録にも、〈新会長任命に至るまでの過程についての検証と総括〉と題されて次のように総括されている。
〈経営委員会は、平成23年1月15日、指名委員会の審議を経て松本正之新会長任命を議決しました。しかし、ここに至るまでの過程に対する多くの厳しいご批判を真摯に受け止め、監査委員会からの「新会長任命に至るまでの過程についての調査報告書」(以下、監査委員会調査という)も踏まえて、経営委員会として検証を行うとともに今後の改善に向け総括を行いました。
何よりもまず、安西祐一郎慶応義塾大学前塾長に対しましては、いったん会長就任を要請しながら今度は辞退を促すかのような受け止めをされても致しかたない事態となり、結果としてご名誉を大きく傷つけ、大変なご迷惑をおかけしました。心から深くお詫び申し上げます。また、国民、視聴者の皆様に対しましてもご迷惑、ご心配をおかけし、深くお詫び申し上げます〉
福山通運社長の小丸成洋は11年1月まで経営委員長を務めた。このときNHK会長になったのがJR東海副会長の松本である。もとより松本のNHK会長就任は、かねてよりの葛西の要望でもあった。
経営委員会が混乱を極めるなか、葛西裁定により決着がついたのである。葛西の目論見通り、JR東海の松本がNHK会長に決まり、とうぜんのごとく局内で松本は葛西の傀儡会長と目された。またJFE社長の數土は、松本会長時代の2011年4月、NHKの経営委員長に就任し、12年5月までその任に就いた。
◆腹心の思わぬ反抗
松本は国鉄時代から葛西を支えてきた。尖鋭的な労働組合に対する労使交渉などで手腕を発揮してきた葛西の腹心中の腹心だ。すでに自民党から民主党内閣に移っていたが、松本をNHKに送り込むにあたっては、民主党政権下にあってなお、保守タカ派の財界人の思惑が働いたといえる。
NHK局内では、葛西の肝いりで乗り込んできた松本の会長就任を警戒した。だが、結果的に葛西の目算が狂ったというほかない。松本はかつての上司である葛西の思いどおりには動かなかった。その一例がNHKの副会長人事だった。
「諸星衛(まもる)さんを副会長にどうか」
複数のNHK関係者によれば、葛西はNHK会長に就任した早々の松本にそう打診したという。諸星はNHKの天皇と呼ばれ、自民党との太いパイプを誇る海老沢の最側近の元理事として知られる。政界遊泳術にも定評があった。
早稲田大学政治経済学部からNHK入りした茨城県出身の諸星は、出身県、大学の学部、最初の赴任地、いずれも海老沢と同じだ。おまけにNHKでは、海老沢のあとを追うように政治部長や理事を歴任している。エビジョンイルと呼ばれた海老沢に対し、諸星は「小エビ」と局内で揶揄された。海老沢の後継会長確実といわれながら05年、ボスの海老沢失脚とともに同じ憂き目に遭う。関連会社のNHKインターナショナルに更迭された。
NHKインターナショナル理事長はアガリポストだ。当人にとっては、葛西の送り込んだ松本会長体制が復権のチャンスに映ったのであろう。政界における諸星のパイプは、政治部時代に番記者を務めてきた中曽根康弘ルートだとされる。実際、副会長としてカムバックすべく猟官運動を繰り返したようだ。NHKの中枢幹部が明かす。
「諸星さんはアサヒビールの福地会長のときも中曽根元首相に頼んで副会長の椅子を狙ったといわれています。福地さんがそれを断ったのでダメでしたが、次に諸星さんの頼った相手が杉田和博さんでした。杉田さんは中曽根内閣の後藤田官房長官秘書官で、諸星さんとはそのころからの付き合いだったのでしょう」
◆「今のNHKはけしからん」
折しも松本が会長に就いた11年といえば、自民党が政権を奪回する前年にあたる。葛西の応援する安倍が総裁選に名乗りを上げるために準備していた時期にも重なる。好機と見た諸星が葛西・杉田ラインを使って副会長として復権しようと狙っていたのは、そうした人脈の上に成り立ってきた行動なのだろう。
しかし、その諸星副会長人事について、松本は元上司である葛西の申し出を断った。副会長をはじめとしたNHKの理事、役員選びは会長の専権事項である。11年1月25日に正式に会長に就任した松本は、そこから2週間かけ、候補者を中心に個人面接を繰り返した。
むろんNHKインターナショナル理事長の諸星も面接の対象となる。が、松本は諸星の猟官運動を快く思わなかったようだ。松本は副会長にNHKエンタープライズの小野直路(なおじ)を選んだ。小野は1960年からNHK総合テレビで放送されてきた教養番組「自然のアルバム」を担当し、制作畑で政治色のない無色透明な人物だった。むしろそこが気に入ったのかもしれない。松本の副会長選びは、公共放送のトップとしての覚悟を決めた結果であり、葛西の言いなりにならなかった、とNHK内部で松本本人の株があがった。
葛西にとってこの副会長選びは腹立たしい出来事だったに違いない。葛西は警察庁の国家公安委員や財務省の財政制度等審議会など、いくつもの政府委員を兼任してきた。NHKの松本会長体制の終盤、葛西はある政府審議会の会合が終わると、隣に座っていた委員の一人にぶちまけた。
「今のNHKはけしからん。税金を使って国益に適わない放送を垂れ流している」
それを聞いて隣席の政府委員は思わず葛西をたしなめた。
「いや松本会長はよくやってらっしゃいますよ。それにNHKは税金で賄われる国営放送ではなく、受信料で運営されている公共放送ですから」
葛西は財界や政府の関係機関の会合で松本批判を繰り返し、それが松本の耳にも届いた。国鉄改革から剛腕を振るってきた葛西につかえてきた松本は、その強引なやり方も熟知している。NHK人事に関する葛西からの直接の指令を嫌がり、やがて葛西からかかってくる電話にも出なくなったという。
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