【2022~2023 日本の議論】:日本に「国葬」は必要なのか? 弁護士・藤本尚道さん
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【2022~2023 日本の議論】:日本に「国葬」は必要なのか? 弁護士・藤本尚道さん
新型コロナウイルス感染拡大の中、昨年(2021年)の東京五輪の開催をめぐる是非に続き、2022年に世間を二分したのが、安倍晋三元首相の国葬(国葬儀・9月27日開催)をめぐる議論だった。 戦後、首相経験者の国葬は1967年の吉田茂氏以来、2人目となった。<button class="sc-kAPOMq lmaRvl" data-cl-params="_cl_vmodule:detail;_cl_link:zoom;" data-cl_cl_index="38"></button><button class="sc-kAPOMq lmaRvl" data-cl-params="_cl_vmodule:detail;_cl_link:zoom;" data-cl_cl_index="38"></button>
銃撃された安倍元首相に対する国民感情の一時的な高まりで「国葬」を決定するべきだったのか<2022年7月11日 奈良市・近鉄大和西大寺駅前>(ラジオ関西)
第2次政権発足からの連続在任期間は2822日、通算在任期間は3188日と、いずれも歴代最長だった安倍元首相が、遊説先の奈良市・西大寺駅前で7月8日に銃撃され死亡した衝撃は大きかった。しかし、元首相の国葬に関しては国民の半分以上が反対を表明していた。
戦後の日本における国の公式制度の経緯は、「元号法」が1979(昭和54)年6月に、「国旗及び国歌に関する法律(国旗・国歌法)」が1999(平成11)年8月にそれぞれ公布・施行された経緯がある。
果たして「国葬」は、今の日本で必要なのか?イギリス・エリザベス女王の国葬も2022年9月に執り行われたが、王政下での国葬とは性格が異なる。憲法問題に詳しい藤本尚道弁護士に聞いた。
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■「国葬」決定過程のミス
そもそも今回の「国葬」の決定過程には、法的な意味で大きな誤りがあると考える。
国会の審議を経ず、国会の議決もないままに「国葬」が強行されたことは、現在の日本の憲法下ではあり得ないと思う。
国葬令の3条第1項によれば、「国家に偉勳ある者」は「特旨に依り国葬を賜ふこと」があるとされている。
偉勳(=偉勲・いくん)とは、立派な手柄や功績のことを意味し、特旨とは天皇陛下の特別な思し召しのこと。同条2項では「前項の特旨は勅書をもってし内閣総理大臣これを公告す」と規定されている。
すなわち、天皇が「勅書(ちょくしょ)」という形で文書にして、首相がこれを公告するという手続きを取っていた。
国葬令は、あくまでも大日本帝国憲法下の法令であり、当時の主権者は天皇陛下だった。
これを日本国憲法に照らし、国民主権との対比で置き換えてみると、まず、帝国憲法下の「天皇陛下の思し召し」は、現在の憲法下では「主権を持つ国民の意思」に該当する。
そうすると、国民主権を具現化した存在が「国会」になる。このため、国会において審議のうえ議決されてはじめて「特旨」が成立することになる。
帝国憲法下では、天皇陛下自らの思し召しにより「偉勲」を認める場合のほか、内閣が「偉勲」ある者を奏上して、天皇陛下から「特旨」を頂戴する場合もあっただろう。
それならば、現在の憲法下でも、国会そのものによる発議のみならず、内閣が国会に提案して議決を得ることも手続的には可能だ。
■早すぎた「国葬」開催表明
いずれにせよ「国葬」の本来的な制度趣旨に照らせば、国民の意思(=国会の議決)に基づき、国家を挙げて実施されるものでなければ意味がない。
ところが、衝撃的な事件により命を落とした安倍元首相に対する国民感情の一時的な高まりを目の当たりにして、党内の最大派閥に対する「忖度」もあってか、「国葬」を執り行うことの意義をしっかり検討することもしないまま、銃撃事件6日後の7月14日、極めて速い段階で岸田首相は「国葬」という言葉を口にしてしまった。
そして、「閣議決定のみで実施可能だ」などとする内閣法制局の誤った法解釈を踏まえて「国葬」の実施に向けてヒートアップし、その後、安倍元首相のみならず政治家と旧統一教会との関係性が明るみに出て内閣支持率が下降線をたどっても、最早「撤退の道」を選択することが出来ず、ここまで突っ走ったのが実情なのではないか。
結局、今回の「国葬」の決定過程では、国会における議決はもちろん、審議さえなかった。閉会中審査でお茶を濁してしまったという印象すらある。このように国会を軽視することは、国民をないがしろにすることに等しい。
■国会での審議を踏まえていたら…
岸田首相は「国として葬儀を執り行うことで安倍氏を追悼するとともに、わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示していく」と述べた。
民主主義を断固として守り抜く決意と言いながら、明らかに国会を軽視したことに、齟齬(そご)が生じてしまったように思う。適正な手続を大切にしない政権・為政者は、結局のところ結論を誤ってしまう。時間をかけて国会での審議を実施していれば、そのうち岸田内閣支持率の低下に気付き、方針の修正も出来たのではないか。
■岸田首相の「説明する力」が…
政治家を評価するのは難しいと、つくづく思う。今は評価されなくても、後世に偉業と称えられることもあれば、その逆もある。
国葬についての評価は、安倍元首相の功罪を問うものではない。政治家が日本の取るべき方向性を世界に示すのは、至極当然のこと。他方でモリ・カケ・サクラ(森友学園・加計学園の各問題、桜を観る会に関するさまざまな疑惑)に加えて旧統一教会問題まで浮上した。世論の大半は疑心暗鬼のままだ。
こうした中、「国葬」を挙行したのが今の日本なのか、と思うとやるせない。12月22日、国葬を検証する有識者21人へのヒアリングに基づく報告書が公表され、「国費を用いた国葬は、超党派の支持が望ましいのに、合意を形成するための努力が十分でなかった」と指摘された。
岸田首相は2021年の総裁選で、自身の「聞く力」をキーワードに挙げたが、この報告書への公式見解のみならず、相次ぐ閣僚らの事実上の更迭、防衛費増強について「語る力」、「説明する力」が十分とは言えない。 危険水域とされる内閣支持率を鑑みるに、国民のひとりとしては、何か悪い夢を見続けている……としか思えないのが悲しい。
元稿:ラジオ関西トピックス 主要ニュース 社会 【話題・2022~2023 日本の議論】 2022年12月31日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。