【余禄】:25年前、日本で脳死臓器移植ができるようになった…
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【余禄】:25年前、日本で脳死臓器移植ができるようになった…
25年前、日本で脳死臓器移植ができるようになった。土台となったのが、いわゆる「脳死臨調」が1992年に出した「脳死は人の死」と認める答申だ。臨調には賛成派と反対派の識者が参加し、激しい議論が展開された
▲反対派の急先鋒(せんぽう)は哲学者の梅原猛(うめはら・たけし)さん。賛成派は神経内科医の井形昭弘(いがた・あきひろ)さんが中心となり意見集約を目指した。同じ頃、2人は違う場で顔を合わせる。鹿児島県・屋久島に関する懇談会だ
▲県が91年、自然と共生する「環境文化」を具体化しようと設けた。梅原さんは「森と海の国日本」に関心を寄せる立場、井形さんは地元の鹿児島大学長として参加した
▲初会合で、屋久島の世界遺産登録を目指す方針が示された。当時、日本は世界遺産条約を批准すらしていなかった。梅原さんらは一致団結して政府に批准を迫り、92年に加盟した。井形さんは「(臨調と違い)梅原さんと和気あいあいと仲良くなれた」と、対立解消を喜んだという
▲世界遺産条約は、ちょうど50年前の11月に採択された。国や思想信条の違いを超えて人類の宝を守る。自然、文化、複合を合わせて1154遺産が登録された。しかし、近年はウクライナで文化財が戦火に巻き込まれるなど、人間の対立が宝を危機にさらす
▲梅原さんは、屋久島を日本初の遺産登録に導いた懇談会を振り返り、こんな言葉を残した。「人類は人間中心の自我の原理を共存の原理に代え、進歩の理念を循環の理念に代えなければならない」。遺産からの学びは今に通じる。
元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【余録】 2022年11月21日 02:03:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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