【社説①・03.11】:復興事業のあと/地域再生を息長く支援したい
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①・03.11】:復興事業のあと/地域再生を息長く支援したい
東日本大震災の発生から、きょうで14年となる。死者・行方不明者や震災後に亡くなった関連死の人は約2万2千人に上る。心から哀悼の意を表し、今なお復興の途上にある被災者を支え続けたい。
津波被災から復興した商店街
津波被害の大きかった岩手、宮城両県の沿岸部では、住宅の再建や道路、鉄道網などインフラの復旧・復興はほぼ完了した。一方で人口流出や高齢化は加速し、暮らしの再建や産業再生の格差が広がっている。
問われ続けたのは、住まいや仕事を失った被災者が生活基盤を取り戻すことができたのかだ。残念ながら、まだ道半ばの状態だと言わざるを得ない。被災地で続く苦悩と模索を、この国が直面する人口減少への処方箋に生かさねばならない。
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高さ約12メートルの防潮堤に、山を削り大量の土砂で約10メートルかさ上げした土地に整備された中心市街地。岩手県陸前高田市の街は大きく生まれ変わった。震災直後の光景と比べると、その変貌ぶりに驚かされる。
同時に多くのものを失った。造成が長引く間に、住まいを移す住民が相次いだ。店舗跡地での再建を断念した人も多い。約300ヘクタールに及ぶ造成地の土地利用率は4割ほどにとどまり、空き地が依然目立つ。
国が膨大な税金を投じて進めてきたのに被災者の復興感につながっていない。阪神・淡路でも東日本大震災でも、全く変わらない構図だ。
■未来へ尽きぬ不安
街並みはきれいになったが、住民らは将来への不安が拭えない。
陸前高田市にある高田タクシーの菅野(かんの)真彦社長(43)は、大津波で亡くなった両親の後を継いだ。社屋や車両5台も失った。震災後の数年間は復興事業関係者、ボランティアら県外からの来訪者の利用が売り上げの多くを占めていたという。
しかし基盤整備や住宅建設が進むにつれて、県外利用者は激減した。危機感を強めた菅野さんは、住民らの配車依頼にこまめに対応する「地域の足」を重視した経営に軸足を移し利益確保を目指した。だが、かさ上げ地の空き地解消が進まない上、新型コロナウイルス禍が追い打ちをかけた夜間の需要も戻らず、売り上げが伸びない苦悩を抱える。
運転手の高齢化や人材確保も課題だ。注文を受け無線で配車し、運転手が足りなければ自らも車を走らせる菅野さん。「まちの規模に合わせた経営を考え、発展に貢献したい」と前を向く。こうした意欲を受け止め、息長く後押しする必要がある。
■身の丈に合わせて
2月下旬から大規模山林火災が続いた岩手県大船渡市の中心部にある「おおふなと夢商店街」。津波で壊滅的な被害を受け、仮設商店街を経て2017年4月に開業した。
震災後、市は一帯を買収し、地域主導で再生する「エリアマネジメント」の手法を採用した。市などが出資するまちづくり会社による商業施設が中核を成すが、夢商店街は賃料などで折り合わなかった店主らが独自施設を建て、約20店舗が入る。
施設は行政が設定した居住禁止区域にある。震災前のシャッター通りから一新したとはいえ、歩いて来られる商店街の気安さは失われた。復興事業完了や物価高の逆風で廃業する店も出ている。持続的な運営には新たな需要の掘り起こしが欠かせないが、若者らの流出は深刻だ。
おおふなと夢商店街協同組合の伊東修理事長(72)は「祭りがなくなるなど、まちの姿が一変してしまった。よりよい地域をつくりたいとの思いはあるが、これからもっと厳しくなるだろう」と嘆息する。
30年前、神戸・新長田の復興再開発事業を思い起こす。求められるのは地域の身の丈に合った「誰一人取り残されない」まちづくりだろう。未来に何を残すのか。より小さなまとまりを大事に、住民らが主体的に考えられてこそ、時代や環境の変化にも対応できるはずだ。
東北の復興が能登半島や次の被災地の希望となるように、国の支援策も身の丈に合った市街地整備を重視する方向に変わっていくべきだ。
元稿:神戸新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年03月11日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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