【社説①・02.15】:デジタル教科書 紙との選択制は教育格差生む
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①・02.15】:デジタル教科書 紙との選択制は教育格差生む
教科書は紙とデジタルのどちらを使うのか。現在の紙中心をやめ、自治体に選択を委ねるのは義務教育の地方への丸投げに他ならない。国の責任放棄は容認できない。
文部科学省の中央教育審議会の作業部会が、現在は「代替教材」とされるデジタル教科書を、検定や無償配布の対象となる「正式な教科書」にすることを柱とする中間報告書をまとめた。
2026年度までに制度を改正し、30年度からの使用を目指す。紙のみ、デジタルのみ、その両者を組み合わせたタイプを導入し、どれを使うかを自治体に選ばせる「選択制」を想定している。
義務教育はこれまで、国が全国一律に一定水準の教育を受けられる環境を維持してきた。選択制の導入は、その大転換である。
審議会の下部組織である一作業部会で決める問題ではない。政治の場を含め、義務教育はどうあるべきか、幅広く議論すべきだ。
デジタルは動画や音声を活用できる利点があるが、深い思考や記憶の定着には紙の方が優れているという研究報告が相次いでいる。地域によって使う教科書のタイプが異なれば、学力の格差を始め、様々な混乱が生じかねない。
デジタル先進国のスウェーデンは最近、紙の教科書や手書きを重視する「脱デジタル」に転換した。デジタルだけでは子供の集中力が続かず、考えが深まらないなどの弊害が確認されたためだ。
問題のある政策に、日本が今から突き進むべきではない。
文科省は、子供一人ひとりの学力や学習の進度、特性などに応じた「個別最適な学び」を充実させるには端末の活用が重要だ、としている。部会では「教員も変わらなければ」という意見も出た。
しかし、学校現場には依然として、過度のデジタル化を懸念する声が根強い。教員への十分な研修もせずに、道具にすぎない端末に合わせて指導法を変えろと言うのであれば、本末転倒である。
そもそも高校入試は大半が紙と鉛筆で行われる。大学入試では、50万人近い受験生の学力を一律に測るテストが実施され、生徒はそれに向けた勉強をしている。
デジタルを使って個別最適な教育を目指す、という作業部会の目標は、こうした現実とかけ離れているのではないか。
今後も補助教材としてデジタルの有用性を生かすことが先決だろう。理念先行で現場に浸透せず、学力低下を招いた「ゆとり教育」の教訓を忘れてはならない。
元稿:読売新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年02月15日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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