【社説①】:週のはじめに考える 寂しさを貯めておく
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①】:週のはじめに考える 寂しさを貯めておく
漫画『ドラえもん』に、名前を呼んでスイッチを押せば誰でも消せる「どくさいスイッチ」というおっかない秘密道具を使って、のび太が、いじめをしてくるジャイアンやスネ夫を次々に消す、という話があります。それでも、いじめはやまず、彼はついに「誰もかれも」と叫んでスイッチを…。
いじめはなくなりました。でもそこは、のび太ただ一人の世界。彼は、やがて泣き叫びます。「ジャイアンでもいいから、でてきてくれえ!」
◆人と交わって「人間」
孤独を愛する人もいますし、誰にだって一人になりたいと感じることはあるでしょう。確かに、人と人が交われば、摩擦も軋轢(あつれき)も生じる。しかし、それでも多分、人は人を求めずにはいられない。吉田拓郎さんは『どうしてこんなに悲しいんだろう』の中で、こう歌っています。
<やっと一人になれたからって涙が出たんじゃ困るのサ やっぱり僕は人にもまれて 皆(みんな)の中で生きるのサ>
人間とは何か-。この大それた問いに何か深遠な答えを持ち合わせているわけではありませんが、「人間」という語は元々、世間、世の中の意味だといいます。なるほど、人とは、人とつながって世間をつくり、その中で生きる存在ということでしょうか。しかし、今、人と人の間は、物理的距離やビニールのカーテンやマスクで隔てられています。大げさに言うなら、現下のコロナ禍が脅かしているのは、人間が人間であるゆえんではないのか、という気さえしてきます。
今から思えば、少し懐かしいほどですが、まだ三カ月ほど前には厚生労働省でさえ「持続的なヒトからヒトへの感染の明らかな証拠はない」と言っていたものです。それがどうでしょう。その後、この疫病は国境も海も越え、肌の色も宗教の別もなく、とにかく人と人が接する無数の連鎖を通じて世界を覆い尽くしつつあります。
今、政府は専門家会議の助言に基づき、人との接触を八割減らすよう繰り返し呼び掛けています。
このごろ、よく引き合いに出される「スペイン風邪」のパンデミック(世界的大流行)は、一九一八年に始まりましたが、専門家会議のメンバーでもあるウイルス学者の河岡義裕さんが、テレビでこう語っていたのが印象的でした。「情けないのは(スペイン風邪から)百年たっても、やってることは『人に近づかない』、それか、と。医学が百年頑張って…」(TBS系『情熱大陸』)
◆家庭サイズの「世間」
いやいや、医学百年の頑張りがなかったら、状況は今とは比較にならぬほど悲惨なものになっていたはずです。結局、この手の疫病は、ワクチンや治療薬ができるまでは、とにかく人の接触を減らすしか対処法はないのでしょう。
それにしても、何というご時世でしょうか。プロ野球もJリーグもライブもコンサートもない。美術館も映画館も閉まり、バーのネオンは消え、親しい者同士の食事会や飲み会もできない。
在宅勤務の広がりで、社員同士が顔を合わせる機会もかなり減っているでしょう。会えば会ったで今度は飛沫(ひまつ)感染しにくい距離、ソーシャルディスタンス(国の推奨は二メートル以上)が求められます。
職場で同僚と話す時も意識はしているのですが、何となく近づいてしまい、はっとして離れたり。でも気がつくとまた近づいていて…。まるで、寒いのでくっつこうとするが互いの針が痛いので離れる。が、寒いのでまた…という哲学者ショーペンハウアーの寓話(ぐうわ)、「ヤマアラシのジレンマ」です。
多くの自治体から外出自粛要請まで出されるに至って、「世間」はほとんど家庭サイズにまで収縮してしまいました。
こうまで人との接触が絶たれているのですから、寂しいと思うのは当然。しかし、です。この寂しさに負けたら、ウイルスの思うつぼ。幸い、百年前にはなかったスマホもパソコンも、私たちにはあります。過日、数人の「オンライン飲み会」を試してみましたが、それなりに楽しいものです。
◆その日が来るときまで
無論、そんなことでは解消できない寂しさは残るでしょう。ならば、それを貯(た)めておく、と考えてみてはどうでしょう。人と人が心おきなく会って、しゃべって、食べて、飲んで、歌える日まで。ちゃんと<人にもまれて 皆の中で生きる>ことができる時まで。
寂しさを貯めておけば貯めておくほど、ついに解放できる時、喜びは大きくなる気もします。
かの粋人、北大路魯山人は、美食のコツはと聞かれて、ひと言、こう答えたといいます。
「空腹」
せいぜい腹をすかしておくとしましょう。
元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2020年04月26日 06:10:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。