たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

卒論の指導(第二回目)

2015年07月24日 17時50分08秒 | 卒業論文
第二回目の指導に向けて、こんな個別調査票を書いていました。2001年10月のことでした。
休日に図書館で借りた絶版の参考文献を、住まいの近くのコンビニで何時間もかけてコピーしていました。せっかくの休みの日に自分はなにをしているのだろうと涙が出るような思いでやっていたことを思い出します。コピーしたものを職場に出入りしていた印刷業者に渡して製本を依頼したりしていました。
振り返っていると色々とよみがえってきます。なんかおかしいぞ-怒りの感情を内に閉じ込めめながら仕事をしていた過重労働の日々が始まる前の、まだ序の口の、その後の、心身がすり減っていくような日々を思えばわりと穏やかな頃でした。
毎日実感していた諸々を論文として体系化していこうとしていました。本当の意味で学びだったのかもしれません。せっかくコピーした大量の参考文献を、いまだに全部読み切れていません。現在(いま)読むとさらに実感として深く入ってきそうなものばかりなので、読みたいと思っています。


「職業活動は、現在の社会生活を支えている中心的なものである。私たち一人一人は、一定の労働分野に従事し、そこから得られる報酬によって、衣食住の基本的なものから、娯楽・教養などの文化的な面に至るまでの生活を営んでいる。と同時に、私たち一人一人が従事している労働が他の人々の同じような生活を支えている。つまり、現代の生活は、分業の原則に貫かれた職業活動によって支えられている。現代社会において生活していくということは、この一定の秩序をもった社会体型の要素である職業に従事し、そうすることによって、自分の生活の手段(収入)を得ると同時に、他人の生活手段を生産しているのである。もともと、職業活動というものは、私たちの先祖にあたる人間が、生活の便宜として採用した労働組織化の一形態にあって、関心の焦点は、常に人間の幸福な生活にあったのであった。

 しかし、高度に組織化された現代社会においては、一人一人の労働力は「物化」し、労働における疎外が起こりやすくなっている。幸福のための職業活動が、現実には、この世の中で積極的に意味のあることを自分たちのため、世の中のためにやっているのだという、働く人間としての実感と納得が得られにくくなっている。こうした点をふまえて、働くことは現代を生きる私たちにとってどのような意味をもつのか、働き甲斐をどこに見い出せるのか、組織の中でどこまで個性の発揮を実現できるのか、真の幸福とは何か、こうした問題を、いっしょくたに「女の子」として扱われやすい、機械的に正確に事務処理をこなすことを要請される、いつでも取り換えのきく労働力たる「OL」の視点から考察してみたいと思う。

 現在、項目別の文献リストを作成しつつ、文献資料を収集する作業を行っている。女子労働の現状を調査した資料も何点か収集済みであり、とりわけ事務職に従事する女性の現状を捉え、職場において自己実現の困難な「OL」にとっての働くことの意味を探ろうとしている。」

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