たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ゆきのひのたんじょうび

2024年03月07日 20時56分46秒 | 日記

『ちひろのことば』より「ゆきのひのたんじょうび」(1972年12月)

『ゆきのひのたんじょうび』

『いわさきちひろ作品集7』より-「ゆきのひのたんじょうび」

『ゆきのひのたんじょうび』

 わたしが生まれた日は雪がふっていたと子どもの頃からのきかされました。生まれた町医者、建て替えているのでしょうが2020年の時点ではまだありました。父も母も突然いなくなって10年以上が過ぎて知った、隔世遺伝による生まれる前からの右足股関節脱臼。軟骨がすり減り続けてきていることを知らずに気づけば右足が5センチ短くなっていました。右も左も足先が反ってしまっています。右をかばい続けてきた左足の方が先にダメになるのかもしれません。アスファルトの上を歩くたびに足裏がひびく感じがあり、しばしばつりそうになります。股関節に痛みも走ります。かといって左をかばって右により負荷をかけることもできず。自分でどうすることもできません。両足のしびれも全身のこりもひどくてつらいですが今さら親を恨むわけいにもいかず気持ちのやり場がありません。手術、手術とあっちでもこっちでも医者にいわれ、やむなしかと決めたらコロナで病院のベッドいっぱい、命に別状ない整形外科は後回し。コロナ騒動の最初からおかしいことだらけでした。茶番だったことが次々と明らかになってきています。コロナだったから仕方なかったよね、など納得していません。コロナ騒動で医者がいかに視野狭窄のアホなのかよくわかりました。医者を万能の神とあがめてきたつもりはありませんがもはや信じることはできません。

 生きる希望が全くみえない日本。日々絶望感しかありません。今わかるのはまだ生きながらえることができているということだけ。いつまで歩くことができるのかわからないし、最期はどうやって死ぬことになるのだろうということが頭をよぎります。そもそも日本はどうなってしまうのでしょうね。どこにもたどりつけなかった人生、なにもできなかった人生。生まれたこなかった方がよかったのかと思う時もありますがそんなことを考えても仕方ありません。まだ死ぬことはできないという気持ちで恥をさらしながらまだ生きながらえています。

 今の目標は今月末東京国際フォーラムの研音イベントに無事いくこと。その前に眼科と美容院と町医者にいかねばならないし、コロナワクチンを考えるイベント近いところであるので申し込んでしまいました。国立博物館の中尊寺展、チケットを買ったものの寒すぎて上野は遠い、金曜日になると天気が崩れ寒いので体がうごきません。4月14日まで。東京都美術館の印象派展は無理だなあ。ばあさんがひとり杖使いながら必死に歩く姿、若い人からみると滑稽でしょうがせめて歩きスマホと悪口いうのはやめてほしいと思います。電車とバスの中でしれっと能面で見てみぬふりは慣れました。優先席なんだから譲れよとは思いません。ただ凍りついたような空気がこわしです。

 桜の花が開き始めましたが、明日また雪の予報。一年前節目となる誕生日だったのに絶望的すぎてここまで生きながらえてきた自分を自分で祝ってやることができませんでした。今年はせめてパフェかケーキ食べますか。物価が少しずつあがっています。インスタの広告に出てくるアフタヌーンティー、ひとつクリックすると次々ホテルの広告が出てきますがこういうお高いのどんな方が召し上がるのか。美味しそうだなと思いますがとても食べきれそうにないし私には縁のないお値段。みるだけでお腹いっぱいです。

 

 

 

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