「第一の奇蹟
本当に幸せになるためには、奇蹟とめぐりあう必要があると僕は思っています。
『赤毛のアン』の中では、大きな奇蹟が二回起きています。ひとつは、アンがマシューとマリラに受け入れられて、グリーン・ゲーブルズに住むことができるようになったこと。
もうひとつは、初対面でからかわれて以来、ずっと口をきかなかったギルバート・ブライスと和解できたこと。人生にとってはすごく大事な、家とパートナーという二つのものをアンは手に入れたのです。
アンがグリーン・ゲーブルズに受け入られた第一の奇蹟。これは、同時にマリラの心の変化の奇蹟でもあります。マシューは、最初から無条件にアンを受け入れるのですが、マリラは、もうちょっと冷静な人物。マリラは、マシューほど感じる能力に長けているわけでもなく、かといって実際的なことにばかり目を向ける人でもない。リンド夫人とマシューの中間に位置する人物なのです。
この物語は、(この章の初めで見た)、マリラがアンと手をつないだことでマリラの中に、温かいものがこみ上げてきたというシーンをひとつの頂点にしていると思います。したがって、マリラがその頂点に向かってどう変貌していくのかという物語であるという見方もできる。つまり、アンがグリーン・ゲーブルズに受け入れられたところで頂点に達し、一度この物語の生命としての「展開」は終わる。ここで、一度終わってまた別の物語として再開する。『赤毛のアン』とはそういう二部構成になっていると思います。だとしたら、頂点に達するまでのマリラの心の変貌に、物語のすべての要素があると言えるのではないでしょうか。
そのマリラの心の変化を考える上で、いくつかの鍵となる場面があります。最初、マシューがアンを連れて家に入って来ると、マリラは行き違いで女の子が来たことに対して、声を荒立て憤って、この子を置いておくわけにはいかないと言います。だから、マリラに名前を聞かれたアンがいろいろと想像力を駆使して、「コーデリアって呼んでもらえる?」とか、「どうしてもアンと呼ぶなら、Annではなくて、Anneって、eをつけて呼んでちょうだい」などと頼んでも、マリラはそんなことはどうでもいい、という感じで聞く耳を持ちません。とても現実的な対応をするところから、スタートしているのです。この時点で、マリラは、アンをグリーン・ゲーブルズに置いてあげようなんて全然思ってもいない。つまり、アンに全く感化されていないのです。
翌朝、マリラはアンを孤児院に送り返すために馬車に乗って、ホワイトサンズに向かうその道中で、彼女の身の上話を聞きます。その話が、実はマリラの心を変えるきっかけとなるのです。
マリラはそれ以上なにもきかなかった。アンはだまりこくって、海ぞい街道の美しさにうっとり浸っていた。マリラはうわの空で手綱を握ったまま、考え込んでしまった。突然、アンに対する哀れみに、心をつき動かされたのだ。
なんと愛に飢えた、愛されることのない暮らしをしてきたのだろう-こき使われ、貧しさに苦しみ、だれもかまってくれなかった暮らしだったのだ。アンが身の上話で言葉にしなかった部分を読みとり、真実を見抜く力が、マリラにはあった。
マリラがアンの人生の物語を聞いて、最初に出てきたのは哀れみなんです。この辺から、マリラの描かれ方が変わっていきます。言外にはないニュアンスも含めて、マリラはアンに共感し始める。
「わけのわからないマシューの気まぐれにつきあって、この子を置いておくことにしようか? マシューが是が非でもそうしたいと思っている。この子も教えがいのある、いい子のようだし」
この台詞などは、完全にほだされてしまった証拠でしょう。アン・シャーリーを可哀想だと思い始めている心の変化の兆しです。マリラは、ここで時分の魂との対話を通じて、アンを受け入れようと思い始めるのです。
マリラはだんだんに変化していきます。(そして先ほど見てきた)、マリラたちに代わってアンをもらい受けようと申し出たブリューエット夫人の非人間的な言葉を聞いて、アンをグリーン・ゲーブルズに置こうと決意するのです。ここでマリラの気持ちは、大きくジャンプしていきます。
ついに、運命の時が訪れます。昼の後片付けが終わった後、アンが「お願い、カスバートさん、わたしを送りかえすのかどうか、教えて」と聞きます。そこで、マリラが「おまえを置いておくことに決めた」と言うと、アンは嬉しさのあまり泣き出すのです。僕はこのシーンは、何度読んでもドキドキします。ここは初めてアンに家族ができるという、「真実の瞬間(moment of truth)」なのです。
これは、女性にとっては、結婚のメタファーにも繋がってきます。結婚といってもここで言う結婚は、実際の結婚のことを指しているのではありません。ただ、アンにとってマシューとマリラという家族ができて、自分の居場所が見つかったことは結婚という概念に心理的に近いものがあるという意味です。
アンはグリーン・ゲーブルズの一員になった後で、鏡をのぞきこんで、「あなたはただの、グリーン・ゲーブルズのアンよ」と自分に向かって言います。英語だと「Anne of Green Gables」となって小説の「原題」になるわけですが、まさのこの瞬間、孤児だったアンに、居場所が与えられたのです。
では、その奇蹟はどのようにして起こったのでしょうか。(今まで述べてきたように)、手違いで女の子が来てしまったために、最初、マリラとマシューは、アンを孤児院に帰そうとします。とくにマリラは、そう思っていた。ところが、アンの身の上話を聞いているうちに、マリラの心の中にもともとあった人に対する思いやりや同情心が揺さぶられ、アンを受け入れるようになる。その過程で、何がマリラに変化をもたらし、心を動かしたのか。
それは、アンのひたむきさやけなげさ、懸命に生きようとするまっすぐな思いだったのではないでしょうか。」
(茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』、106-111頁)
アンが馬車に揺られながら、マシューとマリラに出会うまで大人たちに愛されることのなかった生い立ちを語る場面、誰にも話したくなかった過去を語る場面、松本侑子先生の原文を読むセミナーで原文を読んだ時には涙でした。翻訳ではわからないぐっと胸にせまってくるものがありました。なかなか整理できていなかったセミナーの大量にある資料をようやく章ごとにファイルしました。アンが生い立ちを語る場面の原文、後日書ければと思います。