たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

日比谷シャンテ宝塚ステージ衣装展_星組

2019年01月09日 23時04分52秒 | 宝塚
 考え込んで頭が疲れてしまったので一日の終わりの息抜き投稿。2018年10月20日(土)、月組『エリザベート』観劇後、日比谷シャンテのステージ衣装コレクション展にも行きました。一昨年はクリスマスの頃やっていましたが昨年は秋の一カ月ほどでした。

 最近すごく気になる星組トップコンビ。『ブーケド・タカラヅカ』の衣装でした。黒に白のビーズをあしらった衣装が素敵。これを素敵に着こなせるジェンヌさん、素敵。

 ラブラブなお二人の姿をみることは遠からずできなくなるのかなあ。夢の時間と儚さが背中合わせの宝塚。一期一会の出会い。日帰りバスツアー、大切に楽しんできたいと思います。風邪ひかないように、インフルエンザにならないようにしなければ・・・。



紅ゆずるさん、開襟広め。背が高くって腰の位置が高い。






妃咲愛里さん、腰の位置が高くって、細い、とにかく細い。








今夜はもう考えるのやめて休みませう。

やっぱり通勤がきびしい、どうしよう

2019年01月09日 18時57分11秒 | 祈り
ハロワの帰り道。またド〇ールでひといき。

精神保健福祉士の勉強をはじめようとしていた頃のわたし。

「2005年4月3日(日)

 桜の花が開き始め、一気に春がきた。冬から春への季節の変わり目。寒暖の差が激しく、いろいろと変化もあって気分はうつになりやすい。でも、桜の花がほころび、他にも名前は知らないが小さい花が芽吹いてくるのをみるとなんとなく嬉しくなって元気がでてくる。

主に職業生活を中心とした社会的適応と内的満足との不均衡の中で、神経性胃炎は治らない。抑うつ神経症だ。卒業論文執筆以降、私の中で絶えずくすぶり続けている「怒り」の感情は消えることなくある。一般事務職を年齢に関係なく「女の子」と呼ぶ男尊女卑の社風、会社の都合で派遣社員も含めて働く人々を振り回す会社本位主義・・・もううんざり、げっそり、すごいエネルギーを吸い取られている。それでも私はやめることができない。
私のように特別なキャリアのない女性でも、他人に経済的な基盤を依存しないで、自己実現できることを自ら証明するために。
ずっと自分を食べさせていける仕事を得るために、積極的に社会と関わっているために、細々とではあるが精神保健福祉士の資格取得を目指す。
どこまでやれるかわからないが、できるかできないかはやってみなければわからない。

銀行員時代の自分をよく思い出す。
20歳前後の、働きながらも社会のことをほとんど知らなかった幼い私。今の私は強いストレスにさらされながらもよくがんばっている。ずいぶんと太く強くなった。
妹の死を抱き続けながら、卒業論文を書いたことは本当に意義深い。
要約を読み返してみたが本当によく書けていると思う。
これから社会にこの主旨をどう発信していけるのかが課題だ。

今までずっと~しなければならないと自分にプレッシャーをかけ続けてきたが、本当に自分にとって必要なことはあせらなくても向こうから手招きしてやってきてくれる、と少し思えるようになってきた。
肩の力も抜けてくるだろう。
私にはたしかに本質的に神経質なところがある。
完璧でないと気がすまない、時間の浪費が許せない、他人の視線が気になる、人が自分の噂をし笑っているように感じてしまう、ガスの元栓・鍵の閉め忘れが気になって仕方ない、いつも何かにせき立てられるように時間にしばられている・・・。もう十分に自分を責めたのだから、これ以上自分も家族も批判することはない。自分の神経質な体質は生まれ育った環境に起因するところが大きいと思われるが、それはそれとして受けとめていこう。問題をもたない人などいない。逆にこうした体質だからこそみえていることってきっとある。言いたいことはたくさんある。アホなオヤジたちの中で正面から闘いを挑んでもつぶれるだけだが、私は自分を見失わない。
どの私も全部本当の私だ。
これからも自分を信じて生きて行く。」


 すっかり自分でも忘れてしまっていた「私」との再会。こんなことを考えていたのかと我ながら驚いたりしつつの振り返り。結局自分で自分を食わせていくの厳しくなって父も母もいなくなった家に戻ってきたわたし。精神保健福祉士の資格とハードだった前職の経験を生かしつつ、前職ほどハードではなさそうな、やってみようかなと思う求人がなくはなかったです。面白そうだけどこんなハードな仕事には応募できないなあ、こんな求人もあるのかあっていうものもありました。なかなかに面白いです。ネックは駅から遠く一時間に一本の巡回バスしかないということと筆記試験・作文。

 昨日ワイヤーロックをアマゾンで購入。今日はじめて駅の自転車置き場に自転車を預けて電車に乗ってみました。家で靴を履いてから駅のホームにたどり着くまでの一連の作業にゆっくりで30分。慣れれば少し短縮できるとは思いますが、いずれにしてもとにかく、特に自分の家の近くが車ほんとに危ない。危険スポットだらけでほんとに危ない。信号がない道路を平日の昼間でもガンガン飛ばしていて曲がる直前までウィンカー出さない、ウィンカー出さないまま曲がってくることもあってひやひや。ただ真っ直ぐな道なら早いですが坂を上って下りてもあり大変。雨や雪の日はどうするのかと問われれば巡回バスしかないですがヤフーで調べてみるとやってみようかと思う仕事も巡回バスだのみでは間に合いません。シフト制がどういうやり方になのかわかりませんが一番早い開始時刻は無理。間に合うにしてもこれを逃したらもうあとがないのかと思うとおそろしくっておそろしくってなりません。広いお風呂嬉しいですが、最後はまた家に戻るしかないですが、お金をかけて部屋を引き上げてきたけれどまたお金をかけて借りるしかないのかな。今から中古マンションを買うだけの力はわたしにはありません。借りるのか買うのか、正規雇用ではないので借りるしかないですね。今部屋をどうしようと考えることは終の棲家をどうするのか考えないといけないということでどうすればいいのか・・・。

 地元に戻って転院。昨日一応総合病院でよく話を聴いてくれる先生の診察を受けました。仕事はあるし、なんとかなるけどね、との話。確かになんとかなっていくでしょう、なんとかしていくしかありません。巡回バスだのみでは夜遅くなることはできないし、ほんとにどうすればいいのか・・・。

 ハロワの見づらい求人票をたくさんみたので気持ち悪くなりました。今日はもうやめましょう。職務経歴書と自己PR文のハードコピーを読んでもらってアドバイスいただいたので明日またド〇ールに出向いてアップデート。応募要項もできれば外でみたい。Fifiがうまくつながればいいですが・・・。

 家に戻ってきたものの、通勤無理だから、期間決まっている仕事のためにまた家を出るか。かつて家から通勤していた時よりも交通量が格段に増えているので厳しいです、ため息しかない。わたしがたどり着くべきところにどうかたどり着けますように!!



宝塚歌劇の殿堂より_雪組『Gato Bonito!!』

2019年01月08日 22時13分15秒 | 宝塚
 2018年9月2日の東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイングでようやく出会えた雪組公演。組子のみなさん黒塗りで、歌うまのトップコンビもがんがん踊っていた、ラテンのリズムがノリノリのショーでした。カーテンコールで「平成最後の夏は凱旋門とGato Bonito!!、おぼえていてくださいね」と望海風斗さん。こうしてみるとたくさんの衣装が展示されていましたね。さすが本場です。現在の展示も盛りだくさんみたいなので日帰りバスツアーは観劇前から忙しい。大劇場に着いたらまず和食のお昼を食べて歌劇の殿堂をみて、余裕があればキャトルレーヴをのぞいて、公演デザートを食べながらひと休みしてから公演をみたいなあと頭の中で計画しています。時間足りなさそう。ワクワク。その前に駅まで自転車で行って、自転車置き場に自転車を預ける練習、車があぶなくってあぶなくってこれが大変なり。その前にハロワね・・・。

 朝Ottvaを聴いていたら、「今を去ること31年前、前日の昭和天皇崩御に伴い、今日、1月8日から「平成」の時代がスタートしました」と、プレゼンターの本田聖嗣さんの柔らかな声が伝えてくれました。実家を離れた直後の、自分で決めたことなれどさみしさに負けそうになった日々を思い出しました。





































宝塚歌劇の殿堂より_雪組『凱旋門』

2019年01月07日 21時16分02秒 | 宝塚
 つらつらと本日二度目の更新。

 2018年12月6日の宝塚大劇場、宝塚歌劇の殿堂より雪組『凱旋門』のステージ衣装展。本場では、トップコンビのステージ衣装だけでなく、こうして劇中で使用された小道具までみることができるんですね。あとでじわりじわりときている、ライブビューイングで観劇した『凱旋門』。エリザベート展に時間をかけたので雪組展は駆け足になりましたが、ジョアンの帽子とポーチ、カルヴァドスのボトル、ロックグラスなどを間近でみることができてすごく嬉しかったです。写真で見返すと、聴診器に鞭までありますね。ひとつひとつ細かく丁寧に作られている小道具たち。











モロゾフ(望海風斗さん)の衣装。



ラヴィック(轟悠さん)の衣装。



ジョアン(真彩希帆さん)の衣装。



毎回こうして撮影スポットがあるんですね。一人だとなかなか勇気がありません。
現在公演中の星組展では、康次郎さんが乗っていた蓮の花の舟が撮影スポットになっているみたい。乗りたいですが一人では恥ずかしいね。



茂木健一郎『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』_第一の奇蹟

2019年01月07日 19時42分01秒 | 本あれこれ
「第一の奇蹟

 本当に幸せになるためには、奇蹟とめぐりあう必要があると僕は思っています。

『赤毛のアン』の中では、大きな奇蹟が二回起きています。ひとつは、アンがマシューとマリラに受け入れられて、グリーン・ゲーブルズに住むことができるようになったこと。

 もうひとつは、初対面でからかわれて以来、ずっと口をきかなかったギルバート・ブライスと和解できたこと。人生にとってはすごく大事な、家とパートナーという二つのものをアンは手に入れたのです。

 アンがグリーン・ゲーブルズに受け入られた第一の奇蹟。これは、同時にマリラの心の変化の奇蹟でもあります。マシューは、最初から無条件にアンを受け入れるのですが、マリラは、もうちょっと冷静な人物。マリラは、マシューほど感じる能力に長けているわけでもなく、かといって実際的なことにばかり目を向ける人でもない。リンド夫人とマシューの中間に位置する人物なのです。

 この物語は、(この章の初めで見た)、マリラがアンと手をつないだことでマリラの中に、温かいものがこみ上げてきたというシーンをひとつの頂点にしていると思います。したがって、マリラがその頂点に向かってどう変貌していくのかという物語であるという見方もできる。つまり、アンがグリーン・ゲーブルズに受け入れられたところで頂点に達し、一度この物語の生命としての「展開」は終わる。ここで、一度終わってまた別の物語として再開する。『赤毛のアン』とはそういう二部構成になっていると思います。だとしたら、頂点に達するまでのマリラの心の変貌に、物語のすべての要素があると言えるのではないでしょうか。

 そのマリラの心の変化を考える上で、いくつかの鍵となる場面があります。最初、マシューがアンを連れて家に入って来ると、マリラは行き違いで女の子が来たことに対して、声を荒立て憤って、この子を置いておくわけにはいかないと言います。だから、マリラに名前を聞かれたアンがいろいろと想像力を駆使して、「コーデリアって呼んでもらえる?」とか、「どうしてもアンと呼ぶなら、Annではなくて、Anneって、eをつけて呼んでちょうだい」などと頼んでも、マリラはそんなことはどうでもいい、という感じで聞く耳を持ちません。とても現実的な対応をするところから、スタートしているのです。この時点で、マリラは、アンをグリーン・ゲーブルズに置いてあげようなんて全然思ってもいない。つまり、アンに全く感化されていないのです。

 翌朝、マリラはアンを孤児院に送り返すために馬車に乗って、ホワイトサンズに向かうその道中で、彼女の身の上話を聞きます。その話が、実はマリラの心を変えるきっかけとなるのです。


 マリラはそれ以上なにもきかなかった。アンはだまりこくって、海ぞい街道の美しさにうっとり浸っていた。マリラはうわの空で手綱を握ったまま、考え込んでしまった。突然、アンに対する哀れみに、心をつき動かされたのだ。
 なんと愛に飢えた、愛されることのない暮らしをしてきたのだろう-こき使われ、貧しさに苦しみ、だれもかまってくれなかった暮らしだったのだ。アンが身の上話で言葉にしなかった部分を読みとり、真実を見抜く力が、マリラにはあった。


 マリラがアンの人生の物語を聞いて、最初に出てきたのは哀れみなんです。この辺から、マリラの描かれ方が変わっていきます。言外にはないニュアンスも含めて、マリラはアンに共感し始める。


「わけのわからないマシューの気まぐれにつきあって、この子を置いておくことにしようか? マシューが是が非でもそうしたいと思っている。この子も教えがいのある、いい子のようだし」


 この台詞などは、完全にほだされてしまった証拠でしょう。アン・シャーリーを可哀想だと思い始めている心の変化の兆しです。マリラは、ここで時分の魂との対話を通じて、アンを受け入れようと思い始めるのです。

 マリラはだんだんに変化していきます。(そして先ほど見てきた)、マリラたちに代わってアンをもらい受けようと申し出たブリューエット夫人の非人間的な言葉を聞いて、アンをグリーン・ゲーブルズに置こうと決意するのです。ここでマリラの気持ちは、大きくジャンプしていきます。

 ついに、運命の時が訪れます。昼の後片付けが終わった後、アンが「お願い、カスバートさん、わたしを送りかえすのかどうか、教えて」と聞きます。そこで、マリラが「おまえを置いておくことに決めた」と言うと、アンは嬉しさのあまり泣き出すのです。僕はこのシーンは、何度読んでもドキドキします。ここは初めてアンに家族ができるという、「真実の瞬間(moment of truth)」なのです。

 これは、女性にとっては、結婚のメタファーにも繋がってきます。結婚といってもここで言う結婚は、実際の結婚のことを指しているのではありません。ただ、アンにとってマシューとマリラという家族ができて、自分の居場所が見つかったことは結婚という概念に心理的に近いものがあるという意味です。

 アンはグリーン・ゲーブルズの一員になった後で、鏡をのぞきこんで、「あなたはただの、グリーン・ゲーブルズのアンよ」と自分に向かって言います。英語だと「Anne of Green Gables」となって小説の「原題」になるわけですが、まさのこの瞬間、孤児だったアンに、居場所が与えられたのです。

 では、その奇蹟はどのようにして起こったのでしょうか。(今まで述べてきたように)、手違いで女の子が来てしまったために、最初、マリラとマシューは、アンを孤児院に帰そうとします。とくにマリラは、そう思っていた。ところが、アンの身の上話を聞いているうちに、マリラの心の中にもともとあった人に対する思いやりや同情心が揺さぶられ、アンを受け入れるようになる。その過程で、何がマリラに変化をもたらし、心を動かしたのか。

 それは、アンのひたむきさやけなげさ、懸命に生きようとするまっすぐな思いだったのではないでしょうか。」

 (茂木健一郎著『赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法』、106-111頁)


 アンが馬車に揺られながら、マシューとマリラに出会うまで大人たちに愛されることのなかった生い立ちを語る場面、誰にも話したくなかった過去を語る場面、松本侑子先生の原文を読むセミナーで原文を読んだ時には涙でした。翻訳ではわからないぐっと胸にせまってくるものがありました。なかなか整理できていなかったセミナーの大量にある資料をようやく章ごとにファイルしました。アンが生い立ちを語る場面の原文、後日書ければと思います。


 
「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法 (講談社文庫)
茂木 健一郎
講談社

大草原の小さな家への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローブ_博物館より(7)

2019年01月06日 23時04分53秒 | 「大草原の小さな家」への旅






 久しぶりにようやく更新。テレビドラマをリアルタイムでみていた世代には懐かしい写真を一気にアップ。ドラマが繰り返し再放送されていた頃、『スクリーン』という雑誌を毎月購入していました。ローラを演じたメリッサ・ギルバートがたびたび登場。ながーい足でポーズを決めている写真に憧れたものです。



なぜかネリーが人気のようで、博物館の中にはネリーの写真がいっぱい。ネリーを演じた女優さんはたびたび博物館を訪れたのかな。









アルマンゾの笑顔。懐かしすぎます。



お昼をいただいたのは博物館近くの「ネリーズ・カフェ」というお店。





水をたたえたプラム・クリークの写真。



 手持ちの、ローラがまだ小さい頃のDVDはひととおりみたので、大きくなっていくにつれ色々な壁にぶつかっていく頃の映像をもういちどみてみたいです。歳月を生きてきた今の自分でみたらどんな発見があるのか楽しみ・・・。

『Little House on the Prairie』より

「Going West

 They drove a long way through the snowy woods,till they came to the town of Pepin.Mary and Laura had seen it once before,but it looked different now.The door of the store and the doors of all the houses were shut,the stumps were coveres with snow,and no little children were playing outdoors.Big cords of wood stood among the stumps.Only two or three men in boots and fur caps and bright plaid coats were to be seen.

Ma and Laura and Mary ate bread and molasses in the wagon,and the horses ate corn from nose-bags,while inside the store Pa traded his furs for things they would need on the journey.They could not stay long in the town,because they must cross the lake that day.」

2018年12月シアタークリエ_ミュージカル『オン・ユア・フィート』

2019年01月06日 21時27分29秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年12月シアタークリエ_ミュージカル『オン・ユア・フィート』


『オン・ユア・フィート』の写真をチャンネルにまとめました。よろしかったらご覧ください。

自転車にのれました!!

2019年01月06日 15時48分13秒 | 日記
 北風が冷たい昼下がり、陽射しのあるうちに自転車を売っているホームセンターまで弟に車で連れて行ってもらい自転車を買いました。帰りに転がしながらスピードをだしていたら自然とペダルに足がのっかって無事に乗ることができました。年があけてから弟のハンドルがT字になっている、すっごく乗りづらいミニ自転車で暗くなってから練習していた成果が出ました。少し世界が広がっていく感、すごく嬉しいです。田舎暮らしには必須アイテム。車がほんとに危ないので調子にのって事故にあわないように気をつけねばです。近所は危ないスポット満載。宝塚大劇場日帰りバスツアーに間に合いました。自転車で駅を往復できます。自転車置き場どうやって借りるとか調べねば。少しずつならしていきます。乗れなかったら通勤もできないと気持ち追いつめられていたのでまずはほっとしています。明日歯医者さんまでいってみようかな。くれぐれも安全運転せねば・・・。

 写真は深い意味ありませんが久しぶりにイケメン王子の清史郎君。

ミュージカル『オン・ユア・フィート』(3)

2019年01月05日 23時50分10秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年12月17日、ミュージカル『オン・ユア・フィート』https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cc4a6f6873af806c09a2ee635fa9a409

2018年12月18日、ミュージカル『オン・ユア・フィート』(2)https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cdd29e1ef0c349caeafde72ac9a801ce

グロリア・エステファン

https://ja.wikipedia.org/wiki/グロリア・エステファン


 『オン・ユア・フィート』思い出し日記。

 ラテンのリズムがノリノリの舞台でしたが物語としてはかなり切なかったと思います。グロリア・エステファンの半生を描いた物語で史実にもとづいているというところに重みがあります。栄光の裏にこんな史実があったのかと驚きました。誰の人生にも葛藤と苦悩がある、そんなところが等身大で共感できる物語でした。結婚に迷ったグロリアがベッドに寝たきりの父の体をさすりながら、言葉を発することのできない父に、答えてくれたらいいのに、心の中の声をきくことができたらいいのに、という内容の歌を歌っているとき、父は天国へと旅立ちました。ベッドに横たわっていたのは父ホセを演じた栗原英雄さんではなく、他の役者さんが後姿だけみせていて、旅立った父ホセが軍服姿でグロリアの前に現れ、グロリアを励ますという演出でした。なかなかに泣けました。

 予備知識なしに観劇したのでグロリアが「有名になんかなりたくなかった」「famous~♪」と歌った後、場面が切り替わり、酸素マスクをつけてベッドに横たわるグロリアの姿が舞台上に現れた時にはどうなってしまうのだろうと固唾をのみました。脊髄を損傷し大手術に成功したあと車椅子から立ち上がろうとリハビリに励むグロリア。舞台復帰が決まったことを夫から告げられると人前に立つことをこわがるグロリアに夫エステファンがファンからの手紙がたくさん届いていることを伝えます。ファンからの手紙が次々と読まれる場面、残念ながらわたし歌はわからなかったのですがゴスペルの衣装に身を包んだ役者さんたちが一人一人手紙を歌い上げていくという演出でなかなかに胸あつでした。歌うまの方ばっかりでぐっとせまってきました。手足の長い朝夏まなとさん演じるグロリアが車椅子に身をゆだねたまま体を震わせている姿がたまらなく愛しく思えました。鮮やかな青いドレスに身を包んだグロリアがアメリカンアワードで歌う姿が素敵でした。手足の長いまあ様が歌い踊る場面がどこを切り取ってもかっこよかったですが、はじめてエステファンの前で曲を披露するときは長い手足を持て余し気味にピアノを弾く姿はお茶目で可愛らしかったです。

(舞台写真は全て東宝公式ツィッターよりお借りしています。)
















母ファハルトを演じた一路真輝さんの舞台を引き締める存在感と華、すごかった。



Wキャストの相葉裕樹さんが休演することとなり、シングルで夫エステファンを演じる渡辺大輔さん。グロリアとすれ違いがうまれながらもどこか楽天的でへこたれない、明るさを失うことなく事故にあったグロリアにあなたのせいだと責めらながらもグロリアを支えていく感じが素敵でした。



 終演後は一路さんのトークショーに、「すごく楽しそうだから」とまあ様が登場。20年の違いがあるとのことで、一路さんの20年上は汀夏子さん、OG公演の舞台で会った汀夏子さんに、「あんた歌うまいなあ」って声かけられたと話す一路さんの姿はきびしい表情の舞台から一転、素はお茶目ないっちゃんに。チャーミングでした。まあ様が披露した天然ボケのエピソード。舞台でエステファンがカセットテープに録音した曲を流す場面、稽古場で音源が流れた時自身の携帯の着信音が鳴ってしまったと勘違いした一路さんがすごい勢いで携帯を捜し始めたとか。まあ様「自分の携帯の着信音、知らないんですか?」いっちゃん「娘が時々勝手に携帯をいじって着信音を変えるので知らない間にまた変わっていたのかと焦った」みたいなやりとり。エピローグのノリノリの場面、いっちゃん「わたしはみえないように隅の方で歌っています」まあ様「いやいや、稽古場ではウィンク飛ばしてくれたじゃないですか」みたいなやりとりもあったかな。どこまでも太陽のような笑顔のまあ様と、自身のファンの年齢層を心配してペンライトの振り大丈夫でしたかと気づかってくれるお茶目ないっちゃん。楽しいトークタイムでした。最後は一路さんと客席で写真撮影。

 こうして田舎に引っ込んでしまうと日比谷が遠い。2月にラブネバ観劇にいきます。ベルばらOGコンサート、一番高い席ならまだ少しあるみたい、どうしようかな・・・。

できることから少しずつ・・・

2019年01月05日 17時25分55秒 | 祈り
 極寒の1月、郷里をもどってからはじめて髪を切りました。2カ月ぶりぐらい。ネットから予約したお店はまずまず正解だったようです。ようやくまた一歩前進。慣れていくのに時間はかかります。少しずつ、できることから少しずつ。せっかく繁華街に出たのでド〇ールでひといきつきながら色々と頭の中を整理・・・。

 お見苦しいかぎりですが、成仏しきれないでいる過去の自分をまたここに綴ってみようと思います。ここに綴ることで想いは成仏し、次の一歩へと・・・。


「2005年1月21日(金)晴

金曜日の夜、今週はわりと仕事が楽だと思っていたがやっぱりつらい。
会社に心理的にまきこまれて、ストレスを抱えながらの(カウンセリングスクールの)授業。私の回りはストレスの要因だらけだ。
自分がやっていることの意味がわからず、他では役に立たないことの連続なのだと思い知る時の、ことばにしようのない虚しさ。
それでも、自分を食わせるために働かなければならない。
本格的に専門学校へ行きたいと思った時の仕事と勉強の両立。たえず不安にさらされ、心を揺さぶられながら自分の動向を見極めていかなければならないことの難しさ・・・。
生きていくってすごい大変なことだ。
誰もが一人の人として自分の足で幸福に向かって歩いていけるような、何かしらの社会的なことが私にできないだろうか。
自分がこんなに不安定なのに、できるのかどうかわからないけれど・・・。

今頭の中にはいろんなものがつまっていて、うみそうだ。
うつ病の話をききながら妹を思い、精神病ということばをききながら母を思う。母が入院していた精神病棟の横を車で通った時の、自分の淋しさを思う。
身体が疲れるように、心だって疲れ、病気になる。
病気にならない人はいない。
心の病気は、赤の他人だからこそ治療できる。
私も誰かの援助者にならなければ、自分が燃え尽きてしまうかもしれない。今の会社でストレスに耐えることにエネルギーを消耗して、神経をすり減らし続けたところでこれ以上何の意味もない。
今やっていることの先には何もないのだから、もうがんばろうという気はない。
まだまだ霧の中だね、自分。
今日はもうがんばらなくていいよ。
一週間お疲れ様でした。

                       22時28分、PURE CAFEにて。」


 金曜日の夜、疲れ果てた心身を引きずってカウンセリングスクールを受講したあと、近くのカフェでしたためた日記。こんな想いをしながら勉強を続けて、結果的に合格することができた精神保健福祉士の国家資格。それから10年ほどを経て、回りまわって縁があり、結果的に経験の入口に立つことができた援助職。現実のすさまじさに圧倒されてしまい、どうしてもまたやりたいのかとたずねられると自分でもわからず、ハロワの人に勧められた自己PR文をまだ作成することができていません。さりとてもう会社で働く自分に戻ることはできません。会社に傷つけられすぎました。やっと会社ということばをきいてもぞっとしなくなりました。こうなるまでにはハードな仕事をすることによって過去を忘れる時間が必要でした。おかげさまで歯はぼろぼろになり、膿がひどくって大変なことになっていますが、立ち直るためにはハードな仕事が必要でした。ほんのわずかですが対象者から生きるエネルギーをもらったこともあるんですよね。この方々のためにほんの少しでも自分にできることをさがして手を差し延べたい。なにもできないけど限られた中で何ができるのかを一生懸命に考えたいと思えた出会い。もしかしたら自分が去ったあとすでにこの世から旅立たれている可能性もあります。余命宣告は過ぎているのでもう無理だったかもしれません。限りある命の時間を一日でも長く生き延びていただきたい。そう心の底から願った出会いもありました。一日一日を生きる姿を応援していました。そういうことを自己PR文に書けばいいのか・・・。

 仕事内容の前に、まずはせめて自転車に乗れるようにならなければ社会復帰できないという強迫観念にかられているこの頃。ネットで大人のための自転車教室はないものかと調べてみましたが残念ながらこのような田舎にはありません。これもまたネットで調べてみると、練習の手順として、自転車にまたがったら次は両足をついたままスピードを出してバランスをとる練習をした方がいいとありました。ある程度スピードが出せないとバランスを崩す、ペダルを踏むのはその次と。そりゃそうですね。今日は帰ったらスピードを出す練習をしようと思います。自分を信じて少しずつ、少しずつ・・・。

 帰りも一時間に一本のバスを逃してしまうと足を痛めながら徒歩30分。遅れたらもうあとがないという状況に慣れていくのはしんどい。なんとかせめて自転車・・・。

 つまらないひとり言、お読みくださり、ありがとうございました。