12月3日(土)
ブログ一週間のご無沙汰でした。12月になってしまいました。
ブログアップ中断の言い訳をちょっと書いてから、韓国旅行記を再開します。
25日に東山温泉「ホテル東鳳」で市区長会研修会と懇親会で1泊。26日午前7時に朝食をとり、自宅へ戻り、着替えてパソコン教室へ出かける。とブログをアップしたのだが来客がありアップを中断した。帰宅後はお天気が心配で雪囲いの準備をはじめてしまった。
疲れて入浴し晩酌就寝となってブログ再開なし。
27日(土)滅多にない晴天。竹材店に行き青竹3.8mを5本購入。昨年まで使用した雪囲い材料を出し、半日一人で作業。脚立や梯子を使うが毎年苦労する。
白菜15個収穫。天日干し。
28日(日)~29日(月)東京へ研修視察(会津鉄道関係者と)1泊
30日(火)外の洗い場不凍栓が破損。業者に依頼し工事(路面を掘り起こし器具取替え)。午後 包括ケア会議(高齢者支援)に出席。 会津の峠会議要項・賞状作成。
12月1日(水)~2日(木)会津の峠テクテク会の反省会(忘年会)1泊
2日(金)豊齢研ITサロン会津のパソコン教室。
とハードな日々を送った。
以下は14日(日)の続きだが重複する所もありますが、了承してください。韓国旅行2日目夕方窯元を見学した。辺りは暗く登り窯は見えない。
磁器の作品を見てまわった。 ホテルに帰らず料理店へ。店では海鮮鍋が出た。別に「マッコリの酒」と「ちじみ」を注文。このお店のちじみはニラと小えびなどが入っていてとってもおいしかった。「コーロンホテル」に着いたのが午後6時20分頃。
温泉に入りリラックスした後、ガイドの勧めによる全身マッサージを郊外の施設へ乗用車で行き受けた。本当に疲れた日であったのでよかった。
15日(月)晴れていたが風が強く朝方は寒い。慶州から釜山へ。
5時20分モーニングコール。午前6時20分ホテル発。釜山市内で朝鮮式朝定食を取る。
~ソウルから 縦断しての 釜山入り~
韓国へ来て3日目。北から南へやって来た
釜山は、現在韓国最大の港湾都市となっているが、15世紀の初めには、富山浦と呼ばれる一漁港に過ぎず、当時の中心は内陸の東菜付近であった。地名が釜山と改めらっれたのは16世紀以降のことで山の形が鉄釜に由来することから名づけられた。
下関との間にはフェリーも運航し日本との関係は昔から深い。
釜山市内のどこからでも龍頭山公園の釜山タワーが見えて目印になる。国際市場では新鮮な海産物が 並び、チャガルチ市場は商店街となって賑わいを見せていた。市場周辺の路地には日本式の商家が軒を連ね、タイムスリップしたような懐かしさを感じさせてくれる。
また、繁華街の路面は世界各国の著名人の手形などがあった。ビートたけし氏の手形もありびっくりした。
ブログ一週間のご無沙汰でした。12月になってしまいました。
ブログアップ中断の言い訳をちょっと書いてから、韓国旅行記を再開します。
25日に東山温泉「ホテル東鳳」で市区長会研修会と懇親会で1泊。26日午前7時に朝食をとり、自宅へ戻り、着替えてパソコン教室へ出かける。とブログをアップしたのだが来客がありアップを中断した。帰宅後はお天気が心配で雪囲いの準備をはじめてしまった。
疲れて入浴し晩酌就寝となってブログ再開なし。
27日(土)滅多にない晴天。竹材店に行き青竹3.8mを5本購入。昨年まで使用した雪囲い材料を出し、半日一人で作業。脚立や梯子を使うが毎年苦労する。
白菜15個収穫。天日干し。
28日(日)~29日(月)東京へ研修視察(会津鉄道関係者と)1泊
30日(火)外の洗い場不凍栓が破損。業者に依頼し工事(路面を掘り起こし器具取替え)。午後 包括ケア会議(高齢者支援)に出席。 会津の峠会議要項・賞状作成。
12月1日(水)~2日(木)会津の峠テクテク会の反省会(忘年会)1泊
2日(金)豊齢研ITサロン会津のパソコン教室。
とハードな日々を送った。
以下は14日(日)の続きだが重複する所もありますが、了承してください。韓国旅行2日目夕方窯元を見学した。辺りは暗く登り窯は見えない。
磁器の作品を見てまわった。 ホテルに帰らず料理店へ。店では海鮮鍋が出た。別に「マッコリの酒」と「ちじみ」を注文。このお店のちじみはニラと小えびなどが入っていてとってもおいしかった。「コーロンホテル」に着いたのが午後6時20分頃。
温泉に入りリラックスした後、ガイドの勧めによる全身マッサージを郊外の施設へ乗用車で行き受けた。本当に疲れた日であったのでよかった。
15日(月)晴れていたが風が強く朝方は寒い。慶州から釜山へ。
5時20分モーニングコール。午前6時20分ホテル発。釜山市内で朝鮮式朝定食を取る。
~ソウルから 縦断しての 釜山入り~
韓国へ来て3日目。北から南へやって来た
釜山は、現在韓国最大の港湾都市となっているが、15世紀の初めには、富山浦と呼ばれる一漁港に過ぎず、当時の中心は内陸の東菜付近であった。地名が釜山と改めらっれたのは16世紀以降のことで山の形が鉄釜に由来することから名づけられた。
下関との間にはフェリーも運航し日本との関係は昔から深い。
釜山市内のどこからでも龍頭山公園の釜山タワーが見えて目印になる。国際市場では新鮮な海産物が 並び、チャガルチ市場は商店街となって賑わいを見せていた。市場周辺の路地には日本式の商家が軒を連ね、タイムスリップしたような懐かしさを感じさせてくれる。
また、繁華街の路面は世界各国の著名人の手形などがあった。ビートたけし氏の手形もありびっくりした。