会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都冬ひとり旅 10

2011-03-18 17:01:14 | 旅行
2011年3月18日(金) 晴れ くもり 寒い 彼岸入り 
 今朝は昨日より朝方の冷え込みは大きい。晴れてはいるが外気は低く戸外に置いた車の前面は氷ついていた。 午前9時半 隣家の方の葬儀に列席。野球・ソフトボール・自転車・マラソンなど運動をされた方だったが、病に冒され数年間の闘病後亡くなられた。
 昔は葬式の手伝いは隣組や向こう三軒両隣といって頼まれてしたもんだ。しかし、高齢化が進み隣組みでは手伝えなくなってしまったので、今回もお手伝いは町内の青壮年会でした。すばらしい組織が機能している。ありがたい。
 
 町内会長として町民を代表して焼香する。立場上夕食使いの時には献杯の発声を頼まれる。発声は“献杯”か“いただきます”がよいか迷ったが、お断りして“いただきます”とした。最近はこの言い方が多い。
 
 帰宅すると大きな組織の副支部長の要請があった。要請されることは多くの方に認められてありがたいことだが、ダンシャリマンとしては丁重にお断りをする。
 続いて城西区長会の事務連絡が会長より来る。庶務として処理する。
 その後 留守電に入っていた旅行(同級会の幹事なので)の件で業者と打ち合わせをする。結構忙しい。

 妻は義兄の初彼岸で実姉の手伝いに田島に出かけた。会津鉄道は1日5往復しかしていない。(この大震災で)
 21日まで独身生活。自炊して過すか食べに出かけるか?寒くて出かける元気なし。
 年をとったのかな・・・・・。気持ちは若いつもりだが?????。
 
~隣組み 手伝いできぬ 高齢者~

「京都冬の一人旅10」 
   第3日目 3月1日(火)雨
 
醍醐寺山内に立つ『雨月茶屋』で昼食を済ませ、泉涌寺 即成寺へ。
 この寺は 通称「那須の与一さん」と呼ばれる。泉涌寺の塔堂の一つ。
正暦3年(992)恵心僧都によって京都伏見の地に建立した光明院が起こりとされる。「現世極楽浄土」と呼ばれる本堂には「阿弥陀如来と二十五菩薩」(重文)が祀られており極楽浄土の世界を二十五菩薩の仏像で立体的に表した国内唯一つのもの。本尊・阿弥陀如来坐像の左右に楽器などを手にした表情豊かな二十五菩薩像が並ぶ様は壮観であった。
 案内してくださった住職の説明で前記の内容は納得するのだが、一足でここから極楽浄土で現世と違いますといわれても俗人の私には全く感じなかった。
 この本堂を見学した後、祭りで使う面や楽器の説明を受け、実際に面を被って記念撮影をした。この堂でコンサートなども開かれる。音楽関係者が多勢参拝されるそうだ。



また、平家物語「屋島の合戦」の武勲で有名な那須与一ゆかりの寺として知られ、与一の墓と伝えられる高さ3mの石造宝塔があった。「願いが的へ」ということで受験生のお参りも多い。どうしてここに那須与一の墓があるのだろうという疑問が残った。