2011年3月19日(土) 晴れ
いつもなら午前6時半にラジオ体操をした後、2階の部屋でラジオを聴いたり新聞を読んだりして過し、朝食が出来た頃1階の茶の間に下りてくる。そんな生活を最近はあたりまえと思っていた。
しかし、今朝は妻が居ない。すべて自分でする。
米を2合洗米し、約1時間後に炊飯器にスイッチを入れる。
炊き上がるまで、冷蔵庫の中のあり合せのものを3品用意する。そしてお湯を沸かしインスタントの味噌汁で朝食を済ませた。梅干しを食べ煎茶を飲んだ。
昼食はパンと牛乳とチンゲンサイ・人参・イカの煮物、そしてイチゴがデザート。
午後からは城西地区区長会役員会があった。地震・津波・原発事故で避難された方が会津にも多勢来られた。その方々への支援を話し合う。生活物資は社会福祉協議会が窓口なので各町内が協議会と連絡をとりながら対応する。また、ボランティアは350人も集まり今は受付ていない。そこで当区長会としては義援金を送ることに決定した。
各区長に義援金の協力要請の文書を作成しすぐ投函した。また、町内の高齢者・独居者を見回り灯油など困っていないか情報を把握するように町内の役員へ指示した。
そして、夕食の買い物へスーパーへ行く。数日前の店内とはまるで違う。空になっている棚もあるが、生鮮食料品もあり買い溜めする必要はない。
半値になった刺身ともつと漬物と豆腐を買う。
帰宅してもつ炒めをつくる。サラダ油でもつやネギ、きのこを炒め、塩コショウで味付けしただけ。これと刺身と漬物とパン一切れで夕食は終わり。晩酌は日本酒でしっかりとした。
入浴して寝ようかという時間(午後9時半頃)に従兄弟が亡くなったとの訃報があった。62歳まだ若い。詳しいことは分からないので明日顔見舞いに行って来る。
本当に大地震・大津波・東電原発 そして個人的な問題と忙しいことは重なるものである。
~何事も 予期せぬことで 心労が~
「京都冬の一人旅11」
第3日目 3月1日(火)雨
泉涌寺 即成院の近くにある泉涌寺 戒光寺へ移動する。この寺は安貞2年(1228)後堀河天皇の勅願所として建立された戒光律寺をはじまりとする泉涌寺の塔頭寺院。本堂には名仏師、運慶・湛慶父子の合作とされる本尊・丈六釈迦如来像(重文)が祀られている。
身の丈約5.4m、台座から光背部まで約10mにもなる圧倒的な迫力を持つ宗風の彩色鮮やかな像で、首から流れて入るように見えるのは血の跡といわれ、後水尾天皇が皇位をめぐる争いから襲われた時に、この釈迦如来が身代わりなって付いたものと伝えられる。以来「身代わりのお釈迦様」、「首から上の病気を治す」と信仰を集め、通称「丈六さん」の名で知られる。
屋内写真撮影が出来なかったのでポスターを写した。
いつもなら午前6時半にラジオ体操をした後、2階の部屋でラジオを聴いたり新聞を読んだりして過し、朝食が出来た頃1階の茶の間に下りてくる。そんな生活を最近はあたりまえと思っていた。
しかし、今朝は妻が居ない。すべて自分でする。
米を2合洗米し、約1時間後に炊飯器にスイッチを入れる。
炊き上がるまで、冷蔵庫の中のあり合せのものを3品用意する。そしてお湯を沸かしインスタントの味噌汁で朝食を済ませた。梅干しを食べ煎茶を飲んだ。
昼食はパンと牛乳とチンゲンサイ・人参・イカの煮物、そしてイチゴがデザート。
午後からは城西地区区長会役員会があった。地震・津波・原発事故で避難された方が会津にも多勢来られた。その方々への支援を話し合う。生活物資は社会福祉協議会が窓口なので各町内が協議会と連絡をとりながら対応する。また、ボランティアは350人も集まり今は受付ていない。そこで当区長会としては義援金を送ることに決定した。
各区長に義援金の協力要請の文書を作成しすぐ投函した。また、町内の高齢者・独居者を見回り灯油など困っていないか情報を把握するように町内の役員へ指示した。
そして、夕食の買い物へスーパーへ行く。数日前の店内とはまるで違う。空になっている棚もあるが、生鮮食料品もあり買い溜めする必要はない。
半値になった刺身ともつと漬物と豆腐を買う。
帰宅してもつ炒めをつくる。サラダ油でもつやネギ、きのこを炒め、塩コショウで味付けしただけ。これと刺身と漬物とパン一切れで夕食は終わり。晩酌は日本酒でしっかりとした。
入浴して寝ようかという時間(午後9時半頃)に従兄弟が亡くなったとの訃報があった。62歳まだ若い。詳しいことは分からないので明日顔見舞いに行って来る。
本当に大地震・大津波・東電原発 そして個人的な問題と忙しいことは重なるものである。
~何事も 予期せぬことで 心労が~
「京都冬の一人旅11」
第3日目 3月1日(火)雨
泉涌寺 即成院の近くにある泉涌寺 戒光寺へ移動する。この寺は安貞2年(1228)後堀河天皇の勅願所として建立された戒光律寺をはじまりとする泉涌寺の塔頭寺院。本堂には名仏師、運慶・湛慶父子の合作とされる本尊・丈六釈迦如来像(重文)が祀られている。
身の丈約5.4m、台座から光背部まで約10mにもなる圧倒的な迫力を持つ宗風の彩色鮮やかな像で、首から流れて入るように見えるのは血の跡といわれ、後水尾天皇が皇位をめぐる争いから襲われた時に、この釈迦如来が身代わりなって付いたものと伝えられる。以来「身代わりのお釈迦様」、「首から上の病気を治す」と信仰を集め、通称「丈六さん」の名で知られる。
屋内写真撮影が出来なかったのでポスターを写した。